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「 目覚ましをかけても起きられないってよっぽど責任感がないんだろうねw(2 」(省略形サブタイトル)

 去年の秋頃。

 宙乗家が一家揃って、庭から月を眺めていた日暮時。

 突然、世界は歪んだ。


 例えばそれは、湾曲した鏡を見る様に。あるいはそれは、ワイングラスを通して世界を覗くように。目に映る景色がぐにゃり、と形を崩したのである。

 そうなったとき、大概の人間は世界を疑う前に目を擦る。

 頭を振って、自分はどうしたんだと自分を疑う。

 それでも景色が歪んだままなら、自分以外の周りにいる人間と顔を合わせ、それからやっと確信に至るのだ。


『ああ、この異常は世界の方なのか』、と。


 そして、上空十数メートルの位置。

 まるで秋の名月を飲み込むように、空間がバカリと裂けた。


『――ピッッッッッ……ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』


 強烈な衝撃だった。

 脳髄を掻き混ぜ、口の中に拳をぶち込んで胃や腸を無理やり引き出すような、猛烈な悪寒が宙乗一家を襲った。


 その場にいた全員が耳を塞ぎ、短い悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。

 黒と白と灰色と紫と濃紺と茶色と土留(どどめ)色が混ざった気味の悪い色を覗かせる空間の裂け目からは、赤黒く腐った血液のような何かがドロリと流れ、さながら涎を垂らしているようにも見えた。

 だが、そんな状況を確認する暇もないまま世界は変容を続け、絶対的な絶望が人の運命を捻じ曲げる様な強引さで、空の裂け目は周りの空間をゆっくりと飲み込み始めたのだ。


 最初に世界の引力に捕まったのは、双治の父。何人もの人間に体中を引っ張られるような暴力的な引力に、父親は体中の力という力を発揮して吸い込まれまいと地面に這いつくばった。

 けれど、人間が抗うには世界という存在は大きすぎる。

 地にしがみついていた手足はあまりにも簡単に裂け目からの引力に引きはがされ、あっけなく、けれど悲鳴の一つもあげずに、父親は裂け目に飲み込まれた。


 父親が呑み込まれると、そのショックを感じる間もなく義理の母が、そして続けざまに母親の連れ子だった双子の姉たちが裂け目の引力につかまった。

 そうなれば、人間だって動物だ。生存本能は働いてしまう。

 生き残るために少しでも何かにしがみつき、危機が去るのを待とうとする。


 ――はずなのに。


 しかし、彼女たちは世界に抗うことを選択しなかった。

 離すまいと握りしめてくる双治の手を、自ら振り切る事さえした。

 それは、自分たちが抗わないことによって、守ろうとした結果だった。

 胸に抱く子供たちを。手を繋ぎ合う、弟を。


 その時の母の目を、姉たちの微笑みを、双治は一年たった今も覚えている。

 その時の叫びも含めて鮮明に、頭に焼き付いている。

 血の繋がりもなく、家族になって十年にも満たない姉や母の選択に、全身が震えた。

 だから何も出来ない自分が悔しかった。手を繋いだ姉さえ守れない自分が許せなかった。


 だが、世界は双治に後悔させる暇すら与えず、涎を垂らす口からべろりと舌を伸ばしてくる。

 死んでたまるかと意図せず喉が鳴り、どくどくと頭の血管が痛みと一緒に熱を運ぶ。

 少しずつ、本当に(わず)かずつ、耐えられなくなっていく焦りの中で、このままじゃ俺も飲み込まれる、そう思って涙が溢れた。死ぬかもしれないという恐怖ももちろん、最後に残された姉たちの微笑みを裏切るようで悔しかった。


 そのとき、ずるっ……、と。

 不意に滑った体が空中に投げ出された。

 あっ、という一瞬の空白。

 真っ白に染まる思考の隅から、強烈な想いが極限まで膨らみ、自分の胸に押し留めておけなくなった瞬間、想いは言葉となり、感情は叫びとなって世界を駆け抜けた。


『死んでたまるか! くそったれぇぇええええええええええええぇぇぇ!』


 だから。

 だから。

 だからこそ!


 ――奇跡は起こる。


『やっと通じたっ! 叫ぶのが遅いんだよう!』


 虹色に似た強烈な光が視界を埋め、直後には、双治の手を握って世界に飲まれないようにと踏ん張る女の子が立っていた。


『ていうか、こんなこと初めてなんだよ。世界の『傷』を察知しておきながら、こっちの世界にすら跳躍()べなかったの!』


 女の子は、尻まで届くオーロラピンクという薄い桃色の髪を背に流し、服はどこかの学生服に似た物を着ていた。


『そこから推測するに、君はあれだね? Linker(リンカー)だね?』

 女の子は双治の手を強く掴みながら、意味が分からないことを言う。

『でも、まだ覚醒してない。だから周囲の次元を歪ませちゃって、わたしがここに来られなかった』


 そして意味の分からない言葉を紡ぎながら、まるで双治が世界に引っ張られていないかのような挙動で繋いだ手を自分へと引き寄せると、今がどういう状況なのか分からず混乱するしかない双治に向かって、ニィーッ、と笑って見せた。


『だから君には目覚めてもらうことにするよ。そうすれば、わたしが気付いていながら助けられなかった君の家族も、きっと助けられるはずだから』


 元気で愛らしい笑顔と、混乱の中でも希望と分かる言葉を双治に向けて、女の子は告げる。


『大丈夫。時間は掛かるかもだけど、わたしがわたしである限り――『界先案内人(スペースウォーカー)』でいる限り、次元災害に巻き込まれた人を見捨てたりしない。それに君はLinker(リンカー)なんだよ? 一つの宇宙に一人しかいないLinkerなんだよっ! 助けられないはずがないじゃない! わたしと君がいれば――』

 そこで一拍の間を開けて、けれど我慢しきれなくなったように女の子は笑う。

『どんな世界にだって、渡って行けるんだからっ!』


 そして何を思ったのか、女の子は混乱顔の双治に、突然キスをした。女の子は唇を合わせながら、驚く双治を無視して言葉を続ける。


『ハイゲルの爺様は言ったよ。人の体内には高次元干渉細胞――D細胞があるって。それは次元を隔て、世界同士の相互干渉を防ぐ為の壁を越え、人知を超えた力を人の想いによって手に入れられるものだって』

 女の子は双治の唇をついばんだり、舌先でつついたりしながら、

『でも、人はずっと昔にその力の使い方を忘れてしまったの。広大な宇宙でたった一人、Linkerっていう人間を除いて』

 ときにその舌先は双治の口内へと割って入り、

『そして、そのLinkerの肉体は、D細胞の使い方を忘れていないからこそ、特殊な力を持っているっていう事も、ハイゲルの爺様は教えてくれたよ』

 何かを確かめる様にクニュリと動く。


『でも本能が覚えていても、D細胞を起動させてあげるには人間の自我、意識的な思考が絶対に必要な鍵だという事も爺様は言っていたんだよ。だから。今からわたしが意識の底で眠っている本能のさらに奥――DNAに織り込まれ、ゲノムとして組み込まれた〝世界の仕組み〟のほんの一部を思い出させてあげる』

 と、このとき。双治の唇に鋭い痛みが走り、鉄臭さが口の中に広がった。

『これはLinkerっていう特異な個体に、わたしの体に流れる自己増殖型ナノスケールデバイスが流入することによって起こる刺激が、目覚めのきっかけになるの。その為にはまず互いの個体情報の交換として唾液を、次にナノスケールデバイスの培養場として血液が必要になるんだよ。だからもし、初めてだったら、その……ゴメンね?』


 女の子は最後、双治の唇の傷を吸うように舐めて、ようやく双治の唇を解放した。


『でも、わっ、私も初めてだったから……ゆっ、許してよねっ!』

 ニィーッと笑う女の子。その頬はドキッとするほど赤く染まっていて、双治は今がどんな状況かも忘れて息を飲んだ――次の瞬間。


〝  ドクン……ッ!  〟


 双治の肉体が脈動した。

 痛みや苦しさではない。けれどそれは激しく、双治の体を襲っていく。

 額から後頭部に向かって、肩から指先に向かって、胸から、腹から、腰から、足先まで脈動は続き、そして次第に双治は奇妙な光に包まれていった。


 虹色の様でいて、言葉で表せない色が集まった美しい光。光は双治の体全体を覆い、それから左手と両目に集中していく。集中が収まりを見せ始めると、世界の異変につかまっていた双治の肉体がゆっくりと地上へと降りていく。

 そして、両足が地面をしっかりと踏みしめた、そのとき。


 覚醒は成った。

 すべてが鮮明に、思考も記憶も更新され、双治は自分の光る左手を見て、ああそうか、と思い出したように呟く。


並行時空領域世界へいこうじくうりょういきせかい――TB‐GYU3900328。それがこの世界(ふね)番号(ナンバー)。そしてお前が、ハイゲル・ド・シュッツガルって科学者が最後に残した発明品、エル・サウシスなのか。次元の異常を修復する為に作られ、並走する多元世界――つまりはパラレルワールドを自由に行き来できる人工生命体』


 双治は、家族がついさっき世界などという途方もないものに飲み込まれたはずなのに、あまりに思考がクリアになりすぎていて、冷静に考えることが出来てしまっていた。


『ならよ、愛玩人形。俺の家族がどの世界(ふね)に飛ばされたのか、分かるのか?』

 しかし、答えは返ってこない。

『どうした。分からないなら分からないで、しょうがねぇんだけど』

 やはり、返答はない。

『おーい、エル・サウシス。聞いてンのか?』


 その言葉の直後だった。

 エル・サウシスが、突拍子もない黄色い奇声を上げたのは。


『は、初めてチューしたからにはもう惚れるしかないとあたしは思うんだよ!』

『……、は?』


 見れば、エルの目の中には特大の星がビッカビッカと輝いていて、小さくかわいらしい鼻からは鼻血がどぷどぷと溢れていた。


『だってあたしの初めてを捧げた相手だしそういう意味ではロストバージンだして言うかもう女の子の初めてを奪っておいてこれっきりなんて許さないからあたしは君のお嫁さんになるしかないと思うんだけどどうだろうかっ!』

『……いや、奪われたのは俺のほうだろ?』


 頭が冴えに冴えている今の双治でも、あまりの展開に眉が寄った。冷静に突っ込みを入れてみるが、突然現れたオーロラピンクの髪を持つ女の子は待ったなしだ。


『うん分かったあたしが奪ったから責任を取って結婚してあげひゃっはああああいっ!』

 ぶばぁー、と鼻血を吹きだして倒れた。ビクンビクンと体を震わせて動かなる。

『お、おい、エル・サウシス……?』

 エル・サウシスはびくびくしながら自らの鼻血に沈む。その顔は何故かとても幸せそうで、双治は危うく悲鳴を上げるところだった。


 ひとン家の庭先で、俺の質問に答えもせず、しかも世界にできた『傷』の対処もしないうちに倒れるとはどういう了見だ、と双治は思うが、今の自分なら世界そのものに対して干渉する力を持っていることを思い出したように理解していたから、ここから先は自分一人でもなんとかなることも分かっていた。


 Linkerに成ったことによって身についた能力は三つ。

 肉体の強化。

 世界に浮かぶ矛盾の判別。

 そして、矛盾の強制的な修正(リセット)だ。

 それが、宙乗双治というLinker特有の能力だった。


 それら人知を超える力が宿った己の眼と、左手に力を込める。

 握る拳には単純な力以上に纏う光が力強さを演出し、鋭い眼には静かな怒りが燃える。

 月を見上げる様に上空を見据え、未だに口角を釣り上げるように裂けた世界の『傷』に対して光の宿る左手をさらに握ると、双治は自分を殴った。


『おやじ、おふくろ、姉ちゃん……助けられなくて、ごめん』

 言いながら、拳を振り上げ、自分の弱さや後悔を殴る。殴って、殴って、叩き直す。

『でもさ、俺にはどうやら不思議な力があるらしいんだ。この力を使えば、きっとみんなを迎えに行ける。助けに行ける! だからみんな、待っててくれ。絶対、必ず、確実に! 俺がどうにかして見せる……だから――まずは!』


 ぐっと足に力を入れ、双治は世界に喰らいつくように歯を剥きだした。

 限界まで脚力を足のバネに溜め込んで、ドンッ! と。

 自分の足がめり込むほど強く大地を蹴り、そして。

 自分の目指すもの、たどり着く場所を見据え、未来に喧嘩を売るように大きく吼える。


『俺の家族を飲み込んだ世界の矛盾(クソッタレ)を――ぶちのめすッッッ!』


 声と同時に左腕を振るう。バグンッ! と。纏う光の軌跡が双治の腕を何倍にも見せ、大きな(アギト)が噛み付くように、空間を裂く亀裂という矛盾を、握りつぶした。


次回 「 目覚ましをかけても起きられないってよっぽど責任感がないんだろうねw(3 」(省略形サブタイトル)

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