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未来魔法と夕の月  作者: 霧嶺アオ
第1章
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始まりの白は突然に


 暖かく柔らかな光が窓から差し込んでいる。校庭には桜並木。ひらひらと舞う花びらが春を告げる。


「はあ……」


 少年ーー夕月光(ユウツキコウ)は憂鬱そうに溜息をつく。春は暖かいから眠くなるのだ、と心の中で言い訳をする。そして、春眠暁を覚えずという言葉があるくらいだから、春に眠くなるのは当たり前なのだと結論を出す。しかし、今が朝ではなくとっくに昼間であるという事実に目を瞑っていることに彼は気が付かない。先ほどの言葉を借りれば春眠白昼を覚えず、とも言うべきか。


「ああ、面倒臭い……」


 (コウ)は口の中で小さくぼやいた。それは彼の口癖である。教室の隅の机で陽の光を浴びて溶けた猫みたいに身体を伸ばして、春風が頬と長めの前髪を撫でて去っていくのを感じると、目を細め窓の外を見やり欠伸を漏らす。そしてその体勢のまま、気怠げに空中で右指を軽くスライドさせウィンドウを呼び出す。それによると、休憩時間は残り20分。もうひと眠り出来そうだ。


 だが、視界の端に映るエネルギー不足の表示がうるさい。AR技術は確かに世界を大きく変えた。人は皆、生まれて3年後、幼等部に入る前に網膜に視覚拡張レンズ(ARレンズ)を埋め込まれる。ARレンズは空想と現実を共に確固として存在する現実へと変革させた、だとか何かに書いてあったような気がする。まあ、そんなのはどうでもいいことだ。(コウ)は視覚に映る沢山の情報に少し眩暈を感じたため、ウィンドウを閉じ、機能をオフにすると、それでも尚栄養不足を告げる表示だけが残される。面倒な機能だな、と思う。周りにそんなことを言うと、当たり前のことなのに何を言っているのか、とでも言うような不思議な顔をされるため、あまり言わないように気をつけてはいるのだが。


 食欲は全くと言っていいほどなかったが、うるさい表示を消すために仕方がなく高カロリー高栄養を謳う銀色の袋に入った液体食を口にしながら、頬杖をついた。お気に入りのさわやかマスカット味だ。これ一つで一食分のエネルギー、水分の双方が補える便利な奴だ。味気がないため、あまり人気はないが、睡眠時間を少しでも確保したい(コウ)にとっては欠かせないものであった。最近はやたらと眠く、時間さえあれば寝続けていたいと思う。勿体無い、なんて言葉は言語道断、睡眠こそ三大欲求の一角を占める、生きとし生けるものに与えられた素晴らしき幸福だというのに。折角の「休み」時間なのだから眠らないのが勿体無い。(コウ)はまた、自分の行動をよく分からない理論で正当化する。


 もう一度欠伸をすると両腕の間に顔を埋め、目を閉じる。春の陽気を浴びた退屈な日常と周りの喧騒はあっという間に遠ざかり、微睡みへと沈んでいく。







 彼の安息を切り裂いたのは鳴り響くチャイム。まだ眠りから覚めず重い頭を徐に持ち上げる。授業が始まると教師のホログラムが教室の前方に映し出され、生徒たちが自由にソーシャルウィンドウにアクセス出来ないように、ゲーム機能やメッセージ機能などが停止し、自動的に電子ノートが呼び出される。きっと今頃先生たちは快適な教育本社で座りながら授業をしているのだろう。なんとも羨ましいものだ、と作られた表情のホログラムを見て思う。そしてマスカット・ゼリーみたいに味気ない。子供たちは直に触れ合い社会生活を行なっていく上で自律性を身に付けていく、だとかなんとかの理由でえっちらおっちら学校まで重たい足を運んでいるというのに。全くもって矛盾に満ち溢れた世界だ。


 しかし、面倒だからといって勉強を疎かにしていては世界に置いていかれる。(コウ)はレール上をなぞりながらただ走り続ける退屈な人生に飽きつつあったもののそれ以外の生き方を知らない。これからもそうやって生きるしかないのだろうな、と思っていた。コクバンに描かれていく文字を電子ペンでノートに写してはいるのだが、頭には全く入っては来ない。変わることを望みつつも自分から動こうとはしない怠惰、それが(コウ)の人生であるーー筈だった。







 ◆ ◆ ◆ ◆ 



 ーー放課後。


 下校しようと靴を持った(コウ)は見知らぬ少女に真っ直ぐに人差し指を向けられていた。何をした覚えもないし、彼女とはこれまでに顔を合わせたことすらない。何処かであったことがあるのではないか、という考えはすぐさまに否定される。なぜなら少女の容貌は一度見たら死ぬまで忘れることができないだろうと断言できるほど印象的なものであったからだ。


 高度に電子化された現代には似つかわしくない、古代の妖精のような浮世離れした美しさは人を寄せ付けないひんやりとした空気を纏っていた。腰ほどまである白銀色の髪を片側で深い藍色のリボンでゆるく纏めている。何よりも印象的なのはその瞳。アイスブルーの眼差しは欠片の感情も映さず、(コウ)をじっと見つめている。少女に見つめられた(コウ)は時間が止まったみたいな気がして、息をすることさえもできない。その沈黙を破ったのは氷のように涼やかだが、幼さの残る少女の声。


「あなたは選ばれました」


「はあ……」


 しかし、妖精のような少女が口にした内容は突拍子もなく、脈絡もないものであった。痛いほどの沈黙。見慣れない制服の一風変わった少女に周りの視線が集中するが、そんなことは御構い無しに堂々たる御様子だ。返答を求めるように少女の表情を伺っても、それ以降は何を語ろうともしない。距離を詰めてきたと思うと、無言で紙切れを(コウ)に押し付ける。


「では」


 用事は済ませたとばかりに立ち去ろうとする少女を呼び止めた。


「どういうことなんだ?何の説明もせずに」


 少女は首だけで振り返ると読めば分かる、とばかりに紙切れを指差す。そして、何も言わずに足早に去っていく。(コウ)が彼女を追いかけて外に出ると蒼く眩しい光が目を刺した。その後には、少女の姿は跡形もなく消え去っていた。


「なんだったんだよ……」



 (コウ)は夢でも見ていたのではないかと頬をつねってみる。当たり前だが痛い。夢じゃないようだ。彼女の存在は嘘のように感じられたが、手のひらには立派な金の型押しをされた一枚の紙が残されている。

 そもそも情報伝達に紙を使うことは現代ではほとんどないため、完全に怪しい要素しかない。紙に目を落とすと、さっきと同じ内容が書かれていた。



「あなたは選ばれました」



 (コウ)は溜息をついて、捨てるわけにもいかなかったため紙をブレザーのポケットに押し込むと帰路に着いた。


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