デートインザゲストルーム
毎回のまえがき。初めての方は「デートインザドリーム」か「デートインザトラベルプラン」からご覧ください。
午後十四時。徐々に強くなっていく風雪に、これ以上はまずいと判断したスキー客たちは、次々にホテルに避難していく。
加藤有子たちも、中腹のロッジから、何とか初級コースを降りてホテルのフロントに集まったところである。
ホテルに戻る途中、リフト作動停止の放送が流れていたことから、今日のスキーは無理だろう。
外を見ると、轟音とともに横流れに降ってくる雪。時間が経つにつれ、徐々に激しくなっていく。
「せっかくの旅行なのに残念ね、二日目がこんな天気で」
有子の隣で、栗畑千香が残念そうにフロントの窓の外を見ていた。
「天気には逆らえないね。今日は部屋でゆっくりしようか」
明日はスキーはせず、そのまま帰る予定だったため、スキー用具はすべてレンタルショップに返却してしまった。
レンタルショップも、スキーを取りやめた他のスキー客でごった返しており、随分と時間がかかってしまった。
「まだ全員そろってないのかな。あそこ、かなり混んでたからね」
「えっと、あと小塚先輩と高野君が戻ってないわね。列の最後の方にいたから、まだ時間かかってるのかしら」
千香がフロント前のロビーを見て、確認をする。
窓側の二人席では、三堂成美と三波彩花が、その隣の三人席では新名太志と佐藤有斗、そして佐藤達真が座ってそれぞれ話をしていた。
有子と千香は、ホテルの入り口でまだ戻ってこない高野達人と小塚進を待っていた。
「あ、戻ってきた」
千香が指さすと、どんどんと戻ってくるスキー客の中に、雪を払って入ってくる達人と進の姿を見つけ出した。
「お疲れ様、達人君、小塚先輩、大変でしたね」
「いやあ、大変だったよ。僕たちが返却した時に急に強くなったからね」
そういって進はロビーの椅子に腰かけた。
「これで全員ね。じゃあ、みんな聞いてもらえるかな」
千香が声をかけると、話していたメンバーは一斉に千香の方へ目を移した。
「今日は一日中吹雪で、リフトも動かないみたいだから、今日と明日は自由行動ね。遊び道具とお菓子、夜食は用意してるから、自由に使ってちょうだい。それから」
千香はメモ帳を取り出すと、ぺらぺらと一ページずつめくった。
「夕食は昨日と同じ、夕方六時からね。お風呂は夜十二時まで開いてるから、それまでに入ってね。朝は五時から開けてくれるらしいから、朝食までに入りたい人は入ってね。朝食は、今日と同じ朝七時から、ロビー集合で」
そこまで言うと、千香はメモ帳をぱたりと閉じた。
「何かあったら、私か小塚先輩に言ってね。私は彩花と同じ303号室、小塚先輩は個室の325号室にいるから」
じゃあ、あとは自由で、と付け加えると、メンバーはそれぞれの部屋へと戻って行った。
「あれ、成美は?」
部屋に戻ろうとエレベーターに乗った有子は、同室の成美がいつの間にかいなくなっているのに気が付き、一緒に乗っていた彩花に尋ねた。
「ああ、なるみんなら、売店に行くって言ってたけど」
ああ、またか、と有子はため息をついた。
「じゃあ、成美が戻ったら、先に部屋に戻ってるからって言ってもらえる?」
「あれ、ユウちゃんは、部屋で遊ばんの?」
「先に部屋でシャワー浴びようかなって」
「ほんじゃあ、後でうちの部屋きて、トランプでもしようや」
彩花が言い終わると同時に、エレベーターは3Fを示していた。
エレベーターを降りると、「じゃあ、また後で」と、有子と彩花はそれぞれの部屋に向かった。
304号室、有子と成美の部屋。
誰もいない室内の明かりをつけると、入った時同様にきれいに布団が敷き直されたベッドが二つ。
有子は荷物から着替えを取り出し上着を脱ぐと、そのまま備え付けのバスルームに入った。
服を脱ぎ、シャワーを浴び始めると、今日のことが頭をよぎる。
佐藤有子が殺された事件。その真相を、達真が知っていた。
証拠となる凶器、そして、田上健二の事件の前に、屋上に上がっていた人物。
おそらくそれらを証言すれば、一気に捜査が進むだろう。
しかし、達真がそれを警察に証言しない理由。
「犯人には、自首してほしいですから」
警察に話さずに、有子に話したということ。つまりそれは――
汗を流して全身をふき取ると、有子はすぐに持ってきた私服の着替えに着替えた。
ホテル内とはいえ、乾いていない体ではすぐに冷えてしまう。
備え付けのドライヤーで髪を乾かすと、吹き出してくる熱風が肌に触れ、そのぬくもりが実に心地よかった。
「それにしても、成美、遅いな。何やってるんだろ」
長い髪を全て乾かし終えた後、バスルームから顔を覗かせるが、やはり成美の姿はない。
彩花との約束があるのだが、成美と一緒に行った方がいいだろうと思い、体をベッドに投げ出した。
朝から通算して四時間ほどスキーをしていたせいで、どうにも体が重い。
このままでは眠ってしまう。何とか体を起こそうとするも、一度倒してしまった体は持ち上がらない。
白い天井をぼうっと見ていると、有子はそのまま意識を失ってしまった。
あの時見た、暗い夜道、一人歩く夢。
部隊は紛れもなく、自分の家へ向かう帰り道だった。
頼りない街頭がポツリポツリ。道路の両脇には、いくつもの民家があった。
何度も見た光景のはずなのに、はっきりとした家の形が浮かび上がらない。ただ、それが「家」であることの認識しかなかった。
ここからどうすればいいのだろうか。自分の家に向かって歩けばいいのだろうか。
シナリオの見えない夢の中の物語に、有子は戸惑いながらも足を進めようとした。
その時、目の前から、一人の男の子が歩いてくるのが見えた。
最初に見た時は、はっきりと姿がわからず、正体がつかめなかった。
しかし、今は、顔ははっきりとわからずとも、感覚が、その正体を明らかにさせていた。
達真君――
有子は佐藤達磨の名前を挙げようとしたが、夢の中ではうまく声に出せない。
達真はすれ違う寸前に立ち止り、何かをつぶやいた。
彼女はあなたに……。……覚悟が……。
言葉の一部しか聞き取れない。いや、声ではなく、心に語り掛けてくるような、テレパシーのような感覚。
しかし、最後だけははっきりと理解できた。
「それでも彼女は抵抗しなかった」
その言葉を最後に、達真は姿を消した。
振り返って追いかけようとするが、その先は闇の世界。
言葉の意味を考えようとするが、頭が回らない。夢の中で意識が消える。目の前にあった帰り道は、徐々に闇に浸食されていった。
「……ちゃん」
真っ暗だった視界が、少し明るく感じる。その奥から、声が聞こえる。
「有子ちゃん」
先ほどのテレパシーのような不明瞭な認識ではなく、明らかに耳から聞こえてくる声。
ゆっくりと目を開けると、目の前には三堂成美の顔があった。
「有子ちゃん、起きて」
「ん、ああ、成美か……」
何とか起きようとするが、寝起きでどうも体が重く、思うように起き上がれない。
ひとまず頭を上げようとすると、体の重さの正体がわかった。
成美が上に乗っていた。体がだるくて重いのではなくて、成美が乗っていて重かった。
「……成美、起き上がれないんだけど」
「あ、ごめん」
のそりと成美が離れると、有子はゆっくりと体を起こした。
まだ寝足りなかったのか、寝起きだからなのか、頭がふらふらとする。
「成美、今何時?」
「今三時すぎ。みんな、トランプやってるよ?」
そういえば、彩花とトランプをする約束をしているのだった。
「え、成美、こっちには戻らなかったの?」
「一回戻ったよ? 彩花ちゃんが、有子ちゃんが来ないから見てきてくれって言ってたから」
「何で起こしてくれなかったのよ!」
「え、だって気持ちよさそうに寝てたから、彩花ちゃんたちにも言ったら、起こさない方がいいって」
「じゃあなんで起こしたのよ!」
「だ、だって、お菓子無くなっちゃうと思ったから」
そんなにすぐに持ってきたお菓子が無くなるか! そう思いながら有子は頭を抱えた。
簡単に準備を整え、有子は彩花たちが待つ303号室へ向かった。
オートロックが面倒なのか、内鍵をドアに挟んで、ロックが効かないようにしている。
おかげで、騒がしい声が外に漏れている。こんなので大丈夫だろうか。
ゆっくりと扉を開け、有子が中に入ると、二つあるベッドの一つで、達人と成美、そして彩花がトランプでゲームをしていた。
全員が手札を五枚持ち、裏向きの捨て札が何枚かある。
「よし、勝負! 俺フラッシュな」
「残念やなぁ、私フルハウス」
「な、また敗けた!?」
どうやらポーカーをやっているようだ。手元に菓子が置いてあるところを見ると、これをかけて勝負をしているらしい。
トップは彩花で、次が達人、ビリが成美である。
「あ、ユウちゃん、おはよう」
「え、あ、おはよう。ポーカーしてるの?」
「そうや、お菓子がたくさんあるから、ユウちゃんも一緒にやろう」
そういうと、彩花はファミリーパックの菓子から五つ取り出し、有子に手渡した。
見たところ、まだかなりの量の菓子袋が置いてあり、どれも開けられていない。
その奥にゴミ袋があるところを見ると、もしかしたらいくつかは食べてしまったのかもしれない。
「あれ、千香は?」
「ちーちゃんなら、何か準備あるからって、どこかに行ったよ」
彩花は達人と成美から、ベットされた菓子を受け取りながら言った。
「有斗たちは、大浴場に行ってからゲーセンだって」
続けて、達人が言った。どうやら、部屋に集まるのはここの四人だけのようだ。
「あ、人数増えたから、大富豪にしようよ」
成美はトランプをまとめると、一つの束にしてシャッフルをした。
「大富豪か、いいね。じゃあ最初は全員平民からな」
有子も奥の方のベッドに座ると、成美が全員にカードを配り始めた。
有子の手札には、2が1まいとAが2枚。悪くない手札だ。
「じゃあ、最初ダイヤの3持ってる人」
手札を整理していると、不意に彩花が声を上げた。
「え、順番って、じゃんけんで決めるんじゃないの?」
思わず有子が声を出した。
「いやいや、最初に出す人はダイヤの3からって決まってるでしょ」
「そうそう。ダイヤの3からだよね」
彩花と達人は、どうやら「ダイヤの3スタート」が浸透しているらしい。
これ以上言っても何にもならないので、とりあえず有子はそれに従うことにした。
最初は成美からスタート。時計回りに、彩花、達人、有子の順番だ。
成美のダイヤの3から、次は彩花のスペードの4。
そして、達人がハートの8を出したので、有子がダイヤの9を出そうとしたときだった。
成美が、達人がカードを出した直後に、場を流してしまったのだ。
「え、成美、まだ私の番……」
「だって、8が出たら八切りで流すんでしょ?」
成美がそう言った時、達人があっ、と声を上げた。
「しまった、そうだった!」
「タツト、あんたアホやな。こんな序盤で8を使うなんて」
「一枚浮いてたから、うっかり出しちゃったんだよ」
悔しがる達人に、その達人の肩を叩く彩花。
「……私、そんなルール知らないんだけど」
有子一人だけが、ぽつりと文句を言っていた。
場が流れたので、次は達人からだ。
「よし、じゃあこれで一気に手札を減らそう」
そういうと、達人はダイヤの4とクローバーの4を場に出した。
「え、二枚出してもいいの?」
思わず有子は声を出してしまった。
「そりゃ、そうしないと革命できないじゃない」
「革命?」
「革命。強さが逆になるの。知らない?」
「ええ、そんなのあるの?」
有子は思わずトランプで口を抑えた。
「革命ないと、おもしろくないでしょ?」
「う、うん、たしかに、強さが逆転するのは、おもしろいよね。じゃあ私は……」
そういうと、有子はダイヤの6とクローバーの6を出した。
「え、そんな、縛りかかったら、私出すもの無くなっちゃうよぉ」
「なるみん、何やらしいこと言ってるん?」
成美言った「縛り」という言葉に、その場にいた全員がぽかんとしていた。
「だって、同じマークが連続で出されたら、流すまで同じマーク出さなきゃいけないんでしょ? 私、ダイヤとクローバーで同じ数字なんて持ってないから」
「いや、そんなルールないから」
彩花が手を横に振って否定した。
「ええ、私のところではそういうルールがあったのに」
「こっちは無いから。覚えきれんやろどうせ」
「そうだね、じゃあ遠慮なく出すよ」
そういうと、成美は手札からハートとスペードの7を一枚ずつ場に出した。
有子は「一体何の話をしているのだろう」という感じで話を聞いている。
「よし、じゃあうちはJ二枚でイレブンバックや! これで革命と同じになるで!」
「え、な、何それ、わっかんない!」
ローカルルールの連打で、有子の頭は混乱していた。
彩花が繰り出すローカルルールをなんとか理解しながら、有子は富豪と貧民の間を行き来する順位で推移していた。
ここでも成美の成績が悪く、十回ほどやった内、大貧民七回と大惨敗だった。
「なるみん、最初から強いカード使い過ぎ」
手持ちのお菓子を失い、新しくお菓子を開けた成美は、ずっとぶつくさと文句を言っている。
次のゲームを始めようとしたとき、ドアが開く音がした。
ドアの方を見ると、太志と有斗、達真が入ってきた。
「あ、有斗たちも参加するか?」
達人がそういうと、彩花と成美が間を開けた。
その隙間に、三人が並んで座る。
「人数多くなったから、ウノにしようか。三堂さん、そこにあるから、取ってくれるかな」
達人がトランプを片付けながら言うと、成美は遊び道具入れのかばんの中から、ウノを一組取り出した。
どうやら買ったばかりで、封は開けられていない。
成美からウノを受け取ると、達人は封を切ってベッドの上でバラバラにシャッフルした。
二つの山にしてそれぞれカードを切ると、一つの山に重ねて一人に七枚ずつ配った。
「よし、じゃあ始めるで」
山札の一番上をめくると、赤の6だった。じゃんけんにより、彩花、達人、有子、成美、有斗、太志、達磨の順番となった。
まず彩花が赤の8を出す。
「よし、とりあえず手札減らしとくか」
次に、達人が赤の5と青の5を同時に出した。
「え、ちょっと待って、ウノって一枚ずつしか出せないんじゃないの?」
次の番である、有子がカードを出さずに言った。
「何言ってるのさ。一枚ずつだと、時間かかるじゃないか」
「でも、二枚以上出してたら、ウノ上がりどうするの?」
通常のウノのルールでは、手札が一枚になった時点で「ウノ」と宣言しなければならない。しかし、複数枚出すことができるなら、二枚以上手札があっても、宣言せずに上がることができる。
「ウノ宣言せんかったら、同時出しじゃ上がれんよ」
「あれ、次に上がれる可能性がある場合って、宣言しないといけないんじゃなかったっけ?」
「違う違う、上がるときは一枚だけしか出せないんだって」
ここでもローカルルールが交錯し、有子は混乱する一方。
「え、えっと、とりあえずルール統一しようよ。じゃないと、収拾つかないから」
プレイしていくうちに、次々と出てくるローカルルール。
例えば、リバースやスキップなどの記号カードは同時に出せるか出せないか、出した場合、どういう扱いになるのか、ドロー2の重ね出しはアリなのか、ワイルドドロー4のチャレンジはどうするのか。
三ゲーム目に入った頃に、ようやくルールが統一され、まともなゲームができるようになった。
賭けチップの代わりに使っていた菓子は意味をなさなくなり、全員が適当にぽりぽりと食べていた。
「よし、これで抜けだ」
達人が最後のカードを場に出すと、残ったプレイヤーは彩花一人になった。
「ええ、またうちが負け? なんかカード運悪いなぁ」
はぁ、とため息をつきながら、彩花は残りのカードを場に投げ出した。
「あれ、三波。ウノになった途端に、弱くなったんじゃない?」
「な、何を、あんだけうちが知らないルールばかり採用されたら、戦略っていうものが崩れるわ」
「でも加藤さんは、ローカルルールになじんでたようだけど?」
達人はそういうと、有子のほうを見た。
有子は何度もローカルルールを言われて戸惑っていたが、二番目や三番目上がりという早い段階で上がっていた。
「ま、まあ、ルールさえちゃんとしてくれれば、何とかゲームになるからさ」
そういうと、有子はちらりと腕時計を見た。
「え、もう六時前じゃない。そろそろ夕食に行かなきゃ」
「あらら、もうそんな時間かぁ。とりあえず、片づけはうちらに任せて、タツト達は先に一階に降りといて」
そういうと、彩花はベッドに散らばったウノを片付け始めた。
「あ、三波先輩、手伝います」
達人と有斗、達磨は先に部屋を出たが、太志は残って片づけを手伝おうとした。
「ああ、いいっていいって。うちらの部屋やし、一応、女の子の部屋だから、あんまりいじられたくないし」
「そうですか、じゃあ、先に行ってますね」
そういうと、太志はすぐに部屋を出て言った。
「じゃあ、私も先にご飯行ってるから、有子ちゃんと彩花ちゃん、後はよろしくね」
「成美、あんたは手伝いなさい!」
成美も逃げ出そうとしたが、有子に捕まってしまった。
「うぅ、私のごはんが待ってるんだよぉ」
身動きが取れなくなった成美は、仕方なく片付けに戻った。
カーテンを閉めてない窓から覗く景色は、ホワイトアウトという言葉を連想させる激しい吹雪。
ゆらゆらと落ちる雪のイメージを覆すような、まるで横から一斉に弓矢を射撃しているかのような横降りの雪。
これだけ水平に近い雪の落ちる角度を見ると、風は相当強いのだろう。今スキーを滑ろうものなら、視界ゼロであっという間に遭難してしまう。
「それにしても、えらい吹雪やなぁ。明日ちゃんと帰れるんかな」
彩花が散らばったウノを片付けながら、窓の外を見つめる。
「明日は晴れるって言ってたから、大丈夫じゃない?」
同じく散らばったゴミを片付けながら、有子は言った。
「でもな、こんな吹雪強かったら、思ったりせん? このまま閉じ込められて、帰れずに何か事件があったらどうしようかって」
「もう、彩花は考えすぎだよ。携帯だってつながるし、いざとなったら……」
「いざとなったら?」
有子はうっかり、上の階にいる鹿屋警悟のことを話しそうになった。
「え、ああ、いや、なんでもないよ」
慌てて有子はゴミを入れた袋を、大きなゴミ袋に入れた。
「まあでも、これだけ食料あれば大丈夫でしょ。ね、有子ちゃん」
ベッドの上で、袋菓子を一つ開け、ポリポリと鏡台の前で食べながら成美がつぶやいた。
「……あんた、私たちが片付けてるのに何やってるの?」
有子は成美の持っている袋菓子を取り上げた。
夕食は昨日と同じくバイキングだった。昨日と同じく成美が何巡もおかわりをしていた以外は、特に何もなく夕食を終えた。
千香から今後の予定が告げられた後は、それぞれ思い思いにホテル内で過ごした。
達人と太志、有斗それに達真はゲームセンターで遊んでいる。
有子と成美、彩花、そして進はそれぞれ大浴場に向かった。
その一方で、千香は一人、部屋から窓の外を眺めていた。
相変わらず、止む気配がない吹雪。触れると冷たい窓。
見えないゲレンデの上の方を眺める。わずかに、リフトの影が見えたように思えたが、すぐに別の影だと気づいた。
「ふぅ、まったく、ついてないわね」
一言つぶやくと、千香は窓の鍵を閉め、カーテンを閉めた。
そして、鏡台の前で手帳を開くと、今日と明日の予定を確かめる。
「明日で終わり、か。やっぱり、もう少し長い休みがほしいな」
パタリと手帳を閉じると、千香は着替えを持って外に出た。
「よし、うち抜けや!」
「ええ、三波先輩、上がっちゃうんですか?」
彩花が最後のカードを出すと、有斗は残ったカードを投げ出した。
結局大浴場から上がった有子たちと、ゲームセンターで遊んでいた達人達は彩花の部屋で再びウノを始めた。
現在参加しているのは、有子、彩花、成美、達人、太志、有斗の六人。
進と千香は用事があるからとどこかに行ってしまい、達真は部屋に戻ると言って参加しなかった。
「それにしても、ちーちゃんは何でこういうのには参加せんのかなぁ」
昼も参加しなかった千香の様子を、彩花は気にしているようだ。
「どうかな、千香、忙しそうだし、まだ何かやってるのかな」
「いやいや、明日で旅行、終わりやで? だったら今夜遊ばんでいつ遊ぶのよ」
「うーん……」
有子は近くにある個装のチョコレートを手に取り、袋を破った。
「もしかして、ちーちゃん、小塚先輩のところに行って、二人でやらしいことでもしてるんじゃ?」
「な、何を馬鹿なっ!」
にやけながら彩花が口走ると、有子は思わず口に入れかけたチョコレートを落とすところだった。
「それも、いいんじゃ、ないかな、千香ちゃんだって、いろいろ、やりたいこと、あると、思う、から」
隣で成美が、カップ麺をすすりながら言った。
「三堂さんは、食べてるときが一番幸せそうだね」
「そりゃ、だって、食べるというのは、生きると、いうことで、げほっ、げほっ」
達人が声をかけると、成美はどうもラーメンをのどに詰まらせたのか、急にせき込んだ。
「ウノやりながらラーメンすするバカがどこにいるかっ!」
「ふぇ? ウノって、ラーメン、食べながら、やるもんじゃ、ないの?」
「汁! 汁が飛ぶ!」
せき込んだにも拘わらず、成美はラーメンをすすり続けながら言う。
麺から飛び散る汁を、有子はティッシュでふき取った。
「ふわぁ……、僕、眠くなったので、そろそろ部屋に戻りますね」
「あ、じゃあ、僕も有斗と一緒に戻ります」
有斗が腕時計を見ながら立ち上がると、同時に太志も立ち上がった。
「あら、もうこんな時間か。私も戻ろうかな」
有子も同じく時計を見ると、時刻は夜十時。寝るには少し早い時間だが、朝からのスキーの疲労もあってか、ところどころであくびが見られる。
「ああ、片づけはうちとなるみんでやっとくから、先に戻っといて」
「なんだ、ちょっとは手伝うぞ?」
「さっきも言ったやろ? 一応女の子の部屋なんだから、あんまり男には触られたくないって」
「別に、ごみの片づけくらいやるのに」
手伝いの申し出を断られた達人は、じゃあ、と部屋を後にした。
「え、じゃあ、私も、これ、食べあげたら、おやす、げほっ、げほっ」
達人が部屋を出たと思ったら、成美がまたラーメンでせき込んだ。
「成美、あんたはとりあえず自分が食べた分を片付けなさい。一体何個カップ麺食べてるのよ!」
成美が座っていた椅子の後ろには、カップ麺の空き容器が五つほど転がっていた。
明かりの付けられていない部屋は、まるで動けば飲み込まれそうなほどの闇に包まれていた。
少し待てばプラネタリウムでも始まりそうな緊張感。もちろん、そんなものは最初から期待はしていない。
完全な闇、というわけではないが、光源の乏しさに、何も見えない世界と錯覚してしまう。
有子は、成美が寝るというので一応布団には入ったが、昼間に寝ていたせいか、あまり眠気を感じなかった。
もぞもぞと動き、ベッドの近くにあるデジタル時計を見る。
午後十一時半。まったく寝付けないまま、およそ一時間、布団の中にもぐったままということになる。
隣のベッドを見ると、成美がぐっすり眠っている姿がうっすらと確認できる。
天井を見つめると、真っ暗な天井が映るだけ。わずかに、火災報知器や電灯のでこぼこが確認できる。
さて、これからどうしたものか。なんとなく起き上がると、スリッパを履いて窓の方に向かった。
ベランダに出ようと思ったが、先ほどからの吹雪で出られないのではないだろうか、仮に出られても、雪が積もっているのではないか。そう思うと、一瞬戸惑う。
一応、閉まっているカーテンを開けてみる。すると、あれほど吹雪いていたのがウソのように、今は穏やかに雪が降っているだけとなった。
ベランダを見たが、思ったほど積もっていない。ホテルの構造上、この場所には積もりにくいのだろうか。
さすがに外は寒いか。そう思い、防寒着を羽織って窓を開く。
冷たい風が、露出部分に突き刺さる。部屋が冷たくなってしまっては大変だと、有子はベランダに出るとすぐに窓を閉めた。
昨日は早く寝たせいで見られなかったが、ナイトスキー用のためか、ゲレンデのライトアップが行われていた。
「きれい……」
降り込んでくる雪と、凍えるような寒さを気にも留めず、有子は白銀の世界を見つめていた。
「あら、誰かと思えば、ユウか」
少し離れたところから、聞きなれた声がした。
「あれ、千香、起きてたんだ」
ベランダにいたのは、隣の部屋にいるはずの千香だった。
ベランダで部屋がつながっている、というのは防犯上どうなのだろうと思ったが、こういう時には役に立つのか。
有子は千香の隣に向かうと、雪の積もった手すりに手をかけた。
「眠れないの?」
「まあ、ね。昼にちょっと寝ちゃったから」
「なるほどね」
ゆっくりと落ちていく雪の量は、気のせいか時間が経つにつれて少なくなっているように感じる。
同時に、徐々に開けていく視界が、ゲレンデ本来の姿を見せていた。
「千香は、今まで何してたの? せっかくみんなで楽しく遊んでたのに、ずっといなかったけど」
「ああ、それは」
そういうと、千香はライトアップされたゲレンデの先を、じっと見つめた。
「ちょっと、このホテルに用事があってね。あと、明日の準備とか」
「用事?」
「うん、まあ、大したことが無いんだけど」
「そっか」
千香はホテルにいる間、ほとんど姿を見せなかった。ということは、ホテルにいる時間のほとんどを、その「用事」に費やしていたのだろうか。
「もしかして、小塚先輩のところ?」
「え、違う違う。確かに小塚先輩のところには行ったけど、それとは別の用事」
有子は何となく進のことが頭に思い浮かび、カマをかけてみた。が、やはり彩花が言うような展開にはなっていないようだ。
「そっか。まあいいや」
千香の「用事」が気になった有子だが、これ以上は追及しないことにした。おそらく、話したくないようなことなのだろう。
「それにしても、やっぱりここから見るゲレンデはいいわね。このために、ここに来たって言っても過言ではないわ」
「千香は、ここには何回か来たことあるの?」
「うん」
一瞬、強い風が吹いた。横風に合わせて、降ってくる白い粒が有子たちへと向かって行く。
「小さいころから、何回か父さんに連れて来て貰ってたんだ。それで、スキーを始めて、中学からは、一人で行くようになったかな」
「へぇ、それで、あんなにスキーが上手かったんだ」
「まあそれでも、小塚先輩には負けるけどね」
「それでも、私たちと比べたら」
そこまで言いかけて千香の顔を見ると、なんだか寂しそうな表情をしていた。
ゲレンデを見る目は、どこか遠くを見るような、どこかに行ってしまいそうな。
「千香、どうしたの?」
有子が声をかけると、千香は「えっ」と声を挙げて有子の方を見た。
「あ、ごめん、ちょっとぼうっとしてたかな」
「やっぱり、昨日からずっと忙しそうだったから、疲れてる?」
「まあ、少しは疲れてるけどさ、別にどうってことないよ」
ふふっ、と笑って、千香は再びライトアップされたゲレンデを見つめた。
「でも、良かったよ。みんな楽しんでくれたみたいで。最後は雪が激しくなったけど、これで楽しくなかったらどうしようかなって、ちょっと不安だったんだ」
「うん、楽しかったよ。スキーも、お風呂も、卓球も、ゲームも」
そういうと、有子はベランダの手すりによりかかった。
「千香、ありがとう。私を旅行に呼んでくれて。楽しかったし、おかげで、いろんな話が聞けて良かった」
「そう言ってくれると、ありがたいな。企画した甲斐があるよ」
千香が言い終わった瞬間、急にあたりが暗くなった。
ゲレンデを見ると、少しずつライトアップの電灯が消えていっているのが分かった。
「ああ、ライトアップは十二時までだからね。もうそんな時間か。そろそろ寝ないと」
「うん、そうだね。結構冷えてきちゃったし」
再び強い風が吹くと、有子と千香は体を縮めて両手で体をさすった。
「ううっ、寒っ! 早く戻んないと風邪ひいちゃうね。じゃあね、ユウ。また明日」
「うん、千香、また明日」
右手を振って別れを告げると、有子は自分の部屋に戻った。
部屋の窓の扉を閉め、鍵をかけようとしたときだった。
「今夜は部屋の窓の鍵を開けておいた方がいいと思いますよ。何があるかわかりませんから」
達真が中腹のロッジで言った言葉が引っかかった。
一体、何があるというのだろう。
一旦は鍵に手をかけたものの、その言葉が気になってしょうがない。
結局鍵はかけないままカーテンだけを閉めた。
そして、来ていたコートをハンガーにかけると、有子はベッドの布団にもぐりこんだ。