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Sorn Restoration  作者: 玖月 泪
2/5

魔槍

 いつも見る夢があった。


 わたしとヘレネは幼い頃より将来王都の騎士団を治める者への教育として、十二の騎士団に毎年順番に所属して回り、各騎士団の仕事、訓練に従事していた。二年前まではそれとは別に王立士官学校に通っていたこともあり、特に訓練の激しい第一、第二騎士団に通っていた時期は、城に戻ると着の身着のまま死んだように眠る日も少なくなかった。

 そんな疲労困憊の中で眠りに就いた時いつも見る夢があった。


 場所はいつも同じではなく王都に似た場所であったり、お父様やお母様に幼少の頃ヘレネと共に遠征で連れられた辺境の街や地域に似た場所であったり様々で、いつもわたしは十年前のお父様、お母様が亡くなった直後の年齢に戻り、何かを探して一人その場所を彷徨っていた。そしていつも途中でふと立ち止まり、探していたものを思い出そうとしたところで目を覚ます。

 

 今もまたそんな夢の中にいた。ただいつもと違うのは場所が全く心当たりのない森の中であることと、探しているものがはっきりしていることであった。


 静かな森であった。青空の下、王都周辺では見たこともない動植物にあふれ、木々の生えていない草原にはもう何百年も経っていると思われる巨大な竜の骨の残骸が散乱していた。もちろんこんな場所には行ったことはないはずだが、不思議と懐かしい感じがした。


 わたしは探しものに向かって森の奥の丘の上にある神殿に真っ直ぐ向かう。人間が作ったのかも疑わしい古い建築様式の石の神殿の中に、わたしの探しているものがある。

 蔦の絡まる巨大な石の階段状の段差を登る。七、八歳の子供姿のわたしではとても登れないはずだが身体は軽くまるで飛ぶように駆け上れた。


 神殿の中の石の廊下を進み、わたしは探しているものに向かって走り出す。

 が、途中でふと立ち止まり違和感を感じる。

 それは本当にわたしが探しているものだっただろうか?

 探しているものははっきりしている確信はあるのに、それが何だったのか思い出せない。

 

 考え始めたところでよく聞き慣れた自分のお腹の虫の声が、何故か遠くの方で聞こえる。

 そういえば最後にご飯食べたのはいつだっけ?

 思い出そうとしたところでエレインは目を覚ました。



 竜の襲撃から一夜明け、生誕祭三日目。曇天に小雨の降る中、王都アルクス全域はいまだ騎士団による厳戒体制下にあった。

 全ての竜の討伐は完了したものの、さらなる竜の襲来、あるいはナイグズの侵攻の可能性があるからだ。結果生誕祭は中止され、王女エレインの戴冠式も延期となった。

 街の中では生誕祭の今後の予定を知るべく街の人々や観光客、旅人が広場や王都の門前に集まり、毎日正午におこなわれる騎士団のおふれ役の宣言を待っていた。

 竜との戦闘がおこなわれた一、二、九番街の被害は特に酷く、騎士団による建屋や道路の残骸の処理、修繕、広場では夜を徹して竜の死体の処理がおこなわれていた。



 王城北東の尖塔最上階のエレインの寝室。ヘレネはベッドで眠り続ける姉エレインの手を握りながらじっと見つめていた。

 黒竜討伐後大量の血を浴び突然昏倒したエレインと、討伐に助力してくれた男スダレは、その後死んだように眠り、いまだに覚醒していない。

 エレインには目立った外傷はないが、竜、しかも強大な君主竜の血を大量に浴びたので何らかの影響が出ていてもおかしくはなかった。

 ヘレネが心配そうにエレインの寝顔を見つめていると、レイラが部屋に入ってくる。

「ヘレネも少し休んでください。ずっと起きていたのでしょう?」

「ありがとう。でもお姉ちゃんの無事が確認できるまでは……」

「衛生隊の見立てでは若干身体に竜眼の兆候は見られますが、自然に治る程度とのことです。じき目覚めるでしょう」

 竜眼とは竜の血を多く浴びた者に稀に見られる症状で、眼が竜のように赤くなり熱が出る後遺症のようなものである。医学的にはまだ詳しい原因は解明されていないが、大抵は数日で自然に完治する。

「でもあの竜は君主竜……」

「ええ……先王も十年前同様に君主竜ソーンの血を大量に受けたと聞きます。竜があの男の言ったようにソーンと何か関係があるのかはわかりませんが、ちょっと心配ですね」

 ヘレネとレイラが黙ってエレインの寝顔を見つめていると、不意によく聞き慣れた虫の鳴き声がする。

「ヘレネ……」

「私じゃないわよ! 食べてはいないけど」

「じゃあ……」

 二人はベッドの上で目を瞑ったまま笑いをこらえて口元をひきつらせている少女を見つめる。

「……おはよう。お腹空いたわ」

 エレインはちょっと前から既に起きていたようで、目を開けると同時に口を開いた。

「お姉ちゃん!」

「まったく……心配させて」

 ヘレネはエレインに抱きつき泣き出した。レイラはやっと安心したかのように息をついた。

「どうしたの二人とも? 今何時?」

「もうお昼過ぎです。生誕祭は中止、まだ厳戒態勢ですね」

「何か来たの?」

「いえ、先日の竜以降、さらなる追撃および他の便乗の襲撃はありません」

「そう……先日の竜? えと、わたしはどうして寝てたんだっけ?」

 エレインは両手を頭の上に乗せて首を傾げる。

「覚えてないんですか? 城に落ちた黒竜を討伐した直後気を失ったんですよ」

「……そう、だったわね……?」

「お姉ちゃん? 大丈夫?」

 いまいち反応の曖昧なエレインの顔を見てヘレネが心配する。

「だいじょうぶよ。うん。思い出してきた。そういえばあの……スダレはどうしたの?」

「あの男ですか? 地下の牢獄に収容されているとのことです。ジェラルドが取り調べに当たるようです」

 ジェラルドは古参の騎士の一人で第一騎士団の団長であり、現在の王都の騎士団の中でも最強の一人でもある。今回の戦いでも騎士団を率い一番街で竜二匹を討伐したのみならず二番街の竜の討伐にも助力している。

「わざわざジェラルドが? そういえばスダレがお父様との約束がどうとか言ってたわね。知り合いなのかしら」

「私にもお父様の知人だって言ってた」

「バルトの店で会った時に王都は十年ぶりって言ってましたね」

「後でわたしも直接話を聞く必要がありそうね」

 エレインはベッドの上から降りると、いつの間にか着替えさせられていたネグリジェに上着を羽織り、ガラス張りの窓際へ立つ。

 元々見張り用の部屋を便宜のために自室として使っているため、部屋はおよそ王族のものとも、また年相応の女子のものとも思えない簡素な部屋であった。

「メトゥの店はだいじょうぶかしら」

 エレインは窓の外の街並を見つめて呟いた。

「旧街道の方はかなり倒壊してしまいましたが、広場の店は大丈夫ですよ。メトゥも無事です」

 レイラが答え、連絡隊からの各地区の被害状況の報告書を読み上げる。

「はあ。後始末がまた大変ね」

「それも立派な王様の職務ですよ」

「なり損ねちゃったけどね」

 レイラはしまったといった顔で口を閉ざす。一瞬一同に気まずい間が訪れ、ヘレネがすかさず助け舟を出した。

「そういえば騎士団の人が言ってたけど、レイラもあの東方の人に助けられたって本当?」

「そうなの?」

「む。誰からそれを……ま、まあちょっとだけですけどね」

「ふーん」

 姫姉妹は疑惑の眼差しでレイラを見つめ薄ら笑いを浮かべる。

「そ、そんなことよりヘレネはライオスに会ってきたんですか?」

「え?」

 ヘレネが突然話題を振られて素っ頓狂な声を上げる。

「最近どうなのよ? わたしはあんまり会ってないんだけど」

 エレインも興味津々でヘレネに迫る。

 ライオスは第二騎士団の団長である。エレイン達とほぼ同年代で士官学校時代の先輩でもある。若くして団長になるほどの秀才というだけでなく、なかなかの美青年で王城や市井の女性達からの人気も高い。エレイン達、特にヘレネとの仲の噂が騎士団内外でまことしやかに囁かれている。

「私も全然会ってないよ! 忙しそうだし……」

 ヘレネが顔を真っ赤にして否定する。

「ふーん。ちゃんと見てはいるんだ」

 エレインが冷やかすとヘレネは頬を膨らませてそっぽを向く。レイラはそれを見て苦笑する。


「そういえばあの竜から抜かれた魔剣なんですが」

「!」

 他愛のない話をしていると、レイラが思い出したように報告を付け足す。

「あれ気持ち悪いよね。お姉ちゃん触ってみてどうだった?」

 ヘレネは何気なく聞いてみただけだったが、エレインはどこか遠い目をして黙っていた。

「エレイン?」

 レイラは心配そうにエレインに顔を近づける。

「うん? なに?」

 エレインは我に返ったようにきょとんとした表情でレイラに応えた。

「大丈夫ですか? 顔色悪いですよ」

「だいじょうぶよ。で、魔剣はどうしたの?」

「この塔の真下の地下の最下層の武器庫で念のため封印して置いてあります。もしかしたらまだ生きてるかもしれませんね」

 レイラは半分冗談で言ったが、エレインは無表情でそれを聞いていた。

「そう。地下に」

「お姉ちゃん?」

 ヘレネも心配そうにエレインの顔を窺い、額に手を当てる。少し熱っぽいようだった。

「熱あるかも」

 エレインはベッドの上に大の字に寝転がる。すると再び大きな虫の鳴き声が部屋の中に響く。

「……何か持ってこさせますよ。っとちょうど来ましたね」

 レイラは部屋のドアを開けると侍女の持ってきた食事を運ぶ。

「ごっはん! ごっはん!」

「もうお姉ちゃんはしたないんだから。私達はもう戻るからちゃんと休むんだよ?」

「はいはーい!」

 エレインが目を輝かせながら元気よく返事をしたのを確認して、レイラとヘレネは部屋を出ていった。

 エレインは二人が出ていくのを確認すると、パンをちぎり、鶏肉と野菜のスープを啜りながら思案する。何か自分の身体に違和感を感じていた。そういえば夢でも何か見たような気がするが思い出せない。それに魔剣のことも気になる。

 考えがまとまらないまま食べ終わると、食器を配膳台の棚の上に置いてまたベッドの上に横たわる。これからの竜との戦闘後始末のことを考えると憂鬱だ。

 それにしても違和感と言えば、このスープの味も何かいつもと違っていた気がする。

 そんなことを考えているうちにエレインは再び深い眠りに落ちていた。



 王城地下牢獄。魔剣の保管してある武器庫の上層。スダレは応急手当程度の処置で牢屋内に放り込まれていた。格子越しに第一騎士団、団長ジェラルドが木の椅子に座り、あご髭をいじりながらじっとスダレを見つめていた。

「う……」

 スダレは呻きながら目を開ける。ジェラルドは座ったまま声をかける。

「ようやくお目ざめか」

「お前は……ジェラルドか?」

「あーそうだぜ。城に戻ってみれば聖堂は大破、姫さんも血まみれでぶっ倒れてると来た。そしてまさかお前さんまでいるとはな」

 ジェラルドはわけがわからないといった風で肩をオーバーにすくませる。

「……エレインは……無事か?」

「ああ? 無事……かどうかは怪しいな。何せ十年前のガレフのおっさんの時同様しこたま血を浴びたようだからな。お前は大丈夫なのか?」

 ジェラルドはスダレの半身の拭いきれていない乾いた血の跡を見て尋ねる。

「わからん。魔剣はどうなった?」

「この下の武器庫に放り込んであるぜ。魔導士達がいろいろやってたが本当にあれがそうなのか?」

「間違いない。ソーンだ」

 スダレは背中に嫌な汗が流れるのを感じながらその名を口にした。

「大丈夫か? 顔色悪いぞ」

「気にするな。しかしお前がまだ騎士団にいたとはな」

 スダレは胸の中の引っかかりを振り払うように懐かしい旧友との再会を素直に喜び微笑した。

「こう見えて俺が第一騎士団長やってるんだぜ? 笑っちまうよな」

「騎士団は相変わらずか」

「そうだな。内輪争いも相変わらずだ」

 王都アルクスの騎士団も一枚岩ではなく、現在の十二の騎士団に編成される前は、代々王族の流れを汲む王立騎士団と、商工会を後ろ盾にする教会の流れを汲む神殿騎士団の二つの騎士団があった。

 現在においてもその流れは各騎士団に暗に受け継がれており、俗に王族派と教会派の派閥争いは少なからずこの国に影を落としていた。

「教会派はヘレネとライオスをくっつけようと躍起になってるな」

「ライオス? 確か教皇の孫だったか」

「あの糞ガキも今じゃ第二騎士団、団長様だからな。死んだ前教皇の孫ということもあって教会派としてはあいつを王様に仕立て上げたいらしい」

 スダレはバルトの店でエレインが教会派からヘレネを正式な王にしろとせっつかれていると愚痴っていたのを思い出した。

「ヘレネにも色々吹き込んでるようだが、まああいつらみんな仲いいから大丈夫だろ」

「そうか」

 先王ガレフは正統な王族に連なる王立騎士団の出身で、王妃エリノアは民衆の出身で教会から神殿騎士団に入団している。

 現在では騎士団は世襲だけでなく、一般公募による入団試験も広くおこなわれているが、先王ガレフによって十二の騎士団に再編される前までは、王立騎士団は世襲制、神殿騎士団は一部の教会に属する者から選出されていた。

「で、お前はこの十年間東にでも亡命してたのか?」

 ジェラルドはスダレの格好や刀を使っていたという他の騎士団員からの報告を元にかまをかける。

「そんなところだ」

「今さら十年前あの北の地でガレフのおっさんと何があったのかは聞かねえが、他の騎士団の連中はうるさいだろうな。これからどうするつもりだ?」

「まあなるようになるさ。それより何か食べ物はないか?」

 スダレは力なく牢獄の床にへたりこんだ。

「おっと、わりいわりい。なんか持ってこさせるわ」

 ジェラルドが席を立ち出口へ向かうと騎士団員の一人が食事を運んできていた。

「お、ちょうど来たようだぜ」

 そしてスダレの牢の中に食事を置く。スダレは空腹のあまり唾をごくりと飲み込む。

「なんだスープか。美味そうだな。俺も喰ってくるか」

 そう言うと見張りの騎士団員に目配せして立ち上がる。

「俺も団長様で後始末が色々忙しいんだよ。後で酒持ってきてやるから喰ったら寝とけや」

「ああ、悪いな」

 ジェラルドが立ち去るのを確認した後、スダレは思案した。おそらくこれから十年前のガレフの死についての執拗な追求が続くだろう。だがそんなことよりも自身の体調の違和感が気になった。目眩がし視界がぐらつく。やや熱っぽい。竜眼の影響は間違いないだろう。エレインにも同様の症状が出ていないか気がかりだ。そして何より魔剣がこの下に――

 と、考えたところで腹の虫の鳴き声が大きく響き、見張りの騎士が苦笑する。

 スダレはとりあえず何か食べねばと食事に手を伸ばした。



 昼過ぎ、雨はまだやまずに降り続けていた。王城二階の円卓会議室では騎士団長が集まり、今回の竜の襲撃による被害の報告と今後の方針についての会議が始まろうとしていた。

「集まったのはこれだけか」

 円卓の席が半分にも満たないのを見て第三騎士団、団長リードリッヒは溜息をついた。白い髪と長く伸びたあご鬚のこの老齢の男は、ローレス同様騎士団の古株で、王都裁判所長官も兼任している。まだ幼いエレインやヘレネに代わりこの十年間騎士団会議の議事を務めてきた。

 王都裁判所とそれを運営する第三騎士団は旧来より王立騎士団と神殿騎士団の仲裁役としての役割も暗にあった。

「まあ、しょうがねーだろ」

 第一騎士団、団長ジェラルドが眠気を払うかのように大声を上げる。

「今日の姫の戴冠式には全員揃う予定でしたが、先日の竜の襲撃もあり遠征中の団長には各地での任務に一旦戻ってもらっています」

 王城守護騎士団、団長ローレスが各騎士団の動向の報告を始める。

「それで、エレインは無事なのか?」

 第二騎士団、団長ライオスが長い金色の髪をなびかせ、ブラウンの瞳を凄ませて尋ねる。

「昼頃一度目を覚ましましたが、これといって異常は見られませんでしたね」

 第九騎士団、団長レイラが答える。隣席のヘレネも同様に頷く。

「君主竜の血を受けたと聞いている。その影響はないと?」

 リードリッヒが尋ねる。

「まだ何とも言えませんが、竜眼の症状がわずかに出ているだけで特に異常はないようです」

 第六騎士団、団長ウィルヘイムがエレインを診断した衛生隊からの報告を読み上げる。竜眼の症状は確かに自然治癒するが、君主竜のそれは如何せん例が少ないため安心は出来ない。

「スダレと名乗ったあの男については何かわかったか?」

 ローレスがジェラルドに尋ねる。

「……さあな。ガレフのおっさんの古い知り合いらしいがそれ以上はわからんな」

 ジェラルドはローレスをしばらく見つめた後に肩をすくめて答えた。

「彼についても若干竜眼の症状は出ていますが、取り立てて異常は見られないと報告されています」

 ウィルヘイムが付け加える。

「先王の事例もある。二人については厳重に監視の上しばらくは様子を見ることとする。戴冠式についてはそれ以後検討するとしよう」

 リードリッヒが提案し全員が了承する。


 議題は進み、王都各地区の被害状況とその復興計画についての各隊の報告中、一人の連絡隊員が会議室の戸を叩く。

「どうした?」

 ライオスが自隊の連絡隊員だったので応える。

「はい。ナイグズの使者と名乗る者達が王都入口で来城許可を求めているとのことです」

 息を切らせる連絡隊員の報告内容を聞いて会議室内の団長達は言葉を失う。



 雨の降り続く中、王都八番街の城門では、他の地区の城門同様、生誕祭の観光客や旅人の検問がおこなわれていたが、そこに明らかに異質な一団が王都に入るべく留まっていた。

 全身黒いローブにフードを被り、巨大な黒い馬に乗ったその魔人ナイグズの五人は、みな人間とは異質な青白い肌をフードの中から覗かせ、燃えるような真っ赤な瞳をしていた。

 先頭の男の馬にはオブロンが一匹同乗していた。

 オブロンとは全土にいくつもの部落を持つ小鬼族の一種で、低い背丈に長い鼻、細い手足を持つ。元来ずる賢く人間社会に混じって商売をしているものも少なくない。ナイグズは人間達の言語を解さず独自の意思疎通方法をとっていると言われ、人間と交渉をする際にはオブロンを通訳に伴っていることが多い。

「早クシロ! コノ国 ドウナッテモ イイノカ!」

 オブロンが城門で引きとめている騎士団員に訛りの酷い共用語でがなり立てる。同乗するナイグズの男は全く表情を変化させずに城門を見つめていた。

 しばらくすると王城からの連絡隊員が到着し、来城許可を告げる。

「許可が下りた。だが武器や魔法具は持ち込むな。馬から降り真っ直ぐ城門へ向かえ」

 オブロンはナイグズ達に目配せする。彼らはそれだけで理解したのか、馬から降り歩き始める。

 だが五人の中の二人はその場に残り他の三人から武器を受け取る。残った二人の内の一人は小柄な少女で、黒い布で包まれた巨大な槍を背負っていた。



 城門廊下から続く応接間、外の風雨は強くなり雨が音を立てて窓を打ちつける。時々遠くで雷の音が鳴っている。

 本来エレインが座る中央の席にはヘレネが座り、両脇にローレスとレイラが立つ。入場した三人のナイグズの使者とオブロンはライオス、ジェラルド率いる騎士団に取り囲まれ、応接間は緊迫した空気に包まれる。ナイグズの使者が少しでもおかしな行動を起こせば即座に騎士団が止めに入れる形だ。

 ナイグズの使者の一人が騎士団員に書類を手渡す。ライオスがそれを確認する。

「間違いありません。ナイグズの王による謁見書状です」

 ヘレネは書状を受け取ると、そのオブロンに書かせたと思われる歪な謁見許可を求める文言と、最後に記されたナイグズの王の禍々しい血判を確認して顔をしかめる。

「ナイグズの使者よ。では要件を述べよ」

 ヘレネが発するとオブロンは三人のナイグズを見つめ頭を上下に揺らす。

「モウ一人ノ姫 ドシタ? ワレワレ ソイツ 用アル」

 オブロンがたどたどしく尋ねる。騎士団員達はどよめく。

「お前達もよく知っているだろうが、先日襲撃した竜との戦いでエレイン王女はお疲れになっている。要件は我々が聞く」

 レイラはおそらく竜をけしかけたと思われるナイグズにかまをかけて答える。オブロンはそれを聞き、理解しようと必死に考えているのか頭を左右に振りながらナイグズの使者の周りを歩き回る。そしてまたナイグズの三人を見つめ今度は頭を上下に振る。

「ワレワレ 竜ノ呪イ 受ケタ 姫 引キ渡シ 要求スル!」

 オブロンが叫ぶとナイグズの使者達も一歩前に進む。騎士団員達が一斉に身構える。

「竜の呪い? 何のことだ」

 ローレスが緊張した面持ちで尋ねる。騎士団を真っ赤な燃える瞳で睨みつけるナイグズの使者達を見てオブロンは激昂する。

「トボケルナ! ワレワレ 見テイタ! タカーイ タカーイ 鳥ノ目 見テイタ! アルクスノ姫 ソーンノ血 イッパイ受ケタ! 呪ワレタ!」

 ヘレネとローレスは息を飲む。あの竜との戦いをナイグズに見られていたとなれば、やはり竜の襲撃を手引きしたのは彼らであろう。

 ローレスはさらに十年前先王が王都に襲撃したソーンを討伐した時のことも思い出す。あの時も数日後ナイグズの使者が王の引き渡しを要求してきたのだ。

 ナイグズの生態は謎に包まれているが、「人間狩り」と呼ばれる特性がある。彼らは各国の権力者や優秀な人間をさらい、ナイグズや竜の血を与えることで自国の兵士に作り変えるという。その呪いを受けた者は彼らと同じように青白い肌に真っ赤に燃えるような瞳の魔人となる。彼らによって滅ぼされた国の王が数十年後に変わり果てた姿で彼らの軍を率いていたなどという信じられない噂もある。

 もしそのための手段として十年前も、そして今回も竜をけしかけ、その血を利用しているのだとしたらと、ローレスは戦慄する。

「そのような事実はありません。もちろんエレイン王女を引き渡すことも出来ません。帰ってあなた達の王にそう伝えなさい」

 騒然とする騎士団員達を静止してヘレネが毅然と答える。ローレスはそんなヘレネを見て安堵する。

 オブロンは再び頭を左右に振って考え込むと、ナイグズの使者達を見つめる。ナイグズの使者達は表情一つ変えずに、その真っ赤に燃える瞳を一斉にヘレネに向けしばらく見つめた後、突然身を翻して立ち去り始める。

「アルクス 呪ワレテイル! 呪ワレタ 姫ノセイ 滅ビル!」

 オブロンは悪態をつきながら後に続くが、廊下で突然転ぶ。背負っていたガラクタの詰まった鞄からボードゲームの駒のようなものが散乱する。騎士団員達が身構えるがジェラルドが制する。オブロンはさらに癇癪を起こし、喚き散らしながら散らばった駒を掻き集め、廊下の隅に唾を吐く。

 そしてナイグズの使者達は王都城門まで騎士団に取り囲まれながら去っていった。


「大丈夫ですかね。戦争になるかもしれませんよ?」

 ナイグズの使者達が去った後、応接間に残ったレイラがヘレネに尋ねる。

「大丈夫よ。彼らはきっと確認しに来たんでしょう」

 ヘレネはナイグズ達に見つめられても毅然と振る舞っていたが、やはり怖かったのか椅子に縮こまりながら小さな声で答えた。

「確認……ですか」

「お姉ちゃんに竜の血を受けさせることが出来たかどうか。そして多分私のこともね」

 ヘレネは窓の外のまだ降り続ける雨を見ながら呟く。

「十年前にもソーンを倒した数日後、彼らはガレフ王の引き渡しを要求してきました」

 ローレスが腕を組み考え込みながら言った。

「もちろん拒否しましたが……」

「そしてガレフのおっさんは狂った」

 ジェラルドが応接間の壁にもたれかかったままぶっきらぼうに吐き捨てた。

「ジェラルド!」

 ライオスが声を張り上げジェラルドを睨みつける。

「どちらにせよ今すぐどうにかなるわけじゃない。しばらく様子を見ましょう」

 レイラは無言で睨み合うジェラルドとライオスの間に割って入り応接間を出る。

「……うん」

 ヘレネは誰にともなく呟くと、姉の身を案じローレスと共に応接間を後にした。



 その日の深夜、自室で眠っていたエレインは目を覚ました。昼に一度起きてヘレネ、レイラと話した後食事をとり再び眠ってしまったようだ。ベッドの横のオイルランプに火をつけ、いつの間にか脱ぎ散らかしていた上着を羽織る。七の月の夏季とはいえ、夜は肌寒い。

 ランプを置き窓辺の椅子に座って外をぼんやりと眺める。雨はまだ降り続いているようだった。天蓋がすっかりなくなった大聖堂の中もすっかり雨にうたれてしまっている。飛び散った竜の血もこの雨で洗い流されるだろうか。

 エレインはあの竜のことを考えると体中がそわそわして落ち着かなかった。ついでにお腹の方もそわそわしていたが食欲はなかった。むしろ気持ち悪く軽く吐き気がした。頭もくらくらしよろめく。

「まだ熱あるかも……」

 エレインは竜眼の症状が悪化しているのではないかと嫌な汗が流れるのを感じる。自身の眼の状態を確認するためにランプを片手に、壁に掛けてある姿見の鏡の方へ向かう。

 暗いので鏡に顔を近づけ自分の顔をじっと見つめる。幸い竜眼の赤い眼の症状は出ていないようだった。

 安堵すると同時に鏡の中の自分の背後にまっ黒な巨大な人影と、頭上に掲げられた光る何かが映っているのを確認し、すかさず身を横に投げる。

 ランプが転がり、こぼれたオイルに火が付いて部屋の中が明るくなる。エレインは振り下ろされた短剣を避け窓際に背をつける。

「悪い冗談ね!」 

 目の前には黒いローブに黒いフードを被った男が短剣を片手に立っている。フードの中に覗くのは青白い顔と真っ赤に燃えるような瞳。ナイグズだ。

「どこから湧いて来たのかしら」

 エレインは部屋の入口に目をやると、見張りの騎士団員が首から血を流して倒れているのが見えた。

「わたしを殺す? それとも人間狩りってやつかしら。どちらにせよ話し合いが通じるとは思えないわね」

 ナイグズの男は赤い目を光らせてエレインをじっと見つめる。エレインはじりじりと壁伝いに入口の方へ近づく。護身用の剣はベッドの下にあるので使えない。出来ればさっさと逃げて助けを呼びたいところだった。ここまでナイグズの侵入を許した以上、城内が無事である保証はないが。

 男が全く殺気を感じさせない初動で短剣を突き立て、凄まじい勢いで突進してくる。エレインはわずかに上体を逸らしそれを避け、男の短剣を持った手首を掴み、膝で思い切り蹴り上げる。そして手元から落ちた短剣を空中で拾いそのまま男の首筋に真っ直ぐに突き刺す。黒い血が噴き出し、男はほとんど聴き取れない奇声を上げよろめく。突きを避けた反動でわずかに裂けたネグリジェの腰から下がずり落ちる。

 さらにエレインは突き刺した短剣をそのまま横に斬り払い抜く。おびただしい量の血が男の首から溢れ出す。だが男は首を半分近く切断されながらもまだエレインを燃える瞳で睨みつける。エレインは短剣を振って血を払うと、今度は男の伸ばした手をかいくぐり、左胸に短剣を両手でねじ込む。今度は男の胸から黒い血が噴き出す。

 これだけやってまだナイグズを殺せる確信が持てなかったが、男はエレインの首筋に両手を伸ばしながら身体を痙攣させ、力なく倒れかかる。

 男と密着し身体を通して痙攣が伝わってくる。だがそれも数秒後止まり、ついに男は事切れた。

 エレインはこの生きている者がただの物に変わる瞬間にいまだ慣れていなかった。人を、人のかたちをしたものを殺すのは初めてではなかったが、やはり気持ちが悪い。


 エレインは男の死体を押し退けると気持ち悪さのために少し吐いた。そしてベッドに近づき護身用の剣を取り出すと、よろよろと部屋の入口に向かって歩いていった。ナイグズの刺客が一人とは限らないし、彼らがどのようにして仲間内で意思疎通をおこなっているのかもわからない。このまま部屋にいるのは危険だと本能が訴えかけていた。

「まったく。今日も散々ね……」

 エレインは尖塔の階段を下り始めた。その瞳は仄かに赤く光り始めていた。



 ヘレネは昼間の会議やナイグズの使者達との謁見で疲れてはいたがどうにも寝付けず、王城二階の廊下を歩いていた。

 見張りの騎士達に軽く声をかけながら進み、階段踊り場のテラスの椅子に座る。そして窓ガラス越しにまだ雨の降り続く宵闇の空を見上げた。

「どうしました?」

 すると廊下の先で部下の騎士と話していたライオスが気付き声をかける。

「あら。まだ帰ってなかったの」

 ヘレネはライオスに笑顔で返す。

「あんなことがあった後ですからね。今日はこっちに泊っていきますよ」

 十二の騎士団員は通常は管轄の地区で生活しており、王城で寝泊まりしているのは王族とその身辺の世話にあたる侍女、執事、そして王城守護騎士団だけである。だが聖誕祭期間中は万一のこともあり、各騎士団が交代で王城の見回りを強化していた。王城にはそのための居館も用意されている。

 二人はしばらく黙ったまま外を見つめていた。

「お姉ちゃん大丈夫かしら」

 ヘレネはオブロンの言っていたことを思い出し、気持ちが重くなる。

「一度目を覚ましたのでしょう?」

「うん。お昼たくさん食べた後またぐっすり眠ってしまったみたい」

「なら大丈夫だろう」

 二人は士官学校時代レイラも交え、いつもエレインに振り回されっぱなしだったことを思い出して苦笑する。

「……戦いのことは全部あなた達に任せてしまって本当にごめんなさい」

 ヘレネはいつも口癖のように言っている謝罪の言葉を口にする。

 姉のエレインと違い身体が弱いヘレネは、戦役や戦闘訓練はおこなわず、専ら内政業務に勤めていた。

「またその話ですか。あなたが城で待っていてくれるからこそ私達は心置きなく戦えるんですよ」

「うん……」

 ライオスもいつもの返答で返す

「それにエレインは戦闘以外にはあまり優秀とは言えませんからね」

「ふふ……」

 ライオスはいつもレイラと共に始末書を書かされている愚痴をこぼす。


「十年前。お父様はどうだったのかしら」

 しばらく二人共また黙って外を見つめていた後、ヘレネがぽつりと呟いた。

「ジェラルドの言ったことを気にしてるんですか?」

「十年前のあのソーンが襲撃した日からお父様がおかしくなったのは事実。時々何かに怯えているかのように苦しみ、私達やお母様を遠ざけるようになった」

「それは――」

「わかってる。私達家族を傷つけないようにしてたって。でも結局あなたのお爺様が……」

 ライオスの祖父は王城の大聖堂の司教であり教皇であった。だが十年前先王ガレフは乱心し、教皇を殺害してしまった。国民には当然公表はされていないが、そのことによって十二の騎士団設立でなくなり始めていた騎士団内の王立派と神殿派の溝が再び開いてしまった。

「私もまだ幼かったので詳しい事情はわかりませんが、神殿派の一部の過激派が王を失墜させるために仕組んだとも言われています」

「あなたもそう思ってるの?」

「わかりません。ただ今回を機にまたエレインを陥れようとする動きがあるかもしれません。こちらでも調査をしたいと思っています」

 ライオスは自身もその神殿派から団長に強く推薦されたこともあり、騎士団内に不穏分子が暗躍していることを無意識のうちに感じていた。

「そのためにはまずジェラルドと仲良くしなくちゃね」

 ヘレネは強く決意するライオスを見てやさしく微笑んだ。

「あいつは昔からいつもデリカシーがないんですよ!」

 ライオスは気恥ずかしさを紛らわすかのように強く言い放つ。


 その後しばらく昔話に花を咲かせた後、ライオスはヘレネの手を取り立ち上がらせる。

「そろそろ部屋に戻ってください。私も途中までお供します」

「うん。ありがとう」

 ヘレネの部屋のある一階への階段に向かう途中、不意にライオスはヘレネを抱き寄せる。

「きゃっ!」

 ヘレネは突然のことで硬直する。

「静かに。何かいます」

 ライオスはヘレネの耳元で囁くと腰の長剣の柄に手をかける。廊下は不気味に静まりかえり誰もいない。だが確かな敵意を感じる。

「まさか――」

 ヘレネが言いかけたところで黒い巨大な影が廊下の柱から飛び出し、ヘレネに短刀を振り下ろす。

 ライオスはそれをわずかに鞘から抜いた刃で防ぎ、眼前の影を視界に捉える。黒いローブから覗く燃えるような真っ赤な瞳。ナイグズだ。

「くっ……どこから入ってきた」

 ライオスは廊下の先まで見回すが見張りの騎士達がいない。自分がヘレネと会っているのを見て余計な気を利かせたのか。今度そんなことで職務を放棄するなと厳しく言っておく必要があるな――などと考えながら長剣を抜き放ち、ナイグズに剣先を向ける。

 ヘレネはライオスの後ろに下がり対峙する二人を見つめる。男は間違いなく昼間来城した使者の一人だった。

 ライオスは剣先をわずかに震わせると、即座に大きく一歩を踏み出し突きを放つ。

 しかし男はその突きを避けながら迷うことなく廊下の窓に向かって身を投げ、中庭に逃亡を計る。

「くそっ。待て!」

 二階の窓から中庭に飛び降りた男は、巡回していた見張りの兵士を斬りつけると真っ直ぐに北のホールへの入口を目指して走り出す。

「お姉ちゃん!」

「まずいな」

 ライオスはすぐさま追いかけたいところだったがヘレネを見つめて踏み止まる。間違いなくヘレネもナイグズの狙いの一人である以上、ここに一人置いていくことなど出来ない。

 まずは他の騎士達と合流すべくライオスはヘレネの手を引いて走り出した。



 王城地下牢獄。スダレは目を覚ました。体中が軋み痛む。眩暈と吐き気がし、視界が仄かに赤く霞む。間違いなく竜眼の症状が出ていた。

 竜眼は医学的にはまだほとんど解明されていない。如何せん症例が少なすぎるためだ。通常の竜でも血を大量に浴びると症状が起こることは珍しくないが、数日でそれも治まるため、竜の強力な魔力の残滓による体調不良というのが一般的な認識だ。

 先王ガレフは自らを被検体に君主竜の血による竜眼を研究させていたらしいが、その詳しい症状や治療法が十年経った今でも世に出ていないことから、おそらく解明には至らなかったということだろうと、スダレは推察した。

 スダレは地下牢獄の入口を見やると見張りの騎士が一人いた。十年前から城の構造が変わっていないならあの入口の先に螺旋階段があり、城内一階ホール、そしてその上の尖塔にまで続いているはずだ。そしてこの牢獄の地下には武器庫があり、そこに魔剣が――


 突然激しい鉄の硬い音が鳴り響く。見張りの騎士が倒れ、その鎧が牢獄の石床に激突した音だった。騎士は声もなく倒れ、首筋から大量の血を流していた。背後から巨大な影が現れ、牢獄の中に入ってくる。黒いローブとそのフードの中の青白い肌と燃えるような赤い瞳。ナイグズだ。

 ナイグズの男は倒れた見張りの懐から鍵束を拾うと、スダレのいる牢屋に近づく。そしてローブの中から小さな水晶を取り出し、スダレのいる牢屋の中へ放る。床に落ち砕けた水晶から黒い煙が上がる。

 スダレは咄嗟に口を着流しの裾で覆う。すぐに睡眠か神経系を麻痺させる毒と気付いた。ナイグズが人間狩りをする時の常套手段だ。確証はないがソーンの呪いを受けたことで彼らの捕獲対象になってしまったようだ。

 スダレは部屋の隅のほとんど口をつけずに放置している昼間出された食事を横目で見る。空腹のあまり何度か手を伸ばしそうになったが、一口食べてすぐ毒が仕込まれていることがわかった。しかもこの煙のような動きを止める類のものではなく即死する危険性のある猛毒だ。

 捕えるつもりなら殺しては意味がない。つまり食事に仕込まれた毒はナイグズによるものではない。ジェラルドがそんな回りくどいことをするとも思えないので、おそらく先王の凶行の再来を恐れた教会派の差し金か。

 煙が牢屋内に充満しスダレは意識が朦朧としてくる。男は格子越しにその燃えるような赤い瞳でスダレを見下ろしていた。

 スダレは倒れた。それを確認すると男は牢の鍵を開け牢屋の中に入る。男が青白い手を伸ばしたところでスダレは目を開け、その手首を掴んで引き寄せる。そしてもう片方の手で頭を掴み、力の限り牢屋の壁に激突させる。わずかに骨の軋む音が響く。

 身体の痺れはあるがどうにか動けた。スダレは自分が狙われた以上間違いなくエレインも狙われているだろうことを危惧した。

 スダレは牢屋から出ると、まだよろめいている男を無視して牢獄の入口へ向かう。

 廊下には見張りの騎士が何人か血を流して倒れていた。その合間を縫って駆け、螺旋階段を上り始める。魔剣のある地下へ行くことを本能が激しく欲求していたが、他のナイグズの刺客が魔剣を回収するために侵入していれば最悪挟み撃ちになる可能性もある。まずはエレインの無事を確認することを優先した。

 牢獄の中の男が額から血を流しながら奇声を上げ、すぐさまスダレを追いかけ始める。尋常ではない跳躍力で階段を駆け上がるその手には短刀が握られていた。

 階段半ばであっという間に追いつかれたスダレは、斬りつける男の攻撃を寸でのところで避け、壁の松明を投げつけてそのローブに火をつける。だが男は全く気にするでもなく更に横に斬り払う。スダレは身を伏せて避け、痺れる足に鞭打ちながら全力で男の腹に蹴りを撃ち込む。

 燃えるローブから火の粉を撒き散らしながら男は階段を転げ落ちていく。

 スダレはそれを確認すると階段を駆け上がっていった。



 王都八番街城門より少し離れた森の中、オブロンは繋がれた馬の番をしながらくしゃみをする。木々が傘になるとはいえ、まだ雨脚は強かった。

 ナイグズの男が土の上に座り込み、目の前の歪んだ空間の亀裂から開く門を維持するために、両手で杖を掲げ詠唱を続けている。

 オブロンが昼間城内に撒いた駒に刻まれた楔を元に座標を特定し、直接城内への進入路を開く空間魔法。既に三人のナイグズが場内に進入し、ソーンの呪いを受けた姫君と魔剣の確保のため動き出していた。

 詠唱を続けていた男がオブロンの方を見る。呼ばれたオブロンは杖を受け取り門の維持を続ける。男は懐から短剣を取り出し門の中に飛び込んだ。

「ナクラ イクノカ?」

 ナクラと呼ばれたナイグズの少女は背中の巨大な槍を構えると、覆われた布を剥がし門に向かって歩き出した。その槍はまるで血で塗り固められたかのように黒い槍であった。



 スダレが城内一階ホールに出ると、辺りには先程ナイグズの男が放った煙と同じ臭いがわずかに漂っていた。そして床には見張りの騎士の死体が何体も転がっていた。その数からナイグズの刺客の数がやはり一人ではないことが知れた。

 このホールから中央の絨毯の敷かれた広い階段を上ると二階王の間へ、東西に続く廊下から中庭を囲む城塞へ、螺旋階段からは尖塔と地下へ、中庭へのゲートをくぐると大聖堂のある中庭へ行くことが出来る。

 スダレは騎士の遺体から剣を一本抜き取り、付近を警戒する。階段で蹴落とした男が追い付いてくるのも時間の問題だった。

 ふと気配を感じホールの柱に近づく。

 そこには中庭や東西の螺旋階段から身を隠すように座り込み、息を荒くしている少女がいた。エレインだった。

「大丈夫か?」

「……スダレ? 起きたの。ご覧の通り最悪よ」

 エレインはゆっくりと顔を上げると、額に大量の汗を滲ませながら苦笑いする。白いネグリジェは腰から下が裂け、全身真っ赤であった。

「だいじょうぶ。返り血よ。その様子だとスダレのとこにも来たようね」

「ああ。やったのか?」

 エレインの目はわずかに赤く光っている。竜眼の症状が出ていた。

「多分……ね。うっ」

 エレインは顔をそむけると柱の裏で嘔吐する。嘔吐物からスダレは自分に出された食事と同じ食材が使われていたことに気付く。

「食べたのか?」

「……うぅ……最悪……え?」

 スダレがエレインに近づき背を優しく撫でると、エレインは一瞬びくっとし涙目で恨めしそうにスダレを見上げる。

「おそらく食事に毒を盛られた。ナイグズの仕業かはわからないが」

「そう……うっ……てっきりこれも竜眼の症状かと思ったわ」

「まあそれもあるかもしれないが」

 スダレはこの程度で済んでいることに驚いた。まともに食べたのならとっくに死んでいてもおかしくはないのだが、もはやこの程度の毒では死ねない身体になっているということか。

「とりあえずみんなと合流しないと。見張りの人達は……」

「この辺りはみなやられてる。おそらく敵は最低でも三人はいるだろう」

「く……ヘレネが心配」

「立てるか?」

 スダレはエレインの手を取り立ち上がらせるが、エレインはよろけてスダレに頭から倒れかかる。スダレは咄嗟にエレインを抱きとめる。

「エレイン?」

「うん。何故かこうしてると落ち着く。しばらくこうしてていい?」

 エレインはスダレの胸に頭をうずめると目を閉じて身体を預ける。

 エレインが自分と同じくソーンの呪いにかかったことはほぼ間違いなかったが、今それを言うべきかスダレは迷った。

「ああ……だが悪いが俺の方のお客様がそろそろ来たようだ」

 スダレはエレインを放すと剣を抜く。螺旋階段からナイグズの男が燃えるローブを脱ぎ捨て上がってくる。

 男は腰のベルトに差した短剣を抜き両手に持つ。そして音もなく歩を進め、じりじりとスダレに近づく。

 スダレは騎士団の長剣の先を向けながら少しずつ窓際に向かう。エレインも護身用の剣を抜きスダレの後ろに続く。

「ナイグズと戦ったことある?」

「ああ」

 男はスダレに飛びかかり両手で次々と斬撃を繰り出していく。スダレはそれを剣で払いいなす。ホールに剣戟の高い金属音が響き渡る。

 的確に急所を狙う斬撃を受けながらスダレは思案した。生きて捕えることは諦めたのか、それとも竜の呪いを受けた者はこの程度では死なないと踏んだのか、まさか死体でも十分だというのか。

 スダレは力強く切り上げ、短剣で受けた男の体勢をわずかに崩す。すかさず後ろから飛び出したエレインが剣を突き出す。剣は男の腰に深く突き刺さり黒い血飛沫が舞う。

 男は全く動じずに短剣を振り下ろすが、エレインは剣から手を放し後ろに下がって避ける。スダレはそれを見計らい、剣を両手持ちで構えて全力で横に斬り払う。男の左手の肘から先が斬り飛ばされ短剣ごとホールの壁に激突する。その軌道上の絨毯と壁が黒く染まる。

「あまり無理をするな」

「でも……これならどうにかなりそうね」

 エレインは倒れている騎士の腰から新たに剣を抜き、息を荒くして応える。

 スダレは見るからに酷い衰弱状態にもかかわらず、無理して戦うエレインの赤く燃える目に恐怖を感じると同時に、男の腕を軽く斬り飛ばした自分の尋常ならざる膂力に違和感を感じた。まるで自分の身体ではないかのような。

 腕を斬られた男は片膝をつき声ならぬ奇声を上げ痛みに苦しむ。そして残った右手で腰に突き刺さったエレインの剣を引き抜くと、さらにその目の炎を怒りに燃やし、スダレを睨みつける。

 スダレが止めを刺すべく剣を上段に振り上げたところ、突如中庭側の窓ガラスが砕け、ホールに飛び込んできた黒い影がスダレに襲いかかる。

 スダレは咄嗟にその新手のナイグズの男の攻撃を身体を捻って避けるが、背に激痛を感じる。負傷したナイグズがスダレの背に短剣を振り下ろしていた。

「スダレ!」

 駆け寄ろうとしたエレインだが、突然背後から肩を掴まれ地面に組み伏される。絨毯に流れた血で髪を汚しながら振り向くと、そこにはさらに新手のナイグズの燃えるような赤い目があった。

 エレインは剣を振り上げて男を飛び退かせ、そのまま床を転がり距離を取る。スダレも剣を前方に伸ばして牽制しながら後退し、二人は背を向け合う。

「まずいわね」

「ああ」

 割れた窓ガラスからまだ降り続ける雨の音が響き、三人のナイグズが二人を取り囲むようにホールの中を逡巡し始めた。



 ライオスとヘレネの元にようやく見張りの騎士達が集まってくる。

「団長! 無事ですか?」

 ライオスの部下の一人が息を切らせて尋ねる。

「ああ。侵入者は何人だ? どこから入って来た?」

「わかりません。見張りの何人かがやられています」

「場所は?」

 ライオスはまずナイグズ達の侵入経路を確認しておきたかった。聖誕祭で平時よりも見張りの数の多い王城に、こうも簡単に侵入を許してしまうのはおかしい。

「南のゲート内におそらく毒と思われる煙が流されています。また北のホールの様子を見に行った者が戻ってきません」

「外の見張りの人達は?」

 ヘレネが尋ねる。

「無事です」

「ということは――」

 ヘレネはライオスの顔を見て答えを促す。

「外の見張りに気付かれずに侵入……いやそれなら中でここまで堂々と暴れるはずがない。既に潜んでいたか、あるいは」

「中に直接飛んできたかだな」

 廊下からジェラルドが愛用の曲刀を抜き身のまま肩に担いで歩いて来た。

「どういうことだ?」

 ライオスは昼間のこともありそっけなく尋ねる。ヘレネはやれやれと溜息をつく。

「玄関のホールの隅にこんなの転がってたぜ」

 ジェラルドはそう言うと小さな木彫りの駒を見張りに放る。

 昼間オブロンが転んで床にばら撒いたものであった。ボードゲームの駒に似たそれには血で塗り固められた文様が複雑に刻まれていた。

「これには何らかの空間魔法が込められています」

 魔導隊の一人がその駒を見て判断する。

「ああ。その駒を見つけた時、壁に穴が開いてて昼間の汚らしい小鬼野郎が覗きこんでやがった。すぐ閉じちまったがな」

「じゃあそこから……」

 ヘレネはその駒を恐る恐る見つめる。

「しかし、こんな粗末なマーキングでつけた道なんか普通人は通れませんよ」

 魔導隊員は信じられないという顔で答える。

「あいつらは人じゃねえからな。無理矢理入り込んできやがったってわけだ」

「狙いはやはり……」

 ライオスはヘレネを見つめ、そして北の尖塔を見上げる。

「姫さんがあぶねえな。いくぞ!」

 ジェラルドとライオスは早速城内に残っている騎士を集めるよう指示を出す。

「ヘレネはここで待っててください」

「うん」

 ライオスは見張りの騎士達にヘレネを預ける。ヘレネは心配そうにライオスを見送る。

「じゃあいくぜ」

「わかってる」

 ジェラルドとライオスが部下の騎士団員数名を連れて廊下を進み始めた時、突如城内に異様な咆哮が響き渡る。

「な、なんだ? まさか……竜の襲撃?」

「そんなのどこにもいねえぞ」

 ライオス達は窓から中庭を見るが、壊れた大聖堂があるだけで竜などいない。

「とりあえず急ごう」

「ああ」

 ライオス達は駆けだした。だがジェラルドには一つだけ心当たりがあった。かつて先王ガレフが使った――



「この状況を打破できる……素敵な作戦は何か……ないかしら」

 エレインはスダレに背を預けながら息を絶え絶えにしてつぶやく。

「隙を見て逃げるか、手負いの一人を倒して一対一にもちこむか、最悪時間を稼いで騎士団が来るのを待つか、あるいは……」

 スダレは一つだけ決定的な手段が思い浮かんだが黙っていた。

「さすがにちょっともうきついかも……」

「エレイン?」

 スダレがわずかに振り向くと、エレインは片膝を絨毯の上につき息を荒らげていた。燃えるような赤い目とは裏腹にその手は小刻みに震えていた。先日の戦いの直後、毒を盛られ、さらにソーンの呪いで体調に明らかな異常をきたしているこの極限状態で、もはやエレインの身体は限界であった。

 窓から侵入してきたナイグズの男が懐から小瓶を取り出し床に放る。砕けた小瓶からはわずかにホールに残っていた臭気と同様の煙が立ち昇る。

 スダレは吸い込まないよう息を止めるが、背に付けられた傷から激痛が走り、思わず息を吐き出す。傷自体は浅いが短剣に毒が塗られていたのか全身が痺れ始める。

 エレインは既に意識が朦朧としているのか、両手を地面につき必死に頭を上げようともがいていた。

 エレインに襲いかかった男が短剣を構え二人に近づく。左腕を失った男も血が流れるのもそのままに右手で短剣を構える。

 スダレは鈍る思考の中わずかに考えた後、腰を落としエレインの耳元で囁く。

「ソーンの力を使う」

 突然言われてエレインは一瞬面食らった。

「何を――」

「もし俺が止まらなくなったら、お前が俺を殺してくれ」

 スダレは右手に持った剣を床に置き、エレインの肩を抱き寄せる。

「スダレ?」

 諦めたと判断したナイグズ達が一斉に駆け寄り、止めを刺そうとする。

 スダレはエレインを抱きながら左手を正面にかざし叫ぶ。


「来い! 魔剣!」


 スダレの声がホールに響き渡り、ナイグズ達は何事かと足を一瞬止める。

 直後地下から凄まじい咆哮が城内に鳴り響き空気が震える。竜の咆哮だった。

「な、何? 竜? ……痛っ!」

 エレインは左胸に凄まじい激痛を感じて思わずよろめく。心臓が竜の咆哮に呼応するがごとく強く脈打ち始める。何かが近づいてくる予感がした。

 咆哮は続き、今度は爆発音が階下より鳴り、城内が揺れる。

 スダレはエレインを抱きながら立ち上がり、かざした左手を爆発音のする方へ向ける。その目は竜の真紅の目そのものであった。

「何が起こっているの?」

「十年前ソーンを倒したガレフはその血を浴び、ソーンの魂に取り憑かれた。そしてソーンを倒した剣も魔剣となり、その剣でガレフが北の地で最後に倒した黒竜に再度ソーンは取り憑いた」

「まさか――」

「黒竜は倒され、取り憑いたソーンの魂は別たれた。俺とお前と、そして――」

 事態を理解したのかナイグズ達が一斉にスダレに斬りかかる。だが直前でスダレとエレインの周りの床が砕け、スダレの手に何かが飛び込む。

「――この魔剣ソーン」

 地下の武器庫から天井を貫きスダレの手に収まった魔剣は、黒竜と同じ黒い稲妻を纏い、剣身の眼は開かれていた。その眼から黒い血が涙のように溢れ始め、スダレの左手の先から肩まで包み込むように立ち昇る。そして背中の傷から流れるスダレの赤い血と混ざり合い左肩から巨大な竜の片翼を形作る。

 エレインはそれをスダレの右腕の中から恐々として見守り、自身の身体中の血が沸き立つのを感じた。

「魔剣……ソーン……」

 飛びかかるナイグズの男の一人をスダレは魔剣で横薙ぎにする。黒い稲妻を纏った剣風が男の上半身と下半身を真っ二つに斬り離し、そのまま城壁をも粉砕する。毒の煙が晴れていき、崩れ落ちた松明の火が床の絨毯に点き燃え上がる。

「凄い……でも……」

「……ああ、気が遠くなりそうだ」

 スダレは魔剣が自分の中の何かを凄まじい勢いで浸食していることを感じ取っていた。

 エレインもまた本能でこれが決して善き力ではないことを理解した。

「さっさと決着をつける。エレイン、もう戦えるな?」

「うん」

 スダレがエレインを放すと、エレインはスダレが置いた騎士団の剣を取る。つい今までの衰弱状態が嘘のように全身が燃えるように熱く滾るのを感じる。

 ナイグズの二人は床に転がる仲間の半身を見て危険を察したのか後ずさる。

 エレインはすかさず踏み込み、片腕を失った男の左胸に突きを繰り出す。

 不意を突かれた男は咄嗟に残った右手の短剣でいなそうとするが、エレインの突き出した剣はものともせず短剣を弾き、男の左胸に直撃する。声ならぬ絶叫を上げて男は壁に激突し絶命する。

 剣から手を放したエレインは自身の予想外の突進の勢いに体勢を崩し転んでしまう。起き上がると両手を見つめ、その尋常ならざる力に困惑した。

「これがソーンの力だというの?」

 スダレは魔剣を上段に構え、残った一人の男にじりじりと近づく。魔剣から流れる黒い血で覆われた左腕はもはや剣を持った人間の腕ではなく、獲物に爪を突き立てる竜のそれであった。

 だがスダレは魔剣を使いこなす自信はなかった。かつて先王ガレフがスダレの前で魔剣を使ったことを思い出し、試しただけにすぎない。魔剣を使い続けることがどういうことを意味するか、その結末を思い戦慄した。

 男はホールから続く廊下を後ずさる。明らかに戦意を喪失していた。

 スダレは踏み込み魔剣を振り下ろすが、あまりにも大振りでかわされてしまう。しかしその剣風が避けた男の肩を斬り裂き、廊下の中庭側の窓ガラスを壁ごと破壊する。

「スダレ、だいじょうぶ?」

 エレインは魔剣に巻き込まれないようスダレの後ろに付く。

「ああ、まだ今のところはな」

 男は肩の傷口を手で押さえ、魔剣が開けた中庭への穴に飛びこむ。

「逃げちゃうよ!」

「ほっとけ。さすがにもう騎士団が来るだろう」

 スダレはそう言うと左腕を右手で押さえその場にうずくまる。エレインが心配そうに駆け寄る。

「魔剣に宿るソーンが目覚めることで俺達の中にあるソーンの血も――魂も動き出す。やはり俺達はガレフと同じソーンの呪いにかかってしまったようだ」

「……」

 エレインは言葉を失い茫然と立ち尽くす。だがそれが真実なのはスダレの赤く光る目と、自身の身体の中の血の騒ぎで明らかであった。


 突如中庭の方から何かが砕ける音がする。城壁の穴から二人が覗くと、今しがた逃げ出したナイグズの男が巨大な黒い槍で胸を刺し貫かれて絶命していた。

「な、なに?」

 驚愕する二人に答えるかのように一人の少女が中庭の茂みの中から現れる。

 ナイグズ達と同様の黒いローブに燃えるような赤い瞳と髪。歳はエレインと同年代にも見えたが、ナイグズは人間とは違い数百年は生きると言われているので、確かなところはわからない。

「あの子……」

「ナイグズだな」

 二人は再び戦闘に備え気を引き締める。逃げる仲間を殺した以上こちらに戦意を向けているのは確実だった。

 ナイグズの少女――ナクラは逃げた男を地面に串刺しにした巨大な黒い槍に近づき、引き抜く。槍はまるで男の流した血を啜るかのように黒く蠢く。

「あの槍……感じるか?」

「うん。やばそうね」

 二人はその黒い槍から魔剣と同質の気配を感じ取る。魔剣同様まるで血と何かの生物の内蔵で塗り固められたような有機的な外観はまさに魔槍だった。

 ナクラは両手で魔槍を上段に抱え上げ、大きく足を開いて腰を落とす。ローブの隙間からまるで生気を感じさせない青白い引き締まった両脚が露わになる。


「サルハラ!」


ナクラが叫ぶと抱え上げた魔槍の眼が開く。そして黒い血で塗り固められた刃が震え、竜の咆哮が響き渡る。竜の眼から黒い血が流れ、槍を伝いナクラの両腕に流れていく。血は両腕を包み込み、そのまま背に竜の両翼を形成しローブを突き破る。

「あれは……」

「竜の呪いを受けているな」

 スダレは左腕に力を入れて魔剣を持ち上げる。

 だが剣先を向けるよりも早く、ナクラは中庭の土に穴を開けるほどの強烈な一足飛びでスダレに魔槍の突きを放つ。

 スダレは咄嗟に魔剣で受けるが、魔槍は魔剣に深々と突き刺さり、剣身から血が噴き出す。あまりの勢いにスダレの足は宙に浮き、ナクラは背に生えた両翼を羽ばたかせスダレを城内のホールの柱まで押し込み、そのまま柱に魔剣を串刺しにする。

「スダレ!」

 エレインはホールに戻り再度剣を拾う。

「くっ――」

 スダレは間近に迫ったナクラの顔を見る。長く乱れた髪から覗くナイグズ特有の燃えるような赤い瞳はより深く輝き、竜の瞳そのものとなっていた。

 ナクラは魔剣に突き刺さった魔槍を右手でさらに押し込みながら、左手を魔槍から離し、スダレの首筋に爪を突き立てる。その腕は赤い目とは対照的な青白い肌を黒い魔槍の血が覆い、竜の爪を形作っていた。

 スダレは突き立てられた爪をその手首を掴むことで辛うじて止めるが、わずかに首筋をかすり血が流れる。その血を見たナクラの目はさらに輝き、口を大きく開けて何事か威嚇する声を上げる。口元からもはや人のそれを大きく逸脱した巨大な牙が覗く。

「このっ!」

 エレインがナクラの後ろから剣を振り下ろす。だが斬りかかった黒い翼は竜の鱗のように硬く、剣を弾く。

 ナクラがエレインの方に顔を向けたのを見計らってスダレは掴んだ手を放し、力の限り腹を蹴り飛ばす。ナクラは吹き飛びホールの床を転がる。魔槍もその勢いで魔剣から抜け、魔剣に空いた穴から血が溢れ出す。

 エレインはスダレに駆け寄り魔剣を恐る恐る見つめる。

「これ……だいじょうぶなの?」

「ああ。だがまるで腕に穴を開けられたかのようだ」

 スダレは魔剣を持った左腕を押さえ痛みを確認する。

「これ以上魔剣の血を流すとまずい」

「どういうこと?」

「おそらく血を介して俺達はソーンと繋がっている。魔剣のソーンの血が失われれば俺の血が使われるということだ」

 スダレは左腕が強く脈打つのを感じていた。同時に少しずつ思考が曇っていく感触も。これ以上魔剣を使うのは危険だと自分の中の人間としての本能が訴えかけていた。

「俺が引き付けている間にエレイン、お前は逃げろ」

「そんなこと――」

「昨日のように騎士団を呼んできてくれればいい。それにお前にウロウロされると魔剣に巻き込みかねん」

 スダレはまだ血が流れている魔剣を振り上げ、起き上がったナクラの方へ軽く振る。それだけでホール内の瓦礫と炎が吹き飛ぶ。

「――わかった。死んじゃ駄目だよ!」

「そう簡単には死ねないさ」

 だがエレインがホールから廊下に走り出すよりも早く、ナクラは地面を蹴り、両翼を羽ばたかせエレインに飛びかかった。

「くそ!」

 スダレはエレインとナクラの間に割って入るように魔剣を振り下ろすが、それよりも早くナクラはエレインを押し倒し、組み敷く。

「くっ……」

 エレインは剣を振り上げるが、ナクラの左手の爪がエレインの手の平を貫く。エレインは痛みのあまり剣を落とす。ナクラは突き刺した爪を抜くと、爪についたエレインの血を舌先で舐め赤い瞳を憎悪に燃やす。

「離れろ!」

 スダレは右手を左手の魔剣に添えて両手でナクラに振り下ろす。が、ナクラはそれを片手で振り上げた魔槍で受け止める。凄まじい剣戟のぶつかる音が鳴り響き、ホールの床が砕け、わずかに沈む。魔剣が召喚された際に開いた床穴から亀裂が走る。

 ナクラは両手で抵抗するエレインの首元を左手で押さえつける。鋭い爪がエレインの首筋をわずかに斬り裂き血が流れる。

 スダレはナクラを斬り飛ばすべく今度は横薙ぎに魔剣を振り払う。ナクラはまた魔槍でそれを受け止める。剣戟のぶつかる衝撃で生じた剣風がホールの柱を切り崩す。そしてホールの床がついに崩落し三人は階下に落下する。

 ナクラは両翼を羽ばたかせ飛び上がるが、拍子にエレインを手元から落としてしまう。スダレは崩れる床の斜面を滑りながら落ちるエレインを抱きとめる。

「大丈夫か?」

「うう……なんとか」

 エレインは首筋から流れる血を押さえながら呻く。

 スダレは右手でエレインを抱き寄せたまま落下し、魔剣を城壁に突き立てることで勢いを落としながら一気に最下層まで着地する。落下中試しにわずかに左肩の翼に力を込めてみるが、飛ぶのは無理そうだった。

 地下は天井が崩れ瓦礫が散乱していた。おそらく魔剣が破壊したと思われる武器庫の壁の松明が床に転がっている。

「いよいよ逃げ道なしか」

 スダレは頭上で翼を羽ばたかせているナクラを見上げて呟く。

 正直なところそろそろ魔剣の力も限界であった。それにこれ以上使い続ければ、明らかに影響を受けているエレインもソーンの呪いが強まる可能性が高い。

「いや、いけるかも」

 エレインは地下の廊下の床を見て言う。

「どういうことだ?」

 スダレは辺りを見回すが、この北東の地下は武器庫があるだけで他の区画には繋がっていない袋小路だった。

「この地下のさらに下に下水道が走ってるから、そこに降りられれば多分逃げられる」

 エレインはスダレの手元から離れると床に耳を当てて確認する。

「だがどうやって? 下水道への階段も梯子もないが……まさか」

「そういうこと」

 エレインは悪戯っぽい笑みを浮かべてスダレの魔剣を見つめる。


 ナクラが地下に降りると二人の姿は既になく、地下の床に大きな穴が開いていた。ナクラは迷うことなくその穴に飛び込もうとしたが、突然上空から無数の矢の攻撃を受ける。大半は魔槍と両翼で弾くが、いくつかは脇腹や両足を擦り血が流れる。

「いました! ナイグズの女が一人です」

「エレインはいないのか?」

 ライオスは地下に続く穴を確認するが、ナイグズの女以外は誰もいなかった。

 ナクラは両翼を羽ばたかせ浮上する。騎士団員が一階ホールの床に開いた穴を中心に取り囲む。

「こいつがさっきの竜の咆哮の正体か?」

 ジェラルドはナクラの持つ魔槍と、背に生えた巨大な翼を見て曲刀を構える。先程聞こえた竜の咆哮は二度。一度目の咆哮を聞いて駆けつける際に再度咆哮が聞こえた。一つがあの魔槍によるものなら、もう一つが崩れた地下の武器庫にあった魔剣によるものなのは明らかだった。その魔剣がないということは、魔剣の使い方を知っている者が使い、持ち出したということだ。

 ナクラはライオス達には目もくれず付近を逡巡し飛翔を開始する。

「逃がすかよ!」

 ジェラルド率いる騎士団員が弓矢による射撃を開始するが、ナクラは魔槍を振り抜いてそれを吹き飛ばし、空中を疾走する。そのあまりの速さに誰も追いつけない。

 ライオスはナクラの向かう先を見て青ざめる。

「ヘレネ!」



 王城守護騎士団の詰所の中でヘレネは不安に身を縮こませていた。先程から続く二度の竜の咆哮と激しい揺れ。何が起こっているのか見当もつかなかった。部屋の戸に立つ見張りの騎士二人も同じく恐怖に硬直していた。

 突如凄まじい音と共に部屋の扉を含む城壁が砕け、部屋の中に黒い巨大な槍が投げ込まれる。見張りの騎士の一人がそれに巻き込まれ横腹をえぐられ転がる。

 飛び交う血飛沫の中ヘレネはあまりのことに声も上げることが出来ず転び、部屋の奥に後ずさる。

 粉塵の中もう一人の騎士の絶叫が響き渡る。騎士の喉元を掻き切った長い爪を持った人影がヘレネの方へ近づく。

「あ……あなたは」

 長い赤髪に燃えるような赤い瞳、右手に持った巨大な黒い槍と背に生えた竜の翼。ナクラは床の上を這い部屋の壁まで下がるヘレネを組み敷くと首筋に噛みつく。ヘレネは必死に抵抗しナクラの青白い胸元に爪を立てる。血が滲むのも構わずナクラは噛む口にさらに力を入れる。

 次第に力なく気を失ったヘレネを左手で抱え、ナクラは部屋を出る。ようやく追いついたライオス達の怒号も聞く耳持たず、魔槍で一薙ぎすることで中庭への城壁を壊し、両翼をさらに大きく開き飛び出す。



 まだわずかに雨の降り続く曇天の夜空の中、ナクラはヘレネを連れて飛び去っていった。

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