妖精さん、こんにちは
「コウ兄ぃー、帰ってくるのが遅いですよ、もう何してたんですかー。お腹が空きましたー」
「悪い悪ぃ。遅くなった」
自宅のマンションに帰ると、両手を胸の前で握って頬を膨らます、あたかもぷんぷんと擬音が聞こえてきそうなポーズをしている少女がいた。
「今日の夜ご飯は、じゃーん! 特製ハンバーグです。やったね。わーい!」
おたまを持ったまま、テンション高めにくるくると回りながら、一人で敬語が混じったようなおかしな口調で話し続けている少女ーー夕月萊花は光の妹だ。長い睫毛の縁取るぱっちりとした大きな瞳に、短く切りそろえられた明るい黒髪、肌は軽く日に焼けており快活な様子である。萊花は光と双子ではあるのだが、二卵性であるためあまり容姿は似ていない。言動は置いておいて彼女は贔屓目に見なくても可愛らしい容姿だと思う。しかし、光には懸念があった。
「ううう……、目が回りましたぁ……」
信じたくはないのだが双子の妹は頭が弱いのではないか、ということである。光の目線を感じた萊花は頭を押さえながらふらふらと立ち上がると、おたまを突きつけて不服げに口を尖らせる。
「もう、コウにぃなんですか、その馬鹿にしているみたいな目はー」
「いや、今日もライカの料理は美味しそうだなあって思って」
「えへへー、そうですか」
……ちょろい。我が妹ながら心配だ。いつか悪い奴に騙されて、壺でも買わされそうだ。
「ふーん、ふんふんふーん」
下手くそな鼻歌を歌いながら、萊花は白いカップに入ったスープをテーブルの上に置く。ほかほかと湯気を立てるポタージュは緑色、ほうれん草が入っているようだ。
萊花は料理が趣味だ。電子キッチンもあるのだが、時間があるときには「特製」のお手製料理を披露する。光は萊花の作る料理が好きだ。普段はどちらかといえば食が細く、あまり食べられないのだが萊花の作った料理だったら沢山食べられる。ぎりぎりだが、普通体型を維持している……と思っているのはきっと萊花のおかげだろう。
「ちょっと待ってくださいねー。ハンバーグすぐ焼きますから。コウ兄はサラダ用意しておいて下さいー。生ハムとバルサミコさんお願いします」
光は冷蔵庫から色とりどりの野菜で飾られたサラダを取り出すと、バルサミコ酢やオリーブオイル、レモン汁や蜂蜜、その他調味料などを掻き混ぜてドレッシングを作り、回しかける。その上に生ハムを乗せたら「特製バルサミコサラダ生ハム号」の完成だ。何故サラダに号が付くのかはよくわからない、きっとそれは萊花のみぞ知る、のだろう。
サラダの用意が終わって間も無く、萊花が焼き上がったハンバーグをテーブルに運んでくる。光はロールパンを軽く焼き、冷やしたグラスに氷を数個入れて水出しのアールグレイ・ティーを注いだ。
並んだ料理が視覚に入ると、ARレンズを通してカロリーや含まれる栄養素が瞬時に計算され、表示される。今日も栄養価は抜群だ。これを勘でやってしまうのだから彼女は凄い、と光は思う。食事の準備が整うと、二人揃って手を合わせた。
「いただきます!」
二人だけの食卓は今日も萊花の楽しそうに語る、学校であった出来事や、友達との悪ふざけなど他愛もない話題で温かく彩られる。光は聴き役にほぼ徹しているが、頬には柔らかな笑みが浮かべられている。本人は気が付いてはいないが、彼は相当にシスコンなのだ。光はナイフ肉汁の溢れるハンバーグを一口サイズに切り分けるとデミグラスソースを絡めて口に運ぶーー
「あっ」と突然声をあげる萊花。
「熱っつ」と突然の大声に驚き、火傷しかけた光は涙目になってアールグレイ・ティーを呷る。
「そういえゔぁれすねぇ」
「ちゃんと飲み込んでから話せ」
もごもごと口に物を入れたまま何かを話そうとする萊花に光は苦笑。萊花は口を手で押さえて咀嚼し終えると、語り始める。
「今日、変なことがあったんですよー」萊花の手でひらひらと舞っているのは見覚えのある一枚の綺麗な紙。
「……っ!! お前も会ったのか?」
どうして忘れていたのだろう。目に焼け付く白と青は、鮮烈だったはずなのに靄がかかったみたいに記憶の奥底へと仕舞われていた。何故だか顔がうまく思い出せないが、古代の妖精みたいだな、と感じたことは覚えている。ポケットにはくしゃくしゃになった紙ーー萊花の手の中にあるのと似たものが入っている。
「んー?」と萊花は首を傾げる。
「これ、気が付いたら机の中に入っていたんです。なんか変なことが書いてあるんですよねー。『あなたわ選ばれました』ってどういうことなんでしょう?」
光と萊花は髪をテーブルの上に並べる。光の紙には綺麗な字で「あなたは選ばれました」と、萊花の紙には汚い字で「あなたわ選ばれました」。綺麗な模様は魔法陣、だろうか。左右対称になっている二枚の紙のそれを合わせてみると、眩い光が部屋を包んだ。
「お呼び下さり、ありがとうございます、です。だいぶ遅かったですね」
神々しい光の中に不満げな顔で立っていたのは、羽が生えた小さな人。例えるなら、いかにもな妖精、とも言うべきか。碧眼に金色の髪はポニーテール、薄いひらひらとした衣装を身に纏い、まるでお伽話からそのまま飛び出してきたかのような容貌だ。しかし、欠伸をしながら身体を伸ばし、背中を掻いている様子はまるでおじさんのようで、一瞬で幻想は打ち砕かれた。
だが、萊花はそんなことはお構いもなしに目をきらきらさせて、妖精(仮)に歩み寄る。
「わあー! 妖精さん、こんにちは! わたし、夕月萊花ですー、はじめましてっ。すごい、かわいい、すごいー!」
妖精(仮)は満足気に笑う。
「ですよね! だよね! すごいよね! これ、魔法と科学の融合なんだー! ホログラムに意識を投影し、実体化させるって感じかな。わたしが妖精さんになりたいって願いを叶えてくれたんだよー。こんな風に見えるけど、わたし、教師なのです」
胸を張って、渾身のドヤ顔をする妖精?は妙な敬語を止め、ラフな話し方になっている。言っていることがちょっと痛い気がするが、気にしないことにする。
「で、妖精さんは何用で?」
光が口を開くと、妖精?は不満気に口を尖らせる。
「えー、まだお話の途中だよー。わたしのこの、造形の可愛さ、頑張って設計しただけあったね。うふふ、すごいすごいー」
「うんうん、すごい、凄いですー! かわいいです」
話が進まない。ぶんぶん飛び回り、鏡の前でうっとりと自画自賛している妖精の羽を掴むと抗議の声が上がるがそれを無視してテーブルの上に座らせる。
「ほら、お菓子あげるから」
「わたしを何と思ってるのかなー? それにね、実体化しているとはいえホログラムだから、お菓子は食べられないんだよー」
哀しげに頬を膨らまし、お菓子を見つめる妖精はとても現金な性格のようだ。
「残念だったな。ライカ特製のすごく美味しいお菓子を逃すなんて、一生後悔するぞ」
光は普段の怠そうな様子はどこへやら、いつもは重い瞼を持ち上げ楽しそうに妖精の頭をつつく。
「光にぃ、さすがに調子に乗りすぎですよー。テンション上がっちゃってるですかー」
意外にも冷静に萊花に突っ込まれる。光が椅子に座りなおすと、妖精は話し始める。
「ごめんごめん、ついわたしもテンション上がっちゃってねー。申し訳ないと思ってるよ。何でここに来た、いや、来たわけじゃないのかな。来ているといえばまあここにいるんだけどね。本体は自宅にいるんだ。わたし、ホログラムだからね」
再び謎のドヤ顔を決めてみせる妖精。話が長そうだ。
「えっと、つまり、何らかの方法で実体化したホログラムってことか?」
光が尋ねると妖精は嬉しそうに語る。
「魔法ですよ! まほうっ! この技術は画期的なんだよー。魔法で姿を変える事は出来ても、遠くにいる人と会って、触れ合うことまでは出来なかった! でも、投影したホログラムに意識を送り、魔法で実体を与えることで、それを叶えることができるのがこの、すばらしい魔法技術。ちなみにわたしも開発に一役かったんだよ」
「すごいな、本当に感触がある、ホロとは思えない。でもVR空間でも会えると思うのだが。姿を変えることは、仮想空間内では自由だし、五感も働くしな」
「ぐぬぬ。それを言われてしまうと辛いぞ……。でもでもっ、魔法の素晴らしさが分からないなんて人生の8割、いや12割くらい損してるよ」
可憐な容姿に反して押しの強い妖精は、ぐいぐいと迫ってくる。
「そもそも一般の人は魔法について知らなすぎなんだよ。まあ、期待値に対して適性のある人が少なすぎたからね、それもしょうがないとは思うんだけど」
少し寂しげに俯く妖精。萊花はハンバーグを持って来て、妖精の口に近づける。
「まあまあ、落ち込まないでください。ライカ特製ハンバーグ食べて、元気出してください」
さらっと追い討ちをかけるスタイルの萊花。先ほどの話を聞いていなかったのだろうか。ハンバーグを前に唸っている妖精は自らの頬っぺたを叩くと、仕切り直しだ、と言わんばかりに宙に浮き、思い出したように光を纏い、声高々に宣言する。
「わたしの名前はイリシア・ミラージュ! 一応魔法学校で教師をやっています。それでね、今日、わたしが君たちの前に現れたのは魔法学校への招待のためだったのですっ」