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04

事故から三年経ち、僕らは中学二年生になった。


七月も半ばに差し掛かり、教室で夏休みの話題も増え始めた頃。

半袖のカットシャツ。蛍光灯をつけずに行う授業。

学校の喧騒に混じる蝉の声。

どれもこれもが夏らしさを感じさせた。


そんな中アオイだけは、冬さながらに長袖のブラウスを着ていた。少し汗で薄れた生地、彼女が少しでも暑さを紛らわせようと短く揃えた髪も、僕にとっては夏の風物詩となっていた。

ジャンケンで負けた僕はアオイの一つ前の席に座り、彼女を下敷きで扇いでいた。


「もっと強く」


アオイは肩肘をつきながらそういった。

今週は三十五度越えの気温がずっと続いて、今夏一番の猛暑になるとテレビで聞いた。流石に彼女もこたえているのか、大粒の汗をこめかみから垂らしている。

長袖でいるのだから無理もない。彼女はハンカチで汗を拭うが、それでも汗が止まらないようだ。


「もう・・・クーラー全然効いてない気がする」

アオイはぶつぶつと文句を言う。


「次の授業なんだったっけ?」


僕は何の気なしに聞いた。

彼女はブラウスの袖を折りながら、体育よ、と不機嫌そうに答えた。


「しかもプール。はーあ、つまんないなぁ。私も泳ぎたい・・・・・・」


「僕だって泳ぎたいさ。こんな暑いんだもん。水に飛び込めたらどんなに幸せなんだろうな」


「じゃあ、泳いでくればいいじゃない。私なんて放っておいてさ」


そう言うと彼女は不機嫌そうに僕から下敷きを奪い、行儀悪くもシャツの下から扇ぎ始めた。

そうもいかないのがまた悩みなのだ。

別に休みたくて休んでいるわけじゃない。

それにみんなと泳ぐより、二人で休んで話でもしていた方が楽しいじゃないか。

そう思ったけれど、口には出さなかった。




プールサイドには幸運なことに木陰があった。

目の前は涼やかなプールで、さらに熱中症対策として先生が飲み物の持ち込みを許可しているものだから、むしろ教室より涼むことができた。

二時間ここで時間を潰すのはダルいけど、快適さでいうなら申し分ない。

蝉の声にプールではしゃぐクラスメイトの声が混じって、青空に響いている。

午後の授業初め、おまけに案外快適なものだから眠気に襲われ、ついうつらうつらとしてしまった。


バン!

その時不意に頭を固いもので叩かれた。

見るとアオイが二枚の画板を持って目の前に立っていた。


「いってぇ。何すんだよ」


「寝そうになってたから、起こしてあげたのよ。さ、絵を描くわよ」


彼女は有無を言わせずに僕に画板を一枚渡した。画板には真っ白な画用紙が付いている。画用紙の白さが太陽の光を反射してやけに眩しかった。


「どこから取ってきたのさ、これ・・・」


「暇だから絵を描いてもいいかって先生に聞いたら、許可してくれたの。それで美術室から拝借してきたわ」


「どおりで今までいなかったわけか」


そういうこと、と言うと僕の隣にぺたりと座った。僕の鉛筆を放りなげて、彼女は早速サッサッと鉛筆を動かし始めた。

鉛筆を動かすたびに、切り揃えたばかりの髪がサラサラと動いていた。汗がスッと落ちて、画用紙に水玉模様を作った。

見慣れた光景だ。けれど今日は少し違う。

いつも彼女は家に篭りっぱなしだから、こんな太陽の下にいる姿は珍しかった。プールサイドで僕と彼女が二人、プールの水面に反射する光を浴びながら、こんな穏やかな午後を過ごすのも悪くはない。


バン!

また頭を画板で叩かれた。


「痛いな!今度はなんだよ」


「何ぼーっとしてんの。早く描きなさいよ」


僕が少しだけ感傷に浸ろうとするとすぐこれだ。


「何を描けばいいんだよ?」


「好きなもの描けばいいじゃないのよ。それかスケッチでもしてたら?」


スケッチと言われても眼前にはプールとクラスメイト、その後ろには校舎。

周りを見回してもこの辺は高い建物もないし、見えるのは平凡な住宅地だけだ。特にこれといって面白みがある景色があるわけじゃない。


「・・・プールをまじまじと見ながらスケッチするのは何だか気がひけるしなあ」


「うわぁ・・・思春期の男子ってめんどくさいね。そんなことに気を使うなんて。安心しなさい。そんな思考に至るのは、あんたか、プールの時間だけサングラスかけてる先生だけよ」


彼女が指さす先には、やけにぎらついたスポーツサングラスをかけた先生がいた。

こうやって冤罪が生まれていくのかと僕は先生を憐れんだ。

女子って残酷だなあ。


「大体、スケッチなんだから何か選んで描くんじゃなくて、見たままの風景をそのまま模写するとかでもいいんじゃない?」


「でもやっぱり描くなら面白いもの描きたいよ」


「わがまま。もう観念して水着のクラスメイトを描きたいって言いなさいよ。今のうちよ、こんな絵を描けるのは。あんた風景画下手くそだし、人物画の方がいいでしょ。んー、そうね・・・ほら、あそこの白石さんなんて可愛いじゃない」


「変なこと考えてるのはどっちだよ!」


「失礼ね。変態なあんたに親切心でおすすめしてあげてるだけなのに」


「うるさいな。じゃあ、君は何描いてるんだよ?」


「わたし?あそこの川上くん」


「この変態!」


「嘘よ。あそこのマンション」


と言ってアオイが指差した先には、校舎の陰に半分隠れたマンションだった。

十階にも満たないグレーの何処にでもありそうなマンション。

目を細めてようやくその姿を捉えることができた。


「あんな遠いとこのマンション、よく見えるな」


「私もそこまで目が良い方じゃないから半分は想像と記憶で描いてるわ。あそこのマンションは何度か見に行ったことあるのよ」


言いながらアオイの手はサラサラと慣れた手つきで、画用紙にマンションの土台を組み上げている。

プールサイドにいるのにマンションなんて書くのかと呆れつつ、僕も適当に校舎を書き始めることにした。

それから僕らは、皆がプールから上がるまで、たっぷりと時間を使って各々の絵を描き上げた。


「・・・やっぱりまだまだね」


描き終わった後、僕の絵を見ながらアオイはにやけて言った。

むう。確かに僕の絵は、彼女の立派なマンションに比べればえらく見劣りする歪んだ校舎だった。

悔しいから彼女の絵を見て素直に「上手だね」とは言わず「よく見るマンションだ」といったら、また画板で頭をたたかれた。



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