26.恋する実香さん(2)
「菜都芽も恋をすればいいのに」
昨日まで同じ仲間だったはずの実香さんだが、恋をゲットした今、上から目線だ。
「恋ねぇ……」
「そうよぉ。恋よぉ。仕事ばかりしてたら、気がついたときには女性としての貴重な時間が過ぎてるかもよ」
「貴重な時間ねぇ……」
どうも、菜都芽の言い方には、なにやら含みがあるようだが、今の実香には何も見えないようだ。
「そそ、恋は人生を明るくするわよ~。久しぶりに、髪の毛トリートメントしちゃったし」
と、肩まで伸びた髪を五本指で梳いて見せた。
「なに? 今までトリートメントしてなかったの?」
「ここまで念入りにやろうって気は起きなかったわね」
何を言っても笑っている実香に、ため息交じりの菜都芽だ。
「ふ~ん。実香をそんなに変えるだけの人って、どんな人なんだろうねぇ。
なんだか、興味が湧くわね」
「不思議な人よ~。あれは、天使よ」
と言うと、大きなぬいぐるみに顔を埋めると嬉しそうだ。
そんな実香を、喜びと哀しみの両者を伴う複雑な表情で見つめる。
「良かったね」
「そうね~」
「幸せそうだね」
「幸せだよ。ていうか、彼を好きだとは思わなかったんだけどね。
彼に会えなかったことで、やっと自分の気持ちが分かったみたい」
「へぇ……」
「学生の頃とは、全く違うんだよね。というより、今までの相手とは全く違うのよ」
「天使だから?」
「そうかもしれない」
「その、天使っていうのが理解できないけど」
「店内に差し込む光の中で、一人静かにパソコンに向かっている彼を見れば分かるよ。あれは、まさしく天使の姿なのよ」
「という、実香のイメージね」
「そうやって、現実を見せないでよ」
「現実を見たときに幻滅しなといいわね」
「菜都芽も恋をしなさい」
今日の実香は勝者の笑みを浮かべている。
それが、菜都芽を傷つけていることに気がついていなかったのは、仕方のないことなのだが。
いつもは、自分が上の立場の菜都芽だけに、フリーターの実香にこうまで言われると、面白くないばかりかヤキモチさえ感じられるのだ。
「恋ね。はいはい、実香も成長できるといいわね」
「成長? そうね、恋を重ねると女は美しく成長するからね~。
でも、さすがに最後の恋にしたいけど」
「最後の恋って、相手は夢を食べて生きるバクみたいな人じゃない。
そんな人と人生を共に生きようって?」
「そんなことまで考えてはいないけど。
でも、彼といると本当に落ち着くのよ」
恋する女に何を言っても無駄だと言うことで、菜都芽は『明日も仕事だから、帰るね』と立ち上がった。
実香は満面の笑みで、ぬいぐるみを抱いたまま玄関まで見送ってくれたのだった。
車に乗り込む。
キーを差込、セルを回す。
菜都芽は深くため息を吐いた。
実香が告白したと聞いて、相手はどんな人なのか興味をいだいた。
浅はかな興味に突き動かされて、仕事がある身でありながら車を飛ばして、惚気を聞きに来たのだ。
自分の愚かさに笑いがこみ上げて来る。
「何をやってるんだろう。私は実香に何を求めてきたんだろう」
そんな呟きが、車内に流れる軽快なリズムと重なる。
菜都芽は再度大きなため息を吐くと、車をスタートさせた。
菜都芽を待つ、明日という仕事へ向かって車が走り出した。
明と暗。
そんな菜都芽の重い心も知らず、実香はベッドの上でケイタイを握り締めていた。
今日という、記念すべき日を握り締めるように。




