黒竜襲来
王都アルクスの生誕祭は二日目の午後を迎え、盛り上がりは最高潮に達しようとしていた。
毎年七の月に三日間に渡っておこなわれるこの生誕祭の歴史は古く、王都の記録に残っているだけでも八百年は毎年おこなわれている。
今年はさらに先王ガレフと王妃エリノアの崩御後十年間不在だった王位に、十八歳を迎えた娘のエレインが就く戴冠式がおこなわれることもあり、例年よりさらに大きな生誕祭となっている。王都全域のみならず多くの国々から旅人、観光客が明日の戴冠式を一目見ようと押し寄せてきていた。
その戴冠式の主役たるエレインは王都九番街の広場に向かう大通りを駆けていた。
精彩に富んだ長い金色の髪を麦わら帽子の下にたなびかせ、深いインディゴブルーの大きな瞳が通りの出店を楽しげにきょろきょろと見つめている。白のワンピースに羊革のミュール姿は、お忍びで街の様子を見回るという名目で城の侍女達に用意させたものだったが、顔馴染みの街の住人からはばればれで、笑いと呆れの声援を送られ、エレインも笑顔でそれに応えていた。
王都アルクスは円卓の城塞都市の異名を持つ。都市の中心部に位置する王城から時計のように十二の街道が伸びており、王都を十二の地区に分けている。そして各地区を十二の騎士団が管轄している。王城から真西に当たるこの九番街通りは第九騎士団の管轄となっている。
九番街広場に着くともう既に目的の店の前には行列が出来ていた。
エレインは列の最後尾に並び順番を待った。広場では噴水の周りで竜を模した木像と騎士に扮した劇団員達が演武を繰り広げており、教会からは楽団の児童の合唱と人々の拍手喝采の声があふれ出していた。
エレインはこの街をこの国を愛していた。こうして毎年この生誕祭をおこなうことが出来るのも、国があり、民があり、騎士があるからであって、王は飾りでしかない。先王である父はそう考えていたし、エレインもまたこの生誕祭の賑わいを見て毎年心からそう思っていた。
感慨に耽っていると、いつの間にか順番が来ていた。
「あら、あんた! こんなとこいていいのかい?」
王都九番街一のパン屋の女店主メトゥは、エレインを見て呆れて言った。
この店はエレインが子供の頃からいつも来ているパン屋で、店主のメトゥはもちろんエレインが一国の王女たることを知っているが、昔からこの悪童の素行の悪さも知っているため、さほど驚いた様子もない。
「いつものセットでお願い。あ、今年は何か特別なパンあるの?」
エレインは全く気にせず注文をする。
「今年はお姫様がついにこの国の王様になりますからねえ。王様が真面目に国務に励まれるよう王冠のスコーンを作ってるよ」
「……それはいいわ」
「明日はあたしも見に行くからちゃんとやるんだよ!」
メトゥはエレインに大量のパンの入った袋を受け渡しながら激励する。
「はーい」
エレインもわざとらしく子供っぽい声でそれに応じる。
エレインは広場の中央の噴水の縁に座り、焼きたてのパンを頬張りながら竜と騎士団の演武をぼんやりと見ていた。
人と竜の戦いの歴史は古く、有史以前から続いていると言われている。竜がなぜ人間の街を襲うかについては諸説あり、いまだ明確な結論には至っていないが、今日においても世界中の人間の文化の息づく街や集落では竜の襲撃にさらされている。
この王都も幾度となく竜の群れに襲撃されており、わずか三年前にも少数ながらも襲撃があった。エレインもその戦いに参加している。街のあちこちにはまだその時の爪後が残っていて、エレインはそれを見る度に自分は王としてその戦いの歴史を背負い続けることが出来るのか不安になるのと同時に、それを乗り越えていく民の強さを再確認する。いよいよ明日女王になるとはいえ、今までと特別何か変わるわけでもない。騎士と民があってこその国だ。
「やっぱりここにいましたか」
エレインに声をかけたその女は、銀色の髪にエメラルドグリーンの瞳、整った高い鼻の顔に長身痩躯の容貌と、知らぬ者なら劇団女優かと思わせるほどの美貌であった。しかし彼女が劇団女優と違うのは、その全身に纏った板金を細かく組み合わせた鎧とその上から着ている騎士団特有の群青色のサーコートから明らかであった。
王都の騎士団員が一人の少女を引きとめているのを見て、広場の群衆が何事かと遠巻きに見つめる。
「もうレイラ。その格好で話しかけないでよ」
エレインはあからさまにうんざりした声を上げて、麦わら帽子を両手で押さえて顔を隠す。
「侍女達が驚いていましたよ。まさか戴冠式の最後の予行中に抜け出すなんてと」
レイラは呆れ顔でぼやく。
「第九騎士団、団長様がこんなところで油を売ってていいの?」
レイラは騎士団員であるだけでなく、エレインよりわずか二つ年上の若さでこの九番街を管轄する第九騎士団の団長を務めている。
「城に戻っていたら主役が不在で大騒ぎになってましたからね」
「ヘレネには会った?」
「それで彼女からここに探しにいけと言われたんですよ」
ヘレネはエレインの三つ下の妹で、王都アルクスの第二王女にあたる。二人の王女は幼い頃よりこのレイラと実の姉妹のように心許し合っていた。
二人が談笑を始めたのを見て広場の群衆は興味を失い、各々の生誕祭に戻っていく。
「予行なんて何回もやってるんだから大丈夫でしょ。それにやっぱりメトゥの店には顔を出しておかないと。あ、食べる?」
「はあ。またローレスから愚痴を聞かされる騎士達の身にもなってください。あ、いただきます」
レイラはエレインから苺ジャムのデニッシュを受け取る。
「それに最近ナイグズが動いていると聞きます。祭に乗じて王女暗殺などあり得ないことじゃないんですよ?」
デニッシュをこぼさないように綺麗に食べながら、今度は厳しい口調でエレインを問い詰める。
ナイグズとは王都アルクスと大陸を二分する西の強国で、各国に軍事進攻を憚らず、このアルクスとも幾度となく戦火を交えている。幸い十年前に先王が崩御した後は目立った動きはしていないが、王女が新たに正式に即位するとなればそれを妨害してくる可能性は大いにあり得る。
「はいはい。わかりました。城に戻りますよー」
エレインは耳にタコが出来るほど聞き飽きた説教を聞き流して立ち上がる。
「お供します」
二人は九番街広場から城に向かい歩き出した。
広場の外縁では夜の花火の準備が進んでいた。生誕祭二日目の夜には盛大な花火と騎士団によるパレードがおこなわれる。この花火は北の魔女の国から毎年贈られてくる魔法の花火で、色とりどりの光が空を染め上げ、明け方近くまで続く。
準備、警備に当たっている騎士団員は団長であるレイラに敬礼すると同時に、一緒にいる麦わら帽子の少女が王女エレインと気付いた者は驚き、感激、呆れと様々な表情を浮かべエレインを楽しませた。
「あ、ちょっとバルトのところに寄っていっていいですか?」
レイラは思い出したように少し道を戻り、通りに面した武具商店に入る。
バルトの店は九番街唯一の武具商店で、その工房では第九騎士団の兵装も作られている。店内はいつもなら閑散としているが、祭りということもあり多くの客でごった返していた。
「何かあるの?」
「念のため。祭りで怪しい人物が武器を買っていったりしてないかを」
「わざわざここで買ったりしないんじゃないかなあ」
「まあそうですね。あ、バルトはいますか?」
レイラは客が散らかした短剣を置き直しているバルトの息子に声をかける。
「親父なら工房にいますよ。……って姫さむぐう!」
エレインはすかさずバルトの息子の口を手で塞ぎ、黙るよう口の前で人差し指を立てる。
「はあ……相変わらずですね」
バルトの息子もまた例のごとく呆れ顔で苦笑する。
「誰か不審な輩が武器を買っていったりしてないですか?」
レイラもやれやれという顔をしながらバルトに尋ねた。
「うーん。そうですねえ。お客はたくさん来てますが、みんな冷やかしですからね。実際はほとんど売れてないですよ」
確かに客の大半はよく見れば武器などおよそ縁のない家族連れや若者ばかりであった。
「珍しい客と言えば、東方の服を着た人が刀はないか聞いてきましたね。ほらあそこにいます」
バルトの息子は店の隅の剣の鞘を陳列している棚を見ている男を指差す。
東方の着流しと呼ばれるローブに革のズボンとブーツという奇妙な出で立ちで、黒く長いざんばら髪の隙間から黒い瞳が覗き、無精髭もまばら、歳は二十代半ば過ぎと思われた。最も目立つのがその腰に差している二本の刀であった。
「お、刀だ」
エレインは目を輝かせて男の差している刀を見つめた。
刀は東方独自の技術で作られた武器で、非常に脆いながらもずば抜けた切れ味は竜の鱗をも切り裂くと言われている。その製法はほとんど広まっておらず、王都でも扱う店があるかどうか定かではない。
「東方からの観光客は珍しくはないですが、刀を差した者は確かに珍しいですね。もしかしたら使節団の傭兵か何かかもしれませんね」
レイラは男を観察しながら呟く。明日の戴冠式では各国からの外交使節団の来賓も予定されている。当然東方の国からも来る予定である。
エレインがあからさまにじろじろと男の刀を見つめていたため、男はその視線に気づき振り返る。
「失礼。使節団の方ですか?」
レイラは挙動不審な少女の頭を押さえて男に問いかける。
「……いや」
男はしばらくレイラとエレインを見つめた後答えた。
「じゃあ観光とか?」
エレインはレイラの押し付けた手を除けて尋ねた。
「そうだな。お前はもしかして……」
「わ、わたしはただの通りがかりの街娘よ!」
「……そうか」
「刀を探しているんですか?」
レイラが話題を逸らすために尋ねる。
「ああ。だがやはり刀はないな」
「それ見せてもらってもいい?」
エレインは男の腰に刺さっている二本の刀を指差した。
男は黙って腰のベルトから刀を鞘ごと一本抜き、エレインに手渡した。
「すいません。うちの――妹はこういうのが大好きで」
レイラは咄嗟に謝る。
「妹ねえ……わあ綺麗。これ竜の首を鱗ごと切れるって本当なの?」
エレインは刀を鞘から抜き出し、その刃の波紋の美しさに溜息をつく。
「……出来なくはないが大抵はその前に折れるな」
「ふむふむ」
感心するエレインとは裏腹にレイラは竜との交戦経験を軽く語る男の素性を訝しんだ。着流しから覗く腕や胸に刻まれた無数の傷から相当の手練と思われた。
「大量生産出来ればもう少し戦い方に幅が出来るかなあ」
「何言ってるんですか」
レイラは不謹慎なことを口走る「妹」の口をふさぐ。
「こちらも少し聞かせてもらって構わないだろうか」
「うん?」
男はエレインから刀を受け取ると、少しばつが悪そうに尋ねた。
「王都に来るのは十年ぶりなんだが、この十年間の王都はどんなだっただろうか」
「……十年ぶり? 先王と王妃様が亡くなってからの王都ですか」
レイラは怪訝な顔をして男を見つめた。
「大変だったよねえ」
対してエレインはわざとらしく遠い目をして天井を見上げる。
「あなたがそれを言いますか……そうですね。一度に王と王妃を失い王都は当時かなり混乱しましたが、元々この国は王と十二の騎士団の合議によって動いているので、幼い幼い幼い王女を教育しながらどうにか十年やってきてるという感じですね。」
十年前エレインとヘレネの母に当たる王妃エリノアは病に伏して亡くなっている。そのすぐ後、先王ガレフは北の地への遠征中、竜との戦いで命を落としている。
「幼い……」
「ご存知かと思いますが、現在この国には二人の王女がいて、今年十八歳になり、いよいよ明日正式に戴冠式を迎える第一王女エレインと、三つ下の第二王女ヘレネ様です」
レイラはエレインの方を見て薄ら笑いを浮かべながら説明する。
「なんでわた……第一王女様の方だけ呼び捨てなのよ」
「妹ヘレネ様は品行方正、身も心もお美しく、まさに王女の器にふさわしいお方なのですが、姉エレインの方は品性下劣で、口を開けば剣の修行やら食べ物のことやら、残念な王女なのです」
レイラは肩を落とし騎士団長の一人として心からこの国の未来を憂える顔で涙した。
「何てこと言うのよ。ただでさえ教会派から本気でヘレネを正当な王にしろとかせっつかれてるのに」
いがみ合う二人を見て男は苦笑する。
「竜やナイグズとの戦いはあったのか?」
「何度か竜の襲撃はありましたが、他国との戦争はほとんどありませんでしたね」
「三年前の竜の襲撃は激しかったね」
「真っ先に前線に出ようとする姫君を守るので精一杯でしたよ」
まるで日常のように戦いを語る若い騎士団員とその「妹」に男は驚くと同時に不思議と頼もしさを感じていた。
「あなたは……あ、名前聞かせてもらってもいい? 東方の人は珍しい名前の人多いし」
「……スダレ、と名乗っている」
エレインの問いに男は何故かしばらく考えた後にゆっくりと答えた。
「す・だ・れ? やっぱり変な名前ね」
「失礼ですよ」
レイラがたしなめる。
「気にしないでくれ。俺も元々は東方の出身ではなく、その名も貰ったものだ」
「へえ。で、スダレは久しぶりの王都に来てどう?」
「ああ、どうやらもう大丈夫みたいだな」
スダレはエレインの頭の上に手をかけ優しく撫でる。突然のことにエレインは硬直する。
「な、なにを」
「すまない。思わずな」
スダレは目を細め微笑んだ。レイラはその光景を見て軽く既視感を覚えた。
「そろそろ戻りましょうか」
「そうね……じゃあよろしくね。スダレ。祭りを楽しんでいってちょうだい」
エレインはワンピースの裾を摘み上げ大仰に挨拶をしてレイラと共にバルトの店を出ようとする――が、何やら外が騒がしい。
「なにかしら?」
突然店の外から祭りの喧騒を吹き飛ばすほどの大音量で、騎士団の角笛の低い音が鳴り響く。
「敵襲警報?」
「まさか! 誤報?」
エレインとレイラはすぐさま武具店から飛び出し、最悪の現状を目の当たりにする。上空を幾匹もの巨大な影が飛びまわっている。竜だ。
「馬鹿な! もう王都上空まで侵入を許しているだと? 監視塔は何をしている!」
レイラは悪態をつく。
「何かあった。と見るべきね」
エレインは逃げまどう人々を尻目に冷静に上空の竜を確認する。竜は西から来ており目視できる数で五匹。どれもかなりの大型だ。既に三匹は王城の上空を超え北東の一番から三番街方向に向かっていっている。残り二匹は近い。ここ九番街で迎撃するのが適切だろう。
「広場に向かうわ。レイラ、第九騎士団の指示をお願い!」
エレインは迷うことなく走り出す。
「エレイン。あなたは一度城に戻った方が――そんな格好で戦う気ですか?」
「しょうがないじゃない。襲撃が急過ぎる。それにどうせ避難が完了するまで大通りは使えないわ」
見れば九番街の王城に続く大通りは逃げ惑う住民や旅人、観光客でごった返していた。第九騎士団が声を荒らげて避難勧告をしているが、まともに従う者はほとんどいなかった。
「よりにもよって聖誕祭中に来るとは。平時ならこんなことには」
「お祭り中だからこそ狙ってきたのかもしれないわね」
エレインは人ごみを掻き分けながらレイラに答えた。
レイラは付近の騎士団員達から状況を確認する。
「既に全隊準備できています!」
「よし。銃士隊は牽制開始。九番街広場に順に誘導して引きずり降ろせ。魔導隊は拘束準備。一匹を牽制している間にもう一匹を一気に仕留めるぞ!」
「了解!」
第九騎士団連絡隊員は四方に散り、各々の部隊へ作戦開始を指示する。
一つの騎士団の各隊は基本六人ずつで構成されている。槍兵隊、銃士隊、魔導隊、工作隊、連絡隊、衛生隊の合計約三十六名で一小隊となる。レイラが若輩ながらも団長として戦えるのは、他の古兵の隊員達の力があってこそである。
二人が広場に着くと既に銃士隊の砲撃が始まっていた。上空の竜二匹の翼に通常の砲台による弾丸が着弾するが、竜は傷一つ受けることなく悠々と飛んでいる。次に大砲から青白い光を伴った弾丸が片方の竜の翼に命中する。今度はわずかに体勢を崩し高度を下げる。
竜がいくら巨大な翼を持っているとしてもその翼だけで自身の巨体を持ち上げることは物理的に不可能である。竜の強さの本質はその高度な知性から生まれる強大な魔力にあり、彼らが飛翔するのにもその翼から空間を歪ませるほどの魔力が力場を生み出しているからに他ならない。その力場を狂わせるための特殊な空間魔法の込められた砲弾で竜を墜落させるのが対竜攻略戦の第一手である。飛翔されながら竜の最も恐ろしい攻撃であるブレスで一網打尽にされることだけは何としてでも避ける必要があるからだ。
銃士隊の砲撃を受け竜の一匹がゆっくりと旋回しながら九番街広場に向かって降りていく。
「よし。そのまま銃士隊はもう一匹を牽制。魔導隊は拘束の準備に入れ。我々も出るぞ!」
レイラは槍兵隊の部下から槍を受け取り、九番街広場で竜を迎え撃つ準備をする。エレインも驚く騎士団員達に笑いかけながら長剣を受け取る。
「せめて何か防具を着けてください」
麦わら帽子とワンピースに無骨な長剣を持った姫君を見てレイラは呆れる。
「慣れてない防具着てるとかえって危ないよ。あ、指輪ある?」
エレインは槍兵隊員から青い水晶の付いた指輪を受け取る。所持者の危機に自動的に魔力で守護結界を発動してくれる守護輪だ。これだけで竜の凶悪な攻撃を防ぎきることは到底無理だが、何もないよりかは遥かにいい。
銃士隊の砲撃によって竜の一匹が広場の周辺の建物を崩しながら着地する。地響きとともに広場の石畳が大きく歪んで砕け飛ぶ。
二階建ての建物を超えるほどの竜の巨体は青く光沢のある鱗に覆われており、太く長い四肢の先には白い鋭利な爪が、人間など数人同時に丸呑み出来るほどの巨大な口から見える牙から魔力を帯びた白い稲妻が迸る。半球状に大きく膨れ上がった眼は、上下の瞼を瞬かせて人間達をギョロギョロと見回している。
「じゃあ始めましょうか!」
エレインは先陣を切り、声高々に宣言して長剣を構える。
姫自らの指揮に第九騎士団の士気は否が応でも盛り上がり皆歓声を上げる。
「魔導隊!」
レイラの号令と共にフードを被った魔導隊が一斉に杖を両手で振りかざす。竜の四本の手足の直上に光の槍が発生し降り注ぐ。無数の光の槍に地面に縫い付けられた竜がもがき暴れ出す。光の槍は竜の動きを一時的に拘束するもので直接傷を与えることは出来ない。
「槍兵隊行くぞ!」
竜の足下に駆け寄りレイラ達は一斉に槍をその四肢へ突き立てる。エレインはレイラの号令を聞くまでもなく竜の懐まで潜り込み、長剣をその硬い鱗の隙間に狙いを定めて突き刺す。
竜の堅固な鱗を剣で切り裂くことはまず不可能で、鱗そのものを打撃武器で打ち砕くか、鱗の隙間から剣か槍で突き刺すしか竜に有効な傷を負わせることは出来ない。
無数の剣や槍に刺されもがく竜は口を開き、首を振る。エレインは咄嗟に異質の臭気を嗅ぎ取り戦慄する。
「ブレス来るよ! 引いて!」
一瞬竜の口元が赤く光ると同時に広場は灼熱地獄と化す。
槍兵隊の前衛二人が守護輪の守護結界ごと黒い影となり消し飛び、魔導隊の魔法結界の多くも砕け四散する。散開したレイラ達の守護結界も発動した守護輪と共に砕け散る。
懐まで接近していたエレインは、竜の足を蹴ってさらに前に飛ぶことで炎の直撃を避ける。麦わら帽子が熱風に煽られ吹き飛び、長い髪とワンピースが緩やかにたなびく。
「エレイン!」
「だいじょうぶ。……っと熱っ!」
叫ぶレイラに火の粉の付いたワンピースを手で払いながらエレインが応える。
竜のブレスといってもその規模と破壊力を除けば原理は大道芸人の火吹き芸と変わらず、発火性の気体を吹きつけそれに引火しているにすぎない。事前に竜の口から発せられる気体には独特の臭気があるため、竜と対峙したことのある者はいやでもその臭いを覚えることになる。酒の臭いにも似たその臭気を嗅いで酒嫌いになった騎士も少なくない。
「エレイン! 使ってください!」
レイラがエレインに先端に巨大な刃の付いた槍を投げ渡す。引火式の爆発魔法が刃の先端に封じられた強力な投げ槍だ。後陣に下がったレイラ達よりもエレインの方が竜に近いため当たる可能性が高いとレイラは判断した。
ブレスの影響で魔導隊が放った光の槍の多くが消失し、竜は翼を広げわずかに羽ばたかせる。大きな魔力のうねりが竜の巨体を飛翔させる力場を作り出す。周囲の建物は吹き飛び粉塵と熱を帯びた風が吹き抜ける。残った光の槍を無理矢理引き剥がして竜は飛翔し、首を旋回させ逡巡する。
「銃士隊。砲撃! 魔導隊。拘束用意!」
銃士隊が再び竜を地上に引きずり降ろすために砲撃を開始し、魔導隊が詠唱の準備に入る。竜は砲撃を受け広場の建家を派手に破壊しながら落下する。一斉に魔導隊の光の槍が降り注ぐ中、再度ブレスを吐くために首を大きく仰け反らせる。
「こんのっ!」
刹那エレインは竜の側面に駆け寄り巨大な槍をおもむろに竜の口元へ投げつける。竜がブレスを吐く直前槍は竜の口の中に突き刺さり引火する。
凄まじい爆発とともに竜の頭部は吹き飛び黒い血肉が飛び散る。そして巨体がゆっくりと地面に崩れ落ち、動きが止まる。
「よし!」
「まずは一体!」
エレインとレイラの叫びと共に第九騎士団の各隊が盛大な歓声を上げる。残りの一体はすでに別動の銃士隊が広場へと誘導すべく魔法弾による砲撃を開始していた。
「エレイン。もう一匹は私達でやります。あなたは城に戻って指揮を」
レイラは槍の爆風で吹き飛んで瓦礫の中に埋もれているエレインを立ち上がらせる。
「つつ……わかった。気をつけてね!」
レイラは付近で人々の避難に当たっている騎士団員を数人捕まえてエレインの護衛を指示するが、エレインはそれを待つ間もなく王城へ向かって全力で走りだした。
走り去るエレインの後ろ姿を見送り、レイラは第九騎士団員に檄を飛ばす。
「姫様のためにも我々は必ず勝つぞ!」
第九騎士団が再び盛大な歓声を上げて一斉に動き出す。
エレインはミュールを脱ぎ捨て、裸足で逃げまどう人々の間を縫って駆けながら考えていた。三年前にも竜の襲撃はあったが、その時は王都内部まで侵入を許した数は少なく、ほとんどは王都外の平原で交戦、勝利を手にしている。本来なら王都内外の各地に配置されている監視塔から常に各地の敵勢力の動向は監視しているはずなのに、なぜ今回に限っては突然の竜の王都侵入を許してしまったのか?
竜の群れは西から来ていた。おそらくナイグズが裏で糸を引いていて、竜の王都襲撃を誘発、襲撃直前に監視塔を強襲といったところだろうか。ナイグズがどうやって竜を率いているのかは謎だが。どうやらお隣の国は、新国王様がよほど気に入らないということだけは確かだ。
「やっぱり最後の予行にはちゃんと参加しとくべきだったかしらね」
エレインは一人ごちた。
エレインは王城に到達すると、驚く門番を無視して城内に入る。王城ゲートの廊下に入ると各騎士団の連絡隊員、軍師、城の侍女たちが一斉に集まってくる。
「まったく。何をやっていたのです」
王城守護騎士団、団長ローレスが白髪の混じる頭と髭を震わせながら愚痴る。ローレスは先王の時代から騎士団長を勤める老兵で、実戦よりも参謀に長ける。
「小言なら後で聞くわ。状況は?」
エレインはすっかり煤けたワンピースを人目も憚らずに脱ぎ棄て、下着姿のまま廊下を練り歩く。侍女たちは慌てて王女を戦装束に着替えさせるため集まる。
「敵は西より五匹。三匹が王城上空を素通りして一番街方面へ。既に第一騎士団が一番街広場で二匹と交戦中で、一匹を仕留めた模様。第二騎士団が一匹を二番街広場に誘導中です。残り二匹は現在第九騎士団が交戦中です」
「九番街のは一匹倒してきたわ。監視塔はどうなってる?」
「西のナイグズ国境付近の監視塔からの連絡が二時間前より途絶えています。現在確認に向かっていますが、途中同方面からの敵の増援は確認されていません」
連絡隊員達が次々と答える。侍女達がエレインに薄い鎖帷子と上から胸当てのついたショートコートを、手には細かい板金を編み込んだ篭手と守護輪をより強化した守護腕輪を着せる。
「やはりナイグズの仕業かしらね。他の監視塔は?」
別方面からの敵の奇襲にも警戒しておく必要がある。
「他の監視塔からは異常なしとのことです」
「よし。第一、第二、第九はそのまま交戦。第三・四・十一・十二は一、二番街の住人の避難を誘導しつつ援護、第八、第十も第九の援護に回って。第五から第七は敵の増援に警戒しつつ住人の避難を援護」
「了解しました!」
エレインの指示を受け各隊の連絡隊員が出発する。
「わたしも準備が出来次第、一番街に向かうわ」
エレインはゲート出口の大聖堂へ続く中庭入口で立ち止まり、髪を頭の後ろで無造作に結ぶと髪飾りを載せ、白いスカートと小さな鎖の編み込まれたタイツを履く。
「姫はこのまま城に待機した方がよいのでは?」
ローレスが提言する。
「戴冠式前日、観客もたくさんいることだし王女様の威厳とやらを見せておくにはちょうどいいんじゃない? ここで逃げたら王の名がすたるってね」
エレインは板金の仕込まれた重いブーツの紐を結びながら即答する。
「やれやれとんだお転婆お姫様だ」
ローレスは幼い頃より鍛え上げたこの最強の王女の剛胆さを心から敬い、誇りに思っていた。
レイラ率いる第九騎士団は既に二匹目の竜との戦闘を開始していたが、膠着状態が続いていた。銃士隊の砲撃で九番街広場から少し離れた通りに撃墜した竜は、倒壊した建物の中から咆哮を上げ、付近を四肢と尾で薙ぎ払う。
「すいません団長。広場まで誘導できませんでした」
銃士隊の一人が狭い通りに落ちた竜に攻めあぐねているレイラに詫びる。
「広場で戦えること自体運がいい。今はこれ以上被害が広がらないようどうにかしないとな」
この王都アルクスには各地区のみならず王城内にすら大きな広場がある。何百年も竜と戦い続けてきたこともあり、都市そのものが竜との交戦を前提とした設計になっている。しかしながら現在二匹目の竜が墜落した場所は、九番街でも古く狭い街道でレイラは進軍できずにいた。
幸い住民の避難はほぼ完了しており、街道の中、二手に分かれた騎士団が竜を挟み込む形で一見優勢だが、逃げ場のない狭い通りの中竜のブレスで片方の隊が一気に壊滅する可能性のある危険な状況でもあった。
広場側の通路に陣取るレイラは竜をブレス射程外より砲撃で牽制して、広場側に引きつけながら少しずつ自隊を後退させていたが、竜はなかなか動かずうまく誘導できずにいた。
「このまま第八、第十の増援を待って射撃戦に移行するか……それとも」
迷っていると突如竜は翼を広げ羽ばたこうとする。広げた翼で付近の建物が薙ぎ払われる。
「飛ぶぞ! 全隊下がれ!」
レイラは飛翔からのブレスを警戒して自隊、後隊の退避を命じるが、竜はわずかに翼を羽ばたかせただけでその巨大な足で地面を蹴って一気に前に飛び上がる。その反動の凄まじい地揺れで隊の足下が掬われる。
「しまっ!」
竜はレイラの隊の目の前に着地する。再度凄まじい地揺れが起こり、広場付近の通りの地面が裂ける。その反動で隊が左右に分断され陣形が乱れる。竜は天に向かって激しく咆哮し、ブレスを吐くためわずかに首を仰け反らせる。
「団長!」
隊士達が叫ぶ。レイラの位置はブレスの射程内、いかに飛び退いても逃れられない。
「くそ!」
レイラは手持ちの槍を竜の口元に投げるが鋭い牙に弾かれて当たらない。ブレス直前の臭気が辺りに充満する。
「やられる!」
竜が眼下の人間達を睨みつけ、口元がわずかに赤く光った瞬間、竜の頭の真横から凄まじい勢いで剣が飛翔し、竜の眼に突き刺さる。竜は痛みで首を仰け反らせブレスを空へ放つ。それでも凄まじい火の海が竜の足下に発生する。
レイラは自身の守護輪を後ろ手に掲げながら追いかけてくる火の海から逃げる。守護結界が砕け、力を使い果たした守護輪がレイラの指から崩れ落ちる。逃げ遅れた隊員の何人かはブレスの炎に吹き飛ばされるが、幸い威力が大幅に落ちていたため無事であった。
首を振りながら怒声を上げる竜の頭に何者かが飛び乗る。
「なに?」
どうにかブレスから逃れたレイラは我が目を疑う。竜の頭に飛び乗るなど狂気の沙汰だ。その男の姿を見てさらに驚く。先程バルトの店で会った東方の男スダレだ。よく見れば竜の眼に突き刺さった剣は刀だった。
「馬鹿な真似はよせ! 死ぬぞ!」
竜はスダレを乗せたまま頭を激しく振る。スダレは竜の眼に突き刺さった刀に掴まり刀をさらに押し込む。竜の眼から黒い血が噴き出す。スダレは腰のもう一本の刀に手をかけ、わずかにレイラの方を見て目配せをする。
「くそ! 魔導隊!」
ブレスから逃れた魔導隊と竜の後陣から追いついた魔導隊がすかさず光の槍を竜の四肢に突き放つ。次いでレイラの指示を待つまでもなく槍兵隊が一斉に竜の鱗の隙間へ剣や槍を突き刺していく。苦しみもがく竜がブレスを放とうとわずかに首を仰け反らせた瞬間、竜の頭の口から先が切り飛ばされ地面に落下する。頭の残った半分から凄まじい勢いで黒い血が噴き出し、首が力なく前に倒れ、竜は動きを止める。
スダレは竜の首から飛び降りた。その手に持った竜の頭を切り飛ばした刀は既に刃はこぼれ先が折れていた。スダレはその刀を投げ捨てると竜の眼に突き刺さったままのもう一本の刀を引き抜き、着流しの懐から取り出した紙で刀にこびり付いた血を拭う。
「まったく、無茶をする……」
レイラは衛生隊、連絡隊に指示を出しながらスダレに近づく。
「……大丈夫か?」
スダレは十分に血を拭き取った刀を鞘に納めレイラに尋ねる。ほとんど返り血を浴びていない。
「それはこっちの台詞だ。どうやら竜との戦いの経験があるようだが、こちらにも騎士団の戦い方がある。無闇に――」
「ああ、すまない。だが」
「わかってる! 助かった……礼を言う」
レイラは悔しさと恥ずかしさで顔を赤くしながらスダレの言葉を遮る。他の古兵の団員達が一斉に集まりレイラを冷やかし、スダレの背中を叩く。辛くも人間の勝利だ。
第九騎士団工作隊は先の一匹目を含め竜の死体の処理を早速始めていた。
竜の鱗や皮、牙、爪、骨は優れた武具の材料になるため、竜の死体から剥ぎ取ろうとする輩が現れることも多く、その監視の目的もあった。また竜の血肉は非常に危険な毒性があると言われており、その死体の処理も竜との戦いの一部である。工作隊は魔導隊の協力の下、竜の血肉を魔法処理で燃やしている。
「第一騎士団も既に一体討伐が完了したとのことです」
「そうか。さすがだな」
レイラは連絡隊からの報告を受けながら呟いた。
第一、第二騎士団は王都でも最強の騎士団である。三体の竜が一、二番街方面に向かっていったがおそらく大丈夫だろう。見上げると既に日は暮れかかり、空は夕日の色に染まりつつあった。
レイラはそのまま王城の方角に目を向けると何か違和感を感じる。王城上空の雲がわずかに歪んで見える。
「なんだ?」
「蜃気楼か何かですかね?」
レイラが訝しがると連絡隊員や他の騎士団員達も空を見て首を傾げる。
「……まさか。空間魔法!」
魔導隊員の一人が叫ぶ。近くで瓦礫に腰掛け休んでいたスダレも立ち上がり空を見上げる。
歪みはさらに広がり空に亀裂が走る。亀裂の中から黒い稲妻とともに何か巨大な物体が亀裂を無理矢理押し広げるように出てくる。竜だ。
「……ソーン」
スダレは王城上空に停滞する黒い竜を見て思わず呟く。
「……ソーン……だと? 十年前に先王が討伐したはず。何を言っている?」
レイラはスダレに問いかけるが、スダレは聞く耳持たず王城の方向に走り出す。
「あ、おい。待て! これを持っていけ」
レイラはスダレに向かって騎士団の象徴の獣の刺繍の入った勲章を投げる。スダレは立ち止まり受け取る。
「それを見せれば王城に入れる。エレインを守ってくれ!」
レイラは助けてもらったこともあり、思わずまだ素性も明らかではない男に頼んでしまった。
「最初からそのつもりだ!」
スダレは始めて感情を剥き出して強く言い放ち、走り去っていく。
「あの男一体……?」
レイラは連絡隊員に指示を出し、空を見上げる。竜の周りの空間の歪みが少しずつ晴れ、竜はゆっくりと王城に降下していく。竜自身がおこなったのか誰かが仕組んだものなのかは不明だが、あれだけの大質量を転送する空間魔法がおいそれと出来るはずがない。
「くそ。こっちは揺動だったのか」
レイラ達も王城に向かいたかったが、西からの竜のさらなる増援もあり得るのでここを動くわけにはいかなかった。それに自分を含め騎士団員達の被害も少なくない。もはや王城の守護騎士団、エレイン自身の力を信じるしかない。そしてどこまで信用出来るかはわからないがあの東方の男スダレを。
王城の方に走り去るスダレを見てレイラは、不意にバルトの店で感じた既視感が何だったのか気付いた。
先王ガレフが二人の娘達に話す時、よくあの様に二人の頭を優しく撫でていたことに。
エレインは大聖堂へ入る。
大聖堂は王城の中庭に位置し、巨大な天蓋を抱くドーム状になっている。竜の襲撃にさらされたことも多く、長きにわたり増改築を繰り返しながら幾多の王都の儀式が行われた歴史ある聖堂である。
ローレスや連絡隊員、侍女達は聖堂入口で待機し、エレイン一人のみ中へ進む。
天蓋には王と剣を表したまだ新しい色鮮やかなステンドグラスが埋め込まれており、天頂部には王都全域まで鳴り響く巨大な鐘が吊り下げられている。聖堂内は明日の戴冠式に備え、既に各国からの使節団や来賓客用の席が用意され豪華な装飾がなされていた。
エレインは聖堂内中央を堂々と進み聖堂中心の祭壇を目指す。硬い鉄の靴底が鳴らす足音だけが静寂の支配する聖堂内にこだまする。
「お姉ちゃん、おかえり」
祭壇にはエレインの妹のヘレネが待っていた。姉同様精彩に富んだ長い金色の髪に、深いインディゴブルーの大きな瞳、白い栄華なドレスの首元には緋色のマフラーがゆったりと巻かれている。この状況にも動じない第二王女ヘレネはエレインにいつものように声をかけた。
「まったく。とんだ日ね」
エレインは重い戦装束を揺すって身体に馴染ませながら愚痴った。
「ふふ。真面目に練習に出ないからよ」
「しょうがないじゃない。メトゥのところ行ってきたんだから。ごめんね、おみやげのパン持ってこれなかったわ」
「いいよ。じゃあ――」
「手短にお願いするわね」
ヘレネは教会の祭壇に置かれている古びた質素な鞘に納められた剣を両手で掲げた。エレインはヘレネの前に跪き、頭を垂れる。
「――剣の神、人の神、竜の神の名の下に、聖剣を求めし汝に勝利と、幸運と、祝福を――」
ヘレネはエレインに聖剣を受け渡す。アルクスの王が戦に出るための儀式である。
エレインは聖剣を受け取ると立ち上がり、へレネを抱き寄せて首元のマフラーに顔を埋める。
「行ってきます。お父様。お母様」
「行ってらっしゃい。必ず帰ってきてね」
二人は顔を寄せながら囁き合うと、そっと身体を離した。
「しかし……これから竜を討とうというのに竜の神様にお伺いを立てるのはどうなのかしら?」
「認めてほしければ倒してみろってことじゃない?」
エレインとヘレネは神聖な聖剣授与の儀式を笑い飛ばしながら聖堂を出ようとした――が、突如聖堂天蓋のステンドグラスが砕け、舞い落ちる。
「あぶない!」
エレインはヘレネを聖堂入口に突き飛ばし自分は祭壇手前に飛び退く。
直後聖堂の鐘が凄まじい音を立てて落ち、砕けた天井から夕日に紅く染まる光が差し込む。そして巨大な黒い竜が天蓋をさらに突き壊しながら聖堂内に落下する。
四本足の黒い身体、竜としては小柄ながらも、全身に覆われた無数の巨大な黒い針が異彩を放っている。その針はかつて人間との戦いで突き刺さった剣や槍が流れ出した血で塗り固められ、もはや身体の一部と化したものであった。
「見ない竜ね」
エレインは聖堂内の邪魔な来賓席を蹴り飛ばしながら距離を取る。
「こいつは君主竜か! 一体どこから?」
何事かと聖堂に駆け込んだローレスが異形の竜を見て叫ぶ。
君主竜とは通常の竜よりも圧倒的に強く凶悪な竜で、各地にあると言われている竜の巣において群れの統領として命名された竜の総称である。他の多くの竜とは違い、特別な力を持っていることも多い。君主竜が王都を襲撃してきたことは十年前のソーン以来なかった。
ローレスはヘレネを下がらせると、聖堂入口に王城守護騎士団各隊を配置する。
「姫! 一旦引いてください!」
ローレスは各隊を竜の後背に手配しながら叫ぶ。
「このまま挟み撃ちの方がやりやすいわ。援護よろしくね」
「御意。ご無理なさらずに!」
「お姉ちゃん……」
ローレスは竜の両側面から各隊の侵攻を指示する。ヘレネは騎士団に守られながらエレインを心配そうに見つめる。エレインはゆっくりと聖剣をその鞘から抜き放ちながら竜を正面に捉える。聖剣からわずかに魔力のこもった青い光が煌めく。
「さて、狙いは私かしら――っと!」
エレインは竜が次々と飛ばしてくる剣の針を斬り払い下がりながら竜を観察する。
竜が剣の針を射出した部分からまた同じ剣の針が体内より再製される。おそらく一度自身に突き刺さった人間の武器を取り込み自らの身体の一部にすることで、魔力による再製を可能にしているのだろう。これがこの君主竜の特別な力と思われる。
だが一度に再製できる数には限りがあるようで、剣の針の射出は一定間隔でおこなわれていた。この再製の隙を狙えばブレスは怖いが近接戦も十分可能なはずだ。
ブレスを警戒して周囲の臭いを嗅ぐが、酷い腐臭が漂っている。
もしかしたら不死竜なのかしらとエレインは思索しつつ作戦を決める。
幸い竜は最初から自分を狙っているようなので、こちらで剣の針の注意を引き、魔導隊による魔法拘束、そして槍兵隊で頭を一気に潰す。不死のものと言えども頭を潰せば、身体を動かす命令を脳から伝達できなくなるので動きは止められるはずだ。
「盾ある?」
エレインはローレスに怒鳴った。ローレスは待ってましたとばかりに竜の側面に位置する槍兵隊員に命じ、エレインの方向に円形盾を転がさせる。エレインは身を低くして竜の飛ばす剣の針を飛んで地面を転がりながら避け、盾を拾う。
「わたしが針の囮になるからその間に頭潰して!」
エレインはローレス以下騎士団に作戦を叫ぶ。
「槍兵隊、魔導隊、攻撃用意!」
ローレスはエレインの作戦を瞬時に理解し、騎士団に指示を出す。魔導隊が早速拘束魔法の詠唱を開始する。
「さて、盾に穴開かなきゃいいけど――いくわよ!」
エレインは左手に持った盾を身体の前に掲げ、竜の胸元に突進する。
おびただしい数の剣の針がエレインに降り注ぐ。前方からの剣の針は盾で、上空からの剣の針は聖剣で薙ぎ払いつつエレインは前進する。
剣の針の止んだ背面、側面から槍兵隊が一斉に突進する。直後魔導隊の放った光の槍が竜の四肢に降り注ぎ、竜の動きが一瞬止まる。
槍兵隊が竜の頭を狙い撃つべく取り囲むように接近した時、竜は突如低い不気味な咆哮を上げる。そして翼を広げ羽ばたかせる。翼の生み出した魔力のこもった風が槍兵隊の接近を拒む。戴冠式の供物や列席が全て吹き飛んでいく。
竜は咆哮を上げたまま首を振る。付近に竜自身の腐臭とは別の臭気が漂う。
「姫!」
「わかってる!」
エレインは左手の盾を背に掲げながら全力で竜から離れた。
直後竜の口から黒い稲妻のような光がほとばしり、竜の周囲が黒い炎に包まれる。
背丈ほどある長方形の塔盾を持った槍兵隊が、盾を地面に突き立て後陣の魔導隊を守る。
より近い位置にいたエレインは盾と共に聖剣を前に掲げブレスを防ぐ。盾は溶融し聖剣から青い魔法結界が発生するが防ぎきれず、左腕の防御腕輪の防御結界が次々と発動しては砕け散っていく。
「お姉ちゃん!」
ヘレネが叫ぶ。
「くっ……だいじょうぶ。耐えきれる!」
ブレスの勢いは徐々に減衰しエレインはどうにか防ぎきる。左腕の防御腕輪が全ての力を使い果たし砕け散る。
「今だ!」
ブレス直後の隙を突いてローレスの号令と共に槍兵隊が一斉に前進、槍を竜の頭部へ投げつける。多くは弾かれるが、何本もの槍は竜の顎に貫き刺さる。竜はもがき、剣の針を辺り構わず飛ばす。振り乱した四肢や尾が聖堂の柱を倒壊させる。
粉塵の中エレインは剣身のボロボロになった聖剣を鞘に納め、再度抜き放つ。聖剣の剣身は青い光を伴い復活する。
不朽の聖剣。これがこの剣が聖剣足りえる特性である。
「止めを刺すわよ!」
エレインは聖剣を両手に持ち竜に特攻する。竜が体勢を整え剣の針を再製する前に一気に叩く。
銃士隊が一斉に竜の頭部めがけて矢を放つ。
エレインは竜の振り下ろした腕を掻い潜り、聖剣をその腕に突き刺す。聖剣の魔力が竜の血肉を焼き煙が上がる。
もがく竜の頭部に次々と銃士隊の矢が着弾し、槍兵隊の槍に仕込まれた火薬に引火する。
凄まじい爆発と共に竜の頭が吹き飛び、黒い血肉と腐った骨の欠片が聖堂内に飛び散る。
エレインはそれらを竜の腕から抜いた聖剣を傘にして防ぎ、爆煙の中の竜の頭を仰ぎ見る。綺麗に首から先がなくなり、竜は完全に動きを停止していた。
「よし!」
エレインの力強い叫びと共に騎士団も歓声を上げる。ローレスとヘレネも無事なエレインを見てほっと胸を撫で下ろす。
騎士団の歓声の中エレインは竜を見上げ、胸元に一本の剣が刺さっていることに気付く。
他の全身に刺さった剣や槍と違い、その剣だけは深々と、おそらく竜の心臓部まで突き刺さっていた。そして不思議と竜に取り込まれず針と化していなかった。
エレインが近づこうとした時、突如竜の全身から残っていた剣の針が噴出する。咄嗟に聖剣を構え飛び退くが、停止したはずの竜の左手が動き出しエレインを鷲掴みにする。
「ぐっ!」
辛うじて竜の手の先端の爪が身体に突き刺さるのだけは聖剣で防いだものの、全身を締めあげられ鎧が軋む。
「姫!」
ローレスは叫び騎士団が一斉に竜に再度攻撃を開始するが、竜の全身から剣の針が一斉に再製、放出され騎士団は足止めされる。そして竜は翼を広げ魔力で力場を発生させる。
「なぜ動ける?」
頭もなく不気味に動いている竜にローレスは動揺し判断が遅れる。竜はわずかに身体を浮かせヘレネや侍女達のいる聖堂入口方面へ飛行を開始する。
「ヘレネ様!」
「くそ、ヘレネ逃げて!」
ローレスが叫び、竜の手の中のエレインは聖剣を逆手に持って竜の指に突き立てるが、いくら傷つけても竜は手の力を全く緩めない。
竜はローレスや騎士団を翼で生み出す力場の風圧で吹き飛ばし、ヘレネに向かい突っ込む。聖堂の柱が次々と壊され天蓋がさらに崩れる。竜は空いた右手をヘレネに伸ばす。
「ヘレネ!」
竜の右手がヘレネに届く間際一人の男がヘレネの前に割り込む。男は腰の刀に手をかけ抜き放つ。竜の右手の平が真ん中から真っ二つに切り裂かれ、バランスを崩した竜はそのまま聖堂入口に激突する。
男はヘレネを庇うように竜の返り血を受け半身が黒く染まる。竜ごと壁に激突したエレインは聖剣で竜の左手の指を切り裂きなんとか脱出する。
「――ってスダレ? 何やってんの!」
「遅れてすまない」
驚くエレインを尻目にスダレは当然のように答える。
「あ、あなたは?」
スダレの腕の中でヘレネが怯えながら尋ねる。
「大丈夫だ。先王の古い知り合いだ」
スダレは小声でヘレネに囁く。エレインが聖剣を鞘に納め近づく。
「まだ生きてる! 油断しないで」
そして再び聖剣を抜くと、起き上がる首なし竜に剣先を向ける。
「いや、そいつは最初から生きてはいない」
スダレは刀に付いた血を紙で拭い取りながら言った。
「不死竜じゃないの?」
「身体を乗っ取られている。ソーンにな」
「ソーンですって?」
身体を捻りながら骨が折れてないか確認するエレインが目を丸くする。
「君主竜ソーンは十年前にお父様に討伐されています!」
ヘレネが叫ぶ。
「ああ、そして先王はその血の呪いを受けた」
「!」
姫姉妹は共に言葉を失う。
「なぜそれを知っている。貴様は何者だ?」
ローレスが剣の針の攻撃で傷を負った肩を押さえスダレの後ろから近づく。
「今はそんなことはどうでもいい。まずはあれを止めるぞ」
スダレはローレスの顔を見ると面倒くさそうに頭を振った。
「でも頭潰したのに。もう手足全部潰す?」
エレインが聖剣を振りながら尋ねる。
「魔剣を抜く」
スダレは竜の胸元に深く突き刺さっている剣を指差す。エレインが先程気付いた剣だ。
「あの黒竜は先王が北の地で最後に討伐した名もなき君主竜。そしてソーンの魔剣の持つ再生の力によって操られている」
「貴様、まさか……」
ローレスはスダレの素性に思い当たる節があった。
竜はゆっくりと身体を起き上がらせると、エレインの方へ身体を引きずって近寄る。
「よくわからないけど、とにかくあの魔剣を抜けば竜は止まるというわけね」
エレインが聖剣を構えると竜は翼を広げる。そして身体を震わせて全身に魔力を溜め始める。竜の全身の表面に黒い稲妻が迸る。頭があった場所の直上に稲妻が立ち昇り空間が歪み、亀裂が走る。そしてそこから真っ黒な闇が覗く。
「何が起こっている?」
「転移魔法です!」
ローレスが問いかけると魔導隊員の一人が叫ぶ。空間の亀裂へ聖堂の崩れた瓦礫が次々と吸い込まれ消えていく。
スダレはおそらく竜が王城上空に直接転移してきたその空間魔法を目の当たりにして、その行先は北の竜の巣かそれともナイグズの手中かと戦慄する。どちらにせよ人間が無事に通れる保証はない。
「逃げろ。お前達ごと吸い込むつもりだ」
スダレはエレインとヘレネに向かって叫ぶ。
亀裂がさらに広がる。このまま広がり続ければ聖堂丸ごと飲み込みかねない。竜はその空間魔法を維持するために全身を震わせながら仁王立ちしていた。
「スダレはどうするの?」
魔導隊の魔法や銃士隊の矢弾も有無を言わせず吸い込まれ、既に騎士団は撤退を余儀なくされていた。このまま留まれば全員飲み込まれてしまうのは確実だ。
だがスダレは全く逃げる素振りを見せず、魔剣のみを見つめていた。
「魔剣を抜く。ここで止めなければソーンは何度でも身体を代えて襲ってくるだろう」
「無茶よ!」
エレインは撤退を開始しているローレスとヘレネが呼ぶ声を無視して、スダレに問いかける。
「それがガレフとの約束だからな」
「!」
スダレは竜に向かってゆっくりと歩き出す。
聖堂の天蓋が次々と崩れ亀裂に吸い込まれていく。
エレインは駆けつけたローレスと騎士達に引きずられ竜から離されていく。
「離しなさい! スダレ一人じゃ無理よ!」
「あの男の言ったように狙いは姫です!」
「でも!……」
叫ぶエレインを無理矢理連れて騎士団は撤退し、スダレは一人聖堂に残って竜の前に対峙した。亀裂に吸い込まれないようゆっくりと竜に近づき刀を構える。
竜は前足を下ろして翼を広げたまま魔力を供給し続け、黒い雷を全身に纏いながら震えていた。
スダレはその様を見て思案した。もはやこの竜は放っておいても自滅するだろうが、このままではこの空間魔法の被害がどれだけ広がるかわかったものではない。それにここで魔剣を帰してしまえばおそらくまた魔剣に宿るソーンは新たな肉体を見つけ、エレイン達を狙いに来るであろう。そうなる前にここで魔剣を止めるしかない。
逡巡していると、不意に竜が動き出しスダレを捕捉する。スダレはわずかに刀を鞘から抜き刃の状態を窺う。先の九番街での戦いと先程竜の手を斬ったことで、大分刃は傷ついていた。もってあと一、二回使えば折れてしまうだろう。
覚悟を決め一気に竜に近づき、竜の胸の魔剣に手を伸ばす。警戒した竜が前足を振り上げる。スダレは咄嗟に伸ばした手を戻し、身を伏せた体勢から全力で刀を抜き放つ。
竜の左手首より先が斬り飛ばされ、おびただしい量の黒い血の雨が降り注ぐ。スダレはそれを浴びるのも構わずに刀を振って血を払いながら、空いた左手で魔剣を掴む。
竜は再び立ち上がり、身体を震わせてスダレを振い落とそうとするが、スダレは必死に魔剣の柄に掴まる。竜は残った右手を振り下ろす。
スダレはもはや刃のこぼれた刀をその手首に突き刺してわずかに軌道を逸らすが、左肩に爪が掠る。着流しの肩口が破れ血で赤く染まる。痛みで思わず魔剣の柄から手を離しそうになるが、何とか食らいつく。
肩の傷の痛みのせいで左腕に力が入らないため、右手のみで一気に魔剣を引き抜く。わずかに抜け、黒い剣身が露になる。
かつてガレフがソーンを討伐し、その呪いの代償に手に入れた魔剣。もはや元の剣としての原形は留めておらず、竜の血が剣身にこびりつき巨大な血の刃と化していた。
竜が再度右手を振り下ろす。
スダレは魔剣から手を離して避け、竜の右手首に突き刺さったままの刀の柄に飛びつく。そしてそのまま刀を全身で斬り上げようとするが、刀は根元から折れてしまう。
「くそ!」
竜の足下に落ちたスダレは思わず悪態をつく。
空間の亀裂がさらに広がる。聖堂の天蓋はもはや半分以上が崩れ落ち、歪みの中に吸い込まれていった。スダレは地面にしがみつくので精一杯だった。
「まだだ」
スダレは再度魔剣に飛びつくためにわずかに根元だけ残った聖堂の柱の裏で機を窺う。左肩の傷が痛むが、それ以上に二度も浴びた竜の血が身体を焦がすのを感じ、目眩がする。仮に魔剣を抜き、ソーンを止められたとしても無事では済まないだろう。
沈思するスダレを威嚇するかのように竜が翼を広げ飛び立つ準備を始める。
スダレは決死の覚悟で竜の元に走り出す。
だが竜は待ち構えていたかのように後両足で地面を蹴り、わずかに身体を浮き上がらせる。その衝撃で聖堂の床が砕け震える。スダレは足下を掬われ、砕けた床の破片にまみれて倒れる。
さらに竜は追い撃ちをかけるかのように右手を振り下ろす。
「くっ」
もはや身体を捻って避けることも不可能な状況にスダレは絶望する。
直後竜の右手に幾本もの巨大な光の槍が突き刺さる。腕を貫通し胴にまで達する勢いで竜の動きを封じる。竜は体勢を崩して落下する。
空間の亀裂の勢いがわずかに弱まる。
「お待たせ!」
スダレが振り向くと聖堂の入口にエレインが先の戦闘よりも多くの騎士団を率いて、笑顔で立っていた。
「凄い空間の歪みですね。これは止められるかどうか……」
第六騎士団、副団長ウィルヘイムは大聖堂上空に渦巻く亀裂を見て、感嘆の声を漏らす。
レイラや槍兵達とは違いローブに樫の木の杖という軽装、長い波打つ栗色の髪に丸い眼鏡の奥に魔女特有の緋色の瞳を輝かせる。見た目はどう見ても十代の少女ながらも長命な魔女の実年齢は定かではない。ウィルヘイムは現在遠征中の団長に代わり、第六騎士団を率いている魔導士である。
「どうにかしなさい」
エレインはウィルヘイムににべもなく答える。遠く後ろに控えるローレスが肩をすくめて苦笑する。
ウィルヘイムは肩を落とし配下の魔導隊に上空の亀裂を抑えるよう指示する。王都の騎士団の魔導隊の中でも屈指の実力の第六騎士団魔導隊は、一斉に両手を上空へ掲げ詠唱を開始する。
「スダレ! だいじょうぶ?」
「……ああ。助かった」
エレインが大声で問いかけるのにスダレはわずかに笑みを漏らし答える。
強力な光の槍で動きを封じられた竜を尻目にエレインはずかずかとスダレの元に近づく。
「じゃあ、さっさと抜きましょ」
「ああ。だが俺一人で……」
「そんな身体じゃ無理でしょ」
エレインはスダレの左肩の傷を痛々しそうに見つめて呟く。
「だいじょうぶ。ウィルは頼りにならなさそうだけどこの国じゃ最高の魔導士の一人だから。この亀裂も止めてくれるわ。ね? ウィル」
「頼りにしてくださいよお」
振り向いて同意を求めるエレインに、上空の亀裂の解除法の計算式を魔導書に書き殴りながらウィルヘイムが緊張感のない声で応えた。
エレインとスダレは魔導隊のさらなる光の槍の追撃によって地面に串刺しにされた竜に近づく。スダレは竜が動けないのを確認すると魔剣に手を伸ばす。エレインは魔剣を掴むスダレの右手を包み込むように両手を当て共に魔剣の柄を掴む。
「いい?」
「ああ」
そして二人は一気に魔剣を引き抜く。
魔剣と竜の身体の隙間から大量の黒い血が吹き出し血の雨を降らす。スダレはエレインを庇うように覆いかぶさり血の雨からエレインを防ぐ。
「ちょ、ちょっとスダレ?」
いきなり抱きつかれエレインは動揺する。
魔剣が抜かれると同時に竜は力を失い、そのまま地に伏せる。上空の亀裂が竜からの魔力供給が止まり急速に収束を始める。ウィルヘイムが何事かを団員に喚き散らしながら亀裂の後処理を始める。
エレインとスダレは魔剣を地面に突き刺す。
剣身は竜の血で塗り固められ、黒い大剣と化していた。竜の内臓や血管、神経の一部も混ざり合い醜悪な容貌をなしていた。
「き、気持ち悪いわね……」
エレインは思わず身を引く。スダレは魔剣を見つめ、がっくりと膝を落とす。
「だいじょうぶ? 早く傷の手当てをしないと」
「大丈夫だ。それより何ともないか?」
スダレは心配そうに見つめるエレインを窺う。幸い竜の返り血はほとんど浴びていない。これならソーンの呪いにかかることもないだろう。
「うん。スダレの方こそちょっと血を受けすぎよ。早く洗い流した方がいい」
肩を貸そうと寄り添うエレインを静止してスダレは魔剣と竜から離れる。
上空の亀裂は閉じかけており、遠巻きに見ていたローレスやヘレネ、騎士団員達が駆け寄ろうとする――が、その時、異変は起こった。
魔剣が胎動している。
振りむいたスダレはそう感じた。少し離れた位置にいるエレインも怪訝な表情で魔剣を見つめている。
魔剣の眼が開いた。
剣身に埋め込まれた半球状の膨らみがまるで閉じられた瞼が開くように裂け、赤い竜の眼が現れる。
「ソーン!」
スダレは驚愕の表情を浮かべた。
「スダレ?」
「逃げろ! エレイン!」
スダレが叫ぶと同時に竜の死骸が黒い稲妻を伴って弾け飛び、辺りに血と肉と骨の雨が降る。騎士団は一斉に後退し、ローレスは自身のマントでヘレネを庇う。
スダレはエレインに必死に手を伸ばすが、不意に何かに呼ばれる声を聞き、その場に倒れ意識を失う。
降り続く竜の血の雨の中エレインは茫然と立ちつくし、そして突然糸の切れた人形のように崩れ落ちた。