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三題小説

三題小説第十二弾『踏切』『居候』『武器』

作者: 山本航

 陸上部の部活動の帰り、私はユリの花を携えてある踏切にやってきた。

 その踏切は我が家の目と鼻の先にある。家の前の通りの端にあるので毎日毎日目にしている。


 だからその踏切の、降りたままの自動遮断機の前に立っている人を目にするのは珍しい事だと思った。なぜならその線路はとうの昔に廃線で、いくら待とうともその頑丈な鉄の遮断機が上がる事は無い。

 その女性はショートのウェーブがかった髪を秋の風になびかせ、灰色のコートに手を突っ込んで踏切の向こうを見ていた。


 声をかけてみるべきだろうか。困っている風にも呆然と立ち尽くしているようにも見えないが、善良な一市民として何か出来る事があるかもしれない。だけどそんな事は助けを求められた時に考えればいい事だろう。そう思い、私は自動踏切警報機の傍に近づいた。すると女性が振り返る。

 垂れ目でほんの少し微笑み、空想上の保母さんのような優しげな雰囲気のある女性だ。


「あなた高校生? 少しばかり尋ねたいことがあるんだけど構わない?」


 声もまた霞がかっていて鼓膜をくすぐる様な軟らかい声だ。


「高二です。何でしょうか?」

「変な事を聞くようだけれど、ここら辺の土地に神隠しの伝承とかある? 聞いた事ある? 聞いた事ない?」


 一つだけ思い当たる事がある。当時新聞にも載ってネット上でも少し話題になった神隠し事件があった。それは私の友達に起こった事件だ。知らない人に語りたくなるような種類の事柄ではないが。


「ごめんね。無ければ無いでいいんだよ。近くに図書館があれば教えて欲しいんだけど」


 そう言うと女性は遮断機にもたれかかり、その勢いのまま遮断機を乗り越えて後ろに倒れてしまった。どうやら悪い人ではなさそうだ、と思った瞬間、私は小さく悲鳴を上げた。

 女性は地面に倒れることなく空中で掻き消えてしまった。神隠しについて話していた今この瞬間に目の前でそのものを目撃してしまったのだ。


 駆け寄って遮断機に近づいて辺りを見渡すが種も仕掛けもないように見える。本当に消えたんだ。

 どうすればいいんだろう。ユリの花を握り締めて立ちつくすしか出来なかった。周りを見渡すが私の他には誰もいない。誰かいた所で見間違いとしか思わないだろう。だけど私が見間違いとして済ます訳にはいかない。直前まで話していた私が何かをどうにかしなければいけない。怖がっていてはいけない。


 意を決して遮断機を潜るとそこにさっきの女性がいた。打ったのであろう頭をさすり、コートについた砂埃を払っている。


 遮断機の向こうは線路だ。ただの線路だ。振り返るとちゃんと住宅街がある。だけど何か違和感がある。まるでゴーストタウンのようだ。この時間なら、ドーナツ化現象のドーナツ部分に当たるこの住宅街にはもう多くの人がいるはずなのに。


「あああ……! やっちゃったよ……。気を付けてたのに油断するとこれだ」


 女性はそう呟いてこちらを振り向いて、私の姿を見て驚いたようだ。


「ええ!? 何でついてきたの!?」


 信用できそうだけど、どうにも信用できそうにない。


「目の前で人が空中で消えたら誰だって同じような行動を取ると思いますけど」

「そう? それもそうね……。そうかもしれない」

「とにかく戻りますね」


 私は今度も遮断機を潜ろうと屈み、向こうへと手を伸ばすが異常に驚いて思わず引っ込める。遮断機の向こうにやった手が濡れた。まるで水槽の中に手を突っ込んだかのようだ。


「無理みたいね。結界の一種よ。そこは入口で出口じゃないんだわ」

「何なんですか! これは」


 ただの水なのだろうか。臭いはしない。制服のスカートで拭うが袖が肌に張り付いて冷たい。気持ち悪い。


「いわゆる神隠しよ。でももちろん神の仕業でもなければ何者かに隠されたわけでもないわ。ただ別の場所へと繋がる境界に迷い込んでしまったのね。そういう現象に巻き込まれたのよ私達。私は読河エリ。エリでいいわ」


 エリさんは得意げに説明し、自己紹介した。

 にわかには信じがたい話だが、これは既に三段目くらいの信じがたい話だ。とにかく納得しておかなければ話は進まない。


「山尾ハルです。貴方は何者なんですか? 昔、友人が失踪しました。彼女もここに迷い込んだのでしょうか?」


 エリさんは線路の先と後を眺め、踏切の先を見る。踏切の向こうには小高い山がある。この線路はその山をぐるりと囲んでいるのだ。そしてその踏切を渡った先は緑の錆び付いたフェンスで塞がれている。


「トマソンね。色々あるけど、こういう既に人が往来する事の無い境界ではその存在が曖昧になって神隠しが起こることがあるのよね。踏切はただでさえ二重の境界で、その先には閉じたフェンス。フェンスの向こうは?」


「立ち入り禁止になるまではハイキングコースでした。近所の幼稚園や小学校でよく遠足に使われてました。でも友人が消えるまでは線路は廃線じゃ無かったし、そこのフェンスもなくて山は開かれてましたよ」


 エリさんはわざとらしく腕を組み小首をかしげて言う。


「私はこういう境界の乱れを調べるお仕事をしている人よ。境界協会ってご存知ない? そう。まあいいけど。そのお友達の事話してくれる?」


「何から話せばいいかな。私達は物心ついた頃からとても仲が良くて、それは言葉通り姉妹のように育ったからなんです」

「言葉通りって?」


「彼女は居候だったんです。家庭の事情で身内は母親しかいなくて、その母親も病弱で自分の生活だけで手一杯。そこで友人だったお母さんのウチに預けられた。私達は毎日のようにそこの山で走り回って遊んでいました」


 二人とも体が動かすのが好きで本当に山猿のように走ったり登ったりしていた。私も今では陸上部で生きがいの一つだ。


「でもある日、十年ほど前の事です。きっかけは忘れたけれど喧嘩をしたんです。彼女の母親が亡くなって本当に孤独で塞ぎこんでいた時に。居候の癖にだなんて……。酷い事言った」


 嗚咽を呑みこむ為に黙る。エリさんは辛抱強く待ってくれた。


「でも仲直りがしたくて提案したんです。秘密基地まで競争して負けた方が謝ろうって。今思えば子供とは言えバカみたいですね。その頃友達の方が足が速かったのに。で、それがそこの遮断機の前で、丁度遮断機が下りる時でした。私は負けたくなかったから遮断機が下り切る前に山に向かって走り出しました。そしてつられて飛び出した友達は電車にひかれました」


 二人の間に沈黙が垂れこめる。私はユリの花を握りしめる。先に口を開いたのはエリさんだった。


「それでどうなったの?」

「その時はパニックになってて詳しくは覚えてないんですけど、後々聞いたところによるとその時彼女の足しか見つからなかったそうです。つまり電車にひかれて足を切断され、上半身が神隠しにあったんじゃないかと」


 エリさんは顎に手を当てて沈思黙考している。


「もしくは神隠しそのもので足を切断された可能性もあるわね。実例は聞いた事無いけど」


 ふと敷かれた砕石を踏みしめるような音が聞こえた。山に向かって右方向から人影が歩いてくる。


「誰か来ますよ。私達と同じで閉じ込められたんでしょうか?」


 しかしそれは人の形をした別物だ。こちらへと移動してきているが、こちらへと歩いているとは言い難い。少なくとも人の歩き方ではなかった。手も足も腰も首もありとあらゆる関節を滅茶苦茶な方向に伸ばしたり縮めたりしている。だけど確実にこちらに近づいてきていた。


「もう! 準備してない時に限ってこれなんだから! 不味いわ。どうやらこの土地は昔から神隠しが多かったのでしょうね。あれはそういう所に起こる現象の一つよ。幽霊みたいなものね。迷い込んだ者が行き倒れて、その魂がスープみたいに混ざり合った何者でもない幽霊よ。触れられれば取り込まれてしまうらしいわ」


 らしい? この人は本当に大丈夫なのだろうか? しかし私よりこの手の事について知っている事は間違いないし。


「どうするんですか? 何か武器はないんですか?」

「あるけど今は無いわ。今回は境界内に入るつもりはなかったんだもの。逃げるしかないわね」

「逃げるったってどこに……でもあのスープ幽霊鈍いですね。追いつかれる事はなさそう」


 アレの奇妙な動きは嫌悪感を催す上に、触れられれば取り込まれるのは脅威に違いないけど、とても追いつかれる事などなさそうだ。二歩進んで一歩下がる様な無駄があるせいだろう。


「だけど眠る事もなく近寄ってくるのよ。こちらが力尽きればお終いだわ。永遠には逃げられないんだから」

 音に気付き、振り返ると線路の反対側からもスープ幽霊が近づいてくる。


「どうすればこの結界から出られるんですか?」

「取りあえずこのフェンスを乗り越えてみましょう。もしかしたら出口となる境界かもしれないわ」


 二人で錆び付いたフェンスを乗り越える。有刺鉄線がなかったのは幸いだ。ユリの花が少し邪魔になったが置いて行きたくない。


 標高は低いが木々が鬱蒼と生い茂る山だ。昔は管理されていたが今は下草が自由に伸びている。とはいえ薄汚れた人工物はまだ存在感を放っている。


 日が暮れてきた。山の中は、森の中は真っ暗だった。当然だけど街灯なんてない。閉鎖する前から無かったと思う。


 スープ幽霊は変わらず在る。フェンスの向こう側でこちらに向かって蠢いていた。つまり私達はまだ神隠しの状態から解き放たれてはいないんだ。


「どうしよう。他に入口や出口になるような境界があるのかしら? あったとしても此方と彼方の差異が少なそうよね。この道の先はどうなっているの?」


 エリさんは大げさに道の先を、闇の向こうを両腕で示して言った。


「さっきも言いましたけど、ただのハイキングコースですよ。中腹の展望台まで脇道もありません。ただ展望台までの道すがらに公衆トイレがあったと思います。それは出口になりませんか?」

「行きましょう。出口になっているかは分からないけれど他に道もないわ。山の中にも影はいるだろうし」


 私があとに続こうとして歩き出した途端、後ろで、金網フェンスが千切れるような音がした。そこには身長3メートルくらいのスープ幽霊がいて、歪な両腕でもってフェンスを破っていた。

 私は咄嗟に駈け出し、エリさんも後に続いた。


「何なんですか!? 何で大きくなったんですか!」

「私にも分かんないよ! 待って! 速い! 置いていかないで! どぇっ!」


 エリさんは奇妙な悲鳴を上げてこけた。

 私は悪態をついて走り戻る。エリさんを助け起こして、手をつないで、またハイキングコースをひた走る。


 暗くて影の姿が見えにくくなった。嫌な存在感、圧のようなものを感じる。大きなスープ幽霊は同じような動きだったが歩幅が大きいせいかより早く近づいてくる。視線をそこらに向けると普通の人間大のスープ幽霊がわらわらと森の中から出てくる。

 闇のせいでユリの花の香りが強調されている。


 エリさんの息の切らせ方を聞くに相当体力がないようだ。排水溝の詰まる様な音がエリさんの喉の奥から聞こえてくる。


「頑張って下さい。公衆トイレはそれほど遠くないですからね」


 近くでもないけれどそう言うしかない。エリさんは返事もできそうにないようだ。


 ちらと振り返ると、泣き出しそうなエリさんの向こうで蠢くスープ幽霊はさらに巨大化している。そして他のスープ幽霊がその巨体に取り込まれているのを見た。理屈は何も分からないが合体しているようだ。既に5メートルを超えている。遠近感が分からなくなってきたが、見上げるほどの大きさだ。


 とにかく足を動かす。陸上部で鍛えたこの足だけが今この状況を突破する唯一の武器なんだ。


 開けた所に出た。展望台だ。おかしい。記憶では展望台に着くまでに公衆トイレがあったはずだ。記憶違いだろうか。見落としたのだろうか。


 巨大スープ幽霊が近づいてくる。既にあらかたのスープ幽霊が取り込まれてしまったようだ。黒い巨人が奇妙な踊りで近づいてくる。


 展望台は見晴らしが良いだけでどこにも何もない。住宅街とその向こうにある地方都市は何の問題もなく明りを灯していたが横たわる残骸のように思えた。


「エリさん! 万策尽きました! トイレが見つからないです」


 エリさんは膝に手をついて肩で息をしていた。


「とにかく……境界を……探すしか……ない……わ」

「転落防止柵は境界にならないですか?」

「行き来する境界ではないから……それに繋がってなかったら死ぬじゃない」


 柵の向こうを覗くとかなりの高さだった。崖と言う程ではないがそれに近い傾斜だ。死ななくとも足に相当のダメージがあるだろう。何もかも賭けになる。足を失えば陸上もできなくなるだろう。

 ふと閃きエリさんの手を握る。そして森の中へと走る。


「何? どうしたの? 何なの?」

「いいからしっかり足を動かして下さい」


 巨大スープ幽霊の歩幅は3メートルくらいありそうだ。とにかく死に物狂いで走らなければいけない。細い枝が顔を打ちのめすが気にしてはいられない。


 そこには数メートルの切り立った崖があり、錆びたトタン板が立てかけられている。私は走り寄ってトタン板を横に押しのけた。


「エリさん早く! 私達の秘密基地です!」


 そこにはぽっかりと横穴があいている。今思えば防空壕か何かだったのかもしれない。



 そしてスープ幽霊がいた。足の無いスープ幽霊が目の無い顔で私を見上げていた。



 私が何も言えず何もできず立ちつくしていると後ろからエリさんに秘密基地の中に突き飛ばされた。

 二人して秘密基地の中に倒れこむ。足の無いスープ幽霊は消え失せ、外にも巨大スープ幽霊の姿はなかった。


「どうやら……出られたようね」


 エリさんは息を搾り声を濾すみたいに言った。そのまま出ようとするエリさんの手を掴む。本当に迂闊な人だ。私は手近の小石を掴み外に向かって投げた。小石は空で消えることなく放物線を描いて地面に落ちた。


 二人で手をつないで秘密基地を出る。いつの間にかユリの花束は消えていた。向こうに置いて来てしまったのだろう。


 私達は何も喋ることなく山を降りた。何も傷ついてないフェンスを乗り越え、遮断機を潜り、街灯の下で改めて深呼吸をすると全身が洗われるように感じた。

 私の家はすぐそこにあるので私達はその場で別れる事にした。


「巻き込んでしまってごめんなさいね」

「いえ、私の責任でもありますから」

「もう決してあそこには近づかない事ね」

「はい」

「それと……」と、エリさんは何事かを言い淀んだ。


「何ですか?」

「本当は貴方の方が居候だったんじゃない?」

「何故そう思うんです?」

 私は脊髄反射のように問い返した。


「いえ。忘れて頂戴。今回の事は本当に申し訳なかったわ。さようなら」

「さようなら」


 私は足の無いスープ幽霊の姿を思い出した。いや、足の無いところから察するに彼女はスープ状に他の魂と混ざっていない純粋な幽霊なのかもしれないが。

 あの表情の無い表情は何を語っていただろう。私を怨んでいるだろうか。母を失った居候の私と娘を失った母が親子になるのはとても自然な事のように思えたものだが、奪われたように思っているのかもしれない。


 玄関の前に着き、改めて踏切を見ると、街灯に照らされた遮断機が開いていた。それが何を意味するのかまるで分からない。私は私の家に帰った。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

ご意見ご感想ご質問お待ちしてます。


キャラ立てをしようと頑張りましたが結果は出てるだろうか。

一応主人公山尾ハルは負けず嫌い、読河エリは失敗を恐れるドジっ子と設定して執筆に臨んだのですが……。

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