どぶ川の人魚考
創作です。
今回は作劇に失敗しました。演出ではなく本当に失敗です。興味がある人だけ斜め読みして下さい。
創作怪談をやるにあたり、沈めないというルールを作っているために公開します。
筆者はシャブ中と縁がある。
シャブ中とは覚せい剤中毒者のことだ。当世今風の名称は知らないが、あったとしてもロクなものではないだろう。
筆者はまったくもってシャブになど興味は無いのだが、不思議なことに若い頃から奇妙に縁があった。
最初は高校時代である。
同級生に、卒業前には立派なシャブ中になった馬鹿がいた。仲は良かったが、ある時に退学してその後の行方は杳として知れない。
怖い話を集めて気づいたが、シャブ中は幽霊を見ていることが多い。
覚せい剤の幻覚との判別は困難だが、そこに出るというものを覚せい剤漬けの脳が知覚しているとしか思えないような話がある。
残念ながら、その話の詳細は内容に問題がありすぎてここでは書けない。確実に削除されるであろう内容になる。
今回はそれに連なる考察と、過去の筆者の記憶である。怪談とは言い難く、あまりお勧めできる内容でもない。
※純粋な怪談ではないため、この話は飛ばして頂くことをお勧め致します。
成人してからもシャブ中と知り合うことが多かった。
二十代前半、今からもう二十年ほど前だ。
夢破れてギリギリ納税者と認められるレベルの薄汚れ仕事をしたが、そういう才能は無く、そこからも落ち零れて泉州の工場に勤めた。
そこで同年代のパートさんであるカスミさんと出会う。
カスミさんは街で有名なチンピラの内妻で、常日頃から夫への不満を述べるヤンママだった。
なんとはなしに気が合ったが、恋愛感情は互いに無く友人の間柄であった。
後年、筆者をゲイだと思っていたことが判明するが、それは本筋とは何の関係も無い。
カスミさんの夫であるシャブ中、ヒロシとは家飲みを行った際に顔を合わせた。
勤めていた工場の付き合いから、地域のだんじり祭りに参加していたこともあり、それなりに見知った顔の面子だった。
悪どい顔をした連中の集いである。
ヒロシの部屋は、理科準備室の臭いがする。
学生時代にも数えるほどしか入らない理科準備室を思い出す臭いは、シャブ中部屋の特徴だ。
不思議なことに、ヒロシとはそれなりに馬が合った。
パチスロの話で少し盛り上がった後に、当時人気だった吉宗というパチスロ台のテーマソングを二人で歌ったのがよかったのかもしれない。
何もかも失くした気持ちでいた当時の筆者には、シャブ中は良い友達だった。将来なんて眠たい話も無ければ、金の話ときたらパチスロと犯罪だけだ。
シャブの回し打ちに誘われたが、他人の使った針というのがどうしても汚らしくて、「そういうの苦手や」という理由で断っていた。
ヒロシは少しだけ寂しそうな顔をする。
工場勤務にも慣れており、仕事自体はどうということもなかった。クソ暑いということ以外は、なんともない。
手取り14万円、サービス残業は二時間義務づけ。
途中でどうでもよくなり、サービス残業は無視して帰るようになった。
駅前のパチンコ屋で週二はヒロシたちと遊ぶ。
パチンコ屋の店員と仲良くなって、翌日のパチスロ設定6の台を教えてもらった。
有休を使うと、なぜか使いすぎるとクビだと言われたが、その時は頭をカチ割ってやろうと決めて、有休を使って朝からパチスロをやった。
そんなこんなで、その街の薄汚れとは順当に仲良くなった。
駅前のパチンコ屋の近くに小さなどぶ川があった。もしかしたら、古い農業用水路だったのかもしれない。
魚が跳ねる音が聞こえるどぶ川沿いの細い道が好きだった。
そこを通って、大阪王将にラーメンを食いにいく。ヒロシたちと歩いたり、一人で歩いたり。
夏の夜だったと思う。
ヒロシはオーシャパシフィックのTシャツを着ていた。当時よく見た流行りのTシャツだ。
ヒロシと塗装か何かの仕事をしているシンナー臭い年下の連中と歩いていた。
どぶ川からバシャンと大きな魚の跳ねる音が聞こえた。
「鯉でも住んどるんかな」
なんの気なしに筆者が言う。
「そこなあ、人魚おんねん」
ヒロシが言うと、また水を叩く音が聞こえた。
「人魚いうたら、ディズニーとかああいうん?」
「なんかアレ、和風やで。ごっつキモいねん。そこに住んでるみたいや」
ヒロシはなんでもないことのように言った。
年下のシンナー臭い少年は「あー、たまにいるっスね」と言う。
ごく普通の会話として、人魚の話をしていた。
「人魚ってホンマかいや」
興味が湧いてドブ川を見てみたが、怪しい気配はない。ゴミの浮いた水面に羽虫が湧いているだけだ。
「昼間のほうがおるで。頭出してて、なんかジーっていう変な声出しとる。結構キモいし、見たらスロット負ける」
「あー、見たらバリ負けるっスね。あれ見て勝ったことねっスよ」
そういうことがあった。
それから気になってしばらくの間はドブ川を見ていたのだが、人魚を見ることはついぞなかった。
その工場には二年ほど勤めたが、最終的には社長に言い返したという罪から、辞めないと苛めて自殺に追い込むいう話になって殺すぞと返答して辞めることは確定していた。
ヒロシを誘って無茶苦茶にしてやろうという直前で、人事の偉いさんから退職金に色をつけるという折衝案の申し出があった。
そこそこの金額のため、大人しく退職届に判を押すことにした。
当時、工場の給料は手渡しだった。
足に障害があって杖をついた高齢の経理事務の女性が、社員の給料を毎月銀行から引き出している。
筆者が退職してから数か月後に、その事務員さんはひったくりに遭って全社員の給料を失くしてしまった。
社内の事情はヒロシに愚痴ったことがある。
ヒロシがやったのかもしれないが、実際のところは分からない。犯人は捕まらなかった。
ヒロシは無職なのに金回りがいい時があった。悪いことをしているのは知っていたし、誘われたこともあった。
退職後、色をつけてもらった退職金で食いつないだ。
冬場のことだ。
パチスロでバカ勝ちして、十日ほどで70万円が手に入ったこともあり、上機嫌でどぶ川沿いを歩いている。
いつもは人通りの少ない川沿いが騒がしかった。
前方にはパトカーの灯りがある。
引き返してもよかったが、そんなことで職質を受けたくはなかったので平静を装ってそのまま進んだ。
人が集まっていて、なんだろうと覗くと川から人が引き上げられていた。
よく見えなかったが、どうやらもう亡くなっているようだ。すぐにシートをかけられて性別も分からない。
周りの人は自殺だと言っていた。
何もこんな所で死ななくてもいいだろうに。
ヒロシとパチンコ屋で顔を合わせることが少なくなっていた。
いくらか儲けてパチスロを早めに切り上げ飲みに行く。
閑散とした商店街には数件の居酒屋があり、何度か行っている店だ。
食事と酒。
顔見知りの常連らしき初老の男性がいたので、世間話をする。
先日のどぶ川の自殺の話になった。
「大きな声で言えんけど、こないだの飛び込んだ人、近所のヤクザ屋さんや」
また薄汚れた話だ。
刺身を切る大将は少し嫌な顔をした。
「殺人ですか」
「自殺か事故かよう分からんらしいわ。あの川、昔からそんなんばっかりやで」
「そうなんですか。こっち来たの何年か前なんですけど、あそこよう通ってますよ」
人魚のことを尋ねてみようかと思ったが、その前に常連が口を開いた。
「あそこ通るのやめとき。俺がガキの時分、五十年は前からあの川はようないねん。心中やらなんやらで、何人も死んどる」
「マジですか、普通の道やと思ってましたよ」
「地の人らはみんな知っとる。昔から、あそこは良くないんや。人魂が飛ぶとか、死んだもんが川におるとかあるし」
頼んでいた蛸の炒め物を大将が差し出した。
「お待ち。ちょっと、そんな景気悪い話やめといてえや」
そこでこの話は終わりになって、話題は芸能人の不倫報道に移り変わった。
なんだかモヤモヤした気分のまま店を出た。
二軒目は居酒屋からほど近いスナックメルシーへ向かった。
ヒロシといった時のボトルがまだ残っている。
当時の筆者とさほど年齢の変わらない女がカウンターにいるだけの店だ。一人で行きたいような店ではなかったが、なんとなく足が向いた。
早い時間のためか、スナックメルシーに客は筆者だけだった。
カラオケを勧めてくるが断って、入れていた焼酎のボトルをちびちびと舐めていた。
少し飲みすぎたのか、頭がぐらぐらしていた。
「なあ、あそこのどぶ川のとこ、人魚おらんか」
筆者の問いは突然で、カウンターの女が目を白黒させていた。
「あっ、いますよねっ。あそこ、なんか平安貴族みたいな人魚っ」
元気よく答えたのは、新人だと言う一番若い女だ。ギャルの出で立ちをしたうるさい女である。
「俺は見てへんけど、見たいうんが多くて」
「めっちゃ有名な話ですよ。ボケ吸った後はだいたいいるんで」
ボケ、というのはシンナーの隠語だ。この街の近辺でしか聞かないため、ローカルな隠語なのかもしれない。
その後も少し聞いてみたが、容量を得ない。何かに取り憑かれておかしいというのではなく、理解力が及ばない相手だった。
それからしばらくの間、その近辺の飲み屋で人魚のことを聞いて回った。
分かったことは幾つかある。
あのどぶ川は戦後まもなくの時代から悪い場所と言われている。もしかしたら、それ以前からかも知れない。
昭和から平成にかけて五~十人ほどは事故事件自殺で死んでいる。これは誇張のある大げさな数かもしれない。昭和初期は道の整備がされておらず実際には事故が発生しやすい道だったという可能性もある。
人魚を見ているのはシンナー中毒者やシャブ中に多い。
地元ヤンキーたちは代々先輩から聞いているともいうので、80年代の辺りから人魚は目撃されているだろう。
年嵩の世代に人魚のことを知る者は少なかった。そういえば見たって話を聞いた、という程度のものが幾つかあっただけだ。
人魚は長い黒髪で、平安時代風の顔をしているという。若い世代曰く「バリムカつく顔」。
結局のところ、分かったのはそれだけ。
その日もいつものようにパチスロをしていた。
ダラダラと負けては取り戻すというのを繰り返して数時間。疲れが出て店の外に休憩に行った。
有料自転車駐輪場の隣に、小さなたこ焼きの店がある。16個入りを昼食代わりに買うことにした。
飲み物はコカコーラにした。
たこ焼き屋を焼いているおばちゃんは暇そうにしている。片田舎の平日。昼日中となれば暇で当たり前だ。
「おばちゃん、そこのどぶ川で人魚を見たいう話、知ってる?」
「ああ、昔からおるやねえ」
「え、ほんまにおるん」
「見る人、みんなアカン人やで。悪いことしてたり、可哀想な人はアレ見てるみたい」
「そうなんや。詳しいこと知ってたら教えてほしいんやけど」
「あかんあかん。目が潰れるわ。やめてやめて」
「いや、せやなくて。なんや気になってて」
「やめてやめて」
おばちゃんはそれ以上を答えてくれなかった。
調べられたのはここまでである。
その後すぐに就職先が決まり、パチスロ生活が終わってしまったからだ。
新しい職場に慣れて、ようやく仕事を覚えてきた辺りで、ヒロシが死んだという連絡があった。
シャブのやり過ぎで死んだということになっていたが、殺されたのではないかという話もあった。
真相は分からない。
どぶ川沿いの道を通ってヒロシの通夜に向かったが、人魚の姿は無い。昔はあれだけ聞こえた水音も聞こえなかった。
人魚のことは生活の忙しさからも、それ以上は調べないまま二十年近くが過ぎた。
あの時、ヒロシの誘いに乗ってシャブを打っていたら、
あの時、ヒロシを誘って工場で傷害事件を起こしていたら、
あの時、ヒロシの仲間になって悪いことをしていたら、
人魚が見えたのかもしれない。
奇妙な思い出だ。
思い出しても、そこに温かみは一切無い。
当時の寂寥とした気持ちも、すでに遠く蘇らない。ただ、時間が過ぎ去ったことだけが感じられる。
筆者にとって、人魚は怖いものだ。
申し訳ない。




