仲居さんの日常と、ちょっと不思議な恩返し
朝4時。
まだあたりが暗い中、私は布団を抜け出す。
春の足音が聞こえてくる中、それでもまだ寒い山中の旅館の側に建てられたアパート。
ここに住む人はみな、この温泉街で働く人なのだ。
私はまだ眠たい眼をこすりながら、支度を整え、着付けを自分で行う。
和装でアパートを出ると、白い息と湯畑の煙がまじりあう。いつだったかこの街を家族で訪れたとき、湯畑から立ち上る湯気に見とれてしまったことがあった。柵にしがみつき、親に促されてもなかなか離れずに困らせてしまったのだ。私にとって家族との思い出が詰まった大切な場所。
「おはようございます」
「おはよう」
若女将が点呼を取ると、今日の朝の流れの共有が行われる。
私はお客様が朝食をとっている間に布団を上げ、お茶菓子を用意しておく担当。
日によっては朝食会場での給仕を担当することもある。
一日の流れは二部に分かれている。朝の時間を過ごし、宿泊を終えたお客様のお見送りを終えると、長い昼休憩で仮眠をとり、夕方頃には再び新たなお客様をお迎えする。パートのおばちゃんはどちらかの時間のみ働いていたりするが、私は通しで働いている。
――チュンチュン
朝食中のお客様のお部屋を訪れ、換気をしながら布団を上げ、茶菓子を補充する。と、テラスに一羽の小鳥がやってきた。首をかしげながら朝を知らせる鳴き声を上げつつ、こちらの様子を窺っているようだった。
つい私は、袖に忍ばせておいたクッキーを取り出し、細かく砕くと小鳥へ与えてしまう。
鳴き声を上げながらついばむその様子を眺めていると、なんとなく無為に流れているように感じるこの毎日も悪くないのかもしれないと思えてくる。
私は頬を両手で叩くと、気合を入れなおし、次のお部屋へ向かうのであった。
▼▼▼
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
青空の下、まだ雪残る木々の間にポツンと立つ旅館。私の働く旅館。
古くから続き、多くの方に愛される老舗旅館。もとは小さな旅館であったのが、改装・改築を重ねて今では団体客の受け入れも行っている。もとからある部分と新しい部分との雰囲気は異なり、少々ちぐはぐした印象がぬぐえないが、それでも門構えは立派なものであり巨木を切り出し作られた看板の前に並び、お客様をお見送りするそれは圧巻といって良いものであった。
すべてのお客様のお見送りが終わり、皆で休憩に入ろうとすると、一人の女の子がオフィスに迷い込んでくる。
外湯来訪のお客様かもしれない。
比較的歴の浅い私が、親御様を探す役を受け入れると、少女と歩き始める。
「わたしのおなまえは?」
「ゆうこ」
「そう、ゆうこちゃんね。私のことはゆきえって呼んでね」
「ゆきえちゃん!」
私は、ゆうこという4歳くらいであろうか、女の子と共に館内を歩き始める。
「ゆうこちゃんは今日、だれと来たのかな?」
「んー? よくわからない!」
「おかあさん? おとうさん? おじいちゃんかなぁ~、おばあちゃんかなぁ~?」
私の質問にゆうこは少し緊張した面持ちになる。
私は袖の内側に手を入れると、必殺お菓子攻撃を繰り出す。
「これ、な~んだ!」
「おいしいやつ! たべたい!」
私は大きな1枚のクッキーを取り出すと、ソファーに腰かけ、ゆうこと半分ずつ食べることにした。
「これ、なんていうの?」
ゆうこはクッキーにかじりつきながら私に問いかけてくる。
「チョコレートチャンク・クッキーよ」
「ちょこれーとちゃんくっきー! おいしいね!」
私はゆうこがクッキーに夢中になっている間に番台へ向かい、同僚に外湯来訪の様子を確認する。
しかし今日はまだ、子連れのお客様を見かけていないということだった。
私がロビーにいるゆうこに視線をやると、こちらに向かって大きく手を振り何やら私を呼んでいるようであった。とりあえずゆうこのもとに戻ることにする。
「ゆきえちゃん! これあげる!」
「わぁ、ありがとう!」
ゆうこはテーブルの上に、どこで集めたのか季節外れの木の実を並べると、一つずつ私の手のひらへと乗せていった。
「ゆうこちゃん、おかあさんたちどこにいるのかな?」
改めて問いかけると、ゆうこは外を指さし満開の笑顔を返してくるのであった。
私は若女将に許可を取り、夕方までの間、温泉街でゆうこの親御さんを探すことにした。
交番のおまわりさんにはすでに保護していることを電話で伝えてある。
――ぐぅぅぅぅ
ゆうこの手を取り、街を歩いていると隣から大きなおなかの音が聞こえてきた。
バツの悪そうにゆうこがもじもじしている。そうだよね、女の子だもの。恥ずかしいよね。
「あー、おなか減っちゃったな! 何か食べようかなぁ~」
ワザとらしく大きな声で独り言をつぶやく私。ゆうこに視線をちらりと移せば、目を輝かせて手をぎゅっと握ってくるのだ。可愛い。
「あのね! すてーき食べてみたいの!!」
「え、あ、うん。食べに行こうか!」
「やったー!!」
意外な希望に少し驚いてしまったけど、洋食店へと歩み始める。
ほかに人がいない店内に入ると、ステーキセットを2つ注文する。
「ゆうこちゃんはどこから来たの?」
「おやまのむこう」
「だれときたのかなぁ?」
「うーん、みんな!」
ステーキセットを洋食店のおじちゃんが運んでくると、興味深げにナイフとフォークをみつめるゆうこちゃん。
そっかぁ、まだうまく使えないよね。私が切り分けてあげるとフォークを握りしめて食べ始める。
「おいしいー!!」
なんてことのないステーキセットだったけど、ゆうこちゃんは気に入ったみたい。
「はじめて食べたの!」
「そっかぁー、普段はハンバーグとかなのかな?」
「はんばーぐ?」
ゆうこは豆鉄砲を食らったかのようにきょとんとすると、すぐに気を取り直し手元のステーキに夢中になる。
さて、どこを歩いたらみつかるだろうか。私は今のうちにこの後の動きを考えることにする。
▼▼▼
洋食店を出た私たちは、おやつの黒糖温泉まんじゅうを買ってから、湯畑のそばにあるベンチに腰掛ける。
ゆうこちゃんは全然迷子の実感がないようで、落ち着いている。ありがたい。
「ここの湯畑、とてもきれいでしょ?」
「ゆばたけって、なに?」
「うーん、温泉よ」
子供の純粋な質問に、分かりやすい答えを探した結果適当なものになってしまった。
私はちょっと反省した。
「おんせん、きれいだね」
そう言って湯畑から立ち上る湯気を見つめるゆうこを見ていると、自身の幼い頃の記憶が再び蘇る。
「私のね、とっても大切な場所なのよ」
「そうなんだー!」
地面につかない足をバタバタと振りながらゆうこが返事する。
「ゆうこちゃんも、大切な場所ある?」
「わたしはねー、あそこ!」
ゆうこが指をさした先を見てみると、夕日に照らされて輝く私の働く旅館があった。
「ちょこれーとちゃんくっきー、いつもありがとう!」
ゆうこの声に振り返ると、一羽の小鳥が温泉まんじゅうを一つ、足でつかみ飛び立とうとしていた。
大きくてうまく持ち上げることが出来ない様子に、つい私は笑ってしまいながら半分に分けて与える。
小鳥は二度鳴くと、おまんじゅうをもって上空へ浮かび上がる。
そして次の瞬間には、他の鳥たちと群れを成して山奥へと消えて行ってしまった。
私は再び湯畑に視線を戻すと、手元に残った半分のまんじゅうを口に入れた。
家族との思い出が詰まった温泉街。
そこにちょっと不思議な思い出が加わったことに戸惑いながらも、私は甘いまんじゅうを飲み込んだ。
読みづらい、誤字脱字等ありましたら、教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします!