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Sorn Restoration  作者: 玖月 泪
3/5

魔剣覚醒

「お嬢様! 起きてください!」

 レイラは侍女ヤナの叫び声で目を覚ます。

 深夜の九番街、先日の竜の襲撃で大破した広場から少し離れた通りにある古い木造住居、そこがレイラの住む家であった。

 王都の騎士といってもその大多数は一般市民と同じく市中に居を構えていて、王都の郊外に巨大な館を持つような貴族階級の騎士は極僅かであった。

 レイラもその極僅かの一人で、代々王家の守護騎士である伝統ある家系なのだが、堅苦しい貴族の生活に堪えられず屋敷を飛び出し、こうして付いて来た侍女のヤナと共に二人で生活している。

 姫姉妹や騎士達の前では毅然として振舞っているが、実は生活能力にいささか欠けるレイラにとってヤナは必要不可欠なパートナーであった。

「……ヤナ、今夜は見回りの日じゃないぞ……」

 下着姿のレイラは寝ぼけ眼で安い木造ベッドの上で寝返りをうち、既にいつものエプロンドレスに着替え、艶のあるすみれ色の髪を三つ編みに結んでいるヤナの蒼い瞳を見上げる。

「姫様達が大変なんです!」


 レイラはヤナに手伝ってもらい騎士団服に着替えながら、ヤナが王城の連絡隊員から受け取った情報を聞く。

「つまりエレインはまだ捕まったかどうかわからないと?」

「はい。おそらく地下の下水道から逃げたのではないかということです」

 ヤナは慣れた手つきでてきぱきとレイラに鎧を着せていく。

「下水道か……」

 レイラは子供の頃何度か探検と称してエレイン、ヘレネの三人で下水道に潜り込んだことを思い出した。散々迷って日が暮れ、騎士団総出の探索になり大目玉をくらったこともあった。しかしいつも最後には先王は笑って許してくれていた。

「お嬢様?」

 ヤナは鎧を着せ終わると、わずかに笑みを浮かべるレイラを怪訝な表情で見つめる。

「私は九番街から十二番街に向かい、地下に繋がる入口を順に見ていく。もし他の騎士団員が来たらそう伝えてくれ」

「わかりました。ヘレネ様も大丈夫でしょうか……」

「そっちはライオスとジェラルドに任せよう」

 レイラは小型の槍を取り、まだ小雨の降る中家を出る。

「気をつけて!」

「ああ。朝食の準備頼んだぞ」

「はいっ!」

 ヤナはレイラを見送ると部屋に戻り、きっとつまみ食いに来るエレインの分も含めて多めの朝食の準備を始めた。



 エレインとスダレは下水道を走っていた。

 この下水道は王都全体の地下に張り巡らされており、生活排水や工業排水を下水処理場に運んでいる。下水処理場は都市開発を担当する第四騎士団が管轄しており、汚水、汚泥は何段階もの物理的、魔法的な処理を経て、王都周辺のいくつもの河川へ放流されている。

「道はわかるのか?」

 スダレはエレインの後を追いながら尋ねた。左腕の魔剣は地下に穴を開けた後力を使い果たしたのか手元から離れ、今は右手で担いでいた。左腕を覆っていた血と肩の翼も砕け散り、再び魔剣の眼は閉じられていた。

「たぶん。迷路みたいになってるから撒けると思うよ」

 スダレは走りながら何度も後ろを確認していたが、誰も追ってくる気配はなかった。

「騎士団に捕まったか、あるいは諦めたか」

「先回りされてなければいいんだけどね」

 エレインは首元を押さえながら笑う。

「傷は大丈夫か?」

「ちょっと痛むけどだいじょうぶ。スダレの方こそだいじょうぶなの?」

 エレインの衰弱していた身体は、スダレの魔剣の解放によって活性化していたが、今魔剣の力が収まったことで、またわずかに身体に疲労を感じ始めていた。

「わからん。が、今すぐどうにかなることもなかろう」

 本当のところは身体の中に何か異物が残っているかのような、気味の悪い感覚があったが、スダレは黙っていた。

「そろそろ話してもらおうかしら。知ってること全部ね」

「……わかった。だがその前に」

「うん……さっさとここから抜け出しましょ」

 二人は下水道のあまりの臭いのきつさに既におかしくなりそうだった。



 王都の北北西に位置する十一番街、王都を出て北に伸びる街道へ最も近いこともあり、旅人向けの宿が非常に多い街であった。また歓楽街でもあり、深夜でも街の明かりが絶えることのない王都の観光名所の一つでもある。生誕祭の期間は輪をかけて盛況で、それゆえに犯罪も多く、常に治安の問題が騎士団の悩みの種となっている。

 そんな十一番街も先日の竜の襲撃もあって閑散としていた。大多数の旅人、観光客は逃げ出し、歓楽街の店も多くは自粛して営業を停止していた。

 下水道を抜けた二人は十一番街の外れの区画より地上に上がり、スダレの判断で朝まで身を隠すことにした。ナイグズの追手がまだいる可能性もあり、またスダレにはエレインに話しておくことがあったためだ。

 まだ雨の降り続く中、歓楽街の手近の宿に入った二人であったが――


「あらあら! エレインちゃんお久しぶり!」

 宿の女店主のモルガンはエレインの顔を見るなり叫ぶ。

 わずかに白髪の混じる長いウェーブのかかったブロンドに淡いグリーンの瞳、小太りながらも胸元の大きく開いた紺のドレスを着た女店主は二人を歓迎する。

「ええと……お久しぶり? です」

 エレインは正直覚えていないので生返事をする。そもそも十一番街の歓楽街などほとんど来たことがない――というより行くなとローレス達に止められていた――ので記憶になかった。

「まあ覚えてなくもしょうがないわよね。まだ小さかったし」

 モルガンは愛嬌のある笑顔でエレインの姿を見つめる。エレインはさすがに全身血まみれのネグリジェ姿でうろつくのは気が引けたので、道中で拾った布をローブのように纏っていた。

「朝まで一部屋借りたいのだが」

 スダレも布切れで覆った巨大な魔剣を置きながらモルガンに尋ねる。

「あら、なかなかいい男じゃない。王様になって早速男を連れ込むなんて、さすがね」

「はあ? ――って、そんなんじゃないわよ!」

 エレインは顔を真っ赤にして否定し、スダレはやれやれといった顔で溜息をついた。

「大丈夫。ここはよく騎士団の皆様もご利用になる由緒ある宿ですから。あなたのお父様、お母様も一緒に――」

「とりあえず部屋まで案内して」

 エレインは知らなくていいことを知ってしまい軽く落ち込む。

 二人が二階の部屋に案内しようとするモルガンの後に続くと、突然彼女は立ち止まる。

「ちょっとあなた達臭くない?」

「え?」

「かもな」

 すっかり鼻が麻痺してしまっていた二人は気付かなかったが、下水道の臭いがすっかり身体に付いてしまっていた。

「それに酷い格好! ほらまずお風呂入ってきなさい!」

「え? ちょ、ちょっと!」

「お、おい」

 モルガンは有無を言わせず二人を脱がせにかかり、浴室に押し込む。


 歓楽街の宿の薄暗い石の浴室、エレインとスダレは裸でいた。お互い気まずく背を向け黙々と身体を洗っていた。

「こっちみないでよ!」

「……ああ」

 エレインは水桶の水を少しずつ使いながら手足を丁寧に洗う。騎士団員が来るということはそれなりに高級な宿なのだろう。石造りの浴室もよく手入れが行き届いている。さすがに城のものとは比べるべくもないが。

「背中の傷――」

 エレインはわずかに振り返りスダレの背中を見つめる。ナイグズに短刀で斬られた傷の手当てが必要なはずだ。

 だが背中にはわずかに黒い跡が残っているだけで、ほとんど傷はふさがっていた。むしろそれよりもスダレの全身にある古傷に驚いた。一体どれだけの修羅場をくぐり抜けてきたのだろうか。

「どうやらもう治っているようだ。それよりお前は大丈夫か? 手を見せてみろ」

「え?」

 スダレは背中を向けたまま手を振り近づくよう促す。エレインは胸元を押さえておずおずと近づく。

「ふさがってるな。これも竜の血のせいなのか」

 スダレは振り返らず肩に乗せられたエレインの右手の平を見る。ナクラの爪に刺し貫かれた傷はもうふさがっており、小さな瘡蓋が既に剥げかかっていた。

「わたしの身体……どうなっちゃったの?」

 エレインは手の平の傷跡を見つめ、わずかに震えた声を漏らす。

「ソーンの能力は再生の力だったという。その影響が出ていると見るべきか」

 スダレ自身もこの不気味な身体の変調に平静ではいられなかったが、エレインの力のない声を聞いてなるべくそれを出さないようにした。

「さっきも言ったが、すぐにどうにかなるわけじゃないから気にするな。ガレフだってすぐにおかしくなったわけじゃない」

「……うん」

 エレインはその場にうずくまりスダレの両肩に手を乗せ、背に額を当てて頷く。

「こうしてると何故か落ち着く」

「……ソーンの血を介して俺達は繋がれたということだろう、魔剣の気配も感じただろう?」

 スダレはエレインが肩に乗せた手の上に自分の手を重ねて淡々と告げる。

「……うん」

 そしてわずかに振り返るとエレインの頭を優しく撫でた。

 エレインはそれを目を瞑って黙って受け入れた。


 二人は浴室から出ると、モルガンの用意した――あまり趣味のいいとは言えない――服に着替えた。そして二階の部屋でようやく一息ついて軽く食事を取っていた。

「落ち着いたか?」

「うん」

 派手な紫色のワンピースを着せられたエレインは、粗末なベッドの上に寝転がり、パンを口に頬張りながら天井を見つめていた。木造の天井に吊り下げられたランプの火が揺れている。

 モルガンの夫の古着のシャツとズボンを着せられたスダレは、窓際で魔剣を覆う布を恐る恐る剥ぎ取る。魔剣の眼は閉じられたままだった。

「竜眼については知っているか?」

「竜の血を大量に浴びると体調不良を起こして、竜の目のように目が赤くなるんだよね」

 エレインも今までその症状にかかった騎士を何人も見てきているが、みな数日で自然に治る程度だった。

「君主竜のような強力な竜の血や肉にはその竜の魂が宿ると言われている。その血を浴びたり肉を喰らうとその魂が取り憑き、取り憑いた人間が死ぬまでその魂を喰らい尽くす」

「でもそんなの迷信じゃ――」

「お前の父ガレフがそうだった」

 エレインも当然知っていた。十年前王都を襲撃した君主竜ソーンを討伐した父が竜の呪いを受けたことを。

「スダレ、あなたは先日お父様の友人と言ったけど、一体何者なの?」

 エレインの問いにスダレはしばらく考えた後ゆっくりと答えた。

「……俺は十年前まで、ここ王都アルクスの騎士の一人だった」



 王城内は騒然としていた。一夜にしてナイグズの襲撃により多くの騎士が殺され、王女ヘレネがさらわれた。ジェラルドとライオスはその後始末に追われていた。城内の死傷者の搬送を各隊に指示しながら、ヘレネを連れ去ったナイグズの少女、所在の掴めない王女エレイン、牢に繋がれていたはずの剣士スダレ、そして魔剣の捜索隊を編成する。

「くそ!」

 王城の玄関、各騎士団の連絡隊が雨の中城を出て行くのを見送り、ライオスは城門を殴る。

「落ち着け。少なくとも殺さずにさらったってことは今すぐ命の心配はないってことだ」

 すっかり雨に濡れて額に貼り着いた髪を手でかき上げながらジェラルドがたしなめる。

「奴らがさらった人間をどうしているのかくらい知っているだろ!」

「ああ。何人もひでえ姿にされてるのを見た。そうやって兵士を増やしてくのがあいつらの戦争の仕方だ。だが今俺達が吠えたってどうにもならねえだろ」

 ジェラルドはライオスの襟元を掴んで突き放し、城門を出る。

「俺も一番街から北を捜索する。野郎共いくぞ!」

 既に門外に待機していた第一騎士団員に叫ぶと、ジェラルドは出発した。

 ライオスは第一騎士団を見送りながら唇を噛み締める。

「団長……」

「わかってる。私達もいくぞ!」

 声をかける部下にみっともない姿を見せるわけにもいかず、若き騎士団長は気を取り直して奮い立つ。それをわずかに振り返り確認したジェラルドは部下の背を叩き出立する。

「――お前が姫さんと一緒にいることを祈るぜ」

 ジェラルドは十年ぶりに再会した友人の顔を思い出し、城を出ていった。



 十一番街の歓楽街の宿の二階一室、既に夜は明け始め、昨日一日続いた雨は止み、霧がかかった街の上を鳥が日の出とともにさえずり始めていた。

「当時、王城守護騎士団の一員だった俺は、先王ガレフの守護騎士として共に戦った」

 スダレは窓の外を見ながらエレインに語り始めた。

「ソーンが来た時も?」

 エレインはベッドの上で起き上がり尋ねる。

「ああ。ソーンはガレフの手によって倒された。だがその血を多く浴びたためソーンに取り憑かれた。その後は知っているな?」

「うん……」

 当時幼いエレインにとっても、父がソーンの呪いを受けてからおかしくなったことには気付いていた。いつも何かに怯えるような目をして、自分やヘレネを遠ざけようとしていた。母エリノアも心労で病に伏し亡くなり、後を追うかのように先代の教皇も――

「先代の教皇についてはどこまで知っている?」

「お母様と同じように病で亡くなった……と国民には発表された」

「そう。ガレフが殺した。この魔剣でな」

 スダレは竜の眼の閉じられた黒い巨剣を見つめて小さく呟く。

「ガレフと教皇の間で実際に何があったのかは今となっては誰もわからない。だがこの魔剣、ソーンの狂気にかられたのは間違いない」

「魔剣とは一体何なの?」

 エレインはベッドから降りると魔剣に近づいて座り、指で恐る恐る魔剣をつつく。

「ソーンの依り代、ガレフがソーンに止めを刺した剣にもソーンの魂が取り憑いたのだろう。初めはよかった。俺が見せたように魔剣の力は強大で、竜やナイグズとの多くの戦いを勝利に導いた。だが力を使うたびにガレフの心はおかしくなっていった」

「そういえばあのナイグズの子の槍」

 エレインは昨晩襲ってきたナイグズの少女の魔槍を思い出した。あれも間違いなく竜の呪いを受けた武器だろう。

「……サルハラと言っていたな」

「どこかで聞いたことあるような」

 エレインは士官学校時代に、歴史の授業で聞いたような微かな記憶をたどる。

「百年以上前、ナイグズの国より南にあった砂漠の小国カルサスで、守護竜として祭られていた君主竜の名が確かサルハラだったはずだ」

「それじゃああの槍は」

「わからん。が、カルサスはナイグズに滅ぼされたと聞いている。もしかしたらそれにあの少女と槍が関わっているのかもしれない」

「まさか……この国でも同じことを……」

 いくら魔剣の力が強大とはいえ個人の力で国をどうにかできるわけがない。だが十年前ソーンが襲撃してきたことも裏でナイグズが手を引いており、先王が呪いを受け国が混乱に陥ることを狙っていた可能性は否定出来ない。

「……教皇が亡くなってほどなく、ガレフの北の地への遠征が決まった。表向きは北の地の竜の巣の視察。だが実際は教会派が強行した死出の旅だった」

「そんな……」

 エレインは教皇を失い騎士団の教会派と王族派の対立が激化していたこと、この遠征が王を遠ざけるためのものであったことは薄々気付いてはいたが、そこまで直接的なものとは思っていなかった。いや思いたくなかった。

「その遠征に俺やジェラルドも同行した。だが全く希望がなかったわけじゃない」

「どういうこと?」

「北の地の極北にあると言われている竜の巣は、竜の聖域と呼ばれ、そこに行けば竜の呪いは解けるという言い伝えだ。聞いたことないか?」

 竜の聖域の伝説についてはエレインも知っていたが、本当にそんなものがあるとは思っていなかった。

「そんなのおとぎ話じゃない」

「ああ。だが俺達はそれにすがってでも行くしかなかった。道中、教会派の奇襲だけでなくナイグズにも襲われ、俺達は疲弊していった。そして竜の聖域へ通じる山脈であの黒竜に襲われた」

 スダレは魔剣を見つめ眉をしかめる。

「あの黒いとげとげの君主竜?」

「そうだ。残り少なくなっていた俺達騎士団は散り散りになり、俺とガレフで何とか倒すことは出来た。だが止めを刺した魔剣と共に黒竜は崖の下に消え、ガレフはついに正気を失った。そして――」

「お前が殺した」

 部屋に突然入ってきたローレスが言い渡す。

「え? ローレス? あっ」

 エレインはローレスとその後ろにいるレイラと騎士団員達に驚く。モルガンが隅ですまなさそうに合掌している。

「エレイン……こんなところで何してるんです」

 レイラは呆れたように溜息をつく。

「えと、いやその話を聞いてただけで、別に、その変なことは――」

 エレインはその趣味の悪いワンピース姿を見られ動揺する。

「元王城守護騎士団ブランディ、貴様を先王殺害の嫌疑で逮捕する」

 ローレスは構わず続ける。数人の騎士団員がスダレを取り囲む。

「スダレ? どういうこと? というかブランディ?」

「……」

 混乱するエレインをスダレは黙って見つめる。

「連れていけ」

 騎士団員が両脇からスダレを立たせ連行していく。他の団員が魔剣の回収作業を慎重に始める。

「ちょっと待ってよ! スダレはわたしを助けてくれたんだよ!」

「わかってます。そのことも含め話は城で聞きます」

 ローレスはにべもなく答え、部屋を出ていく。

「大丈夫。悪い様にはしませんよ。それよりエレイン……」

 レイラが追いかけるエレインを呼び止める。

「……ヘレネがさらわれました」

 エレインは言葉を失い、茫然と立ちつくし、そのまま膝を落とした。



 先日の雨はすっかりあがり、王城の中庭では大聖堂及び昨夜のナイグズ襲撃で壊れた城壁の修繕作業がおこなわれていた。

 既に日が暮れかかり始めている午後、円卓会議室ではエレインと騎士団長達の会議が始まっていた。

「まずヘレネ様の捜索についてだが」

 第三騎士団、団長リードリッヒが円卓に集まった騎士団長やエレインに呼びかける。

「ライオス以下第二騎士団は、現在も北の山脈を中心に捜索中です」

 レイラが読み上げる報告を聞き、一同は重い溜息をつく。

 城に戻ったエレインは即自分も探索に出立しようと息巻いたが、彼女もまた狙われている身である以上、騎士達から猛反対にあい城内に留まった。そして今も落ち着かない様子で席に着いていた。

「彼らが乗ってきたと思われる馬が八番街の門外付近の森で見つかっています。他に移動手段を用意していなければそれほど遠くにはまだ行っていないはずです」

 第六騎士団、団長ウィルヘイムが報告する。

「だがヘレネ様をさらったナイグズの女は翼を生やして飛んでいったのだろう?」

 ローレスがジェラルドの方を睨みつけて追及する。

「……ああ。アレは有翼人種でもなく悪魔でもなく、間違いなく竜の呪いを受けた者だな」

 ジェラルドはみすみすと目の前で逃がしてしまったこともあり、ややばつが悪い様子で答える。

「その女が持っていた魔槍と、先日襲撃してきた君主竜に刺さっていた魔剣には、何か関連性はあるのかね? 聞けばその竜との戦いの最中に現れた男が魔剣を使ったというが」

 リードリッヒが黙りこんでいるエレインに問いかける。だがエレインは心ここにあらずといった表情で黙ったまま答えない。見かねたレイラが割って入る。

「その男のことですが、本名ブランディ。十年前まで王城守護騎士団に所属、先王の北の地への遠征に同行し、その後消息を絶っていました。本人の言によれば、この十年間東方の軍に所属し、スダレと名乗っていたとのことです」

「なぜ十年間も姿をくらませていた」

 ローレスが厳しく指摘する。

「明確には答えていません。ただ命を狙われていたため、やむなく東方の国に保護を求めたとのことです」

「そりゃいくら正気を失ったとはいえ王様殺したんだ。逃げもするだろう。俺だって散々疑われた上に何度も殺されかかったからな」

 ジェラルドが半分冗談で茶化す。十年前王の遺体を確認したのは彼であり、彼自身殺害の嫌疑をかけられ、幾度となく騎士団内の過激派から命を狙われたこともあった。

「そもそもお前はブランディだと気付いていたのか?」

 ローレスはジェラルドを再度睨みつける。

「さあな。十年も経ってて死んだと思ってたし、何よりあの変な東方のなりじゃ気付かねえよ」

 ジェラルドはさりげなくはぐらかす。ローレス自身も黒竜襲撃時にブランディと気付かなかったため、それ以上は追及しなかった。

「ナイグズが襲撃してきた日の姫様とその男に出された食事から毒物が検出されています」

 一時沈黙した場の空気を破る形でウィルヘイムが第六騎士団衛生隊からの報告を読み上げる。

「ナイグズが仕込んだかあるいは――」

「先王の凶事の再来を恐れて騎士団内の誰かがおこなったか」

 ローレスが言いにくい続きをリードリッヒが言い切る。

「竜の呪い……か。エレイン、あなたは体調は大丈夫なのですか?」

 レイラがずっと黙っているエレインに尋ねる。

「……うん」

 エレインは元気なく答え、手の平をじっと見つめる。ナイグズの少女に付けられた刺し傷はもはや完全に消えていた。

「あいつが魔剣を使ったってのは本当なのか?」

 ジェラルドが尋ねる。

「うん。お父様が使ってるのを見たことあるみたいだった」

「ブランディと魔剣についてはこのまま拘束を続ける。最悪ナイグズと通じている可能性もある。見張りをより強化しておくように」

 ローレスが釘を刺したところで、突然会議室のドアが開け放たれる。

「ヘレネ様の居場所がわかりました!」

 第二騎士団連絡隊員は息を切らせて部屋に入り、ライオスからの伝令を告げ始める。



 その日の夜、エレインは先日のナイグズの襲撃で自室のある尖塔の地下が大破したこともあり、王城一階西にあるヘレネの部屋で休んでいた。いつになく大人数の見張りが部屋の外に並び、城内は物々しい雰囲気に包まれていた。


 ヘレネは王都北東のハラス山脈のオートウッド旧巣にいる。


 探索していたライオス以下第二騎士団は山中でナイグズの使者のオブロンを発見するが、捕まえることは出来ず、オブロンの手紙のみが残されていたという。それにはオブロンの汚い共用語でヘレネは生きて預かっていること、解放してほしければ、竜の呪いを受けた姫と男が魔剣を持ってオートウッド旧巣まで二人だけで来るようにと記されていた。

 オートウッド旧巣とは、三百年以上も昔から君主竜オートウッドが根城としている竜の巣である。王都と近いこともあり幾度となく戦いがおこなわれ、そのほとんどの竜は討伐された。だが今も旧巣の奥深くではオートウッドが人間と戦った傷を癒すため眠っているという。

 明日エレインとスダレは魔剣を持ってオートウッド旧巣に向かうことに決まった。当然馬鹿正直に二人だけで行くわけではなく、既に現地で調査を開始している第二騎士団を筆頭に、旧巣全体を取り囲む形で騎士団を編成、二人の後ろに配した上での「交渉」となる。


 ヘレネの部屋でエレインは寝付けず、ベッドの上を転がりながら窓の外の夜空の星を数えていた。

 子供の頃より身体の弱いヘレネに代わり、常に戦いはエレインが率先しておこなってきた。時に無謀なそれは決してヘレネを守るためだけという気持ちではなかった。もし万が一自分が戦いで死ぬようなことがあったとしてもヘレネがいればこの国は大丈夫。そう思うことでいつだって全力で戦うことが出来た。

 エレインはベッドから降りた。そしてヘレネの机の上に置かれた聖剣を手に取り、鞘からゆっくりと抜く。剣身には傷一つなく、鈍いわずかに魔力を帯びた青い光が煌めいていた。

 聖剣といっても名があるわけではなく、代々アルクスに伝わる魔法の剣で、はるか昔にアルクスの王が剣の神より賜り、竜を倒したという。実際ただの剣ではなく、いくら刃こぼれを起こしてもその鞘に納めればたちまち再生するという強力な魔力をもつ剣だった。

 エレインは聖剣を鞘に納め、椅子にかけてあった上着を羽織って部屋を出た。スダレの顔を見たくなった。朝城に戻ってから一度も話す機会がなかったため、宿での話の続きをする必要もあった。


 部屋を出ると見張りの騎士達が一斉にエレインを見つめる。やや気恥しくなってエレインは隠れるように廊下を通り、北のホールの先にある客間へと向かう。

 ホールでは床や天井の修繕を主に第四騎士団の工作隊が率先しておこなっていた。

 エレインは客間の見張りに声をかけ、二人だけで話したい旨を伝え部屋の中に入る。

「スダレ、今、平気?」

「……エレインか? ああ、最悪の気分だ」

 だらしなくベッドの上で背を向けて横になりながら、スダレは振り向きもせずにうんざりした声で答える。その姿が新鮮でエレインは思わず笑ってしまう。

「その様子だと相当絞られたみたいね」

「ローレスは相変わらず、いや前にも増して口うるさくなったな」

「あれでも娘が出来てからは大分丸くなったよ」

 エレインはローレスの日々の小言の中に混じる娘の自慢話を思い出して微笑む。

「そうか」

「スダ……ブランディって呼んだ方がいい?」

「スダレでいい。騎士団員としての俺はもうとっくに死んでいる。ローレスも最初は気がつかなかったようだしな」

 スダレは笑って答えたが、エレインの表情がどこか沈んでいるように見えたため声を落とす。

「ローレスやジェラルドとは付き合い長いの?」

 エレインは先程の会議での二人の会話を思い出す。

「まあな。ガレフがまだ王に就いて間もない頃からの腐れ縁だな」

 スダレはベッドから降りると、窓の外を見つめて呟いた。昔を懐かしんでいるように見えたのでエレインは黙っていた。

「……それで、今朝の話の続きだろう?」

「うん……」

 スダレは振り返り、椅子に座って待っていたエレインを見つめ話しかける。

「お父様を――」

「ああ、俺が殺した。魔剣で黒竜を倒したガレフはついに正気を失っていた」

 スダレは迷うことなくはっきりと言い渡す。

「そして俺は逃げた。十年もの間な。もうここにも戻るつもりはなかった」

「じゃあ何で――」

「……」

 スダレはしばらく黙ってエレインを見つめた。エレインは不安そうな表情をしながらもスダレを真っ直ぐ見つめ返した。

「……ガレフとの約束だ。ガレフは死に際に言った。『娘達を守ってくれ』と」

 スダレはベッドの上に座り、両手で頭を抱えると悲痛な表情で騎士団やローレスの尋問では言わなかったガレフの最後の言葉を言った。

「ソーンはガレフに取り憑き、その血を覚えてしまった。黒竜と共に魔剣は失われたが、いつか再びガレフの血を継ぐお前達のところに来るかもしれないと思ったのだろう。だがこの十年間王都にそのような竜が襲撃した話は聞かなかった。俺はもう大丈夫だろうと思い、せめて最後にお前の戴冠式だけでも見届けようと来たのだが……」

 懺悔するかのように告白するスダレの話をエレインは黙って聞いていた。

「だが結局守れなかった。お前にはソーンが取り憑き、ヘレネはナイグズにさらわれた」

 ヘレネの名を聞いた瞬間、エレインは身体をびくっとさせる。

「でもスダレがいなかったらわたしもヘレネも……」

 エレインは声を震わせて顔を伏せる。

「エレイン?」

 スダレはエレインの様子がおかしいことに気付き、ベッドから立ち上がって椅子に座っているエレインに近づく。

「……うぅ……ヘレネ……」

 エレインは顔を伏せて泣いていた。頬を伝う涙が膝の上の聖剣の鞘に落ちる。

「エレイン――」

 スダレはかける言葉が見つからず、伸ばしかけた手を宙に泳がせる。

 思えば当然のことだった。父親の死の真相を知り、唯一残った家族である妹のヘレネがさらわれたのだ。平静でいられる方がおかしい。

「この……聖剣はお父様の形見……」

 しばらく小さな声で嗚咽を漏らしていたエレインが呟く。

「ああ……」

 スダレにも聖剣には覚えがあった。ガレフが戦いに赴く際に常に帯刀していた剣。それは魔剣を手にした後も、最後のあの日まで変わらなかった。

「わたしは聖剣を、ヘレネはお母様の手編みのマフラーを形見に受け取った」

 エレインは淡々と話し続ける。

「本当はわたしもお母様のマフラーが欲しかった。でもお父様の死の知らせを聞き、泣き続けるヘレネを見て、わたしが守らなきゃと思った。だからこの剣はわたしにとってあの日の誓いの証、ヘレネとこの国はわたしが守るという」

「ガレフは――」

 思いつめた表情のエレインを見て、スダレは咄嗟に言いかけて言葉を詰まらせる。

「……スダレ?」

「いや……」

 先を言うべきかどうか迷っているスダレを、エレインは真っ直ぐに見上げた。

「聞かせて」

 その涙に輝く強い意志を感じさせる瞳を見てスダレは観念して続けた。

「……北の地への旅の途中、ガレフはよくお前達のことを話していた。ほとんどは姉のいたずらとそれに振り回される妹や騎士達の話だったが」

 スダレは思い出しながらわずかに口元を緩める。エレインは恥しさで顔を赤くする。

「だが一度だけ王位について話していたことがあった。この旅でもし生きて帰ることが出来なければ、残った二人の娘――エレイン、お前が正式に王位を継ぐことになるだろうと」

「……」

「もちろんそのために必要なもの、正統に王位を継ぐ十八歳となる日までの教育、戦い方など全て、旅立つ前に王都に残った騎士達へ伝えてあった」

 それはエレインも知っていた。この十年間事あるごとにローレスから口うるさく聞かされていたことだ。

「だがガレフは本当はお前達に王位を継がせたくなかった。騎士達と共に死ぬまで戦い続けるアルクスの王などやらせたくなかった」

「そんなこと――」

「もちろん無理なことだ。だからガレフは生きて帰るつもりだった。竜の聖域で呪いを解き、あわよくば人と竜の戦いを終わらせる手がかりすら見つけるつもりだった」

 スダレはそこまで言うと黙りこむ。

「……お父様の最後はどんなだった?」

「……正気に戻っていた。おそらくソーンの呪いを受けた血を失ったからだろう。最後までお前達のことを気にしていたようだった」

「そう……」

 エレインはスダレがつらそうに語っているのに気付いて、それ以上は聞かなかった。

「俺は……お前達に謝らなければならない。ガレフを守れなかったばかりか、ガレフとの約束も守れず逃げ出し、今こうしてお前達を危険にさらしてしまっている。もし処罰をするというのなら甘んじて受けよう」

 スダレはそう言うとエレインの足下に跪いた。エレインは突然のことで困惑するが、頭を垂れ目を瞑るスダレを見て我に返る。そして立ち上がると手の甲で涙を乱暴に拭う。

「まだ――まだ終わってないよ。スダレ」

エレインは聖剣を鞘から抜き、剣先をスダレの頭上に向ける。青い光が部屋の中に一瞬灯る。

「もしまだ騎士としての誇りを捨てていないのなら、わたしを――ヘレネを助けるために力を貸しなさい」

 そしてわずかに見上げたスダレの目を見て強く頷く。スダレはそれを見ると再び頭を垂れて、訥々と告げ始める。

「亡き先王ガレフとの盟約に基づき、この命に代えても王女エレイン、ヘレネを守ることを誓おう」

「うむ。よしなに」

 今となっては儀礼でしかやらないような古い宣誓をする騎士に若き王女は笑顔で答える。

「まあわたしは王女になりそこねちゃったんだけどね」

 エレインは笑いながらスダレに手を差し伸べ、スダレはその手を取り立ち上がる。

「それを言ったら俺は十年前にもう騎士はやめている」

 スダレはエレインの頭に手を置き優しく撫でる。かつてガレフが娘達にそうしていたように。

 エレインは目を瞑り笑顔でそれを受け入れた。



 王都北のハラス山脈にあるオートウッド旧巣。

 火山口のように大きく空へ口を開けた入口、中は竜が闊歩出来る程の空洞となっている。地面のところどころには底の見えない大穴と亀裂が広がり、死した竜の骨が散乱している。硬い岸壁の隙間から流れる地下水が小さな川を作り、その付近の日の届く場所には色とりどりの花々や草葉が生い茂っていた。

 その香りと頬を撫でる感触でヘレネは目を覚ました。まだ夜だったが付近には月明かりが差し込み、それが小川に反射して洞窟内を明るく照らしていた。

「ここは……」

 ヘレネは草むらの中から立ち上がると、すっかり泥だらけになった白いドレスについた土埃を払い、母の形見のマフラーを巻き直す。

「ヤト オキタカ!」

 突然奇妙な声で呼びかけられて振り向くと、そこにはナイグズの使者と共にいたオブロンが岩場の上に座って見つめていた。

「あなたは……」

 ヘレネは首筋にわずかに痛みを感じ、自分がナイグズに襲われ、さらわれたことを思い出す。

「心配スルナ オトナシクスル オブロン 何モシナイ」

 オブロンの拙い共用語をどうにか聞き取り、辺りを見回す。天井の高い洞窟に散乱する巨大な竜の骨、昔一度だけ調査で父に連れて来られたことのあるオートウッド旧巣だとすぐに理解できた。

 そして少し離れたところに自分をさらったあのナイグズの少女が、月明かりに照らされて座っているのに気が付いた。

 城で見た時の巨大な両翼はなく、ずっと小さな姿に見えた。黒い槍は近くに突き立てられている。ヘレネが見ていても気に留めるでもなく、その赤く燃えるような瞳を洞窟内の大穴の暗闇の方にじっと向けていた。

「ナクラ ツヨイ ニゲル ムダ」

「ナクラ? あの子の名前?」

 ヘレネはその名に聞き覚えがあった。かつてナイグズに滅ぼされた南の小国カルサスの守護竜サルハラに仕える姫巫女を確かナクラと呼んでいた。見ればその特徴的な赤い髪と顔立ちは、確かに南方の出身者と思われたが、カルサスの生き残りの部族の話などは聞いたことがなかった。

「オマエ 人質 ソーン 姫 ヒキワタス」

 要領を得ないオブロンの言だが、やはりナイグズの狙いは姉エレインにあり、自分は人質になっていることをヘレネは理解した。

 きっと姉は来るだろう。その時足手まといにならないよう少しでも体力を温存すべく、ヘレネはまだふらつく足取りで小川の麓に腰を落とし、水に口をつけた。非常に冷たい澄んだ水であった。

 オブロンはヘレネに逃げる意思がないのを確認すると、茂みの中の虫を摘んで食べ始めた。


 空が白み始め、鳥のさえずりが聞こえる。

 ヘレネは眠ることなくじっと身体を休め、時が来るのを待った。オブロンの方は見張りに飽きたのかすっかり眠りこけていた。

「あなたは……あなたはなぜナイグズに仕えているの?」

 ヘレネは何の気もなしにナクラに話しかけていた。言葉が通じるかもわからないが、その南方の特徴的な容姿から、ナイグズの人間狩りに遭った者なのは間違いないと思った。

 ナクラはわずかにヘレネの方に顔を向けると、物憂げな表情で黙って見つめていた。月明かりに照らされたその姿を見て、ヘレネは先日のような恐怖は感じず、自分や姉とそれほど歳の変わらないように見えるこの少女にどこか心惹かれた。

 ナクラは立ち上がりヘレネの方に近づく。そしてよだれを垂らして眠っているオブロンにわずかに視線を向けると、ヘレネの肩を引き寄せ耳元まで顔を近づける。ヘレネは肩に伝わる冷たい感触に身体を硬直させる。

「――カルサスは、私が滅ぼした」

 闇の中仄かに赤く灯る瞳がヘレネを間近で見つめながら、ナクラは小さく囁く。

「あ……あなたは……」

 わずかに南方訛りのするその言葉は、まぎれもなく人間のそれであった。ヘレネは意外な回答に驚くと同時に、その妖艶な瞳と言葉に魅了された。

「サルハラのために、多くの姫巫女ナクラが生贄に捧げられた。私もその一人だった。カルサスに捕えられていた竜サルハラは怒り、悲しみ、そしてナクラ達を喰らい続けた。ナクラ達は怒り、悲しみ、そしてサルハラに喰らわれ続けた。私はカルサスの聖槍でサルハラを殺し、その全ての思いをこの血で知った」

 淡々と語りながらナクラは、青白い手をヘレネの前に掲げ、その鋭い爪で自ら軽く引っ掻く。黒い血がわずかに流れ落ち、ヘレネの白いドレスを点々と黒く染める。

「な、何でアルクスを襲うの?」

 ヘレネは声を震わせて尋ねた。ナクラの異様な雰囲気に正気を保つのが精一杯であった。

 ナクラは腰を落としてヘレネの胸の中に顔を埋めると、上目遣いでヘレネを見上げて腕に流れる黒い血を舐め取り、唐突にヘレネの唇に自分の唇を重ねる。

「――んんっ?」

 暴れるヘレネをナクラは押し倒して組み敷き、自身の血を口移しでヘレネの中へ流し込む。

「んっ……いやあ!」

 ヘレネは覆い被さるナクラを張り飛ばす。ナクラは何もせずされるがままに地面を転がる。

「はぁ! はぁ……な、何を……」

 ナクラの手を離れたヘレネは地面を這いながらナクラに注がれた血を吐き出す。

「――ナイグズの王は血の器を探している」

 ナクラは立ち上がるとヘレネを見下ろし、また淡々と告げる。そして地面に突き刺さった魔槍の元へと向かう。

「血の……器?」

ナクラは魔槍サルハラを地面から引き抜く。両手で魔槍を頭上に抱え上げ、両足を大きく開いて腰を落とす。そしておよそ人間からはかけ離れた異様な声で絶叫する。


「サルハラ!」


 その声に呼応するがごとく魔槍に埋め込まれた瞳が開き、血の黒い涙がナクラの両腕を包み肩に両翼を形成する。そして竜の咆哮が鳴り響く。旧巣全体が大きく揺れ、あちこちで天井が崩れ始める。

 その竜の咆哮を聞いて飛び起きたオブロンは何事かと右往左往する。ヘレネも先日城で聞いたその咆哮に恐怖する。

 やがて魔槍から響く咆哮が止まると旧巣の揺れも止まる。ナクラは右手で魔槍を抱えると何かを待つかのようにじっと立ち尽くした。

 オブロンはその様子を見てさらに混乱して洞窟の隅に走り縮こまる。

「ど、どうしたの?」

 その尋常ならざる怖がり様に思わずヘレネは尋ねる。

「メザメタ! コワイコワイ 竜!」

 オブロンが叫ぶと同時に、まるで先の魔槍の咆哮に応えるかのように別の咆哮が次々と足元から鳴り響く。再び旧巣全体が揺れ始める。

 その咆哮はハラス山脈全体にまで響き渡った。



 早朝の城内、ヘレネの部屋でエレインは出立の準備を進めていた。侍女に戦装束に着せられているエレインをレイラはじっと見ていた。

「どうやらふっ切れたようですね」

「何のこと?」

 エレインは板金の胸当てを着けるため両手を上げる。

「昨日はどこかぼんやりしてたようですし」

「そう?」

 レイラは後ろから近づき、エレインの髪を優しく撫でて丁寧に結び、髪飾りを載せると、侍女の着けた背中の胸当ての紐を一度解く。

「あの男のおかげでしょうか?」

 そしてきつく縛りなおしてから意地悪そうに笑う。

「べ、別にそんなんじゃないわよ。ってちょっときつ――」

「あれ? 違うんですか? あんな宿にまで泊って……」

「あれは!」

 顔を赤くするエレインにレイラは、今度は気難しい顔で尋ねる。

「わかってます。それより身体の方は本当に大丈夫ですか?」

「おかげさまで。ソーンの呪いといったって今すぐ竜に化けたりはしないから」

 エレインは片足を上げて侍女に板金の仕込まれたブーツを履かせる。その拍子によろめいたところをレイラが後ろから抱きとめる。

「無理はしないでください。私も途中までは一緒に行きますが、必ずヘレネと一緒に無事帰ってきてください」

「わかってるって。わたし達がいなくなったら誰が王様やるのよ」

 エレインはレイラの手を取り姿勢を正すとにっこりとほほ笑んだ。今は出来ることをしよう。スダレもいればきっと上手くやれる。

 エレインは聖剣を腰に差し、部屋のドアを勢いよく開けた。



 準備終え客間を出たスダレは見張りの騎士に連れられて城門へ向かう。

 久しぶりの騎士団服に袖を通したがどうにも動きにくかったため、結局上半身は東方の着流しを用意してもらった。どうやらこの十年でこのスタイルがいつの間にか定着していたようだった。あまりにも心許ない装備と思われたのか、騎士団員から防御輪を渡された。

 そして背のベルトに魔剣を差す。出来れば魔剣の力はもう使いたくはなかったが、魔槍の相手をするなら結局使うことになるだろう。

「こいつも持ってけ」

 城門への廊下の壁に寄り掛かるジェラルドがスダレに刀を投げ渡す。

「そんなのしかなかったが、まあ何かの役には立つだろ。俺は城を守んねえといけねえからお留守番だが、しっかりやれよ」

「ああ。すまない」

 スダレはジェラルドを一瞥すると、それ以上は何も言わず刀を腰に差した。

 立ち去るスダレに後ろからジェラルドが呼びかける。

「戻ってきたら一杯付き合えよ!」

 スダレは振り向かずに手を軽く振って応え城門を出ていった。



 ハラス山脈の麓、かつて君主竜オートウッド配下の竜達との古戦場跡を拠点として、ローレスの指示の下、第六、第九騎士団が山脈を取り囲むように広範に隊を展開していた。先日から捜索を続けていた第二騎士団はそのまま山中で野営を続け、旧巣周辺を見張っている。

 交渉に向かう二人の後陣に配した騎士団三隊、総勢百名以上でいざとなれば包囲する手筈となっている。これがやりすぎでないことは、ローレス自身ガレフの使う魔剣の力を知っていたからだ。またわざわざオートウッド旧巣を指定してきた以上、竜をけしかけてくる可能性も高い。

「わかっているとは思うが、何よりも姫様達の安全が最優先だ。そのために貴様が死のうが知ったことではない」

「ああ」

 スダレは面倒くさそうにローレスの言葉を聞き流す。

 拠点で一同は作戦の最後の確認作業をおこなっていた。

「明け方に聞こえたという複数の竜の咆哮も気になりますね」

 レイラが第二騎士団の報告を読み上げる。

「あのナイグズの子が魔槍を使ったんじゃない?」

 エレインはスダレの背負う魔剣を見つめて呟く。その視線を受けてスダレが尋ねる。

「旧巣の調査は今も続いているのか?」

 もう長年オートウッドの竜との戦いは起こっていないが、数年に一度は巣の調査はおこなわれていた。スダレもかつてその調査に参加したことがある。

「えーと……」

 エレインは痛いところを突かれたようで目を泳がせる。

「十年前に先王がソーンを討伐した直後が最後ですね。エレインとヘレネも一緒に見に行ってましたよね」

「……うん」

 エレインは思えばあれが最後の父と一緒の旅だったことに気付き、声を落とす。

「つまりそれ以降調査はおこなわれていないということか」

「まあ十年前の調査じゃ、ほとんど竜は確認出来なかったし大丈夫でしょ」

 エレインは楽観的だったが、スダレは嫌な予感がしていた。

「ふん。仕方なかろう。当時はそれどころではなかったからな」

 ローレスが話題を切り、作戦の概要を伝える。

「とにかく。姫とブランディは二人でオートウッド旧巣に潜入。ヘレネ様の無事を確認後、ナイグズと交渉――など無意味だろう、ブランディ、貴様が足止めして何としてでも姫様達を脱出させろ。二人の突入後、現地で待機しているライオスの隊の判断で騎士団も突入とする」

「うん」

 エレインは頷くとスダレを見つめる。スダレも黙って頷くと一同は作戦に向けて動き出した。



 エレインとスダレは二人だけで拠点を出発し、オートウッド旧巣への山道を進んでいた。王都から拠点までは道が舗装されていて馬で来ることが出来たが、拠点から旧巣への入口は狭い山道を行くことになるので徒歩となる。

 山脈の麓は木々に覆われていたが、山の頂上に近づくにつれ地面は荒廃し、動植物の住みつかない不毛の土地となっていた。これはオートウッドの竜達が長い年月山脈を支配していた結果であり、麓の森も人間との戦いがおこなわれた各所では、現在も草木の絶えた土地のままであった。森に住む動物や精霊といった類もほとんどが姿を消していたが、オートウッドの竜の大半が討伐された後は、少しずつ戻ってきていることが十年前までの調査でわかっている。

 山道を進む二人の前を小さな小鹿が通り過ぎる。それを見たエレインはふと思い出したことを口に出す。

「そういえばあの日夢を見たの」

「夢?」

 付近を警戒しながら歩くスダレが怪訝な表情を浮かべる。

「ソーンの血を受けた日の夜、夢の中でどこか知らない森の中を歩いてた。見たことない動物や植物がたくさんいて、あんな風に竜の骨がたくさんあった」

 エレインは森の中に点々と広がる戦場跡地の蔦に覆われて散乱する竜の骨を指差す。

「ソーン、あるいはあの黒竜の記憶かもしれないな。他に生きている竜はいたのか?」

「全然いなかった」

 エレインはおぼろげながら思い出そうとするが、静謐な森の記憶は竜の巣というよりも墓場であった。

「竜の聖域――」

「え?」

「竜は自らの死期を悟ると北の竜の聖域を目指すという伝説がある。竜の呪いが解けるというのもおそらくそこからきている。もしその夢が竜の記憶だとしたら」

「竜の聖域は実在する!」

 興奮するエレインを見てスダレは苦笑する。だが十年前ガレフももしかしたら同じ夢を見ていたからこそ、希望を持って旅を続けることが出来たのかもしれないとスダレは思った。

「ところでスダレはヘレネを助けた後どうするつもりなの?」

 遠い目をするスダレを見てエレインは話題を変えた。

「気が早いな」

「きっといろいろ面倒なことになるだろうし、いっそこのまま騎士団に――」

 エレインは少し気まずそうにぼそぼそと呟くが、スダレははっきりと答えた。

「今の夢の話を信じたわけじゃないが、魔剣を持って竜の聖域をもう一度目指そうと思う」

「北の地へ――一人で?」

「ああ。十年前は結局辿り着くことが出来なかったからな。それに……」

 このままここに居続ければおそらくソーンの呪いはエレインを蝕み続けるだろう。そうなる前に魔剣を少しでもここから遠ざけておく。それが自分に出来るガレフとの約束の精算であるとスダレは考えていた。


 二人はオートウッド旧巣の入口に到着する。山頂の崖を越えるともうそこは竜の巣の中である。地面のところどころに巨大な亀裂が走り、随分前に調査隊が立てたと思われる立て札が土を被って転がっていた。

「他のナイグズの増援もしくは竜がいる可能性もあるが、俺があの少女を引きつけている間にお前がヘレネを助けろ」

「わかってる……また魔剣を使うの?」

 エレインはスダレに続き、崖を滑り降りながら背の魔剣を見つめる。

「そうならなければいいがな」

 魔槍を相手にする以上、おそらく魔剣を使わずに退けることは難しいだろうとスダレは覚悟を決めていた。


 二人は洞窟内を進む。日の光が入りそれが洞窟内に流れる小川に反射して、中は灯りがなくても明るかった。至る所にある巨大な亀裂を注意深く避けて進むと、いくつもの竜の骨が散乱する奥にヘレネが座っていた。

「ヘレネ!」

「お姉ちゃん!」

 駆け寄ろうとするエレインの前に洞窟の高い天井の暗がりから、ナクラが背の両翼を羽ばたかせてゆっくりと舞い降りる。

 エレインは聖剣の柄に手をかけ早速戦闘の準備に入るが、スダレがそれを手で制し前に出る。

「まずは交渉だ」

 スダレはヘレネの脇に立っていたオブロンの方に目をやり、近づくよう促す。そしてエレインを下がらせ、わずかに目配せをする。隙を見てヘレネを連れて逃げさせるためだ。

 エレインは頷き、聖剣から手を離し下がる。

「魔剣は持ってきた。その娘にはもう用はないだろう。解放してやれ」

 スダレは背の魔剣を地面に突き立てる。

 ナクラはそれをしばらく見つめた後、オブロンの方を向く。オブロンはナクラの方をじっと見つめ何度か頷いた後、魔剣に近づく。

「魔剣ダケ タリナイ 呪ワレタ姫 サシダセ!」

「あなたたちは一体何が目的なの?」

 エレインがスダレの後ろから尋ねる。エレインは可能ならばナイグズの人間狩りの真意や目的を聞き出しておきたかった。

「王様 イッパイ 生贄 器 ホシイ オマエ エラバレタ、光栄」

 ナイグズの王、その素性は一切不明であり、何千年にもわたってナイグズの国を治めているとも言われ、戦場でもその姿を見た者はいない。

「大人しく付いて行く気はないと言ったら?」

 エレインは再度聖剣の柄に手をかけて答える。

「死体デモ モンダイ ナイ!」

 オブロンが言うよりも早くナクラが魔槍を突き立てエレインに飛びかかる。

 エレインは聖剣を抜きそれを受けようとするが、轟音とともに魔槍の穂先が大きく跳ね上がる。

「魔剣についても聞いておきたかったが、仕方ない」

 両手で魔剣を斬り上げたスダレが呟く。そして――


「来い! 魔剣!」


 スダレが叫ぶと同時に魔剣の眼は開かれ、竜の咆哮が魔剣から響き渡る。凄まじい音響で旧巣が揺れ天井がわずかに崩れる。剣身の眼から黒い血が流れ始め、スダレの左腕を包み込み、片翼を形成する。

「エレイン、わかってるな?」

「うん!」

 スダレは魔剣でナクラを斬り払う。ナクラは魔槍でそれを受けるが、剣風でヘレネの元から大きく引き離される。エレインはすかさずヘレネの方へ走り出す。

「お姉ちゃん!」

 意図を察したオブロンが奇声を上げてエレインの足に必死に取り付く。

「邪魔よ!」

 エレインはオブロンを蹴飛ばしてヘレネの元に駆け寄る。

「だいじょうぶ? 怪我はない?」

「うん。私は大丈夫。あれは……」

 ヘレネはエレインに抱きつきながら、既に戦闘を始め、ナクラと斬り合いをしているスダレの魔剣を見て恐怖する。

「だいじょうぶ……かどうかはわからないけど、あれが魔剣の力。ソーンの魂が宿ってるらしいけど正直よくわからない」

 エレインは身体を強張らせるヘレネの頭を優しく撫でると、スダレの方に向かって叫ぶ。

「スダレ! ヘレネは助けたよ。逃げよう!」

 ナクラの上空からの魔槍の攻撃を受けながら、その様子をわずかに横目で捉えたスダレは頷く。

 エレインがヘレネを連れて洞窟の出口に向かおうとすると、蹴飛ばされて伸びていたオブロンが起き上がり、またエレインの足にしがみついて叫ぶ。

「クル! コワイコワイ! 竜!」

「何を――」

 その瞬間、突如旧巣、いや山脈全体が大きく揺れ動き、魔剣とは別の竜の咆哮が響き渡る。

「な、なに?」

「まさか……竜?」

 旧巣内の無数の地面の亀裂が広がり始め、天井が次々と崩落していく。亀裂の奥深くの闇の中から黄金色の熱風が吹き出し、流れる小川からこぼれ落ちる水を蒸発させる。

 さらにその竜の咆哮に呼応するがごとく次々と別の竜の咆哮がいくつも亀裂の中からこだまする。

「やっぱりオートウッドの竜!」

 エレインはヘレネの手を引き、砕ける地面の合間を縫って出口へ走る。オブロンはいつの間にか姿を消して遁走していた。

「魔剣に呼応して目を覚ましたか」

 スダレもナクラが攻撃の手を止めた隙を縫って出口に向かう。外の騎士団も異変に気付いただろう。しかしこれは下手をすれば総力戦は必至だ。

 スダレがエレインと合流する間際、二人の間の亀裂が大きく裂け、黄金色の熱風が噴き上がる。そしてその亀裂から次々と黒い影が空に向かい飛び立つ。小竜の群れだった。

「あんなに……」

 エレインとヘレネは絶句する。だがスダレはさらなる強大な竜の気配を予感する。この黄金色の気流を発生させている本体だ。

「まだいるぞ! 離れろ!」

 さらに亀裂は広がり、そこから黄金色の気流と共に巨大な魔力のうねりが溢れ、空間を歪ませる。そして風を切る音と共に浮上する太古の君主竜――

「オートウッド……本当にまだ生きていたというの……」

 エレインは今まで見たことのない巨大な竜を見て絶句する。

 竜は旧巣の天井を翼で壊しながら着地する。その衝撃で洞窟の崩落はさらに進む。そして赤い眼をぎらつかせて、口元の無数の牙の隙間から熱風といってもいい高温の吐息を漏らし、咆哮する。

 ナクラはその様子を飛翔しながらじっと見つめていた。



 ライオスは第二騎士団員を率いてオートウッド旧巣の周辺で突入する機会を窺っていた。既に昨日から各隊の配置は完了しており、あとは突入の頃合いを待つのみだった。

 先日の捜索でナイグズの女とオブロン、そしてヘレネが旧巣の中にいることはわかっていたため、ライオスは王城からの指示を待たずに突入をしたかったが、それで全てが最悪の結果になることを考え、ずっと堪えていた。

「エレイン達は突入したか」

「姫様なら上手くやりますよ。それにあのブランディという男、元は騎士団員だったのでしょう?」

 槍兵隊の若い隊員が逸るライオスの気を紛らわせるために話しかける。

「どうだかな。十年も失踪していたくらいだ。信用できるかどうか」

 ライオスは祖父が亡き先代の教皇ということもあり、幼い頃より騎士である両親と共に王城によく出入りしていたが、スダレのことは覚えていなかった。

 後に王立士官学校を卒業し、第二騎士団に正式に入隊したのが今から五年前、その二年後、異例の速さで団長にまで昇格できたのは、教皇の孫であることと、二人の次期王女達――特にヘレネ――と幼い頃から懇意にしていたことが、教会派の強い推薦を後押ししていたことは自身重々承知していた。そしてそれが逆にヘレネとの仲を妨げていることも。


 ライオス達がじっと身を潜めて待機していると、突然旧巣内より竜の咆哮が響き渡る。

「怯むな! 魔剣が解放されただけだ!」

 ライオスは先日王城で聞いた咆哮と同じ鳴き声だと確認すると、動揺する団員達を制する。

 だがほどなくまた別の咆哮が響き、今度は次々と竜の咆哮が山脈全体を激しく揺り動かす。

「団長。あれを!」

 銃士隊の一人が指差した山の各所の崖の裂け目から、そして旧巣の入口から、黄金色の鱗に覆われた小竜の群れが続々と飛び立つ。

「オートウッドの竜の残党か!」

 小竜達はハラス山の上空を旋回すると、山の各地に散開する第二騎士団を確認し、一斉に降下し始める。

「戦闘準備! 小竜を殲滅する! 各隊は隊長の指示の下散開し、各個撃破しろ!」

 ライオスは檄を飛ばすと、早速自隊の銃士隊に砲撃の準備に入らせる。小竜の数は二十以上は優に超えている。どれも先日王都を襲った竜よりはるかに小さいまだ若い翼竜だが、凶暴さでは何ら変わりはない。エレイン達が心配ではあったが、今はまず目の前の敵を倒すしかない。

 ライオスは剣を抜くと、早速魔導隊の光の槍によって地面に縫いつけられた小竜に向かい走り出した。



 スダレは魔剣を構えオートウッドに対峙する。エレイン達とはオートウッドを挟む形で分断された。オートウッドは明らかにソーンの魔剣に反応を示し、その長い首をスダレの方に向けて翼を震わせていた。

 君主竜オートウッド、三百年以上王都と幾度となく交戦してきた竜で、先日王都を襲撃してきた竜達とは比較にならないほどの巨大な身体と翼、そして長い首を持つ。全身を覆う黄金色の鱗は熱を帯び、触れる瓦礫や水を一瞬で溶かしている。辺りはその熱風と水蒸気に包まれていた。

 スダレはオートウッドの巨大な赤い眼の前に魔剣をかざしながらじりじりと後退する。どうにかエレイン達だけでもこの場から脱出させたいところだった。

 上空で静観していたナクラは、オートウッドがスダレに向かい始めたのを確認すると、エレイン達の方へ急降下し魔槍を突き下ろす。

「くっ!」

「きゃっ!」

 エレインは聖剣を抜きその一撃を受け流す。触れた刃から魔槍の黒い魔力と聖剣の青い魔力の光が交錯する。ヘレネはその勢いでエレインの足下に尻もちをつく。

「ヘレネ、離れて!」

 エレインはヘレネだけでも逃がしたかったが、騎士団がまだ突入して来ないことから、おそらく旧巣の外では先程飛び立った小竜の群れとの戦闘が始まっていると推測できた。そのただ中にヘレネ一人で向かわせるわけにはいかなかった。

 ナクラが次々と撃ち出す攻撃を聖剣でいなしながらエレインは竜を見やる。竜は魔剣に惹かれたのかスダレの方にその巨体を引きずらせながら近づいている。いくら魔剣があっても一人で戦うのは無謀だ。

 どうにか合流したいところだったが、ナクラが執拗に、そしてまるで何かを待っているかのようにじわじわと攻撃を続けるため、エレインはその場を動けなかった。


 スダレはオートウッドに魔剣の剣風を撃ち込みながら、その反動で距離を取っていく。いくら魔剣の生み出す剣風の力をもってしても竜の鱗に傷をつけることは出来なかった。懐まで潜り込んで直接斬り込めれば有効な傷を与えられることは出来るかもしれないが、倒しきるまで魔剣の力が持つ保証はない。もしブレスをまともに受ければ即死だ。

 竜の巨体に阻まれて窺い知れないが、おそらく向こうではエレインがナクラと戦闘を開始していると思われた。

 何とかエレイン達と合流すべく焦るスダレであったが、作戦がないわけではなかった。闇雲に魔剣の剣風で牽制しているわけではなく、竜の足元を中心に狙っていた。竜が地下より出てきたことによって生じた大きな亀裂は旧巣全体にまで及び、足元は非常に不安定になっていた。そこを突き崩し、竜を再度地下に叩き落とす。翼で飛び上がってくるだろうが、エレイン達の元へ駆けつけるだけの時間は稼げるだろう。

 オートウッドが首を仰け反らせブレスを放つ体勢を取る。

 スダレはそれを見計らって後退する。黄金色のブレスが旧巣入口まで熱風で焼き尽くす。スダレは魔剣を盾に守護輪も発動させて余波を防ぐ。そしてブレス直後でまだ硬直しているオートウッドの足下へ飛び込む。オートウッドは前足の爪で薙ぎ払おうとするがそれを掻い潜り、足元の地面に全力で魔剣を撃ちつける。

 亀裂が広がり竜の足下の地面が傾く。体勢を崩したオートウッドが亀裂に向かって滑り落ちていく。スダレはすかさず傾く地面の上を駆けエレインの元へ向かう。

「無事か?」

 スダレは亀裂の先のエレイン達の姿を確認して叫ぶ。

「スダレ! 上!」

 スダレが上を向くよりも早くナクラが上空から魔槍を振り下ろす。辛うじて魔剣で防ぐが、魔槍が剣身に深々と突き刺さる。剣身から黒い血が噴き出しスダレの着流しを染める。

「ぐっ」

 ナクラはそのままスダレごと串刺しにすべくさらに魔槍に力を入れる。その圧倒的な力に片膝を落としたスダレは右手で腰の刀に手を伸ばし抜き放つ。

 鋭い剣閃がナクラの左腕を覆う黒い血を打ち砕き、青白い素肌にわずかに斬撃の跡を残す。

 ナクラは魔槍を魔剣から抜き、再び浮上して距離を取る。左腕から流れるナクラ自身の血が魔槍の血と混じり合い傷を塞ぐ。

 スダレは片膝をついたまま魔剣を持った左腕を地に落とす。剣身から大量の黒い血が流れ、わずかに竜の呻く声が漏れ出た後、スダレの左腕を覆っていた魔剣の血と片翼が砕け散って落ちる。

「くっ……力が切れたか」

 スダレは瞳の閉じた魔剣を突き立てて立ち上がるが、足元がふらつく。かなりの量の血を魔剣に持っていかれたことを感じ取る。

「行って! お姉ちゃん!」

 ヘレネがエレインの後ろから叫ぶ。エレインは振り向いてヘレネを一瞥した後頷き、聖剣を構えスダレの元へ走る。

 だがその直後再び飛翔したオートウッドが着地し洞窟内が大きく揺れる。エレインは聖剣を突き立てどうにか踏み止まる。

 朦朧とするスダレの上空からナクラが止めを刺すべく魔槍を突き立て降下する。

「スダレ! 逃げて!」

 魔槍がスダレの左胸を貫く。大量の血が溢れ、スダレと魔剣は傾斜した地面を転がり亀裂の闇の中へ落ちていった。

「そんな……」

 エレインは茫然として力なく両膝をつく。だが気落ちする間もなくオートウッドの黄金色のブレスが旧巣内を焼き尽くす。

 エレインは吹き飛ばされ防御腕輪の魔法結界が発動し、次々と砕け散っていく。熱風と共に飛んできた瓦礫に打ちつけられ手元の聖剣が弾け飛ぶ。

 地に伏したエレインが顔を上げると、黄金色に燃え上がる炎の中オートウッドが旧巣の入口から山脈の上空へと飛び立とうとしていた。ナクラは飛翔しながらその様を見つめている。

「くそ……はっ! ヘレネ!」

 振り向くとヘレネはエレインの後方で煤にまみれ倒れていた。エレインは駆け寄り抱き起こす。

「ヘレネ! ヘレネ!」

 エレインは必死に何度も呼びかける。掴んだヘレネの指にわずかに力がこもる。

「……う、うぅ……」

 ヘレネはゆっくりと瞳を開く。エレインの心配そうな表情が眼前にあった。

「ヘレネ!」

「……大丈夫だよ。お姉ちゃん」

 ヘレネは煤だらけの顔を歪ませて無理して笑顔を作る。エレインはそれを見て顔をぐしゃぐしゃにして泣き出す。

「お、お姉ちゃん?」

 突然取り乱すエレインにヘレネは困惑した。

「うぅ……ごめん……ごめんね!」

 エレインは泣きながらヘレネに謝り始める。

「だ、大丈夫だよ! ほらっ」

 ヘレネは身を起して立ち上がろうとするが、エレインは抱きついたまま離れようとしない。

「ごめんね! ごめんね……」

エレインはヘレネを守れなかったことに我をなくしていた。

 今までヘレネを戦いに巻き込んだことは少なくなかった。しかし本当の意味で命の危険にさらしたことは一度もなかったのだ。

 それは父と母の形見を受け取った日、自ら聖剣を手に取り、戦いの道を選んだあの日からヘレネを守り続けてきたエレインにとっての自信の源であり、そして弱点でもあった。

「落ち着いて、お姉ちゃん」

 ヘレネはエレインの肩に両手をかけて身体を揺さぶる。だがエレインはヘレネの胸の中で泣きじゃくり、謝るばかりで言葉は届かない。

 見上げるとナクラと目が合う。ナクラは何をするでもなく上空で翼をゆっくりと羽ばたかせながら、何も感情を見せずにヘレネ達をじっと見つめていた。

「ごめんね……」

 ヘレネは泣き続けるエレインを抱き寄せながら、前にもこんなことがあったことを不意に思い出した。

 それはまだ父も母も健在だった頃、もう原因は思い出せないが、姉エレインが大人の騎士達に泣きながら言い争いをしたことがあった。最後には相手の騎士達が折れ、事なきを得たが、その後夜眠るまでベッドの中で一緒にぐずり続けていた。

 思えば姉は泣き虫だった。騎士達の前ではいつも気丈に振る舞いつつも、自分やレイラと一緒の時だけは、よく涙を見せていた。

 そんな姉が涙を見せなくなったのはいつからだろうか。それはあの日、父と母の形見を受け取った日からだ。

「お姉ちゃん……」

 ヘレネはマフラーを外すと、エレインと自分の首元に一緒に巻き付ける。

「私知ってたよ。本当はお姉ちゃんもこのお母様のマフラーを欲しがってたこと」

「うぅ……うっ……」

 エレインは母の形見のマフラーを巻かれ、わずかに声を落ち着かせる。

「私を守るために剣を取ったこと。そのために今まで戦ってきたこと」

「……」

 ヘレネはエレインをより強く抱き寄せて続ける。

「私は悔しかった。お姉ちゃんに守られるだけで何も出来ない自分が」

「……!」

 ヘレネは声を荒らげて続ける。

「だからせめて私の前ではつらい時は泣いてほしかった! 私にもお姉ちゃんを守らせてほしかった!」

「ヘレネ……」

 エレインは息を飲み、ヘレネの顔を真っ直ぐに見つめる。その瞳からぽろぽろと涙が流れ始めたのを見て、自分も泣いていることに初めて気付いた。

「わ、わたし……」

「うん……」

 ヘレネはわずかに微笑むと、エレインの首元に顔を埋めた。

「……ごめん。でもわたしはあの日ヘレネを、みんなを守るために戦うって決めたから」

 エレインはヘレネの耳元で小さく呟いてヘレネの頬に両手を当てた。

「だから私達の前では泣いていいんだよ」

 ヘレネも同じ様にエレインの両頬に手を当て、二人は笑い合った。

 そしてヘレネはその手でエレインの頬を強くつねる。

「ひたっ! ヘレネ?」

「まだ終わってないわよ。王女様」

 強く言い放つヘレネの声でエレインはようやく正気を取り戻す。

「……ありがと」

 エレインは涙を手の甲で振り払い、少し恥ずかしそうに笑いながら立ち上がる。

「早くしないと。あの竜が王都に行っちゃう」

 ヘレネが再度見上げると、オートウッドは既に翼を広げ飛翔を開始していた。熱風が旧巣内を吹き抜ける。ナクラは相変わらず無表情で二人を見下ろしている。

「うん」

 エレインは腰を落とし、わずかに焦げた母の形見のマフラーを優しくヘレネに巻き直す。

「お母様。ヘレネを守って」

 そして立ち上がると、ゆっくりと降下を始めるナクラを睨みつけた。

 聖剣は手元にない。先程のブレスでどこかに吹き飛んでしまったようだ。だがもう一つの剣がある。おそらく使えばもう戻れなくなるだろう。スダレのことも気になる。身体の中を流れる血がまだ生きていると確信していた。彼を助けるためにもこれが今出来る最善の方法だ。


 エレインは右手をかざすと旧巣全体に響き渡る声で叫んだ。


「来い! 魔剣!」


 旧巣の亀裂の奥深くより竜の咆哮が今までにない地揺れと共に山脈全体に轟いた。

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