53.SOS(1)
ホテルから出ると、憔悴しきった天馬とは別方向へと進みだした。
時々後ろを振り返ってみるが、一向にその場から動かない。
歩道に佇む大きな木の下で、大木と同じようにただただ、立ち尽くしているのだ。
菜都芽は多少の後悔の念を持ちながらも、二人だけが幸せなことが気に入らなかった。
あんなにも、実香だけを見つめ、事あるごとに実香の話がでる。
実香とて同じことで、これほどまでに愛されていながら、何が文句があるものだろうか。
体の関係があろうがあるまいが、相手の愛を疑った実香が全ての原因なのだ。
(私は、口先だけの愛だったのに、実香はあれほど愛されている。なんで、実香だけが愛されるのよ)
怒りで歩みが速くなる。
それにしても浮かんでくるのは、天馬のふがいないまでの姿だ。
今朝のベッドでの態度もそうだが、今もなお佇み続ける姿は、何を思いつめているのか分かったものではない。
(あのままだと、実香に謝りに行くかもしれないわね……)
歩く速度が遅くなり、菜都芽の頭がフル回転を始める。
飲んで酔って、朝目覚めたら菜都芽が横にいた。
天馬としては、何もしていないということを、どこかで確信するだろう。
普通の男なら、何もなかったはずだと確信したら、全てをうやむやにするはずだ。
しかし、相手はどうみても変人の天馬だ。
何をするかは想像の範疇ではない。
(このままじゃ、『目が覚めたら菜都芽さんがいたけど、何もなかったんだ。事実だから謝りにきた』なんて実香に言うかもね)
朝の空気はまだ涼しく、頭の働きを促進するには、ちょうどよい気温のようだ。
菜都芽はそこまで考えると、くるりときびすを返し、駅目指して歩き出した。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り、間もなく重い扉が開く。
出てきたのは、小太りな咲枝だった。
「良く来たわねー。本当、久しぶりじゃない!」
屈託なく笑う咲枝に反して、苦しそうな表情の菜都芽。
「咲枝……。どうしよう、大変なことになっちゃった」
そう言うと、両手で顔を覆った。
ちょうどそのタイミングを見計らったように、オムツマンが電子銃をガガガガガッと菜都芽めがけて打ち鳴らした。
「こら、おばちゃんが困るから、やらないのよ。おばちゃんは、敵じゃないんだからね」
どうも、おばちゃんを連呼されると辛いものがある。
しかし、今はその言葉を取りざたす場面ではないので、ぐっと耐えた。
「とにかくあがって、今ダンナが子供たちを連れて、遊びに行くから。そしたら話を聞くね」
その言葉通り、咲枝の夫は子供たちを連れて玄関から出て行った。
その顔は、大学時代と違い、大変オヤジくさくなっていた。
結婚とは、これほどまでに人を変えるものなのだろうか。
菜都芽は、小さくため息をついた。
「お待たせー。はい、どうぞ」
といって、太り気味の体を落ち着かせた。
部屋の中は、ギャングたちの暴れた後なのか、台風の通過後としか思えない状態だ。
それでも咲枝は気にならないようで、座り込むと冷たい麦茶の入ったコップの水滴を、そばに投げられていたタオルでふき取っている。
(母になると、逞しくなるのねー)
咲枝を観察していると、結構面白い。




