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海老怪談  作者: 海老
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けもの観音

創作です

 立呑み屋で出会った鎌田氏に聞いた話。

 鎌田氏は長らく半端仕事で食ってきた、と自称する人物だ。

 半端仕事とは何ぞやという話になると、鎌田氏が言うには借りてきたもので小銭を稼ぐような身に着かない仕事だという。

 五十の坂を越えた鎌田氏の背中にはスジ彫りのまま放置された入れ墨がある。それをどこか自慢げに開帳して、自身を語ってくれた。



◆◆◆


 片田舎で産まれた。

 父親は知らない。

 近所の大人たちは父親の分からない子である鎌田氏と、行きずりの男と情を交わしたとされる母を半ば村八分にしていた。

 母親は、今から思い返せば何がしかの障害を背負っていたように思う。

 片田舎の悪童に育った鎌田氏だが、体格には恵まれなかった。村八分のような扱いを受けていると必然的に子供の社会にまでその地位が固定される。

 体が小さいとなれば、それが暴力に変わるのに時間はかからなかった。時に命の危険を感じるようなことすらあった。

「まあ、あん時に人間なんてロクなもんじゃねえって学んだよ」

 いじめられるのを避けて山で遊ぶようになり、いつしか農作物の被害は鎌田氏の仕業とされるようになっていた。

 四十年以上前の山というのは、今からは考えられないくらいに人の侵入を拒む場所だった。山道を歩けば大人に怒鳴られて、仕方なく沢伝いに山を登るのが日課だ。

 家ではロクに食べ物もなかったが、山にいればあけびくらいは手に入った。

 山菜を持ち帰って家で煮炊きして母親に食べさせることすらあった。

 母は、子供のような、幼児のような人だった。

「思い出したら死にたくなるね」

 日がな一日ぼんやりして遊んでいるだけなのに、金は最低限はあった。生活保護だったのか、何がしかの親類がいたのか、鎌田氏は今でも知らないし知る気もない。

白粉(おしろい)塗って口紅ぬってよ。近所のガクセー服着たイガグリ頭の坊主にね、襦袢を開けて見せてんだな。小銭にはなってたみてえでよ」

 吐き捨てるように、鎌田氏は語ってくれた。

 山でよく見かけるのはイタチの類だった。イノシシと鉢合わせて死ぬ思いをしたこともある。

 不思議と蛇は見かけなかった。

「親子連れでよ、気に入らねえって。ケモノのくせに親子仲良く並びやがって」

 こちらを窺う生き物に、石を投げるのが常だった。

 鎌田氏は中学一年生になった。

 当時の学生、というより世の中は暴力に満ちていた。

 山で悪さをする村八分にされた少年は、中学でまたも暴力の洗礼を受けた。

「山にいたのがよかったんだな。へへへ、ビビりは治ったんだけどよ、ほれ、やりすぎちまって」

 鎌田氏は自分の左耳を指差した。形が歪で、欠けた傷痕がある。中学の時に噛み千切られたという。

「やり返してやったよ。痛くしねえと、な。わかんねえし」

 暴れた。

 中学は最初のひと月で行かなくなり、山で山菜なぞを取って近所で売り歩くようになった。

 子供の小遣い稼ぎにはなった。

「よく覚えてるよ。田舎には珍しい格好だったからよ。都会の匂いっつうかね、なんだかいい感じだったんだ」

 鎌田氏を見慣れぬ男が訪ねて来た。

 大学で勉強をしている偉い博士だという男だ。田舎にはない洗練された空気があった。

「今だから分かるけどね、アレは詐欺師とかそういう類のチンピラだったんじゃないかね。ほら、外側だけで中身は、なぁ? 今なら分かるんだけどよ」

 山にあるという古い祠を捜しているのだという。

 話を聞いてすぐに分かった。

 山の中には誰のものか分からない古い墓や、粗末な道祖神らしきものを祀った祠というものがある。大抵は、山の持ち主には無断で造られたものだ。目立つところにあれば叩き壊されるのが道理であるから、道から外れた所にある。

「その先生だか博士さんは古い写真見せてくれてな。映ってんのは軍人だったから、戦時中のヤツだ。場所に案内してくれって、な」

 翌日、案内することになった。

 慣れた山道のはずが、よく迷う。

 それでも目当ての祠には日が暮れるまでにたどり着くことができた。

「祠って言っても大層なもんじゃない。犬小屋に扉付けたようなもんでよ。蹴り壊して開けやがんだ」

 中にあったのは、観音様の像だった。

 金で出来てもいれば値打ちものとすぐ分かっただろうが、鎌田氏からすれば古ぼけた木像でしかなかった。

 日が暮れる前に急いで山を下りる。

 足取りも軽やかで、途中その先生は板チョコレートを一枚そのままくれた。

 チョコレートを食べたのは、それが初めてだった。

 帰り道、山から出る時に視線を感じて振り向いた。

 イタチの親子が並んで死んでいた。大きな木の根元で口から血を流して川の字に横たわっている。

「わあああって、よ。先生が悲鳴あげて逃げていっちまった」

 視線は木の上、夕暮れで暗くなっているというのに太い枝が薄ぼんやりと輝いていた。

 大蛇がからみついている。

白粉(おしろい)の匂いさせやがってな。バケモノのくせに」

 蛇の頭の代わりに、女の頭が乗っていた。

 嬉しくてたまらないという顔で、笑っていた。

 理屈抜きで死ぬのだと思った。あのバケモノにはそれだけの『死』や『不幸』を塗り固めたような存在感があった。

「チョコレート食いてえ、って思ったんだよ」

 今まで生きた中で、一番良い記憶だった。

 さっき食べたチョコレートの甘い余韻だけが、掛け値なしの幸せだった。

「気が付いたら、病院だったよ」

 なんでも山の様子見に来た地主が倒れていた鎌田氏を見つけて病院に運んだそうだ。

 自分の山で人が死ぬのが嫌だったのだろう。

「見舞いにきた学校の先生がチョコレートを置いていってくれてよ、美味かったなァ」

 しばらくしてから、母が死んだ。

 山から帰ってきたら、布団の上で血を吐いて事切れていた。

「別に悲しくはなかったァね」

 葬式にやって来た初めて見る親類というのが、哀れに思ってかチョコレートをくれた。

 葬儀の終わる前に香典を持って故郷を出奔した。

 それっきり、帰っていない。



◆◆◆


 筆者がつまみに頼んだチョコレートを口に運びながら、鎌田氏は満足げに焼酎をあおった。

「今日はアンタのおかげでチョコレートが食えたよ。あれからね、チョコレートを買う金くらいはなんとかなってんだ」

「その山の怪物が願いをかなえてくれたってことですか」

「いんやあ、アレはお礼じゃねえかな。バケモノは律儀なもんだよ。こんなに美味いもんを俺にくれるんだからよ」

 バケモノ、この場合は妖怪だろうか。その正体も分からなければ、観音像とやらの来歴も分からない。

 件の胡散臭い先生はどうなったのだろうか。

「詐欺師の相場なんて野垂れ死によ。へへへ、もう生きちゃあいねえだろうよ」

 何事か知っていそうだが、尋ねはしなかった。

 いやに目が痛んでいて、血まみれの肌色が目の端を過る。

「兄ちゃんとは気が合いそうだなァ」

 そう言ってにやにや笑う鎌田氏がトイレに席を立った隙に、一万円札で支払って釣りも取らずに店を出た。



 鎌田氏と筆者が再会するのは、それから半年ほど後のことだ。


創作です

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