05
「――――――どうして、上手くならないかなあ」
その夜、アオイはボヤくように言った。
「センスがないのさ、きっと」
僕は彼女の頭を洗いながら適当に応えた。
それに対して、彼女は首を横に振りながら、
「いやいや、センスなんて磨くものよ。頑張ってまだまだ精進しなさい」
「僕だって君と同じくらいには絵を描いているはずなんだけどなあ。ていうか洗いにくいから動かないで」
「あ、ごめん。・・・っていうか、それなら、なおタチ悪いじゃない」
彼女は肩を落として、ため息をついた。彼女の髪についた泡を丁寧に洗い落としながら僕もつられて肩を落とす。
そこまで深刻な話だろうか。
「はい終わり。お湯止めて」
「ん」
一通り洗い終えて、僕らは一緒に湯船に浸かる。
ここは彼女の家の風呂場。
アオイの家の風呂場は広く、浴槽も僕らが二人同時に湯船に浸かっても、自由に足を伸ばせるぐらいだ。
そもそもアオイの家自体がその風呂場に見合うくらい広い。
部屋の数も一人暮らしの彼女では持て余すほど多く、実際使っていない洋室が四つほどある。
半年に一回ほど使っていない部屋の掃除を手伝わされるのだが、放置しておくのがもったいないほど広い。
僕が住まわせてほしいほどだ。
・・・というのも僕の家は、彼女の家のお隣さんとは思えないほど小さい。決して貧相ではないし、一人暮らしには丁度いいが、彼女の家から帰るときはやはりどこかしら虚しさを感じる時はある。
「・・・しかし、君はなんでそこまで絵を描きたがるんだ?」
「んー、何でだろう?理由なんて特に無いよ。暇だからでしょ」
彼女は何の気なしに答えるが、僕はその理由の一端におおよその察しが付いていた。
それは彼女の体に残った火傷の跡に関係があると考える。
そもそもアオイが絵を描き始めたのは、小学生の頃、それも事故の後からだ。
僕と違い、腕にも跡を多く残した彼女は薄着になってのびのびと運動をすることを避けるようになり、家の中で引きこもることが多くなった。
もともと活発な性格だった彼女が家にいるのは退屈が過ぎたらしく、家でも出来る遊びを模索し続けた結果、絵を描くということに落ち着いたわけだ。
最終的にそこに落ち着いたということは、絵が好きだということは間違いないだろうが、彼女の口ぶりでは、それでも心底満足できるものでもないのだろう。
「なんか、面白いことないかなぁ」
浴槽の縁にもたれかかり、アオイは呟いた。
「今さらになるけど、部活でも入れば良かったじゃないか。美術部とかさ」
「本当に今さらって話ね。美術部は嫌だって言ったでしょ。趣味でやってることに義務感が伴うとやる気なくなるの」
やはり本心では奔放に遊び回りたいのではないかと僕は思う。
彼女にとって事故と火傷の跡というものが大きな枷になっているらしく、無意識のうちに色んなことに対して積極性を失っている気がする。
部活にも入らず友達と外で遊ばず、妙な拘りと好き嫌いがあるうえ、事故以来どこか影がさしたような性格な彼女は、年々友達も減り続けているし、このままでは退屈さが解消されることはないだろう。
僕は彼女と一緒に居られればあとは何だっていいのだが、やはり彼女が退屈そうにしているのは気にかかってしまう。
「すっかり出不精になっちゃって・・・」
「む?」
思わずつぶやく僕を不服そうに睨むアオイ。
「誰がデブですって?」
「デブショウだよ。太ってるって意味じゃなくて、外に出たがらないって意味さ」
「・・・・・・ちぇー。私の知らない言葉なんか使って、生意気・・・」
国語の先生ありがとう。今日知ったばかりの言葉を早速使うことができたうえ、絵で負けた分、やり返すことが出来ました。
僕はしようもない優越感に浸った。
一方、彼女は少し不機嫌そうに、そしてかなり退屈そうに湯船の中で足をバタつかせて遊んでいた。
それを見て、僕は手で水鉄砲を作って水をかけてやった。
彼女はそれに対して、やったな、と悪戯っぽく笑うと同じく手で水鉄砲を作り応戦してきた。
「わあっ、やめろよ」
「あははは」
次第にからかい合いがエスカレートして、バッシャバッシャという水の掛け合いになって最終的に彼女が湯船にダイヴして終幕を迎えた。
「あっはっはっは!面白かった!」
僕に抱きついて豪快に笑う彼女を見て、僕は少し安心した。
退屈な日々は続くが、たまにこうやって大笑いし合える日々があるのなら僕は満足だった。
「ねえ、見てて見てて、モノマネーワカメね!」
そう言い、湯船に潜って、髪をワカメのように揺らす彼女を見て僕は笑った。
プハッと浮き上がった彼女もそんな僕を見て、また満足したのか大笑いした。
「面白かったでしょ?」
「ああ、面白かったよ」
「あははは!そうでしょう!」
また抱きついてきて僕らは互いの笑いに引かれながら笑い続ける。
数分後、ようやく笑い終えると、彼女は僕の顔を覗き込むように上目遣いで見る。
僕と目が合うと静かにはにかんだ。
「私、絵を描くことしかやることなくて退屈だけどさ、ユウキがいるから毎日毎日楽しいよ」
さっきの僕の思いを察したかのような口ぶりに僕は少し驚いて目を瞬いた。
「学校でも、家でもユウキがいてくれるから私は寂しくないし、一緒に絵を描いていたら気がまぎれるし。私は今の生活が結構好きなんだ」
だから、と続けて、
「ずっと一緒にいようね」
彼女は言った。
恋人に囁く愛の言葉のようなそれも僕らの場合では、少し意味合いが異なる。
互いが互いを必要とし、支え合いながら生きていく関係。何もかも失った同士、心の底から通じる理解者。
いや、それ以上に。互いの存在が、自己の存在理由ともいえる奇妙な関係。
それでも僕たちはまだ十四歳で、そんなことは心の奥底で無意識に理解していただけで、彼女のその言葉は無垢からくるものだった。
その日僕らは風呂場で一時間以上遊んだ後、彼女のベッドで、お互い薄着で寄り添うように一緒に寝た。
『ずっと一緒にいようね』
その言葉に、僕が返した返事は云うまでもないだろう。
淡い色と、穏やかな熱に包まれた中学の夏は、静かに過ぎていった。