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海老怪談  作者: 海老
43/45

きのこ

創作です

 筆者が聞き及ぶ怪談で、話として使えそうなものはほとんど無い。

 話の九割は夢の話だ。それだけではなんともできない。

 この辺りが怪談蒐集者としての才能の無さなのだが、数打てばなんとやらで奇妙な話というのも一つか二つは手に入る。

 その一つか二つも微妙に使えない部分がある。

 筆者がなんとか集めた話には、割合としてセックスが絡むものが多い。 怪談作家の某先生とお話する機会があった折に相談すると、笑いながら「キミはシモが向いてる」と返された。

 そういうものらしいので、規約に反しない程度でシモに関わる話をしようと思う。




 久田氏に伺った話である。

 酒の席である。泥酔一歩手前といった様相の久田氏は、かなりお堅い職業の人物だ。

 泥酔させるとそのお堅さも溶けてなくなる。


 久田氏はトレッキングを趣味としている。

 山の知識には乏しいのだが、口振りからするとかなり本格的な山歩きをしているようだ。

 今から十年ほど前のこと、とある山で道に迷った。

 どうにか元の道に戻ろうとするのだが、それもままならない。幸いなことに、日が落ちるまではまだ時間もあるし、視界と天気も良好だ。それに、携帯電話も使用可能だ。

 少し休んで仕切り直そうと、近くにあった岩に腰かけた。

 携帯していた袋菓子のチョコレートをかじり、水筒に入れていたコーヒーを飲む。少し落ち着いてから、ふと足元に見慣れないものが見えた。

 腰かけていた岩だが、地面のところに窪みがあり、そこに小さなやしろのようなものがある。

 長年放置されていたものか、朽ちかけている。

 これは悪いことをしてしまったな、と思い反射的に「気づかず失礼を致しました。申し訳ございません」と口に出していた。

 お堅い職業故に、こういう時も丁寧だ。

 お詫びとしてチョコレートをお供えし、道を戻るために歩を進める。

 道の痕跡があり、そこを進むと妙な場所に出た。

 小さな広場のようになっていて、中心には立派なくすのきの威容があった。

 長い年月を生きた樹木、中でも形が他より優れているものが、信仰の対象となる霊木である。

 その異様に見惚れた久田氏は、しばし口を開けて感嘆していた。

 目を離せないだけの個性がある木だった。

 しばらくして、手を合わせた後に携帯電話で写真を撮ったそうだ。

 帰り道を捜していると、あっさりと山道に戻ることができた。


 その後、変事も無く自宅まで帰った。


 久田氏は妻帯者で、妻と二人の子供がいる。二人とも男の子だ。十年前、子供たちはトレッキングに連れていくには幼すぎた。

 今日のトレッキングは、ストレス解消のため妻が許してくれたものである。

 他愛ないことを話すいつもの団欒。

 道に迷って焦ったよ、という話をすると妻は心配してくれた。

 テレビを見ている時に、ふと、隣の妻を見た。


 顔が違う。


 久田氏の奥さんは、ごく普通の女性である。外見だけで言えば、モデル並みの美人というのは言いすぎになる。

 それなのに、今の妻は凛とした美しい顔立ちをした。それこそ、まるで別人の。


「え、なに?」


「あ、いや、なんでもない」


 美しい顔はほんのひと時だけで、いつもの妻の顔がある。

 疲れが見せた幻だろうか。

 

 それから、そんなことが多々ある。

 妻をじっと見つめることが増えた。

 当時の久田夫妻は共に三十代半ばである。夜の営みも増えた。

 その最中にも、妻の顔は変わる。

 他にこれといった変事は無いのだが、妻はよくチョコレートを食べるようになった。袋菓子がいつもある。

 特に太ってしまうこともないのだが、何かにつけて自宅には甘い香りが漂う。

 傍から見れば、仲の良い夫婦である。結構なことだ。

 久田氏は。夜の営みの中で、あの顔が法悦に歪む。虜になっていた。


 そのようなことから、めでたく三人目を授かった。

 妊娠と共に、めっきりあの顔は見なくなった。

 妻は、妊娠と共にあれだけ好きだったチョコレートが苦手になったという。

 全てが順調に進んで無事に出産。女の子だった。



 数年後に離婚した。

 娘は時折あの顔になる。

 寝言で不思議な言葉で何か言う。決まって、あの顔をしていた。

 恐ろしくなり、別れたということだ。



 久田氏はあのくすのきを捜している。関係があるだろうから、見つけたら除草剤を巻いてやる、あのやしろも蹴り壊すつもりだと言っていた。

 どうしても見つからないとのことだ。


 木の精霊が久田氏の妻に宿ったのか、娘が生まれ変わりなのか。筆者はそういう話ではないと思った。


「多分、久田さんに憑いてるんちゃいますか」


 そう言ってみたが、その時の久田氏は泥酔していたし覚えてはいないだろう。

 なんとなく口に出してしまったが、泥酔している時でよかったと思う。これも、なんとなくだ。

 幽霊やお化けなど、全てが曖昧なものでしかない。

 どこにも真実など無いのが普通だ。

 泥酔している久田氏が何か言っていたが、それこそ別の言語のようで何も聞き取れなかった。


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