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カルマの契約者  作者: 茶城 ゆのみ
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第一話

蝉の声は聞こえないが、季節はもう夏なのかもしれない、陽射しが強く目眩がしそうなほど熱い。

気がつくと、私は横断歩道の真ん中に立っていた。えぇっと、私はここで一体何をしているんだっけ。


ビッビー ビッビー


車のクラクションで信号の色が赤だということに気付く。


「すっすみません!」


急いで正面の道まで渡り切ると、私のせいで止まっていた自動車が順々に走り出す。

あ、思い出した。地獄で私は自分の成仏と引き換えに閻魔大王の息子を連れ戻す取引を地獄の案内人の少年偽と交わした。偽からの忠告を受けた私は途中で意識を失い、目が覚めた時には地獄ではなく現世のとある公園のベンチの上で寝ていた。

どうやって現世に来たのかはわからない、けど自分が今どこにいるのかだけは調べられる。私は公園を中心に辺りを散策することにした。

上昇する気温、強くなる日射にやられた私は頭の動きが鈍り横断歩道を渡る途中で足を止めてしまった。

そして今に至る。体温も上がって喉も渇いてきたが、悲しいことに自販機で飲み物を買うお金を持ち歩いてない。脱水症状、熱中症になるのも時間の問題かもしれない。

数十分だけだが、この場所を歩いてみてわかった。幼い頃に遊んでいた公園、通学の時に使っていた横断歩道、断片的だが覚えている。ここは私が生前暮らしていた街だ。生前の因果なのか、それとも閻魔王の息子がいるのからなのか、今は暑さで考えられない。

日陰になっている電話ボックスを見つけ、ガラス壁に寄りかかる。少し休んでから行こう。

足下を見ると私は黒いハイソックスに茶色のローファーを履いていた。偽に仮として今の体を与えられたのは覚えているが、どのような容姿をしているのかちゃんと確認していなかった。

電話ボックスから少し離れて、ガラス壁越しに映る自分の姿を見た。


「これが私···」


映っていたのは亡くなる前の私と同い歳くらいの少女の姿だった。見たことのない黒色のセーラー制服を着ている。左腕に巻いてある腕時計を見ると、今は平日の昼の一時。しまった問題が一つ増えた、誰がどう見ても学生である私は下手したら警察に補導されてしまう時間だ。そうなってしまったらどうしよう。何て説明しよう。私は自分の名前さえわからないのだ。そもそもこの少女は私の仮の体であって名前以前に戸籍なんてものが存在するハズがない。


「どうしよう···」


「お嬢ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?学校はどうしたの?」


心臓が跳ねた。恐る恐る振り返ると日傘をさした細身の色白の青年が眉を八の字して立っていた。

警察官ではなかったことにほっと胸を撫で下ろす。


「大丈夫です。ご心配おかけしました」


心配してくれた青年に小さくお辞儀して横を通り過ぎようとした時、不意に腕を捕まれた。


「なっなんですか!?」


「良いところがあるよ」




青年に連れられて来たのは街の図書館だった。夏休みの宿題やテスト勉強によく利用していたなぁ、なんて懐かしい気持ちになりながら入館した。

私は飲食可能な休憩スペースのソファに腰掛けていた。冷房が効いた部屋の中は少し寒く感じるが火照った体にはちょうど良く、冷たい風が顔に当たってとても気持ちが良い。

自販機に行っていた青年が飲み物を抱えて帰って来た。


「はい。どうぞ」


差し出されたペットボトルの水を受け取ると、一気に飲み干す。乾ききっていた喉に潤いが戻る。水がこんなにも美味しいと感じたのは初めてかもしれない。今ならいくらでも飲めそうな気がする。


「ありがとうございます。生き返りました」


「とんでもない。命に比べたら水の一本や二本安いよ」


「お礼は必ずします」


「いらないよ。大したことじゃないしね」


青年は優しく微笑んで私の隣に座る。彼の無償の優しさに疑念を抱きつつ感謝した。


「君、名前は?」


「私?」


「ごめん、こういうのは先に名乗るのが礼儀だよね。僕は(じゅん)


「私···私は···」


どうしよう。一番困る質問が来た。名前を含め個人情報だけは下手に答えられない。私はこの世には存在しないの人だから。

でも、縁もゆかりもない純さんになら名前だけ教えても問題ないかもしれない。名前だけなら大丈夫。今後、純さんと会うことはないだろうし、どうせ明日になれば私の名前なんてすぐに忘れてしまうだろう。


(みのる)


「稔···女の子であまり聞かない名前だね。でも良い響きだ」


純さんはうん、うんと頷いて確かめるように稔と復唱した。

稔という名前は図書館の入り口付近の本棚に並んでいた小説の題名だ。読んだことも、聞いたこともない、休憩スペースに向かう途中にたまたま目に入っただけ。


「学校はどうしたの?テスト?早退?もしかして授業が嫌でサボリだったり···?」


「···」


口をつぐんで俯く私を見て、純さんはごめんねと小さく申し訳なさそうに謝罪した。

謝られても困る。学校にも、家にも居場所がなかったけどサボリも不登校も絶対にしなかった。そのおかげで脳内がお花畑になるほど頭がおかしくなってしまったけど。


「僕ね、もうすぐ膵臓がんで死んじゃうんだ」


話を変えるのにはあまりにも唐突で衝撃的なカミングアウトだった。


「家や病院にいなくて平気なの?」


「冷静だね、もっと驚くかと思った。今は大学を中退して家で療養中してる」


純さんは口元に手を当てて苦笑した。

自分でも驚くくらいに落ち着いている。生前の私なら、焦って取り乱してたかもしれない。


「膵臓がんは進行が早いんでしょ」


「よく知ってるね。僕の場合発見が遅くてね···あっという間だった。抗がん剤や放射線やって延命しても、痛みは無くなるわけじゃない。両親と医者の話を盗み聞きしてたらね、他の臓器に転移しちゃって癌は切除不能なんだって。このままだと近いうちに歩くことが大変になるんじゃないかな」


「···だから歩けるうちに歩こうと、途中で歩くのが困難なったら日傘を折りたたんで杖代わりにするつもりだった」


「察しが良いね。その通りだよ」


純さんは自分のことなのに、さも他人事の様に淡々と話した。


「でも嬉しいなぁ、信じてくれるんだね。稔と僕は赤の他人なのに」


「例え嘘でも、あなたが赤の他人の私を助けてくれたことに変わりないから。···水も買ってくれたし」


「だから信じるって?安いね」


「見返りを求めないのは少し疑ったけど」


予想外の返しに純さんは目を丸くし、一拍置いた後、吹き出すように笑った。


「はははっ、どんなに善人でも口ではいらないって言っても、心のどこかで期待しているからね」


口調は柔らかいが、目に光は無く笑っていなかった。純さんは壁に掛けてある時計を見る。


「あー。もう家に帰らなくちゃ。気分悪くなる話してごめん。でも他人に話してスッキリすることもあるよね」


「自分で言うんですか」


純さんはよいしょと掛け声に合わせて立ち上がり、両手を組んで背中を伸ばした。


「今は痛くないの?」


「稔が心配することじゃないよ。じゃあね」


「待っ···」


一瞬、純さんが黒い影が重なって見えた。追いかけようと腰を上げた瞬間、膝の上に置いていた空のペットボトルが床に落ちる。拾い上げているうちに純さんは休憩スペースを出て行ってしまった。

気のせいなのか、それとも何かの予兆だったのか。ソファに目線を移すと純さんの日傘が置いてあった。



図書館から出ると、少し先の道で壁に手をついている純さんの姿があった。

息を切らしながら走り寄る。純さんは青い顔して苦しそうに唸っていた。


「純さん!大丈夫ですか!?···すぐ救急車呼びますから!」


スマホを取り出そうとスカートのポケットに手を入れる。無い。どんなにまさぐっても出てこない。

思い返せば現世に来た時から私は財布さえ持っていない手ぶらの状態だったのだ。ある方が奇跡に等しい。このまま何もできないまま苦しむ姿を見ているだけなの、なんで私はいつもいつも肝心なときに。自分に苛立ちを覚えて唇を噛んだ。

純さんはぎこちない手で、私の手を掴む。最初に腕を捕まれた時の握力は無く、掴むので精一杯だ。


「やっと、名前で読んでくれたね。嬉しいなぁ」


「今はそんなこと···」


「何しに来たの?」


「···日傘忘れてましたよ」


「わざとだよ」


歯を見せて無邪気に弱々しく笑うと、糸が切れたように目を閉じて前に倒れる。咄嗟に両腕で支える。

少し揺らしても純さんはぴくりとも動かないかない、私の脳裏をよぎったのは死という言葉だった。冷水をかぶったような寒気が襲う。

私は必死に叫んだ。声が枯れる、喉を潰す勢いで叫んだ。誰でも良い早く来て。早く彼を助けて。


「誰か···誰か来てください!人が倒れているんです!誰かぁっ!」

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