表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sorn Restoration  作者: 玖月 泪
4/5

オートウッド討伐戦

 闇の中を落ちていた。


 俺の身体は水中にいるように重く、下へ下へとゆっくりと沈んでいく。ただただ黒い世界が続き、自分と世界との境界線があやふやになる。

 前にもこのようなことはあった。

 十年前あの北の雪原でガレフを殺し、逃げ続けた数年間。幾度となく騎士団とナイグズの追手に命を狙われ、ひたすら逃げ続けた毎日。

 そんな焦心苦慮の中で眠りに就いた時いつもこんな闇の中を落ちていく感覚があった。

 いくら落ちても終わりはなく沈んでいく感覚。


 それでも生き続けた。ただ生きるために生き続けた。ガレフとの約束などとうに忘れていた。

 当てもなくただ王都から逃げる様に東に逃げ続けた。

 そして瀕死のところを東国の王に拾われ、その恩に報いるために仕えた。

 いや違う。何かにすがりたかったのだ。全て忘れてしまいたかったのだ。

 名を変え、過去を捨て、全てをやり直すつもりだった。

 東国の王は詳しい事情は訊かず、俺を一兵士として雇ってくれた。東国においても竜との戦いは続いており、俺もその戦いに参加し続けた。

 戦いの中では全てを忘れることが出来た。そしていつしか闇の中を落ちていく感覚は薄れていった。


 数年後、王都でガレフの娘の一人、エレインが生誕祭で次期王女に即位することを知った。

 ガレフとの約束を思い出し、せめて最後に見届けたいという願いを東国の王は聞き入れてくれ、アルクスへの使節団に同行することを許してくれた。


 そして俺はエレインと出会ってしまった。

 一目でわかった。母エリノアにそっくりだったからだ。

 利発な姫は国を愛し、民を愛し、騎士を愛し、また国も、民も、騎士も彼女を守るだろう。もう大丈夫だろうと思った。

 だが、あの時の黒竜が襲撃し、俺はガレフとの約束の本当の意味を知った。

 今度こそ守りたいと思った。たとえまた闇の中に落ちることになろうとも。たとえこの魂をソーンに食われることになろうとも。


 闇が蠢き、血が生きろと囁く。左胸が燃えるように熱く脈打つ。

 闇の中にわずかに光が見え、スダレは迷うことなくそれに手を伸ばした。



 ハラス山脈各地ではオートウッド旧巣より飛び立った竜達と、第二騎士団及び合流した第九騎士団が交戦を続けていた。

「ライオスの隊はどうなっている」

 第九騎士団の指揮を執り、小竜を既に一匹撃破したレイラが連絡隊員に尋ねる。

「現在も竜と交戦中です。巣の内部を偵察に行った隊も先程の地震で地割れが発生しており、近づけないとのことです」

「エレイン達の様子はわからない、ということか」

 レイラは今すぐにでも自隊を率いて突入したいところだったが、まずは竜の王都侵攻を食い止めなければならない。まさかこれだけの数がまだ旧巣に残っていたとは思っていなかった。あるいはわずか十年でこれだけの数が増えたのか。

 その原因と考えられる最悪の事態を予感したその時、山頂付近で凄まじい爆発音が鳴り響く。

 ハラス山脈で戦う騎士達全てが山頂を見上げる。オートウッド旧巣上空にまるで火山が噴火したかのようにもうもうと煙が昇っていた。そしてその煙の中に巨大な影が浮上する。

「君主竜オートウッド……」

 呆気にとられるレイラだったが、煙の中から覗く黄金色の鱗に覆われた竜首を見て我に返る。

「第六騎士団に通達! 何が何でも王都に行かせる前に引きずり下ろすぞ!」

 レイラは連絡隊員に叫び山脈に向かう。オートウッドは黄金色の蒸気を発しながら巨大な翼を羽ばたかせ、しばらく何かに惹かれるように旧巣の中を仰ぎ見た後、王都のある南へとゆっくりと飛び立ち始めた。

 騎士団各隊が次にやるべきことを理解し動き出したその時、山頂から再び別の竜の咆哮が上がり地震が起こる。

「一体何が……エレイン……」

 レイラはオートウッド旧巣を見上げ、エレインの無事を祈った。



 ナクラは眼下に屹立する呪われし王の姿に歓喜した。右腕に取り憑いた魔剣ソーン。その肩から伸びた巨大な両翼。竜と同じ赤き瞳。まさにナイグズの王が求めし血の器。

 そして同時に怒りと悲しみに打ち震えた。自分とサルハラが為し得なかったその力に。

 だからこそナイグズの王の命に背き、ここで殺すつもりだった。自分と同じ呪われた姫君を。

 それが祖国をこの手で滅ぼし、ナイグズに身を堕とした姫巫女の、人としてわずかに残った感情だった。

 ナクラは魔槍サルハラを両手で頭上に構えると、赤く燃える瞳で見上げるエレインに向かって飛びかかった。


「お姉ちゃん!」

 ヘレネがエレインに手を伸ばし叫ぶ。オートウッドのブレスに吹き飛ばされた拍子に足が折れたのか立ち上がれなかった。体中が火傷でひりひりする。

 姉の背に生える竜の両翼。先程見たスダレのものよりもさらに大きなその翼は、姉がもはや人の域を超えたことを否が応でも認識させた。

「だいじょうぶ。ちゃんと正気だよ」

 エレインはわずかに振り返り、赤い両目でヘレネを見つめ静かに呟く。

 そして魔剣を構えると、飛びかかるナクラに向かい魔剣を振り上げる。

 激しい剣戟の音が響き、その衝撃波が旧巣の瓦礫と充満する黄金色の熱風を吹き飛ばす。

「飛べ!」

 魔槍と魔剣の力比べにわずかに勝ったエレインは、上空に吹き飛んだナクラを追うように地面を蹴って飛び上がる。そしてまるで最初から飛び方を知っていたかのように背中の翼を羽ばたかせ、ナクラに向かって空を駆ける。


 二人の翼を持った魔人が空中で幾度となく竜の呪いをぶつけ合う。

一人は己の家族と国を守るため。一人は己の罪と憎しみを晴らすため。


 エレインは焦っていた。魔剣を呼んだ瞬間、自分の中に潜むソーンの血が一斉に騒ぎ、身体を支配し始めていた。少しでも気を抜けば意識を全て持ってかれてしまいそうな感覚だ。士官学校時代、退屈な授業を受けながら必死に重くなる瞼と格闘していた時のことを思い出す。

 唐突に浮かんだ場違いな例えに心の中で笑いながら、エレインはスダレがこんな力を使って戦っていたことに驚いた。

 見れば目の前で魔槍を突き立てているナイグズの少女は、こちらが押しているというのにどこか嬉しそうにしているように見えた。

「そういうっ……ことか!」

 エレインは魔剣を両手で構え、突きつけられた魔槍を思い切り振り抜くことで跳ね返す。

 ナイグズの本当の狙い。それはソーンの呪いを受けた先王ガレフの血を引く娘にも呪いをかけ、そして魔剣を使わせること。

 もしかしたらこの目の前の少女も似たような境遇なのかもしれない。だがもちろん同情する気はないし大人しく捕まる気もない。

 しかしこの空を飛ぶという感覚が落ち着かない。飛び方は考えるまでもなくわかった――きっとソーンの竜の血の本能だ――が、地に足がつかないと、今一つ振り出す剣に力が入らない。

 エレインは洞窟内の決壊した小川の麓に降り、ナクラを迎え撃つ。襲い来るナクラを再び空中に逃げさせないために次々と剣撃を撃ち込む。

 出来れば長期戦は避けたかった。刻々と魔剣はエレインの血と魂を蝕み、気が遠くなりそうになる。力を散らせば魔剣を解くことは出来るだろうが、それではこの魔槍には勝てない。

 その焦りを看過するかのようにナクラは決定的な攻撃はせず、じわじわとエレインを攻めることで時間を稼ぐ。

「この!」

 エレインの不用意な大振りをナクラは寸でのところで避け、すかさずエレインの首元を掴み押し倒す。

 ナクラはエレインの上に馬乗りになり、片手で首元を抑えたまま魔剣を持つ手首の上に足を乗せ押さえつける。エレインは空いている手で抵抗するがその手は空を切る。

 そしてナクラは魔槍を振り上げる。

「くっ!」

 顔を歪めるエレインを見てナクラはわずかに口元に笑みを浮かべ、真っ直ぐに魔槍をエレインの左胸に突き刺す。胸当ての板金を意にも介さず魔槍は貫いた。

「がはっ」

 砕ける板金と共にエレインの左胸から大量の血が噴き出す。エレインは手を震わせながら必死に魔槍を引き抜こうとするが、その力も徐々に抜け腕はゆっくりと地に落ちる。

「お姉ちゃん!」

 ヘレネの悲痛な絶叫が旧巣内にこだまする。



 エレインは朦朧とする意識の中、身体から猛烈な勢いで自分の血が抜け落ちていくのを感じた。痛みを通り越してただ冷たい。身体中の熱が急速に奪われていく。生きている者がただの物に変わっていく瞬間。これが死ぬということか。

「お姉ちゃん!」

 ヘレネの叫び声が遠くに聞こえる。だがどうにもならない。怒りも悔しさも勇気も決意も根性も全ての根源たる熱が、炎が、血がなくては奮い立たないのだ。

 エレインの脳裏に次々と昔の思い出が現れては消えていく。お父様とお母様と一緒に遠征で出かけた日、ヘレネが生まれて姉になった日、レイラと飴玉の取り合いで大喧嘩した日、お母様が亡くなった日、お父様が北の地に旅立った日、聖剣を引き継ぎヘレネと国を守ると自分に誓った日、十二の騎士団で先輩団員達と訓練で過ごした日々、そして十八の誕生日を迎え最初の生誕祭でスダレと出会った日、そして――


 気がつくと先日夢で見たあの森の中にいた。

 空は巨大な夕日が沈みかかり、森は真っ赤な色に染まっていた。

 先日とは違い身体は今と同じ姿で、戦装束の胸当てに空いた穴から血が流れ続けていた。だが不思議と痛みはなかった。

「これは竜の記憶なの?」

 考えるでもなくこぼれた言葉に答えるように声が聞こえた。

「――呼べ――」

 聞き覚えのある声だった。父のようでもスダレのようでもあったが違う。

 森を進み、石の神殿の中へ誘われるように進んでいく。胸当てからこぼれ落ちる血が点々と神殿の石の廊下を黒く染めていく。

「――まさか、ソーン……?」

 その名を口にした途端、身体中に火が灯ったように熱が行き渡る。

「――呼べ――」

 さらに声は呼びかける。廊下の先に夕日の光が差し込む祭壇が小さく見える。

「ソーン!」

 神殿の中に声が響き渡る。その声に呼応するかのように竜の咆哮が響く。

 身体中が燃えるように熱い。左胸から黒い血がとめどなく流れ始め、夕日に照らされた祭壇から伸びる影と混じり合う。そしてそれは巨大な竜の姿を形成する。

 そうだ、これが探していたものだ。

 迷うことなく竜の――ソーンの元へと踏み出す。

「よせ! エレイン!」

 不意に背後から呼ぶ声が聞こえる。今度ははっきりしている。スダレの声だ。

 けど、もう止められない。これがあるべき姿だと血が、魂が囁く。


 エレインは神殿も、森も吹き飛ばすがごとく、力の限りその名を呼んだ。


「来い! ソーン!」


 ナクラは魔槍をエレインの胸から引き抜き、動かなくなったエレインを馬乗りになったまま見つめる。

 砕けた胸当ての板金の隙間から黒い血が絶え間なく流れ落ち、地面を黒く染めていく。

「そんな……」

 ヘレネは動かなくなったエレインを目の当たりにして声を漏らす。その声を聞いたナクラがゆっくりとヘレネの方を振り向き、立ち上がろうとする。

 だがその足を突然エレインの腕が動き出して掴む。

「!」

 エレインの魔剣を持った腕が押さえこんでいたナクラの足を跳ねのけ、魔剣を振り上げる。

不意を突かれたナクラはその斬撃をまともに受けて上空に吹き飛び、旧巣の天井に激突する。

「はあ! はあ!……」

 エレインは魔剣を地面に突き立てて起き上がる。左胸から流れる血が黒い魔力の稲妻を纏って右腕と両肩を覆う魔剣の血と混じり合う。

「お姉ちゃん……」

 ヘレネはエレインの瞳を見て戦慄する。さらに赤く燃えるその瞳はもはや竜の瞳そのものであった。

 エレインはその燃える瞳を上空へ向け、両翼に魔力を込めて飛び立つ。

 天井に打ちつけられたナクラは全身から血が噴き出るのも厭わずに魔槍を振り上げ、天井を蹴って急降下する。

 二人は空中で交錯し魔剣と魔槍が激突する。拮抗する刃が火花とそれぞれの黒い血を散らせる。だが深手を負ったナクラが痛みでわずかに怯み、その瞬間、エレインは魔剣を振り切る。

 魔槍の先端が砕け、その刃の血を空に撒き散らしながらナクラは地面に叩き落とされる。

 エレインは止めを刺すべく魔剣を両手で持ち、上空から斬りかかる。


だがその剣身は途中で止められる。

 粉塵の中ナクラはヘレネを抱き寄せ、首元に爪を突き立てていた。

「お、お姉ちゃん……」

 息を荒くするナクラはわずかに口元を歪ませながらヘレネを抱き寄せ、じりじりとエレインに近づく。魔剣を両手で振り上げたままの体勢でエレインは硬直する。

 ナクラは片手でヘレネを抱えたまま、魔槍をエレインに突き放つ。砕けた魔槍の先端の刃がエレインの脇腹に突き刺さる。

「ぐっ……」

「お姉ちゃん!」

 エレインは魔剣を力なく落としその場に崩れ落ちる。

 ナクラは魔槍を抜くと、今度はヘレネを地面に叩きつけ魔槍を振り上げる。

「ヘレネ……!」

 エレインは立ち上がることが出来ず手を伸ばして叫ぶ。脇腹から血がこぼれ落ちる。

「いや……」

 ヘレネも足を怪我して立ち上がれず、這う様に後ずさりする。

 ナクラはエレインの方を一瞬振り向き、不気味な笑みを浮かべると、魔槍を振り上げたままヘレネの方へ少しずつ迫る。

「やめ……て」

 エレインの悲痛な声と同時にナクラが魔槍をヘレネに突き下ろす。

 魔槍がヘレネの胸元に迫る瞬間――

 地面の亀裂の隙間から人影が飛び出し、一閃の光が旧巣内を照らす。


 ヘレネとナクラの間に割って入ったスダレは、全身汗だくで息荒く、刀を抜き放った姿勢のままナクラを睨みつける。

 刀で斬り上げられたナクラは、全身から血を流しながら後ろに一歩一歩と下がる。

「スダレ!」

 エレインの驚く声と共にスダレは刀を落とし、ヘレネの上に倒れかかる。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ……ああ、それよりエレインは……」

 ヘレネが抱き上げるとスダレは顔を伏せたまま小さく呟いた。左胸から下は血で真っ赤に染まっていた。

「お姉ちゃんなら――」

 ヘレネはスダレの身体を支えて、エレインの方に顔を向ける。

「まだ!」

 視線を向けられたエレインが脇腹から流れる血の痛みに顔を歪ませて叫ぶ。 

後ろに倒れそうになっていたナクラは踏み止まり、再び魔槍をヘレネの頭上に振り上げる。

「くっ……」

 スダレはヘレネを抱き寄せたまま地面を転がって魔槍を避ける。

 ナクラは地面に突き刺さった魔槍を再度頭上に掲げて、ヘレネの元へゆっくりと近づく。既にその場の全員まともに動くことは出来なかった。

 スダレは手元に刀がないことに気付き舌打ちする。

「ヘレネ! スダレ!」

 エレインも魔剣に手を伸ばそうとするが、身体に力が入らない。

「くそ!」

 スダレはヘレネを庇ってナクラに背を向ける。

 ヘレネはスダレの肩越しに見えるナクラの燃えるような赤い瞳と、振り上げられた魔槍に恐怖する。

「!」

 そして少しでも身体を後ろに下げようと両手を地面に這わせた時、何かが手に当たるのに気付いた。

「これを!」

 ヘレネはそれを拾い上げ、スダレに受け渡す。

 ナクラがヘレネをスダレごと刺し貫くために魔槍を振り下ろす。

「スダレ!」

 エレインの叫びが旧巣内に響く。

 その瞬間、甲高い音と共に青い光の波紋が辺りに広がる。


 スダレは魔槍の一撃を聖剣で受け止め、ゆっくりと立ち上がる。

 魔槍に接した聖剣が青白く光を放ち始める。

 その光を受けて魔槍の刃の先端が砕け散っていく。

「これは!」

「――っ!」

 驚くエレインの声に思わず声を漏らしたナクラは砕けていく魔槍を引く。

 スダレはその隙にすかさず聖剣を振り上げる。剣身からはさらに強い光が放たれる。

「これで……終わりだ!」

 そして動揺するナクラを一刀のもとに斬り伏せる。

 聖剣の青い魔力の粒子とナクラの黒い血飛沫が飛び交う。

 ナクラは斬られたまま立ちすくみ、茫然とした表情でスダレの持つ聖剣を見つめる。

そして一歩一歩と後ずさりながら突然笑い出し、背後の地面の大穴に魔槍と共に身を投げた。


 その人ならぬ笑い声に応えるように魔槍の咆哮が響き、ナクラはオートウッド旧巣の闇の中へ消えていった。



 王都から北へ続く街道沿いの各地では、第六騎士団とオートウッド旧巣から飛び立った小竜との戦闘が続いていた。

 副団長であるウィルヘイムもまた自ら魔導隊を率いて小竜と交戦中であった。

「はあああっ」

 ウィルヘイムの掛け声と共に小竜の頭上の大気が凝固、氷結し、巨大な氷塊が落下する。高熱を持つ竜の鱗によって氷塊はわずかに溶けるが、圧倒的な質量で押し潰す。

 氷塊の下でもがく小竜に対して、銃士隊による竜の骨で作られた矢が一斉に降り注ぎ小竜は絶命する。

「ふう……」

「大丈夫ですか?」

 魔導隊の一人が魔力を使い果たしたウィルヘイムに声をかける。

「大丈夫ですよ。しかし魔導士の増強をもっとしてもらいたいなぁ」

 第六騎士団は王都で唯一の魔導隊中心で構成された騎士団である。

 元々魔法は先天的な才能によるところが大きく、使える者が非常に少ない。ましてや直接的な殺傷魔法を実戦レベルで使える者となるとさらに稀だ。

 アルクスは昔から剣で竜と戦ってきた国ということもあり、こと魔法技術に関しては後進国と言わざるを得なかった。現在は優れた魔法の才能を持つ女性が多い北の魔女の国からの技術提供もあり、少しずつ魔法教育の開拓も始まっているが、今のところは各騎士団にせいぜい拘束魔法である光の槍を放てる程度の魔導士を配備するのが限界であった。

 ウィルヘイムは現在遠征中の第六騎士団、団長の弟子で、共に北の魔女の国から招聘魔導士としてアルクスに来ている。

「今度の件でうちの騎士団へもっと予算回すよう進言してくださいよ」

 槍兵隊の若い隊員がウィルヘイムを冷やかす。

「姫様達も魔法には懐疑的なのがなぁ」

 ウィルヘイムは愚痴をこぼす。

 エレインやヘレネにも当然魔法講義はおこなっているのだが、残念ながら二人に魔法の才は見られなかった。結果魔導隊は騎士団でもいまいち肩身が狭く、またいざとなると酷使される悲しい部隊であった。

 どちらかといえば生活面における魔法の活用、魔力を込めた刀剣や砲弾、防御輪等の魔法具の開発が第六騎士団の主な仕事となってしまっているが、これも非常にコストがかかり、また消耗品であるため、結局予算増、人員増には届かないのが現実であった。

「さあ、無駄口叩いてないで竜の後始末を――」

 ウィルヘイムが工作隊に指示を出そうとした時、突然辺りが暗くなる。見上げるとそこには巨大な竜が飛翔し、太陽の光を遮っていた。

「君主竜オートウッド……」

 オートウッドは地上からの砲撃など見向きもせず、悠々と王都に向かって飛び去っていた。



 王都内に敵襲警報の角笛が鳴り響く。北のハラス山脈より君主竜オートウッド率いる竜の群れが王都に向かっているとの報告が、第二騎士団の連絡隊員から王城に知らされた。

 ジェラルドは早速王都内の各地区の騎士団に防衛の準備をさせ、第一騎士団を率いて一番街広場で迎撃の準備を進める。既に山中で第二、第六、第九騎士団が交戦中で、それで済めば問題はないが、突破されれば市街戦になるのは必至だった。

「第六騎士団連絡隊員から報告です! 十数体の小竜及び君主竜オートウッドが銃士隊の砲撃を抜け王都に接近しているとのことです!」

「おう。銃士隊、砲撃準備! 出来るだけ一番街に引っ張って来い!」

 先日の竜の襲撃で手酷く崩壊した一番街広場の噴水前に立つジェラルドは、連絡隊員からの報告を受けると各隊に指示を飛ばす。

「まさかオートウッドの竜がまだあんなに生きてたとはな」

「旧巣の調査を続けておくべきでしたな」

 ジェラルドのぼやきに傍らの老槍兵隊員が続ける。

「姫さん達の無事は確認できたのか?」

「いえ。まだ第二騎士団が旧巣付近の小竜と交戦中で、近づけないとのことです」

 今度は王都側の状況を知らせるべく情報を纏めている連絡隊員が作業をしながら答える。

「まったく頼むぜブランディ、騎士ってのは守るものがなきゃ戦えないんだ」

 もし姫姉妹に万が一のことがあれば、騎士達の士気をどれほど下げるかわかったものではない。アルクスが三百年以上戦ってきた君主竜オートウッドと正面切って戦おうという時にそれだけは避けたかった。

 空に竜の影が映り、第一騎士団の銃士隊の砲撃が始まる。ジェラルドはさらに声を張り上げて槍兵隊に臨戦準備に入らせ、自身も巨大な槍を担ぎ準備を始めた。



「二人共本当に大丈夫なの?」

 ヘレネが心配そうにエレインとスダレに問いかける。

「ああ……どうやら血はもう止まったようだ。傷もふさがってる」

 スダレは左胸を触りながら答える。魔槍を突き立てられた傷は嘘のように消えていた。

「うん。わたしもまだお腹痛いけど、ふさがってきてるっぽい」

 エレインはヘレネに助けてもらいながら、ヘレネのドレスを破いた布で左胸と腹の傷を縛る。

 三人はオートウッドが潜んでいた大穴付近の河原で怪我の手当てをしていた。ヘレネは足を怪我し、全身に軽い火傷を負った程度で済んだが、二人の傷は致命的なもののはずだった。

「おそらくこれがソーンの再生の力だろう。身体の表面にまだわずかに魔力の痕跡が残っている。それよりもエレイン、魔剣の力は解かなくて大丈夫なのか?」

 スダレはヘレネの折れた足に河川の周りにわずかに生える木々の枝を添えて縛りながらエレインに尋ねる。

 エレインはまだ魔剣の力を解かずにそのままにしていた。背中の両翼が風に煽られてはためく。

「よくわからないけど、急に平気になったというか、楽になったような」

 エレインはナクラと戦っている最中に感じた、魔剣に心も身体も浸食されている感触がなくなっていた。

「でも解いて大丈夫なのかな? 解いた瞬間傷口が開いたりするかもしれないし……」

 エレインは両翼をぱたぱたと動かしてみながら手元の魔剣を見つめる。この奇跡的な回復力が魔剣、ソーンの再生の力によるものなのは間違いなく、スダレはその影響を危惧した。二人共血を流しすぎた。特にエレインは自分の時とは違い両翼が生えている。明らかにより深くソーンと繋がってしまったと見るべきだろう。

「その……私はいいけど、騎士団のみんなが見たらちょっと大変かも」

 ヘレネはエレインの翼を恐る恐る撫でながら言う。エレインはくすぐったそうに身体をよじらせる。

「そうだな。おそらく外では先程飛んでいった竜達との戦闘が始まっているはずだ」

 スダレは刀を拾い、ナクラの血を払って鞘に納めると、出口の大穴を見上げる。

オートウッドが飛び立ってからもうかなり時間が経ってしまっている。早く状況を確認すべく外に出たいところだったが、戦いの中三人はかなり地下の方まで落ちてしまい、傷の手当てもあって、騎士団の救出を待つことにしていた。

「エレイン、これを――」

「うん?」

 スダレは聖剣を差し出す。聖剣からはまだわずかに魔力の青い粒子が瞬いていた。

「あっ、そうだった。ありがと」

 スダレの差し出した聖剣を受け取り、腰から抜いた鞘に納めた時――

「う……」

 突然エレインは聖剣を手元から落とす。そしてその場にうずくまり呻きだす。

「お姉ちゃん?」

「エレイン?」

 ヘレネとスダレが心配して様子を窺うと、エレインは突然魔剣を振り上げ空を切る。剣風が洞窟の壁を切り崩す。

「うう……ああっ!」

「魔剣を解け! エレイン!」

 スダレはヘレネを抱きかかえてエレインから離れる。

「一体……何が……」

 ヘレネがスダレの胸の中から不安そうな表情で尋ねる。

「まさか……くっ……」

 スダレはヘレネを降ろすと自身の左胸を押さえる。血が騒ぐ。

「……ソーンの力が……暴走している」

 予兆はあった。スダレはナクラに倒され崖下に落ちた時、一度意識を失った。だがエレインが魔剣を使ったことでソーンの力が発動し、一命を取り留めた。

 その後崖を何とかよじ登っている最中、再度意識を失いかけた。その時、闇の中エレインがソーンの力に手を伸ばすのが見えた。おそらくそれが引き金だろう。

「……ガレフ」

 スダレはもがき苦しむエレインを見て、十年前の北の地でガレフの身に起こったことを鮮明に思い出す。

 エレインは何かに取り憑かれた様に喚きながら魔剣を振り回す。剣風が次々と旧巣内を破壊する。

「きゃあ!」

 崩れる土砂の中ヘレネが叫ぶ。

 スダレは茫然と立ちつくし魔剣を振り回すエレインを見つめていた。ガレフの時と同じだった。黒竜との戦いで魔剣を使い多くの血を失い、ついにソーンに取り込まれた。そして狂ったガレフをこの手で――

「……殺して……スダレ」

「!」

 エレインが真っ赤に燃える瞳に涙を流しながら声を漏らす。

「ばかな。そんなこと……」

 スダレは絶望した。ガレフと二人の娘を守ると約束したのに、またこの手で殺せというのか。

「お姉ちゃん! やめて!」

 ヘレネが必死に懇願する。だがエレインは左胸を押さえながら魔剣を一心不乱に振り回し続けていた。背中の両翼がより大きく伸び、魔力の波紋が広がる。

「お願い! お姉ちゃんを助けて!」

 ヘレネが泣きながらスダレにすがる。スダレはその目を見てさらに困惑する。

「俺は――」

 スダレはまた十年前のあの時のように逃げ出したくなった。ガレフを殺し、恐怖のあまり何もかも投げ捨てて逃げ続けた数年間。またあの闇の中に沈んでいく感覚が身体にじわじわと蘇ってくる。

 スダレはエレインが落とした聖剣を拾い、強く握り締める。まだ聖剣は青く煌めいている。

そして左胸に手を当てソーンの脈動を感じ、ゆっくりと息を吐く。

「……まだだ。あの時とは違う」

 スダレは独り言のように呟くと、不思議そうに見上げるヘレネにわずかに微笑んだ。

「大丈夫だ。あとは俺が何とかする」

 スダレは魔剣を振り回しもがき苦しむエレインに近づいていき、聖剣をゆっくりと鞘から抜く。聖剣から青白い光が放たれる。

 エレインは近づくスダレに魔剣を振り下ろすが、スダレはそれを聖剣で受け止める。魔剣の黒い稲妻と聖剣の青い魔力の粒子が飛び交う。

 スダレは次々と繰り出される剣撃を聖剣で受け、刃のこぼれた聖剣を何度も鞘に納めて再生させることで凌ぐ。鞘から抜かれる度、青い光が煌めく。

「エレイン、この聖剣が何か知っているか?」

 エレインはもはや意識もなく剣を振るい続けていた。

「アルクスに伝わる王の剣――」

「――剣の神、人の神、竜の神の名の下に、聖剣を求めし汝に勝利と、幸運と、祝福を――」

 スダレの言葉にヘレネがいつもエレインに聖剣を手渡す時の文言を呟く。

「剣の神より賜ったというこの剣でアルクスの王は竜を倒してきた」

 スダレは納刀した聖剣を居合抜きのように抜き放ち、魔剣に撃ち込む。一際大きな青い魔力の波紋が広がる。

「ガレフは死ぬ――いや、俺が殺す時までずっとこの聖剣を持っていた」

 聖剣はガレフの遺体と共にジェラルド達によって発見され、王都に持ち帰られた。

「この剣にはきっと竜の力、呪いを退ける力があったのだと思う」

 スダレはさらに聖剣を魔剣に撃ち込み続ける。わずかにエレインの動きが鈍る。

「そして――お前は一人じゃない」

 ヘレネが祈るように両手を握りしめる。

「だから――」

 エレインが振り下ろした魔剣を今度は聖剣の鞘で受け止める。さらに大きな青い光の波紋が広がり弾ける。

「戻って来い!」

 そしてスダレは聖剣を魔剣の剣身に突き刺す。まるで肉を焦がすかのような焼ける音と竜の咆哮が魔剣から上がる。

「ああっ……あああ!」

 エレインの絶叫とともに魔剣から黒い血が噴き出す。

 スダレは聖剣を引き抜くと、腕を魔剣に空いた穴に突っ込む。凄まじい量の黒い血が溢れ出し、スダレの腕を真っ黒に染める。

「な、何を……」

 あまりに凄惨な光景にヘレネが絶句する。

 スダレは黒い血が腕を這い上るのも気にせず、空いた手でエレインの腰を掴み強く抱き寄せる。

 エレインはスダレの腕の中で激しく暴れるが、スダレは離さない。

 やがてエレインは力なくスダレの胸の中に倒れ、スダレもエレインを抱いたまま膝を折りその場にうずくまる。


 魔剣から流れ続ける黒い血の闇の中に二人は身も心も沈んでいった――



 スダレは気がつくと森の中にいた。

 静かな森で聴き慣れない虫の鳴き声だけが聴こえてくる。日は落ち真っ暗で、空には数えきれないほどの星々と大きな月が瞬いている。やや開けた草原には巨大な竜の骨が散乱し、黒い影を落としている。

 見たことのない場所であったが、スダレはすぐにここがエレインが見たという夢、ソーンの記憶、おそらく竜の聖域であると悟った。

 そして自分が向かうべき場所――探しているものも自ずと理解していた。

 暗闇の中、星の光を頼りに丘の上の神殿を目指す。

スダレはその道中、石の通路や建築物を見回す。おそらく人、もしくはそれに類する知能を持った生命が作ったと思われるそれらは、かつて竜と共に生きた者達が作ったのだろう。自ら手繰り寄せられるソーンの記憶からはそれ以上のことはわかりかねた。

 神殿に入ると完全に闇の中であったが、目が慣れたのか竜の眼力なのか、どこに何があるのかは感覚で把握でき、そのまま闇の中を迷うことなく歩き続けた。

 神殿の中央、そこには階段状の祭壇があった。

 その部屋には天井がなく、月明かりが祭壇を照らしている。祭壇の周りの石畳は草花や蔦で覆われ、中でも青白い奇妙な形の小さな花が、月と星々の光を反射するかのように仄かに輝いていた。

 そしてその祭壇の上にエレインが一人座り、スダレをじっと赤い瞳で見つめていた。

「来たか。我が半身よ」

「お前は……誰だ?」

 スダレは祭壇の上から語りかけるエレインに尋ねる。

 見たことのない様々な色の紋様で覆われた白い装束を纏ってはいるものの、その顔形や声はまぎれもなくエレインのそれであった。しかしスダレは確信が持てなかった。

「ふむ。その質問には答えにくいな。お前達がソーンと呼ぶ竜であると言えるし、この姿のアルクスの末裔の少女とも言える。我が剣に交わりし全ての命あるものが我が名。もちろんそれにはお前も含まれる」

 エレインは楽しそうに微笑みながらスダレの問いに答える。

「――ガレフもか?」

「然り」

 即答するエレインにスダレはやや気圧され、言葉を詰まらせる。

「アルクスの血は我が中でも特に面白い血だ。人間の王というのは実に面白い!」

 エレインは左胸に手を当て、目を瞑って声を上げる。

「ふざけるな! お前の呪いのせいでどれだけの人間が苦しんだと思っている!」

 スダレは思わず激昂する。ガレフの苦しみを、その家族の苦しみを、騎士達の苦しみを思い、祭壇を強く殴りつける。青い花が散り花弁が舞う。

「これは失言だったな。すまない。人間の言葉というものは明確に意思を伝えることが出来る半面、切り捨てるものが多すぎて難しい」

 エレインは祭壇を降りるとスダレの前に立つ。

「それで――お前は何を為すためここに来た?」

 赤い目を輝かせながらじっとスダレを見上げる。その瞳に映るスダレの目もまた赤く輝いていた。

「エレインを返してもらう」

「ほう。だがこの状態を望んだのはこの少女自身の意思だぞ」

 エレインはしゃがみ込むと、足下の青い花を手に取りながら他人事のように呟く。

「しかし、このままだとエレインの心がもたない」

「だろうな。我が心――いや正確にはお前達の言うところの魂を納める器としては、この少女の身体はあまりにもちっぽけだ」

「俺の身体に取り憑け」

「同じことだぞ。お前の身体がいずれ血に飲まれ壊れれば、またこの少女を求め取り憑くことになるだろう」

 スダレの提案にもエレインは興味無さそうに花をいじり続ける。

「構わん。それがガレフとの約束だからな」

「ガレフとの約束? ああ、そんなものもあったな。だがお前は勘違いをしている」

 エレインは立ち上がり、再びスダレの目を見つめる。

「どういう意味だ?」

「お前一人が犠牲になったところで――まて、その腰に着けているのは何だ?」

 エレインはスダレの腰に下げた聖剣に気付き声を荒らげる。スダレは腰のベルトから聖剣を鞘ごと抜き取るとエレインに手渡す。

「これは何という行幸! そうかそうかやはりお前達が持っていたか!」

「何のことだ?」

 突然興奮して聖剣を掲げるエレインをスダレは訝しがる。

「そうだ。これこそ我が魂の在処。これがあればあるいは竜の呪いを解けるやもしれんぞ」

「何だと?」

「確かにソーンは我が魂の一部となった。だが竜の力は強大だ。死してなお血は抗い続けている。その血を祓わねばならん」

「ソーンの血を……だと?」

「そう、我が半身でありソーンの呪いのかかった魔剣。この呪いを解くために真なる彼の地を目指せ!」

 エレインはスダレに聖剣を投げ返すと、辺りを見回して叫ぶ。

「この竜の聖域に来れば、ソーンの呪いから解放されるということか?」

「然り。我がソーンに竜の正しき死を与えよ。それこそがガレフの望む約束であろう」

「……」

「解せぬという顔だな。だがこれも一興、望み通りお前の身体を一時の寄る辺としよう。儚き人の命の火を我が大願成就のため燃やし尽くして見せよ!」

 エレインは両手を広げ大仰に宣言すると、スダレに抱きつき目を瞑る。


 スダレは自身の身体の中に凄まじい勢いで何かが入ってくるのを感じる。頭の中が掻きまわされるような感覚に襲われ、その場に昏倒した。



「――ダレ! スダレ!」

 スダレが目を覚ますと、エレインが必死に呼びかけていた。そのインディゴブルーの瞳をぽろぽろと落ちる涙が輝かせていた。

「……エレイン……か」

 スダレは横たわったままエレインの背後の夜空を見上げる。月と星が瞬き、付近に咲く青白い花と草の香りがわずかに漂ってくる。まだ森の神殿の中にいるようだった。

「スダレ! スダレだよね!」

 エレインはスダレの胸の中に顔を埋めると何度も確認するようにスダレの名を呼ぶ。

「ああ。大丈夫だ。ソーンはどうなった?」

「多分……スダレの中に……」

 エレインはスダレの左胸に手を当て、スダレはその上から自分の手を重ねる。

「そのようだな。これでもうお前にソーンの呪いが発現することもないだろう」

「――うん。でもスダレが……」

「気にするな。これでやっとお前達を守れた」

 不安な顔をするエレインの頭をスダレは優しく撫でる。

「それよりそろそろ帰ろう。ヘレネが心配してるはずだ」

「うん」

 二人は立ち上がり、付近を見回す。

「前に夢で見た時はどうやって帰ったんだ?」

「ええと……虫の音?」

「虫?」

 スダレは身を屈め、石畳の隙間から生える草花にいる虫の鳴き声に耳を傾ける。

「あ、いや、そうじゃなくて――」

「ん?」

 エレインは恥しそうに身体をもじもじさせる。するとそれに呼応するようにお腹の虫が申し訳なさそうに小さな音を奏でる。

「あ……」

「……」

 お腹を押さえて顔を赤くするエレインをスダレは目を丸くして見つめる。

 二人はしばらく無言で見つめあった後、笑い出す。


 直後、神殿の景色が歪み、二人は再び闇の中に身も心も沈んでいった。



 旧巣入口周辺、ライオスは小竜の首元に突き刺さった剣を抜き、小竜が完全に死亡したことを確認する。

「とりあえずこれで旧巣入口周辺の竜は全て討伐が完了しました」

「ああ」

 ライオスは第二騎士団の各隊を巡回している連絡隊員からの報告に応える。

 ライオスの率いる隊だけで既に三匹の小竜を討伐している。小竜はまだ戦闘能力も低くブレスの力も弱い。幸いにもほぼ無傷で討伐することに成功していた。

「後の始末は頼む。私達はこれから旧巣内に突入する」

「了解しました!」

 ライオスは工作隊員に小竜の死体の処理を指示すると、最小限度の自隊を率いて旧巣の中へ入っていく。飛び去ったオートウッドも気になったが、今はエレイン達の無事の確認が最優先だ。


 旧巣内に入ると幾度となく続いた地揺れの影響か、地面のいたるところに底の見えない巨大な亀裂が走っていた。ライオスは付近を警戒しながら洞窟内を流れる小川を渡る。天井も何カ所か崩落しており、日の光が差し込んでいた。

 ライオスは各隊手分けして探すよう手配し、旧巣の中を進む。

 そしておそらくオートウッドが出てきたと思われる大穴の奥のわずかな崖の下、日の光の差し込む小川の周辺に三人はいた。

「遅い!」

 まず開口一番エレインが元気よく叫ぶ。その声を聞いて第二騎士団員が歓声を上げ、続々と集まってくる。

「ヘレネ! 大丈夫ですか?」

 無事なのは当たり前であるかのようにライオスはエレインを無視して、ヘレネの元に駆け降りる。

「むー。はあ……まあいいけど」

 エレインは頬を膨らませて不満げにするが、泣いてライオスを抱きしめるヘレネを見て安堵し、優しく笑う。

「足を怪我している。治療してやってくれ」

 スダレは壁にもたれかかって座っていた。魔剣は近くの地面に突き立てられている。ヘレネによれば二人が目覚めた時には魔剣から流れる黒い血も、エレインの背の翼も砕け散っていたという。

ぼろぼろのスダレとエレインの姿を見て衛生隊員が驚くが、スダレは平気だと手を振った。

「おーほん! 外の状況教えてくれるかしら?」

 いつまでも抱き合うライオスとヘレネを見て、エレインはわざとらしく咳払いをして説明を求めた。



 エレイン達は第二騎士団の一部と共に、山麓のローレスが指揮する拠点へ戻った。ライオスの隊はそのまま旧巣内に残り、逃走したオブロン、ナクラの捜索、そして竜の残党がいないか調査を続けることとなった。

「旧巣近辺での戦闘はほぼ終了。第二、第九騎士団は工作隊を中心に一部監視のために残り、残りは現在こちらに帰還中です。王都に向かった小竜及び君主竜オートウッドに対しては、第六騎士団がウィルヘイムの指揮の下追撃中。準備が出来た第二、第九騎士団も順次援護に向かっています。王都では第一騎士団が一番街で先発する小竜と間もなく防衛戦に入ると思われます」

 拠点周辺での戦闘を終え待機していたレイラが現状を報告する。

 エレインはそれを新しい戦装束に着替えながら聞いていた。先の戦装束はオートウッドのブレスやナクラとの戦いですっかりぼろぼろになっていた。

「オートウッドは倒せるの?」

「城に残っていた記録の限りでは、三百年以上前から十数回襲撃があり、その度追い払うので精一杯だったようです。最後に襲撃してきたのが五十七年前で、先々代の王が聖剣で倒し、旧巣の奥底に封じたとのことです」

 ローレスが連絡隊に王城から持ってこさせた記録を読み上げる。

「あのナイグズの少女の持っていた魔槍、そしてこの魔剣に反応して目覚めたのだろう」

 スダレも血まみれの衣装から騎士団の服に着替え、支給された牛の乾燥肉をくわえながら地面に突き刺した魔剣を指差す。

「この魔剣はこのままで大丈夫なのですか?」

 足の治療を受け、座っているヘレネが恐る恐る尋ねる。エレインが魔剣を使い、そしてソーンに一度は囚われたことは、ライオスや騎士団には話していなかった。

「多分だいじょうぶ……だと思う」

 エレインは魔剣を見た後スダレを見つめて曖昧に答えた。視線に気付いたスダレと目が合うと何故か恥しくなって視線を泳がせた。

「オートウッドの特徴としては、非常に高温の身体を持っていることがあります。その全身を覆う黄金色の鱗に触れただけでも鉄は解けてしまうため、近接戦闘はそのままでは困難です」

 ローレスの読み上げる過去の戦闘報告を聞きながら、エレインは旧巣内でオートウッドが水を蒸発させるほどの高温を持っていたことを思い出す。

「弱点はやっぱり――」

「水です。元々旧巣などと言ってはいますが、ハラス山の水脈にオートウッドを追い詰めて休眠状態に追い込んでいたというのが正しいです。王都への襲撃もその水脈が地震で崩れた時や、水が枯れた時に起こっていたようです」

「つまり王都に向かったオートウッドをもう一度旧巣に誘導し、水脈に落とすということか」

 スダレが作戦の骨子を推察する。

「残念ながらそれはもう無理です。十年前の調査の時点で既に旧巣内の水脈が枯れ始めていたのが判明しています。おそらくそれで休眠状態から起き、魔剣に反応して動き出したのでしょう」

 レイラが絶望的な現実を突きつける。

「じゃあどうするのですか?」

 ヘレネが心配そうに尋ねる。

「倒すしかないわね」

 エレインは迷うことなくきっぱりと答える。



 エレインとレイラ率いる第九騎士団は南東に向かい馬を走らせていた。目的地は王都ではなく、王都より北東にあるシュレーム湖である。

 ハラス山脈を源流とするボロス河はいくつも枝分かれして、その本流はシュレーム湖に流れ着いている。そこで王都が管理する水門によって流れが調整され、王都に生活水として流れ着くようになっている。

 今回の作戦は王都に向かうオートウッドをシュレーム湖に誘導、そこを決戦の地とするというものだ。

 そのためにエレイン達はそこで待ち伏せるべく移動中であった。

「わざわざ水場までそんな簡単に来るのかしら?」

「幸い一番街は湖からの河川上にあります。第一騎士団には少しずつ戦線を川沿いに北東へ移動するよう指示を飛ばします。あとは魔剣次第でしょうか」

「……スダレ」

 魔剣は王都に向かうスダレが持っていった。エレインはスダレが自分と同じようにソーンの呪いに囚われることを危惧したが、その作戦自体を提案したのがスダレだった。スダレはオートウッドが魔剣に取り憑いたソーンに惹かれていたこと、旧巣内でスダレを襲っていたことを説明していた。

 エレインの不安な表情を見て、レイラは黙って先導していた。

「見えてきました。シュレーム湖です」

 森の中の王城から続く街道に出ると、道沿いに石で舗装された川があり、その先に巨大な水路で堰き止められたシュレーム湖が広がっていた。



 スダレとローレス率いる第二騎士団は王都に向けて馬を走らせていた。途中竜との戦闘がおこなわれたと思われる場所は、まだ熱い風が漂う焼け野原と化していた。

 第六騎士団はウィルヘイムを中心に既に王都まで後退し、道中での死傷者は山脈麓の拠点へ搬送をおこなっていた。ヘレネも拠点に残り、旧巣内の調査が終わり次第、ライオスの隊と合流することとなった。

「姫様は魔剣を使ったのか?」

 ローレスはスダレの隣に馬を横付けにして、他の者に聞こえないように尋ねる。

「……」

 スダレは前を見つめながら黙っていた。

「あれだけ血まみれになっていながら無傷。それに背の破れた戦衣装」

 ローレスも十年前先王ガレフが魔剣を使っているところを見ていた。そしてガレフが徐々にソーンに取り憑かれていく様も。

「姫様もやがて――」

「それはない……はずだ。あるとすれば俺だけだ。もし俺が魔剣を使い、暴走したら迷わず殺せ。そして魔剣をエレインから可能な限り遠ざけろ」

 スダレはソーンが言っていたことを思い出す。エレインもソーンの魂と繋がってしまっていることに変わりはなく、もし自分が死ぬようなことになれば、ソーンはまた魔剣を介してエレインに取り憑こうとするのは間違いなかった。

「そうか。……お前に頼みたいことがある」

 ローレスが沈痛な顔でスダレに呟いた。


 スダレ達第二騎士団一行はいよいよ王都も間際のところまで到着し、城門が見えてくる。一番街城門は見る影もなく倒壊していた。上空に漂う熱風と蒸気で大気が歪み、辺りはぼやけて見えた。

「いくぞ!」

「ああ」

 ローレスは止まることなく馬を進め、騎士団に号令を飛ばす。怒号と共に騎士団は一番街へと流れ込んでいった。

 スダレも背の魔剣に手をかけ、ローレスと共に先陣を切った。



 一番街広場では第一、第六騎士団を中心にオートウッドとの戦闘を開始していた。その他の地区でも小竜が襲来し、王都の各地で戦闘が始まっていた。

「二番、十二番、いやもうどこでもいい。増援はまだかよ!」

 ジェラルドが槍兵隊を下がらせながら怒鳴る。既に隣接する第二、第十二騎士団だけでなく、各地区から団長の判断で集まってきており、もはや騎士団全軍の総力戦の様相を呈していた。

 オートウッドは銃士隊の魔法弾によって一番街城門外に落とすことに成功したものの、直後のブレスで城門は崩壊、そのまま巨体を引きずりながら一番街の中を進んでいる。

「こんなのをシュレーム湖まで持ってこいとは無茶言いやがる」

 ジェラルドはつい先ほど第二騎士団の連絡員からの作戦指示を聞いて絶句した。

 オートウッドはその高熱の鱗で触れるもの全てを焼き焦がしながら王城の方向に進む。このまま侵入を許せば王都が壊滅的な被害を受けるのは確実だった。

 各騎士団魔導隊がオートウッドの四方から一斉にその四肢へ向かって光の槍を放つ。

 手足を地面に縫いつけられたオートウッドが長い首を振ってもがく。

 そして銃士隊が一斉に砲撃を開始し、広場中央に陣取るウィルヘイムが後ろに何十人もの魔導士を従えて詠唱を開始する。

 ウィルヘイムが杖を振ると同時に魔導隊も一斉に杖を掲げる。するとオートウッドに触れて溶けたものの水蒸気、焼けたものの煙が一斉に氷の槍に凝固し、オートウッドの頭上から雨のごとく降り注ぐ。

 ほとんどはその鱗に触れた時点で溶けて霧散してしまうが、魔導士達はさらに詠唱を続け、鱗から立ち昇る蒸気を再度凝固させ幾度となくオートウッドに打ちつける。いくつかは鱗の隙間から突き刺さり血が噴き出す。

「すげえな。よし! 銃士隊。徹甲弾ぶっ放せ!」

 ジェラルドの号令と共に、銃士隊が一斉にオートウッドの首元に向けて魔法により強化された徹甲弾の砲撃を開始する。銃弾は次々と着弾し炸裂する。ひしゃげた鱗にさらに銃弾が炸裂しついに貫通する。

「効いてるぞ!」

 騎士団が一斉に歓声を上げる。

 だが直後オートウッドは咆哮し翼を広げ、降り続く氷の雨を打ち払う。詠唱を続けていたウィルヘイム達はその熱風で吹き飛ばされる。

 そしてオートウッドは広場に向けて首を逸らす。付近にさらに重い熱風が充満する。

「くっ!」

 広場の端まで瓦礫と共に吹き飛ばされたウィルヘイムが顔を上げると、今まさにオートウッドがブレスを吐こうとしていた。

「間に合わな――」

 魔法結界を張ろうとするが焦って精神集中出来ない。

 ウィルヘイムは観念して目を瞑る。


 だが、ブレスは放たれず、代わりにオートウッドの悲痛な咆哮が響き渡る。

 ウィルヘイムが目を開けると、オートウッドは首をしならせてもがいていた。銃士隊が鱗を打ち砕いた首元に巨大な黒い剣が突き刺さっていた。

「こっちだ!」

 馬に乗ったまま魔剣を投げ付けたスダレは、城門の方向に馬首を切り返し走り出す。

 魔剣の力はまだ解放していなかった。だが魔剣はまるで吸い込まれるように首元に突き刺さった。

 オートウッドは苦しみながら首を後ろに向け、翼を羽ばたかせる。熱風が吹き荒れ、魔導隊の放った光の槍が引き千切られる。そしてその巨体が浮き始める。

「あいつ、あれで引き付けるつもりかよ! 無茶苦茶だぜ」

 熱風に煽られながらジェラルドは単騎走り始めたスダレを見て呆れる。

「騎士団はあの男を援護しつつ竜をシュレーム湖まで追い立てろ!」

 広場を馬で走りながらローレスが叫ぶ。

 騎士団はスダレと飛び立つオートウッドを追いかけるべく、次々と馬に乗り込む。

 スダレは振り返り、飛翔し凄まじい勢いで追い迫るオートウッドを見上げる。そして左手を後ろ手にかざし叫ぶ。

「力を貸せ! 魔剣!」

 魔剣から黒い雷が迸り、オートウッドの首元に流れ込む。悶えて体勢を崩したオートウッドは高度を下げ、翼で建物を破壊しながら一番街内を流れる川に落下する。

 そして石造りの橋を派手に壊して地を這いながらスダレを追いかける。その身体に触れた川の水が水蒸気となって付近に立ち昇る。

 落下したことでスダレは再び距離を離し、一気に城門から王都を出る。


「思ったより上手くいっているな」

 オートウッドを後から追いかけながら、ローレスは魔剣を使いこなすスダレに驚く。

「魔剣……か」

 馬に乗りこみ追いついたジェラルドが複雑な表情で呟く。

「ウィルヘイムはまだいけるか?」

 ローレスは続々と追い付いてくる騎士団員の中から、第六騎士団の連絡隊員を見つけ尋ねる。

「無事です!」

「よし。これに作戦が書いてある。届けてくれ!」

 ローレスは連絡隊員に作戦書を手渡す。連絡隊員は踵を返し、ウィルヘイムら第六騎士団員の元へ走る。

 オートウッドとの近接戦闘に持ち込むためには、シュレーム湖の水による弱体が必須だ。そのためにも魔導隊の力は是非とも活用したいところだった。


 一番街路を踏み壊しながら進むオートウッドが再び翼を広げて飛び立つ。倒壊した城門を越えたところで待ち伏せしていた第二騎士団銃士隊の砲撃が始まる。有り合わせの通常砲弾ではほとんど効果は期待できないが、追撃を遅らせることは出来る。

 王都を出たスダレは森の中、シュレーム湖に続く川沿いを走り、時々振り向いて魔剣を発動させてはオートウッドの追撃を妨害した。

 このような魔剣の使い方が出来るようになったのは、ソーンとの繋がりがより深くなっているということであったが、それ故にオートウッドがスダレを追いかける理由にもなっていた。魔剣を使い続ければエレインのようにソーンに取り込まれる可能性は高い。だが今はこの力に頼るしかない。

 スダレは迷いを振り切るように長鞭をしならせ、馬脚を速めてシュレーム湖を目指す。



 シュレーム湖南岸では第九騎士団によってオートウッド迎撃の準備が進んでいた。

 王都北の森の中にあるシュレーム湖は非常に広大な湖で、古来より王都の生活を支える水源となっていた。その重要性ゆえ王都内の下水施設同様、王都の都市開発を担当する第四騎士団によって水門が建設され、王都に流れる水量を常に調整していた。


「本当にここで戦う気ですか!」

 水門を管理する塔の一室。この水門の管理を任されている第四騎士団の技師ルッツが悲痛な叫びを上げる。

 まだ若いこの青年は長年この水門の管理を続けていた父の跡を継いでまだ数年である。

「オートウッドと戦うには大量の水が必要です。もうこちらへの誘導が始まっているはずです」

 レイラは部下の団員に机の上に周辺地図が記された羊皮紙を広げさせ、作戦の説明を始める。

「水門が壊されたら王都への水の供給に支障が出ます!」

 だが部屋にいる他の技師達も負けずに次々と作戦の問題を訴えかける。

「……竜を野放しにすればそれどころじゃ済まないんですよ!」

 レイラは頑固な技師達の説得に頭を抱えていた。そこへエレインが梯子を上って部屋に入ってくる。

「どう? 何とかなりそう?」

 レイラはお手上げといった様子で首を傾げる。

「あれ? ヤコブはいないの?」

 エレインは部屋を見回して水門の管理者だったはずのヤコブを探す。

「ひ、姫様?」

 ルッツ達はまさか王女エレインが直接指示を執っているとは知らずに驚く。

「ヤコブの旦那ならもう四年前に引退して、今は息子のこいつがここの管理者ですよ。姫様」

 口髭逞しい壮齢の技師がルッツの肩を叩きながら説明する。

「そうなんだ」

「息子のルッツです! 姫様よろしくお願いいたします!」

 ルッツは畏まって敬礼する。技師や騎士達はそれを見て笑い、レイラは呆れた。

「よろしくルッツ。早速で悪いんだけど水門全部閉めてもらえる?」

「え?」

 ルッツは姫に会えた喜びで崩れた顔をそのまま硬直させる。

「先程説明したようにこの作戦には水が必要不可欠です。オートウッドはその高熱の身体ゆえに近接戦が非常に困難。まずは魔導隊と銃士隊による遠距離攻撃が基本になります」

 レイラはすかさず作戦をもう一度説明する。

「で、魔導隊が魔法を使うのに水がたくさんあった方がやりやすいってわけ」

 そしてエレインが補足する。

 魔法といっても無から有を生み出すわけではなく、原則として変化、変質を本質とする。

 錬金術から発達した魔法は、物質の構成要素を変化させることで様々な現象を発生させる。その変化の過程がエーテルと呼ばれる物質で、全ての物質はエーテルに変換し、それを再構成することで別の物質に変換することが出来るというのが魔法の基本原理だ。

 そしてその物体をエーテルに変換するための力が魔導士の精神力となる。魔法の行使の基本は『信じること』で、術者が魔法に対して信じる力が強ければ強いほど、より強力な魔法が使えると言われている。

 得てして先天的な才能によるものと思われがちな魔法の能力だが、実際は周りの環境から受ける後天的、精神的な影響も大きい。古くより剣の国であったアルクスに魔法が根付かないのもそれが原因と言っても過言ではなかった。

 水はエーテルに比較的近い物質であると考えられており、多くの水があればそれだけ強力な魔法も使えるというわけだ。

「竜を湖へ誘導し、魔導隊、銃士隊の攻撃で湖の中へ叩き落とします」

「そして弱体したところを近接戦闘で一気に倒すってわけ」

 レイラとエレインが机の上の地図を指しながら説明する。技師達は黙ってそれを聞いていた。

「水門は大丈夫なんですか?」

「まあそれなりに攻撃受けるかもしれないけど」

 不安そうな顔をするルッツにエレインは悪びれずに答える。

「そんなあ」

「王都が直接潰されるより全然ましでしょ。それに――」

 言いかけてエレインは突然部屋の窓に駆け寄り顔を出す。

「来るよ!」

 他の騎士や技師達も一斉に窓のところに集まるが、竜の姿は見えない。

 だが、エレインはソーンとスダレの気配が近づいてくるのを確かに感じ取っていた。



 オートウッドは同胞の竜の血の匂いに誘われ、必死に何度も飛翔するが、その度に森の中に既に待機していた第九騎士団の銃士隊の砲撃と、スダレの魔剣の力を受けて、森の中へ墜落していた。その度に森の木々は倒され、触れた鱗の高熱で燃え上がる。

 落下したオートウッドは怒りのあまり付近をブレスで焼き払い、森にさらに火の手が上がる。

 スダレは何度も追いつかれそうになったが、どうにか逃げ延びていた。

 そしてオートウッドを追いかける形でローレス、ジェラルド、ウィルヘイムが率いる騎士団が続く。

 スダレは前方に森の終わりを確認する。湖までもうあとわずかだった。遠くに見え始めた水門の塔の中にエレインがいるのが無意識にわかった。

 振り返ると、かなり後方でオートウッドは森の中に潜んでいた銃士隊から挟撃され、地上に貼り付けにされながら木々を薙ぎ倒していた。

 スダレはそれを確認すると一気に森を抜け、湖畔の外苑を駆ける。あとはオートウッドを湖の直上まで誘導するだけだ。再び振り返り左手をかざす。


「来い! 魔剣!」


 ソーンの咆哮が湖に響く。オートウッドの首元に深々と突き刺さっていた魔剣が黒い稲妻を伴って飛び出し、スダレの左手へ吸い込まれるように飛んでいく。オートウッドは痛みと怒りに震え、ひときわ大きな咆哮を上げ飛翔を始める。羽ばたく翼の起こす熱風が付近の木々を燃やしながら吹き飛ばす。

 スダレは馬上で飛んできた魔剣を掴み取り、力を発動させる。魔剣の眼が開き、そこから黒い血が流れ始める。そしてスダレの左腕を覆い、片翼を形成する。まだ呪いの恐怖はあったがもう迷いはなかった。

 スダレは右手で手綱を掴みながら、赤く煌めく瞳を再び前方に向け走り続けた。



 オートウッドを追撃するローレス達は、隊を湖での作戦に向けて分散させていく。

 決戦の場は湖の西岸である。西岸は比較的水位が低く、水上での近接戦闘も十分可能なためだ。そこまで誘導したオートウッドに対し湖を取り囲む形で配置した第六騎士団を中心とした魔導隊と、各騎士団の銃士隊で包囲射撃、水中に引きずり落とす。そして槍兵隊の近接戦により止めを刺す。

 オートウッドは熱を主力とする君主竜のため、一度水中に落とすことでその能力は大きく弱体される。これは過去より長年続いた騎士団の常套戦術であった。また水辺での戦いは竜のブレスの威力を大きく減じることも出来る。

 既に魔導隊と銃士隊は川沿いの街道を外れ、湖を取り囲むために森の中を分散して走っていた。

「いけるか?」

「やるしかねえな」

 ローレスはジェラルドの顔を見て最後の確認をする。ジェラルドは覚悟を決め、後続の自隊の槍兵隊を見やる。隊員はみな黙って頷く。

 森の中から飛翔を始めるオートウッドを見てローレスは銃士隊の砲撃を一時中断する指示を出す。

 飛び上がったオートウッドはゆっくりと翼を羽ばたかせながら湖の上を横切り、単独で西岸に向かうスダレの元へ進み出す。



「エレイン、いきますよ」

「うん!」

 水門の屋上から飛翔を始めるオートウッドを見ていたレイラは、エレインに最後の確認をおこなう。既に第九騎士団銃士隊の湖の包囲は完了していた。まだ第六騎士団の魔導隊、第一騎士団を中心とした銃士隊の配置は完了していないが、もうオートウッドがスダレに追いつくのは時間の問題だった。

「撃ち方始め!」

 レイラは最寄りの銃士隊へ砲撃開始の号令を送る。水門のある南岸に配置された第九騎士団銃士隊の大砲放火が始まる。そしてそれを合図に、湖を包囲する銃士隊の砲撃も次々と始まる。

「じゃあ先に行ってるね」

「ええ。気をつけて」

 エレインはレイラに告げると、水門の下で待機する第九騎士団槍兵隊と共にスダレの元へ向かうべく屋上から梯子を伝って降り始める。

 だが湖の上空で銃士隊の砲弾を受けているオートウッドがエレイン達の存在を嗅ぎつけ、炎弾を吐き出す。

 竜のブレスは通常発火性の気体を口から噴出し、それに竜の魔力で付近を火の海にする攻撃だが、高高度を飛翔する竜は、その気体を魔力で一定空間内に圧縮して火球として撃ち出すこともある。

「エレイン!」

 レイラが身を伏せながら叫ぶ。

「え? っととと――ちょっと待って!」

 エレインが梯子を降りながら見上げた瞬間、炎弾が水門に直撃して石造りの外壁が粉砕される。ルッツ達水門内の技師達が吹っ飛ぶ。幸い火球の威力は大したことなく、皆無事であったが、エレインは外壁の梯子ごと吹き飛ばされ、湖の中へ真っ逆さまに落ちる。

「大丈夫ですか! エレイン」

 半壊した水門の屋上からレイラや他の騎士団員、技師達が湖の中を見つめる。

「ふう。死ぬかと思った」

 水面に顔を上げたエレインがそれに応える。

 エレインは陸まで泳ぎきると、炎弾を所構わず吐き出し続けるオートウッドを見上げる。そして上空の竜が自分――の中の竜――をはっきり敵として認識していることを確認して頷き、騎士団を率いてスダレのいる西岸に向かって駆けだした。



 湖西岸、木々のない広い砂浜の浅瀬で、馬から降りたスダレは魔剣を左腕に持ったまま、湖上空で銃士隊からの砲撃を受け、火球を辺りに吐き出しているオートウッドを見上げていた。

「落とせそうか?」

 そこへやっと追い付いたジェラルド率いる第一騎士団が到着する。

「どうだろうな。砲撃だけでは傷を与えることも出来まい」

 スダレはわずかに振り返り、馬上のジェラルドに答える。

 ジェラルド達は馬から降りると各々近接戦闘の準備に入る。

「魔剣……ガレフのおっさんの時とは少し違うんだな」

 ジェラルドはスダレの左腕の魔剣とその肩から伸びる片翼を見つめる。若い第一騎士団員達は戦々恐々として遠巻きに見つめていた。

「ああ、おかけで飛んで戦うのは無理だな」

 スダレはわずかに片翼を自力で羽ばたかせてみて笑う。

「大丈夫なのか?」

「まあとりあえずのところはな」

 スダレは自分の中で燻ぶるソーンの血のざわめきを噛み締める。

「ローレス達は?」

「そのまま北に向かってる。まあもう歳だからな。戦闘は無理だ。ウィルは向こうの東の対岸だ」

 ローレスは北側から全体の指揮を執ることになっている。ウィルヘイムら直属の第六騎士団魔導隊は東岸から魔法援護をおこなう。

 銃士隊が運んできた大砲を組み立て、砲撃の準備を進める。

「団長! いけます!」

「よし。ぶっ放してやれ!」

 銃士隊が早速魔法砲弾の射撃の体勢に入る。

 だがそれに気が付いた上空のオートウッドが銃士隊に首を向ける。

「やべえ、気付かれた。散れ!」

 ジェラルドの叫びと同時に炎弾が放たれる。

 騎士団は一斉に退避するが、スダレだけは一歩も動かずに炎弾を見上げる。

「おい、ブランディ!」

 逃げるジェラルドが振り返る。

 スダレは引きつけた炎弾に狙い澄まして魔剣を振り上げ、剣風を巻き起こす。剣風は空中で炎弾とぶつかり空中で派手な爆発が起こり、炎弾は霧散する。

「すげえな」

「だが竜までは届かないな」

 スダレは剣風の飛距離を推し量り、遠距離戦は困難であることを悟る。

 その時、火球の爆発で攻撃の手が止まったオートウッドに対し、東の森の中より凄まじい勢いで巨大な光の矢が放たれ、左翼を貫く。翼に触れる瞬間赤い波紋が広がり、オートウッドの飛翔のための魔力が砕かれる。

「ウィルか!」

 ジェラルド達騎士団は茫然と上空で起こったことを見上げていた。その光の矢は東岸の森の中から、ウィルヘイムら第六騎士団の魔導隊の精鋭が協力して撃ち出した魔法の矢であった。

 オートウッドは片翼の魔力を失い、空中で大きくバランスを崩す。

「よし! 撃ちまくれ!」

 ジェラルドの号令で銃士隊の砲撃が始まる。他の場所の銃士隊の砲撃も一斉に続く。

 魔力の残った片翼に次々と魔法砲弾が着弾し、ついにオートウッドは湖に墜落する。凄まじい音と共に着水し、大きな水飛沫が波となって湖周辺に押し寄せる。

 最も近い西岸には雨のように水飛沫が降り注ぎ、スダレはそれを受けながら湖に落ちたオートウッドを見つめる。

「来るぞ」

 湖の中、四肢のみ水に漬けたまま起き上がったオートウッドが咆哮を上げる。全身の高熱の鱗から蒸発した湖の水が水蒸気を上げる。

 オートウッドはスダレを確認すると、迷わず向かい始める。スダレとジェラルドは目配せすると剣を構え臨戦態勢に入る。

「いくぞ!」

 ジェラルドの怒号と共に第一騎士団の皆が吠え、駆け始める。いよいよ決戦は始まった。



 東岸の森の中、ウィルヘイムと部下の魔導隊は、息を切らせて身体を休めていた。

 王都での戦闘の直後馬を走らせて、再度の大規模攻撃魔法、常人なら精神が擦り切れる激務だ。特にウィルヘイムは乗馬が得意ではないので、散々馬に手綱を引き回されてもう両腕ががくがくであった。

「大丈夫ですか? 副団長殿」

 北で全体を指揮するローレスからの連絡隊員が、草の上に寝転がって息を荒くしているウィルヘイムを心配そうに窺う。

「だ、だいじょうぶですよお……」

「ローレス団長からの指令です。第六騎士団ウィルヘイム隊はこのまま東岸より侵攻、交戦中の第一騎士団を援護せよとのことです!」

 連絡隊員が次の作戦行動を告げる。

「ふう……簡単に言ってくれる。これだから脳味噌筋肉共は嫌なのよ」

 ウィルヘイムは堪らず悪態をつく。先程放った光の矢は竜を拘束する光の槍をより強力にしたもので、竜の飛行魔法を貫く程の威力を出すにはウィルヘイム一人だけでは到底不可能だった。魔導隊の精鋭数人がかりでようやく一発放てるかどうかという高等魔法である。

 水辺ということもありエーテルの確保は十分だったが、その変換、形状の維持、飛行推力の確保、竜の飛行魔法との干渉計算、全てを同時にやることの大変さなど、剣を振り回すだけの連中には理解できないだろう。

「ほら。みんな行くわよ!」

 ウィルヘイムは苦笑いをする隊員達を起き上がらせ、再び戦線へと歩き出した。



 騎士団とオートウッドの戦いが続く。

 一度水中に落ちたことでオートウッドの力は大きく削がれ、十分近接戦闘が可能となっていた。銃士隊は浅瀬の水の上を駆け、オートウッドの四肢へ鱗の隙間を縫うように長い槍や剣を突き立てる。特にスダレの魔剣の力が強力無比で、鱗ごと突き破る程の攻撃を次々と繰り出し、湖を竜の血で染めていった。

「おい、あんま無茶すんなよ」

「問題ない」

 往年の先王ガレフを思わせる戦いぶりにジェラルドは舌を巻く。

 ブレスの体勢に入られるとスダレは魔剣を湖に突き立て、巨大な水の壁を作り出すことで不発、もしくはその威力を大幅に減じることに成功していた。

 合流したウィルヘイム率いる魔導隊も豊富な水を生かし、次々と攻撃魔法を炸裂させる。

 オートウッドは何度も体勢を整えるために飛翔しようと試みるが、湖を取り囲んでいた他の銃士隊や魔導隊も続々と援護に加わりそれを食い止める。


 いよいよ騎士団の勝利の色が濃くなり騎士達の気運も高まる。だが――

「なんか熱くねえか?」

 ジェラルドがオートウッドの右腕に剣を突き刺し、後退しながらスダレの後ろに付く。

「あの竜が近くにいるんだ。当然だろう」

 実際相変わらず高温を発するオートウッドの身体が動く度に熱風が起こり、湖の水は沸き立つ。既に数十分と戦いは続き、戦場の熱気は相当のものだった。

「いや、そうじゃなくて水が――」

 ジェラルドが湖に漬かった足をさする。

「?」

 スダレは足下に目をやる。湖の水はオートウッドの流した血によってすっかりどす黒くなっており、温いどころか熱くなっていた。

「竜の血……」

 スダレは今更ながら辺り一面竜の血の匂いに包まれていることに気が付いた。オートウッドの流した血が湖に流れ、その水が熱で水蒸気となって立ち昇っている。戦場はもはやオートウッドの血の海の中といって過言ではなかった。

「まずい。一旦隊を引かせろ! ジェラルド!」

「なに?」

 ジェラルドがスダレの叫びの意味を理解する間もなく、突然オートウッドが今までにない高い鳴き声で咆哮を上げる。

 直後オートウッドを中心とした付近全ての空間、湖の水に一瞬火花が走り、爆発する。近接戦闘中の槍兵隊員の数人が消し飛び、距離を取っていた魔導隊、銃士隊も熱風に吹き飛ばされる。

「くっ……」

 スダレは水の中膝を折る。魔剣を盾にすることでどうにか自身とジェラルドを守ることは出来たが、力を使い果たし魔剣の目は閉じられ、血の腕も翼も砕け散っていた。

 辺りは水面の上から炎が噴き上がり火の海と化していた。辛うじて生き残った騎士達は目を虚ろに赤くしながら茫然としていた。目に映る炎の赤か、漂う竜の血に当てられて竜眼の症状が出ているのか、スダレが判断に迷うほど壊滅的な状況だった。

「ジェラルド!」

 スダレは後ろで砂浜に打ち上げられているジェラルドに叫ぶ。

「ちぃ……くそったれめ。――って、おいやべえぞ!」

 悪態をつくジェラルドが前方を見上げる。

 オートウッドが首を仰け反らせブレスの体勢に入っていた。魔導隊も銃士隊も止めに入れる状況ではない。

「くそっ……」

 スダレは魔剣に力を込めるが、ソーンは応えない。付近を漂うオートウッドの血の匂いに混じってブレス特有の臭気が漂う。

 オートウッドがブレスを吐こうと大きく口を開けたその時――


「来い! 魔剣!」


 エレインが湖面の上を走りながら右手をかざし叫ぶ。

 スダレの手元の魔剣が飛び出しエレインの右手に納まる。魔剣の眼が開かれ、黒い血がエレインの右腕を覆い、片翼を形成する。そしてエレインは湖面を蹴ってわずかに片翼を羽ばたかせて飛び上がり、オートウッドの顎元を魔剣で斬り上げる。

 ブレスを妨害されオートウッドの口元が爆発する。エレインはその勢いで湖の中へ叩き落とされる。

「エレイン!」

 呆気にとられていたスダレはエレインの元へ駆け寄り抱き上げる。

「いててて……遅れてごめん」

 エレインは屈託のない笑顔でスダレに笑いかける。

「まったく。無茶をする……」

 スダレはあれだけのことがあって迷うことなく魔剣を使ったエレインに驚いた。

「まだ何とか使えた。翼は片っぽだけになったけど」

 エレインは背に生えた片翼を振り返る。

「もういい。魔剣を解け」

 スダレは再びエレインがソーンに囚われることを恐れた。

「まだ終わってないよ!」

「ああ、姫さんの言う通りだぜ」

 三人が振り返るとオートウッドがブレスの不発で傷ついた口元から血を流しながら咆哮する。

 直後オートウッドの頭に横から銃砲が命中する。

 スダレが振り向くと、レイラが指揮する第九騎士団銃士隊が一斉に射撃を開始していた。

「負傷者を退避させて!」

 エレインが叫ぶと今度はレイラの後ろに立っていたローレスが黙って頷き、残った団員に指示を飛ばす。

 銃士隊が射撃を続けている間にその場にいる槍兵隊員の撤退が進む。スダレもジェラルドを担いで下がる。

「どうするつもりだ?」

 スダレはエレインの魔剣の開放によってわずかに力を取り戻していたが、まだ傷は癒え切ってはいなかった。

「あのオートウッドの血の空間の中じゃ、みんなまともに戦えない」

 エレインは救護された槍兵隊の様子を見て言う。みな竜の血に当てられ酩酊していた。

「既に水門のルッツ達に水を引かせるよう指示しています。間もなく晴れるはずです」

 レイラが第九騎士団銃士隊に砲撃号令を飛ばしながら叫ぶ。エレインはそれを聞いて頷く。

「でも、多分わたしたちならあの中でも戦える」

 エレインはスダレの目を見て言う。

「同じ竜だからか」

「うん。だからわたしたちで先行して隊を立て直す時間を稼ぐ」

 エレインは魔剣を振り上げてオートウッドを指し示す。スダレも腰の刀に手をかけ頷く。

「ウィル! まだ動ける?」

 エレインは先程の爆発で吹き飛ばされ、衛生隊に治療を受けているウィルヘイムに声をかける。

 ウィルヘイムはびくっと身体を震わせると、やれやれといった表情でエレインに答える。

「はあ……無理って言ってもやらせるんでしょ?」

「もちろん!」

 エレインの即答にウィルヘイムは肩をがっくりと落とし、周りの魔導隊員達が笑う。

「いけるか? ジェラルド?」

 スダレは手当てを受けて座っているジェラルドに尋ねる。

「ああ。お前達のあとから生き残った連中で突っ込むさ」

「ローレス……いいよね?」

 エレインはずっと黙って作戦を聞いていたローレスに最後の確認を取る。ローレスはエレインの背に生えた翼を見てわずかに眉をしかめた後、深い溜息をつく。

「血は争えませんな。必ず生きて勝利してください」

「うん!」

 エレインは笑顔で応えると魔剣を担いで走り出す。

 オートウッドを足止めしている銃士隊、魔導隊は既に限界であった。

「さあみんな! 決着をつけるわよ!」

 エレインの叫びに場にいる全員の喚声が続く。



 エレインとスダレは燃え続ける湖の中へ歩き出す。

 湖はオートウッドの血で赤く染まり、オートウッドの熱で沸き立つ赤い水蒸気が、竜の血の空間を生み出していた。オートウッドの弱点を突いたはずが、逆に利用されてしまったことになる。

 ルッツ達が水門を動かしたことで水位は大分下がっており、先程よりは血の空間は薄まっていたものの、それは今度はオートウッド本来の熱の力を復活させることになる。それまでのわずかな時間に決着をつけるしかない。

「大丈夫か?」

 スダレは結局またエレインに魔剣を使わせてしまったことを後悔していた。ソーンの本体とも言うべき大部分は自ら引き受けたため、エレインが再びソーンに囚われることはもうないと本能的には理解していたが、やはり不安であった。

「魔剣のこと? それはスダレが一番よくわかってるでしょ」

「それはそうだが――」

「それにスダレ、わたしを助ける時言ったよね。お前は一人じゃないって。ちゃんと聞こえてたよ」

 エレインは腰の聖剣を撫でながらわずかに声を落として言う。

「お母様が言ってた。お父様はいつも一人で全部背負い込んでるって。多分ソーンについてもそうだったんだと思う」

「……ああ」

「でもわたしたちは二人でソーンの呪いを受けた。だからきっとどうにか出来ると思う。もし今度スダレがソーンに囚われるようなことになれば、わたしが必ず助ける」

「ああ」

「まあ、とにかく! 今はあいつを倒さなきゃね!」

 エレインは恥しさを紛らわせるように魔剣を振り上げる。スダレはそれを見て微笑み、気を引き締め直す。

「よし。魔剣の力はなるべく無駄遣いするな」

「うん。一撃で頭を貫く!」

 竜の驚異的な生命力を相手に長期戦はあり得ない。騎士団の疲弊は激しく、銃士隊の弾薬も魔導隊の魔力も残り少ない。

「撃てぇ!」

 レイラの号令で銃士隊の最後の一斉射撃が始まる。銃士隊と魔導隊がオートウッドの両脇から挟撃し、エレインとスダレが正面から特攻をかける。

「いくよ!」

 エレインは片翼を羽ばたかせ、湖の上を跳ねまわるようにオートウッドに接近する。それに続いてスダレも腰の刀に手をかけて走り追いかける。

「放てー!」

 ウィルヘイムが魔導隊に号令する。次々と光の槍がオートウッドの上空に浮かび降り注ぐ。そしてウィルヘイム自身も長い詠唱を開始し、杖を振り下ろす。

 オートウッドの周辺から立ち昇る水を変質させた巨大な赤い氷塊が、オートウッドの頭上に落下し砕け散る。オートウッドは体勢を崩し首がわずかに下がる。

「いけ! エレイン!」

 スダレの叫びと同時にエレインはオートウッドの頭に向かって飛び、魔剣を振り下ろす。

 魔剣はオートウッドの上顎を抉り黒い血が噴き出す。エレインは魔剣を突き刺したまま首を振り回すオートウッドの頭に取り付き、左手で腰の聖剣を逆手に抜いて、オートウッドの脳天に突き刺す。

 痛みに悶えるオートウッドは取り付いたエレインを叩き落とすために前脚の爪で薙ぎ払おうとする。

 スダレはすかさず人外の力を足に込め、驚異的な高さに飛び上がり刀を抜き放つ。

 振り切った刀が真っ二つに折れる甲高い音と共にオートウッドの右前脚が綺麗な断面をつくり、ずるりと滑って湖面に激突する。

 体勢を崩したオートウッドは絶叫を上げながら身体を湖の中へ沈める。その勢いでエレインは魔剣と聖剣を引き抜き飛び退く。

「よし! 続け!」

 そしてジェラルド率いる槍兵隊が一斉にオートウッドを取り囲み攻撃を開始する。

 次々と槍兵隊の剣や槍が鱗の隙間に突き刺さる。オートウッドは全身を震わせ、裂けた頭を低くしならせながら咆哮する。

「止めを刺す。聖剣を」

「うん!」

 スダレは折れた刀を投げ捨てると、エレインから聖剣とその鞘を受け取る。そして聖剣についた血を払い納刀し、再び抜き放つ。青く煌めく光を伴い聖剣が再生する。

 二人は騎士団の総攻撃を受け続け、弱弱しく首を地面に垂らすオートウッドの頭に近づく。

 既に頭は魔剣で半分以上切断されており、その目も力なく湖面を見つめていた。

 スダレが再度頭に聖剣を突き刺そうと振り上げた瞬間、オートウッドは突如目を見開き、頭が裂けて血が噴き出すのも構わず口を開ける。

「いけない!」

 エレインは咄嗟にスダレの前に飛び出し魔剣を盾にする。オートウッドは最後の力を振り絞りブレスを吐き出す。凄まじい炎が二人を包み込む。

「エレイン!」

 スダレは魔剣をかざしてブレスを辛うじて耐えるエレインに呼びかける。

 オートウッドは残った全ての魔力と共にブレスを吐き出し続け、エレインはそれに耐え続ける。防御腕輪の結界が一瞬にして全て粉々に砕け、徐々に魔剣の生み出す防御結界も崩れていく。エレインの右腕を覆う黒い血と翼が砕け始める。

「くそ! 首を潰せ!」

 ブレスの勢いで吹き飛んだ騎士団員にジェラルドが指示を飛ばす。

騎士団は一斉にオートウッドの首筋に剣や槍を刺し込むが、オートウッドは全くブレスの勢いを止めない。

「ちょっと……まずい……かも」

 エレインは右手を突きだし、力を込めるが、魔剣の力は徐々に弱くなっていく。

「まだだ! 諦めるな!」

 スダレはエレインの身体を後ろから抱くように支え、左手を魔剣に添える。

「スダレ?」


「来い! 魔剣!」


 魔剣の瞳から血が流れ出しスダレの左腕を覆い、そしてスダレの背にも片翼が形成される。

「いけるな?」

「うん!」

 スダレの問いにエレインは笑顔で答える。

 二人が力を込めると魔剣の黒い魔力が青白く輝きだし、二人の翼も大きく広がり光り輝く。


魔剣から溢れる光がブレスを押し返し始め、そしてついに全てを光で包みこんだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ