第一話 「 お互いに飲み込み合うヒキニートなんだろうねw(1 」(省略形サブタイトル)
大竹ノゾミは新人で、だから残業を押し付けられていると思っていた。
「もう、なんで私ばっかりが残業なのよっ!」
文句を言いながらも、両手の指は忙しなくカタカタカターッとキーボードを叩き、疲れで充血した眼はデスクに広がる書類とパソコン画面を往復している。
「合コン! コンパ! 男との出会いを私にも寄越せってんだ、バカヤローゥ!」
業務内容は書類整理。
書類内容は新エネルギー確保の方法。
狭くはないが広くもないオフィスの一角を陣取って、けれどオフィスの蛍光灯は経費がかさむからとデスクライトの小さい明りで手元を照らしつつ、むきゃーっ、と呻きながらも男ひでりの大竹の指は正確に仕事をこなしていく。
「新人だからって、私はもう二十六なのよ? あと数か月で二十七だし、もうそうなったらすぐに三十路じゃないっ! ぎゃーっす! 怖いよう、結婚怖いよーぅ!」
ふえーん、と。自分の結婚運のなさを仕事の所為にしながらも、仕事の手は止めない。実はそんなところを見込まれて仕事を任されているのだが、他人から与えられる評価など当人の耳には入りにくい。
「大体、ハイゲルさんって誰よ? この年の8年前には死んでいたってことは、今から25年も前じゃないのよ。それだけ経って名前が売れないって……あー、どうしよう。この会社の将来がすごく不安」
大竹が勤めるここは、ハイゲル・ド・シュッツガルという発明家が遺したとされる発明品を、探し出して研究する研究所で、表向きにはソーラーパネルの開発販売をしている準大手の企業だ。二年前にはそこら辺の名も知れない中小企業の一つだったが、どういうわけか急激に会社として成長し、そしてその理由というのが、ハイゲル・ド・シュッツガルの発明品を見つけたからなのだとか。
「稀代の天才発明家って言われても、そのほとんどが解析不能の品ばかりじゃあねぇ。しかも、その発明品でエネルギーを生成しようとか、どんなけよ。私には新しいエネルギーの確保の方法より、優しい旦那さん確保が大事なお年頃なんだけどなあ、っと」
上司でもそばにいたら「ほーぅそうか仕事より旦那様かほうほほーぅ」、と睨まれそうな言葉に合わせてエンターキーをポンと押す。うにぃーと背筋を伸ばして、ほふぅと脱力して、それから高校の時に友人とどこかの陶芸教室で作った黒猫柄が入ったマグカップに手を伸ばして中のコーヒーを飲もうとして、「入ってねぇーとか、マジ勘弁」と文句を垂れて――残業中の一人という時間、大竹は昼間のような気遣った言葉づかいをしなくなる。
裏表があるわけじゃない。女にはスイッチがあるのだ。セックスの時に男を盛り上げる為にわざわざ可愛い声を出してやるのとおんなじだ、と大竹は考える。実際あれは、自分自身を盛り上げる鼓舞にもなるのだよ、とも。
目当てのものが入っていないマグカップを憎々しそうな視線でねめつけて、脱力つきの溜息と一緒に席を立つ。夜も十一時を回って、もうすぐ十二時という時間。窓から見た外は、いつ降り出してもおかしくない厚さの雲が雨をため込んで空を覆っていた。
「本当に嫌になる。残業深夜に曇天の空とか。ドSかって。好きじゃないのよね、雨。――どっちかって言えばぁ、攻められるより攻めたいタイプぅ、みたいな? きゃはー」
そんな重たい曇り空を見れば、一人芝居だって衝動的にしたくもなるのかもしれない。
しかし、そのあとの気分といったら、言いようなんてありはしないものだ。
「って……ああもう、何やってんのよ、私ったら」
はあ、とさっきよりも重たい溜息を吐きだし、大竹は肩を落として給湯室に向かう。
本当に、一人でよかったと思いながら。
給湯室で熱いコーヒーをいつもより濃く入れて、苦い汁で舌を焦がしつつオフィスに戻る。あちち、とベロを出してフーフーと息を吹きかけるその姿が案外研究所内で人気があることを知らない大竹は、それが原因で一人もやもやすることもあったり、なかったり。
オフィスに戻り、右手でカップを持ちながら扉を閉める。残業中で誰もいないのだから開けっ放しでも文句を言われる事はないのだが、こういうところで癖は出る。
その時だ。
大竹が違和感に襲われたのは。
オフィスの扉を閉めた直後、グワン……ッ、と。
めまいを起こしたように足元がおぼつかなくなり、どこかの科学博物館にある平衡感覚を狂わせるアトラクションにでも迷い込んだような感覚で、頭に小さな痛みが走る。
「……ったく、ほんと勘弁してよ。歳? もう歳なの? 二十六は」
自分の体に文句を言いながら頭を振る。残った仕事もあと一息で終わるところなのに、ダウンなんてしていられない。寝るなら硬いデスクの上より、自宅の柔らかいベッドが良い。
大竹はふうと息を吐き出して、むっと体に力を入れた。
「さあて、書類もあと八枚。ちゃっちゃと片付けますかー」
止めていた足を動かし、自分の戦場へと進む。離れた所から見ると、デスクライト一つに照らされている自分の机が寂しそうに見えた。
(って、デスクが寂しそうとか、なに考えてんだろ)
ばかばかしく口元を曲げ、呆れた様に鼻を鳴らす。
そして、デスクの前に戻ってきた大竹は――、
「……?」
デスクの上に、黒猫の柄が入ったマグカップを見つけた。
だから。
「え?」
動けなかった。
頭の中が瞬間的に白くなり、自分が今、何を見ているのか分からなくなった。
だって、いま見ているマグカップは、己の右手が確かに握っているもので。
(……ッッッッッッッツッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
途端、汗が噴き出した。
口角が不気味に持ち上がり、何匹もの百足が這いあがるような悪寒を背中に感じる。
理解できなかった。
理解したくなかった。
理解した瞬間、自分がどうなるのか知りたくなかった。
「意味、分かんない……」
緊張が一気に張り詰め、コーヒーで潤したはずの喉がねっとりと張り付く。
誰かの悪戯かと一瞬考えるが、そんなことないとすぐに否定できた。
何故なら、いま大竹が持っているカップはこの世に一つしかない、手作りのものだ。かりにこんな悪戯を考え付いて誰かが3Ⅾプリンターで作ったにしても、このタイミングで悪戯を仕掛ける理由がない。何かしらの理由がなければ、人は行動しない生き物だと二十六年ほどしか生きていない大竹も、大方理解している。
(だったら、目の前のこれは、なに……?)
大竹の混乱が極まったのは、このときだった。
「ぁ――ッ!」
体が震え、呼吸が荒くなり、思考がパチパチと明滅する。尻餅をつくまいと隣のデスクに手をついて体を支えるが、咄嗟の事に持っていたカップを落としてと割ってしまう。
奇妙な事は、その直後。
カチャン、と。
床に落としたカップが割れるのと同時、デスクの上のカップも砕けたことだ。
目を見開き、現象を見つめる。
顔が不細工に引きつり、短い悲鳴がヒッと漏れる。
「な、なんなのよ……これ。分かんない、分かんないわよ」
否定する言葉が零れ、理解することを拒絶する呟きが這い出る。
怖かった。
知ってしまうことが。
ここに居ることが。
暗さが。
夜が。
この場に一人という事が。
何よりこの現実が――恐ろしかった。
次回 「 互いに飲み込み合うヒキニートなんだろうねw(2 」(省略形サブタイトル)
※次の投稿は金曜日です。
そして、金曜更新していきます。