43.心の壁(1)
「彼、どうだった?」
夜遅くに、菜都芽のケイタイが鳴った。
それは、確認するまでもなく実香からだった。
受話ボタンを押すと、開口一番に今日のことを聞かれたのだ。
あの後、歩道橋の上で菜都芽がどれほどの涙を流したことか、実香は知らないのだ。
(人の苦しみなんて、誰にも分かるものじゃないものね。当たり前だよね)
菜都芽はふっと笑うと、苦しさを忘れるように、明るく答えた。
「いいんじゃない。実香のこと、しっかり見てたじゃない」
「それはいつも見てくれてるけど。だからさ~、あれだけ好きだよって気持ちが見えながら、どうしてか先に進まないんだよねー」
(そんなに進みたかったら押し倒せばいいじゃない)
そんな言葉が口から出そうになるが、冗談交じりに言おうにも、今の菜都芽では、喧嘩腰の言葉になりかねない。
「優しいのよ、確かに優しいの。いつでも私の話をちゃんと聞いてくれるし。
お金は無いけど、彼といると楽しいし」
「……」
「最近はね、彼の部屋で過ごすことが多くて。私と一緒にいるときは、小説も書かずにじっと私だけを見ていてくれるのよ」
「……」
「でもさ~。それほどなのに、何で進展がないのか。不思議じゃない」
大学時代の実香ならこんなことは言わなかったと、菜都芽は思っていた。
どうしたらいいかなんて相談は、一度だって受けたことが無いのだ。
受話器を耳に当て、実香の愚痴とも惚気ともつかない話を聞いていると、蘇ってくるのは大学時代の実香と咲枝だった。
三人とも輝いていた。いつでも、新しい恋を探していた。
いつだったか、菜都芽が二人の男性から同時に告白されたことがあった。
別段珍しいことでもなかったのだが、内容的に珍しかったので、話の種に実香と咲枝に相談したのだ。
「一人は、がんがんに迫ってくるんだけど、もう一人は物静かなんだよね~」
「へぇ~。で、どっちが好みなのよ」
咲枝に聞かれ、菜都芽が考える。
「そうねぇ、やっぱり楽しいのは迫ってくるほうだよね。微妙に危険な香りが楽しいよね」
「そりゃそうだよね~。でも、物静かなのも捨てがたいから、悩んでいるんでしょう?」
実香が笑いながら言う。
三人にとって大した問題ではないのだ。
「悩んでるわけでもないけどね」
「だろうね~」
菜都芽がそんなことで悩むわけなど無いと、咲枝も実香も大笑いだ。
「で? どうしたいのよ。二人を闘わせたいの?」
実香が面白がって聞くと、咲枝が『闘わずして勝負はついてるでしょ』という。
「何で?」
「片方は攻めてくるけどお金が無い。片方は静かだけど、お金には不自由してないお坊ちゃま。ということは、両方と上手に付き合えばいいってことじゃない」
「なるほど、それで勝負はついてるわけか。要するに、菜都芽の勝ち」
実香が腕を組んで納得している。




