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07

それから何ヶ月か経った秋の事だ。


その日は朝から雨だった。

嫌に湿った秋雨だ。


僕は日課通りアオイを呼びに家へ赴き、呼び鈴を鳴らした。


「あと、五分!!」

騒がしい声が家の中から返ってきた。


「はいよ」


まだ遅刻するような時間では無いし、僕はゆっくりと彼女を待つことにした。

ふと、庭に目が行くと、随分と無造作に雑草が生え散らかっているのがうかがえた。

夏に刈ったばかりなのにもう伸びまくっている。雨にうたれている様子を見て、より一層生命力を感じさせる雑草たち。

アオイに呼び出され庭の手入れをさせられるのも時間の問題だな、と思った。


「おまたせ」


きっかり五分後にアオイがやって来た。

年頃の女子らしく身なりには気を使っており、髪などは勿論、ブラウスにシワが付いていないかチェックすることにも余念がない。

顔には薄く化粧をしているようでどこか余所行きの雰囲気を醸し出し、散々一緒にいる僕でさえ、少し新鮮な気持ちになる。

毎朝準備に時間がかかるのだが、その分の成果はキチンと現れているようだ。


「何見てたの?」


ギクリとした。こういう時、アオイは妙な勘の良さと間の悪さを生み出す。


「別に、何も・・・っ」


庭についてアオイに察せられないようによそを向いた。


ふーんそう、とアオイは言い、雨の中を二人で静かに歩き始めた。


「あっ、そういえば」


アオイが何かを思い出したように言った。


「どうした?」


「今度の日曜日空いてるよね?」


「ん、まあ、用事はないけど」


そう言うと、彼女はニヤリと笑い、


「じゃあ、日曜日に庭の草取り手伝ってちょうだい」と言う。


「・・・・・・」


手伝ってくれという割に全部僕に任せるに決まっている。


・・・本当、何とも憂うつな気分だ。



機嫌がよさげなアオイと、朝から重要なタスクを課せられたことに憂う僕らは教室に入る。

何人かのクラスメイトにおはようと言いながら席につくや否や、斉藤がやって来た。


「ユウキ・・・」

やたら暗い顔をしているのに驚いた。


僕よりも気が沈んでいる様子だ。


「・・・・・・どうしたんだ、そんな顔して」


「いや、ちょっと話があるんだ。昼休み時間いいか?」


「いいけど・・・」


「なんならアオイちゃんも一緒に・・・」


「あ、ああ。伝えとくよ」

そう言うと、助かると呟き、静かに去っていった。


明るい性格の斉藤の今まで見たことない姿を見て、僕は心が不穏にざわめくのを感じた。


その日の午前中、教室の騒がしさの中で、やたら暗い斉藤の姿がやけに気がかりになった。

昼休み。

面倒臭がるアオイを引きずって校舎の奥にある無人の教室に向かった。


「ゴハン、オナカスイタ、シンジャウ」


「カタコトで言ってもダメ。斎藤の奴やたら暗い顔してたんだ。心配だろ?」


「そりゃそうだけどさ、私を呼ぶ意味あるの?ユウキだけ行けばいいじゃない」


「わかんないけど、斎藤がアオイもって言うからさ・・・」


「斎藤のことだからどうせ恋愛相談とかよ。女心を教えてくれとかいうつもりよ。色ボケしちゃって全く・・・」


「・・・そうかなあ」


恋愛相談なら僕らを呼んだりしないだろう。

だって恋愛経験なんて無いんだから。


たまに僕とアオイが付き合っていると勘違いする人がいるが、実際はそんな色っぽい関係ではない。


なんて言ったらいいのか、まあ、とにかく簡単にくっついたり離れたりできる男女交際の関係ではないのだ。

斎藤もそれは重々承知のはずだ。


それ以外の悩み―――となるとあまり思い浮かばないけど、斎藤が困っているなら相談に乗るしかない。

棟を移り、特別授業でもめったに使わない小さな教室に辿り着いた。

生徒達の声もここからでははるか遠くで、昼休みの騒がしさは届かない。

人気の無さからか、気温までうすら寒く感じた。

アオイもここまで来たら観念したようで、ん、と顎を上げて僕にドアを開けるよう促した。


僕がドアを開けて入ると、教室の真ん中では既に斉藤が待っていた。

僕らが入って来た様子を見ることもなく、机に座りずっと下を向いていた。

せめて電気を付ければいいものを・・・カーテンの隙間から漏れる光がかろうじて教室を照らしていた。


「斉藤・・・」

僕が声をかけると斉藤はハッと顔をあげた。


「あ、ああ、来てくれてありがとう・・・」

心ここに在らずという感じだ。


「話って?」


「・・・実は・・・・・・」


「実は?」


「・・・・・・いや、これを見てくれないか?」

そう言うと、斎藤はポケットから一枚の紙を取り出した。


渡され、折りたたまれたそれを開くと、



『  さようなら。マンションに行く。全て受け入れるところだ。



私は今、無感情に喜んでいる。   』


と鉛筆で殴り書きされてあった。


「なんだこれ・・・・・・?」


「・・・親父が家に残していった手紙だ」

斎藤の声は潤んでいた。


「三日前それを残して、親父がいなくなっちまった」


「いなく、なった・・・?」

斎藤は嗚咽を漏らしながら語る。


「じゃあこれは、つまり・・・」

遺書ってことか、と続けそうになった僕に向かってアオイが首を振った。


僕は再び遺書を眺めて静かに息を呑んだ。

死というものを身近に感じた経験はあるが、死を決意した人間が残したものをこうもまざまざと見る経験はなかった。

綺麗な字だった。

しかしそこに確かな狂気を感じた。冷たい狂気だ。


アオイも遺書に見入っていた。下唇を噛んで、どこか沈痛な面持ちを浮かべていた。

斎藤が「それで・・・」と声を漏らした。

僕とアオイは黙って斎藤の話に耳を傾けた。


「もうわけわかんなくてさ。急に親父が変な手紙だけおいて消えたから俺もお袋もどうしていいかわかんなくてパニックになってさ。そこら中探してもどこにもいなくて・・・・・・。警察にいってもまだ見つからないし・・・それで、俺親父の手紙見て、気づいたんだ」


「気づいた?」


すると斎藤は震える指で“マンション”の部分を指した。


「俺さ、ずっと前に自殺願望者が集まるマンションがあるって言ったろ?親父はそこに向かったんだって気づいたんだ。ずっと前、それを□□県まで見に行ったときは親父に連れて行ってもらったから、親父もあのマンションのことは知ってるんだよ。だから昨日そこのマンションまで親父を探しに□□県に行ってきたんだ」


僕と彼女はちらと顔を見合わせた。

アオイもその先の話をおおよそ察したようだった。


「けど、そこにあのマンションはもう無かったんだ!信じられるか?つい最近までそこにあったって話は聞いてたけど、俺が行った時には無くなっていたんだよ!そんな訳の分からない話が合ってたまるか、って思ったんだ。だってそうだろ?じゃあ親父はどこに行ったんだ!マンションが親父を連れ去ったとでもいうのかよ!」


「落ち着け。冷静に考えてそんなことあり得ないだろう?」


「けど、あのマンションはある日急に現れたんだ!じゃあ、急に消えたっておかしくないんだ!・・・・・・クソみたいな話だけどさ、あのマンションをじかに見た俺は分かるんだ。あれはいかれてる。この世のものじゃないって見ただけでわかる。・・・・・・けど、それで納得できねえよ!じゃあ、俺はどうすりゃいいんだ!」


混乱している。

一見バカげた話ではあるが、それが本当だから斎藤はここまで混乱しているのだろう。


僕はそんな斎藤をただ傍観することしか出来なかった。

斎藤はいつも明るく気遣いが出来る優しい人間だが、そんな人間が悲しみで泣きじゃくる姿を見るのはなんとも心苦しかったが、掛ける言葉を模索するだけで僕はいっぱいいっぱいだった。


「ごめんな。変な話で・・・。けど俺もうどうしたらいいかわかんなくてさ。警察に捜索届けを出したけど、こんな話は信じてもらえなくて・・・・・・お前らしかいなかったんだ」


「・・・親父さん、そんなに思い悩んでたのか・・・?」


「わかんねえけど、最近はやたら暗い顔してた。いなくなる前は特に思いつめたような顔をしてたけどさ、俺は何もしてやれなかった・・・。俺じゃわからない大人の事情なんだって取り合わなかったんだ。・・・・・・ほんと、馬鹿だよ。少しでも何かしてやれたかもしれないのに」


僕と彼女は沈黙したままだった。

肩を震わせながら泣く斎藤だけが教室で動いている。

暫く経って、「だから」と再び斎藤が口を開いた。


「ユウキ達を呼んだんだ・・・・・・」


言って斎藤は我に返ったようにハッと口を開いた。

その衝撃的な一言に、アオイの熱が高くなっていくのを感じた。


「・・・・・・どういうことよ、それ・・・」


「いや、ちがっ・・・そういう意味じゃ・・・」


「じゃあ、どういう意味よ!私たちに親がいないからここに呼んだってわけ!?親がいなくなったから私たちの気持ちが分かったって言いたいの⁉」


「ご、ごめん、そんなつもりじゃ・・・」


「冗談じゃないわ!傷なら一人で舐めてればいいじゃない!」


「お、落ち着け・・・」

今にも手を上げそうなアオイを止める。


「何冷静でいるのよ!馬鹿にされてるのよ!?親がいなくなった者同士、俺の気持ちわかってくれって言ってるのよ⁉」


「そんなつもりじゃないんだ。ただ俺は・・・」


「うるさい!死ね!あんたの気持ちなんてわかるわけないし、あんたに私たちのことなんてわかるわけないじゃない!」


アオイは斎藤が座っている机を蹴り飛ばし、教室から出ていった。


「斎藤、悪い、また後で話そう」


慌てて彼女の後を追う僕。教室を去る間際に、斎藤の方を一瞥すると、斎藤は一人で頭を抱えてまた涙を流していた。



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