連想の面影
創作です
筆者は度を越した怪談好きである。
友人に怖い話は何かないかと聞きまわることも多いければ、飲み屋で隣り合った客にそういう話がないか聞くこともある。
勿論だが、あまり良い顔はされない。
これは筆者の友人である道夫とミナミのショットバーに飲みに行った時のことだ。
大阪で遊ぶとなれば、キタかミナミでというのが道夫と筆者との定番だった。
道夫とは十代の終わりに知り合って、もう十年以上経つが当時から変わらぬ付き合いを続けている。
筆者はいつの間にか普通のオッサンになり、道夫はいつのまにか父親になっていた。
初めて入るミナミのショットバーは、マスターの趣味だという真空管アンプと高品質スピーカーが自慢で、アナログ音源にこだわってレコードを流しているという流行らない粋な店だった。
「なあ、なんか怖い話ないのん?」
フランク・シナトラのフライミートゥザムーンがひび割れたレコードから垂れ流されている店内に、客は道夫と筆者だけだ。
止まり木だけの小さな店だが、客が二人だけだとやけに広く感じる。
マスターは一見の客には興味が無い様子で、グラスを拭くのに夢中だ。
「いや、無いよ。自分、毎回そんなん言うけどなかにかそんなんないで」
「なんかあるんと違うんか。キミ、十年くらい前に買った中古のマークⅡに幽霊いてはったやん」
「おったけど、あれはもう言うたやん」
道夫は法外に安い車を買ってひどい目にあったことがある。この話はまた別の時にしようと思う。
「道夫は気づいてへんだけで霊感あんねんて。ちゃんと思い出してえよ」
「えー、そんなん言われても無いもんは無いて」
「前に薄気味悪いマンション住んだりしてたやん」
「ないって、マジで」
道夫はマッカランのロックを舐めるように飲んでいて、気の乗らない様子だ。しかし、道夫の仕事のグチに一時間も付き合ったのだから多少はしつこくても許される。
筆者のグラスが空になり、三杯目のジンライムを頼んだ。
マスターはむっつりと押し黙ったまま冷凍庫を開けてタンカレーのボトルを取り出す。
「あ、思い出した」
道夫が独り言のように言った。
内心でキタキタと筆者はほくそ笑んだ。
怪談を聞いて回っているとよくあるのだが、最初はそんなことないと適当に答えていた相手が何かを思いだす。この何か、というのが作り話を披露する手合いか、自身が忘れていたお化けの記憶を見つけたのかは一目瞭然で分かる。
自分でも思いもよらない奇怪な出来事を思い出した人というのは、総じて青褪めた顔をしている。
青褪めるというのは血の気が引くだけでなく、引っ張り出してはいけないものを出してしまった時に浮かべる相だ。筆者はそう思う。
「前に住んでたやん、あの××町の二階建ての壁の薄いマンション」
「ああ、一階のとこやろ。引っ越し手伝ったとこやな」
「うん」
道夫は空になったグラスから氷を取り出して噛み砕いた。
「あそこな、仕事帰ってきた時に、廊下で首の無いヤツ見てん」
「え」
聞いて後悔した。
脳裏に当時の道夫の住居に向かう渡り廊下、そこにそれがいるのを想像して背筋が寒くなった。
不思議なことに、驚くほどリアルにそれが分かった。
それがどんな位置関係で、どんな服装で、どの性別か、どんなものか分かってしまう。
「ああ、もう嫌やわ。お前のせいやで、めっちゃ怖いやんけ」
「いや、俺もめっちゃ怖いで」
努めて明るく言い合ってみたが、止まり木の背後が何やら恐ろしい。
「お客さん、お連れさんやないんですか」
マスターは不機嫌を隠そうともせずにこちらに向けて言った。
「え、なんですか」
「さっきから、店の外を行ったり来たりうろうろしてはる人いるんですけど、お客さんのお連れさんやないんですか?」
少し、ゾッとした。
見れば道夫も顔が引き攣っている。
「あ、とりあえず出ますわ。お会計して下さい。道夫くん、ここは僕が払うわ」
「お、おう」
いやに高い料金を払って店を出ようとした時、マスターはじろりと睨みつけて口を開いた。
「ワンピースの女の人、俯いて普通の様子やないですよ。どっちか知りませんけど、女の人に悪さしたらあきませんで」
おそるおそる店を出れば、ミナミの喧騒があるだけでほっとした。
「なあ、とりあえずおっパブいかへん?」
「そんな気分やないで。それにお前、ええ加減そういう店行くんやめよや」
「せやな。うどん食いにいこか」
店を出てからも嫌な想像は止まらなかった。
道夫の言葉から連想したのはマスターの言った風体のソレである。
言葉にしてしまうと恐ろしいので、そのままうどんを食べに行った。
後日、道夫の住んでいた件のマンションの近くを通りかかったのだが、マンションは更地になっていた。
今もあの時想像した光景とセットでマンションの面影を思い出すことがある。
創作です