きのこ
創作です
筆者が聞き及ぶ怪談で、話として使えそうなものはほとんど無い。
話の九割は夢の話だ。それだけではなんともできない。
この辺りが怪談蒐集者としての才能の無さなのだが、数打てばなんとやらで奇妙な話というのも一つか二つは手に入る。
その一つか二つも微妙に使えない部分がある。
筆者がなんとか集めた話には、割合としてセックスが絡むものが多い。 怪談作家の某先生とお話する機会があった折に相談すると、笑いながら「キミは下が向いてる」と返された。
そういうものらしいので、規約に反しない程度で下に関わる話をしようと思う。
久田氏に伺った話である。
酒の席である。泥酔一歩手前といった様相の久田氏は、かなりお堅い職業の人物だ。
泥酔させるとそのお堅さも溶けてなくなる。
久田氏はトレッキングを趣味としている。
山の知識には乏しいのだが、口振りからするとかなり本格的な山歩きをしているようだ。
今から十年ほど前のこと、とある山で道に迷った。
どうにか元の道に戻ろうとするのだが、それもままならない。幸いなことに、日が落ちるまではまだ時間もあるし、視界と天気も良好だ。それに、携帯電話も使用可能だ。
少し休んで仕切り直そうと、近くにあった岩に腰かけた。
携帯していた袋菓子のチョコレートをかじり、水筒に入れていたコーヒーを飲む。少し落ち着いてから、ふと足元に見慣れないものが見えた。
腰かけていた岩だが、地面のところに窪みがあり、そこに小さな社のようなものがある。
長年放置されていたものか、朽ちかけている。
これは悪いことをしてしまったな、と思い反射的に「気づかず失礼を致しました。申し訳ございません」と口に出していた。
お堅い職業故に、こういう時も丁寧だ。
お詫びとしてチョコレートをお供えし、道を戻るために歩を進める。
道の痕跡があり、そこを進むと妙な場所に出た。
小さな広場のようになっていて、中心には立派な楠の威容があった。
長い年月を生きた樹木、中でも形が他より優れているものが、信仰の対象となる霊木である。
その異様に見惚れた久田氏は、しばし口を開けて感嘆していた。
目を離せないだけの個性がある木だった。
しばらくして、手を合わせた後に携帯電話で写真を撮ったそうだ。
帰り道を捜していると、あっさりと山道に戻ることができた。
その後、変事も無く自宅まで帰った。
久田氏は妻帯者で、妻と二人の子供がいる。二人とも男の子だ。十年前、子供たちはトレッキングに連れていくには幼すぎた。
今日のトレッキングは、ストレス解消のため妻が許してくれたものである。
他愛ないことを話すいつもの団欒。
道に迷って焦ったよ、という話をすると妻は心配してくれた。
テレビを見ている時に、ふと、隣の妻を見た。
顔が違う。
久田氏の奥さんは、ごく普通の女性である。外見だけで言えば、モデル並みの美人というのは言いすぎになる。
それなのに、今の妻は凛とした美しい顔立ちをした。それこそ、まるで別人の。
「え、なに?」
「あ、いや、なんでもない」
美しい顔はほんのひと時だけで、いつもの妻の顔がある。
疲れが見せた幻だろうか。
それから、そんなことが多々ある。
妻をじっと見つめることが増えた。
当時の久田夫妻は共に三十代半ばである。夜の営みも増えた。
その最中にも、妻の顔は変わる。
他にこれといった変事は無いのだが、妻はよくチョコレートを食べるようになった。袋菓子がいつもある。
特に太ってしまうこともないのだが、何かにつけて自宅には甘い香りが漂う。
傍から見れば、仲の良い夫婦である。結構なことだ。
久田氏は。夜の営みの中で、あの顔が法悦に歪む。虜になっていた。
そのようなことから、めでたく三人目を授かった。
妊娠と共に、めっきりあの顔は見なくなった。
妻は、妊娠と共にあれだけ好きだったチョコレートが苦手になったという。
全てが順調に進んで無事に出産。女の子だった。
数年後に離婚した。
娘は時折あの顔になる。
寝言で不思議な言葉で何か言う。決まって、あの顔をしていた。
恐ろしくなり、別れたということだ。
久田氏はあの楠を捜している。関係があるだろうから、見つけたら除草剤を巻いてやる、あの社も蹴り壊すつもりだと言っていた。
どうしても見つからないとのことだ。
木の精霊が久田氏の妻に宿ったのか、娘が生まれ変わりなのか。筆者はそういう話ではないと思った。
「多分、久田さんに憑いてるんちゃいますか」
そう言ってみたが、その時の久田氏は泥酔していたし覚えてはいないだろう。
なんとなく口に出してしまったが、泥酔している時でよかったと思う。これも、なんとなくだ。
幽霊やお化けなど、全てが曖昧なものでしかない。
どこにも真実など無いのが普通だ。
泥酔している久田氏が何か言っていたが、それこそ別の言語のようで何も聞き取れなかった。




