70.苦悩(1)
小説の世界は自由自在に作られていく。
天馬は、自分の世界を好きなように彩り、優しい香りで満ち溢れさせてきた。
どんなときでも、読者が元気になれるようにと、主人公は常に前向きに生きているのだ。
今彼が書いている作品は、誰よりも愛する女性が主人公だ。
彼女から、わけも分からぬまま二度と会わないと言われてから、自分の思いを物語りに書き連ねてきた。
書いては消し、消しては書き。
物語の中で実香は常に輝いていた。
「そういうことだったのか」
パソコンに向かい、扇風機の風を受けながら、天馬はぼんやりと画面に目を向けていた。
なぜ、突然にも会わないと言われたのか、どんなに実香の心を探しても、検討も突かなかった。
それが今、霧が晴れたように全てが見えた。
「それなら、納得がいくよ。怒るのは無理もないことだ」
誰だって、裏切られたと思えば怒りも湧いてくるだろう。
キーボードに手を乗せると、滑らかな指裁きでキーを叩き始める。
画面に文字が打ち込まれ、天馬の世界が広がっていく。
咲枝から話を聞いてからというもの、苦しかった胸のつかえが取れたように感じた。
しかし、だからといって全てが解決したわけではなく、天馬との関係はそのままなのだ。
実香は何を考えるでもなく、ぼんやりとベッドに座り込んだまま壁を眺めていた。
「菜都芽が酷いことをされたんじゃなくてよかった」
口から出るのは、菜都芽のこと。
「天馬が私を裏切ったんじゃなくて良かった」
天馬のこと。
「……あれから菜都芽から連絡がないな……そうか、私も連絡してないじゃない。何で連絡しないんだろう……。これじゃ、連絡できないまま、友達じゃなくなっちゃうよ。菜都芽を失っちゃうよ……」
視線を部屋の中に這わせる。
そこには洋服が散乱し、ぬいぐるみが散らかり、本が雪崩を起こしたままになっている。
かつてこんな状態になるまで放置したことはない。
基本的に、散らかっていることが許せないのだ。
「なんでこんなに汚くなっているんだろう」
自分が何をしてきたのか、まるで記憶がないのだ。
実香はベッドから下りると、ゆるゆると部屋のものを片付けだした。
本を元の位置へ戻し、洋服を洗濯へ出す。
一つ一つを片付けていくと、少しずつもとの部屋に戻ってきた。
部屋が綺麗に片付く頃には、実香の気持ちも同じように整理ができてきていた。
「菜都芽も苦しかっただろうね。きっと、私が連絡しなかったら、連絡できないよね」
ベッドに座り込みケイタイを手にする。
コール音が耳に響く。




