35.プチ記憶喪失(1)
翌日のバイトは最悪な状態から始まった。
頭痛と吐き気で、胸をかきむしりたくなる。
それでも仕事を休むことはできないという、どこかに潜むプロ意識が実香を『ハンプティ』へと向かわせた。
それにしても、どうしてこんなになるまで飲んでしまったのか、自分でも覚えていないのだ。
天馬から連絡が来たことは覚えているのだが、嬉しくてメールを電話に切り替えたことは分かっている。
しかし、その先の記憶が全くない。
(多分、楽しく話したんだろうけど。記憶がないのが辛いわねぇ。
せっかく、電話で話したと言うのに。しかも、かなり久しぶりだっていうのになぁ)
完全に昨日のことを忘れている実香は、何事もなかったかのように幸せ一杯状態だ。
ただし、幸せと同時に吐き気も襲ってきているので、百パーセントの幸せとは言いがたいのだが。
「今日はまた、やけに顔色が悪いねぇ」
実香を見た店長が、面白そうに言ってきた。が、そんなことに関わっていられるゆとりは今の実香にはないのだ。
「店長、詰まんないでしょう。実香さんに遊んでもらえなくて」
と、連が店長をおちょくりにかかる。
実香が遊ばなくても、連が遊んでくれるので、つまらなくはないようだ。
常連さんたちにも「大丈夫か?」と声を掛けられながら、何とか午前中という時間を通過することができた。
胃薬と動き回ったおかげだろうか、朝の吐き気はどうにか落ち着きだしている。
「さすが実香さんはプロですね」
連が実香の立ち直りを見て褒めてくるが、店長は「プロなら深酒して、翌日の仕事に支障をきたすようなことはしないさ」という。
確かにその通りなので、悔しくても黙っているしかない。
ここで反論したら、負けるのは分かりきっているのだ。
客のいない午後のゆったりとした時間に、連と店長の会話が飛び交う。
実香はナプキンを丹念にたたみながら、天馬のことを考えていた。
(よかったぁ、帰ってきて。やっぱり振られたわけじゃなかったんだよね)
思わず頬が緩む。こぼれる笑みをどうすることもできないのだ。




