02
・・・何日経っただろう。
あまりに生きた心地のしない日々と、曖昧な時間を漂っていた日々は、ひょっとしたら数週間にもわたるかもしれない。
その間いくつか分かったことがある。
まず僕が入院している理由は重度の火傷だった。
それもかなり大きな火傷で一時は命も危なかったらしいが、それでも僕は奇跡的に生き残った。未だに背中に包帯は巻かれているが、激痛を感じることは少なくなった。
それと僕がこうなった原因は交通事故のようだった。
結構凄惨な事故であったようで一時期話題になっていたそうだ。病室にテレビが無かったのもそうだが、僕に事故のショックを思い出させないためにと、病院側が情報を規制していたらしく、事故のことを知ったのは、入院してしばらく経った頃だった。
そう、それは肉体と精神がようやく落ち着いた頃だ。
看護師に、同じく事故に巻き込まれた両親の死を知らされた。
両親は奇跡的に生き残った僕とは違い、即死だったそうだ。
しかもその後、死体は火に巻かれ、黒焦げになり見る影もなかったという。
・・・僕は孤独になっていた。
それは十歳の子供にとって、あまりにも残酷すぎる現実だったが、それよりも泣きながら両親の死を報告する看護師に対する方に心が痛んだ。
両親の死んだと伝えられても、僕には現実味のない話だったからだ。
激痛から解放され肉体と精神は落ち着いてはいたが、ひどく荒んでいた。
両親の死を聞かされても、セミの抜け殻のようになんとも空しい気分だった。
傷だけを残し、僕に生きる意味も、生きる術も、なにもかもなくなっていた。
けれど死ぬほど狂ってもいなかった。
ただ生と死の狭間に揺蕩うだけ。それは限りなく空しいことだった。
しかし空っぽの中には、微かな記憶がこびりついていた。
・・・あの時、事故に遭い、火に巻かれていたあの時、僕は絶望や痛み以外に何かを感じた。燃え盛る炎よりも輝く何かがあった気がした。
何かもわからないし、思い出せないほど幽かなのに、僕はどうしてもそれが気になって仕方がなかった。
あれは何だったのだろう、あの時感じたものは何だったのだろう。それを考えることだけが、事故がもたらした現実を忘れる気晴らしにもなっていた。
・・・・・・
何度も治療を繰り返し、退院が間近に迫ったある日、僕は看護師のお姉さんに連れられてとある場所へ向かっていた。
「どこに行くの?」
僕は聞いた。
「君のお友だちのところよ」
「・・・お友だち?」
病棟の奥の方。次第にすれ違う患者や看護師の数も少なくなった。
人気のない病棟には、僕が乗っている車椅子が軋む音と、それを押す看護師さんの歩く音しか響いていなかった。
そうしてとある病室にたどり着いた。
「ここは?」
看護師さんはそれに答える代わりに、ドアを二回ほどノックした。
中からの応えはない。
看護師さんは僕に、入るわよ、と言いながら優しく微笑みかけ、ドアに手をかけた。
わけもわからず僕は目を瞬くことしか出来なかった。
看護師さんがドアを静かに横にスライドした。
その先に広がる光景に僕は思わず言葉を失った。
白一色の何の変哲も無い病室だが、ベッドの上に見知った女の子が儚げな佇まいで窓の外を眺めていた。
その子はこちらを振り向くと、静かに一筋の涙を流した。
髪を短く揃えた、瞳が綺麗な女の子。
痩せ細った身体で、服の裾から包帯が覗いていた。
染咲アオイ。僕はその子を知っていた。
隣に住んでいる幼馴染の女の子だ。
「ユウ、キ・・・?」
「アオイちゃん?」
言うと、彼女の目から涙が次々と溢れ出た。
「ユウキ、ユウキだ・・・」
「うん・・・久しぶり、アオイちゃん・・・」
「ユウキ・・・さみしかった、わたしさみしかったよ、ユウキ!」
行ってあげて、と看護師さんが僕に耳打ちをした。
僕はうんと頷いて、車椅子を転がして彼女のもとまで行った。
ベッドの脇に来るや否やアオイは僕に抱きついて大声で泣き始めた。
彼女の体は、病的に痩せぎすっていて、ごつごつと骨ばった感触が痛々しかった。
僕も入院して以来、体重がかなり落ちたが、彼女のやせ方はそれ以上だ。酷いありさまだった。
「アオイちゃん・・・」
僕も同じように彼女に手を回そうとした―――が、それを寸出のところで止めた。
肩に顔を預ける彼女の首筋から少しだけ背中が見え、その背中には僕と同じように包帯が巻かれていたからだった。
ふと後ろで見守る看護師に目をやった。
すると、看護師も察したようにこくりと静かに頷いた。
・・・そうだ、思い出した。
あの事故の日、僕とアオイの家族は一緒に旅行をしていたのだ。
彼女も火傷を負っている。しかも、その傷はまだ癒え切ってない。退院間近な僕とは違い、未だに包帯を巻いているところから察するに、触れればきっと痛みが走るに違いない。
背中に触れずに、彼女の首に手を回して、抱き込んだ。優しく抱いたつもりだったが、ひょっとして少しきつかったかもしれない。
「お父さんと、お母さん、が・・・」
「うん、うん、ボクもだよ、ボクも君と同じだ・・・」
「わたし、もう、誰もいない。みんな死んじゃった。わたし、う、わたし、ひとりになっちゃったよお・・・!」
「だいじょうぶだよ。ボクがいるよ・・・。ボクがきみと一緒にいるから」
「・・・ユウキが?本当に?ずっと一緒にいてくれる?わたし、もうひとりはやだ・・・ユウキ、ずっと一緒なの?」
嗚咽を漏らしながら彼女は僕に問いかけた。
すがるような目で、懇願するような目で。
途端、僕の眼からも涙が零れ落ちた。それはどんどん溢れ出て、止まらなくなった。
こんな感情は久しぶりだった。
嬉しくて、心地よくて、安心する。心が幸福で満たされる感覚。
僕らの体と心は互いに弱弱しくボロボロだったのに、そこに確かな生の実感があった。
「アオイちゃん・・・ずっと、一緒だよ。約束する」
絞り出すような声でそう答える。
その言葉を聞くと、彼女は再び大声で泣いた。
「ユウキ・・・ユウキ・・・!」
彼女は僕をより強く抱きしめる。その光景を見て看護師さんも静かに涙を流していた。