つきかげの
此一書不審之点多ク文体不調ト雖。内容特異而些ノ興味在バ。此翻刻シ諸兄諸姉ノ鑑賞ニ供セシ者也。残欠断簡之常ト為數脈絡難得。文意容易ニ不通事頻成バ。今仮ニ人物主述ヲ〔〕ヲ用テ補セ令ム。通意ニ障有バ則余之咎也。
男君「いで、立ちたまへ」
〔男君は〕かく仰せたまへどいらへもえさせたまはず、うへはただ伏しにおはせば、おん手を引きたまひぬ。僅かなるともしびの明かりに、御かひなの白き、夜にも著るく見えさせたまふ。
ささめごとをかいま見るはらうがはしきことなれど、夜半に覚えぬ人のこゑのすなるに
ひかれて聞くほどに、おもほえず離れがたくぞなりにける。春の夜の風そよと吹きてほほをなづるに、かかりしすこし雲はれて月きざすなり。
こなたに近きほどになれば、隠ろへばみてあれど〔男君は〕目ざとくおはしまして、つととまりて。
かほばせも明きらめられずらむほどに打ちまもられぬ。
男君「こは」
と、いひわずらひたまひぬ。さすがにあてなるさまはいふもおろかなりけるものかな、とこの期にもおもほゆるをば我ながらにあさましくおもひ。
うへはあきれたるさまにて我をみ、人をみたまひて、やがて振りはなちて去にけり。君はすさまじくおぼしけむや、うらみがほに、
「わごぜ」といと艶なるこゑにて呼びかけたまふもこころぐるしくなむ。いかなることおおせつらむやとすずろになりたれば。
男君「あやにくのことや。この代にはなににかはあらむ。わごぜが」
と割りなくたはぶれたまふも、うへのことをおもへばかたはらいたくおぼすべうあれど、〔男君には〕さのみなるおん気色つゆも見えさせたまはず。うへはいかに聞こし召すやらむ、おぼつかなし。
〔男君に〕なにごともえ聞こえさせで、ただまどひてあるをあいなくおぼすやうにもあらで、髪をそそくりなんどしたまひて近しきさまいふべきにあらず。
女「な戯れたまひそ。あやなしや」とのみやうやう聞こえさせてかくれむとするを、あながちに制したまふれば、
女「くものうへの月の光を求むともみなもの影をむすびやはする」
とばかりを。君は、
男君「雲隠る月の行く手をしたへばやうつろふ影だにまがへては見る
わろき手か」
と、ながめてやがて立ちたまひけり。〔男君には〕帰るさをおくらする人もなく、忍びありきにおはせどあやしきふしなども見えさせたまはざりしかば、かへり見ればさすがに人のほどいとはづかしきまでにおはしけるとまうすべきにや。されど絶え入りなむばかりの心地してほかのこともえおもほえず、ただあきれてゐたるに、いくばくかは過ぎけむ、知らず。風吹き池の月のおもてゆらぎぬ。
姫君「月もまたみなもにかげろふうつし身を分かたぬまでにおもひなすかな
月をひとりながむるはあやふしとまうすぞ」
いつの間かかたはらにうへのおはしまししか、それさへ知らざりけり。
なみだのこぼるるはおよびなき身をおん身にたぐへてうたよみしをもとがめたまはざるかたじけなさゆゑか、はたさきのことをはりてこころゆるびたるゆゑかしらねど、ただ曇りなき月影のみぞさやかに、著るくみえにける。
了
付記 『つきかげの』を読む
夜半男が女を連れ出そうとしている、その場面に語り手は遭遇するわけであるが、最初の問題はこの状況である。
「ささめごとをかいま見るはらうがはしきこと」と自ら語るように男女の私語を覗き見るのはほめられた行為ではないはずだが、思わず足をとめてしまう。王朝文学における「かいま見」とは、男が普段目にする事のできぬ深窓の姫君を見とめる行為であった。そして語り手は「うへ」の白い腕を見るのである。ここに一種の転換が見られる。
そもそも男が女を連れ出そうとするのは二人が尋常の中ではないことを示している。ちょっとしたお遊びの恋なのか、あるいは思い詰めたはてのことかはわからないが(その後の男から察すると前者か)、少なくとも世間に認められた間柄ではない。
男に見つかった語り手は、顔を見られる。普通男がある女の元に通うには小間使いや侍女の手引きを要する。男と「うへ」が初対面でないならば、男と語り手も初対面ではあるまい。出くわした相手がいったい誰なのか、それと認めた男の声が「こは」である。語り手が男を「君」と呼んでいることからが二人の関係性を考える上での証左ともなるか。
冒頭の様子からするにもともと乗り気でなかったのであろう、「うへ」は思わぬ事態に驚き、二人を見て――ここでもやはり「見る」という行為が重要な役割を果たしている――逃げてしまう。見ること/見られることが転換点となるのはそれがお互いに秘め事だからである。
「うへ」に逃げられてしまった男は慮外の出来事をものともせず、すぐに別の女に「たはぶれ」る。この「たはぶれ」の意味、男が髪に触れ「近しき」振る舞いをするのは相手が格下だから許されることであるが、やはり以前何らかの交渉が二人の間に存したことを推察させるのである。
さて、男から逃れることが難しそうだと知った語り手は歌を詠みかけるわけであるが、これがなかなか唐突に感じられ解釈に苦しむところである。先ほど逃げてしまった「うへ」を月に、自らを「みなもの影」に喩えていることは後に照らして明らかだが、こういう擬人法を用いるにはそれなりの文脈が必要なはずである。それをテキストのうちに見いだすことができないのは、ここに至るまでの経緯を略した始まり方とも関係があろう。現に男はなんら疑問を持つこともなく歌意を理解しているように見える。しかし己を月影に擬するのは状況的にやはり異様であることにかわりはなく、語り手と女主人との何かしら特別な絆を伺わせるのである。
男の返歌「うつろふ影だにまがへては見る」は語り手の歌をよく受けたもので、彼は知っているが我々の知らない前提があることを示す。「わろき手」と自ら称してはいるがそうまずい歌でもなく、むしろ語り手の歌よりはいくぶんかましに見えるがどうであろうか。いずれにせよ男はこれを捨て台詞に「一人で」帰っていくわけで、ここに「二人の」女との対照がある。
難事をどうにか切り抜けて呆然と月を眺めている語り手の元に再び「うへ」が現れ、関連した歌を詠む、それに対する語り手の感想でこの一編は終わっている。「うへ」の歌は彼女が語り手と男のやり取りを聞いていたこと、彼女と語り手が同じ意識を共有していることを示している。これを「かたじけな」いと語り手は表現するわけで、このあたりは「うへ」との立場を考えれば妥当ではあるが、やはり二人は分かちがたく結びついているようである。
香坂