初心者講習 実戦編
「戦いの前に女神様にお祈りするでし」
「お祈り?」
コーザにお茶を振舞われ一服した一同は、クリケットに外へと連れ出された。ギルド前の緩やかな傾斜を降りると、村の中央にある色鮮やかな花園へと誘導されてゆく。花園の中央では美しい女神の彫刻が柔かな微笑を浮かべている。クリケットはその前でぴょこんと後ろを振り返った。
「PBを出すでし」
クリケットの言葉に一同はパーソナルブックをそれぞれ取り出した。一同がパーソナルブックを取り出すのを確認すると案内者はニコッと微笑み、そして女神像に向かって一礼した。それに習い、三人も女神像に向かって礼をする。
「挨拶が済んだらそれじゃ、HomePoint Onて言うでし」
クリケットの新たなキーワードに皆は口々にその言葉を放った。
「HomePoint On」
その言葉に三人のパーソナルブックが一瞬の光に包まれた。文字通り、それは瞬く間の出来事だった。一秒に満たない時間で消えた光に当惑する教習者達。
「これでホームポイントの設定が済んだでし。もし、これでモンスターにやられてもここへ戻ってこれるでし」
「MQでいうホームクリスタルみたいなものか」
スウィフトのその言葉で、少なくともエルツはその概念を理解できた。ただ一人認識に欠けるのはリンスだ。
「要はセーブポイントなんだよココ」
スウィフトのフォローにリンスは当惑しながらも納得の頷きを見せる。
よくよく考えてみればセーブという概念についてエルツには疑問が残った。
バーチャル・リアリティの世界は仮想とは言え、その実感は現実に近い。テレビゲームで繰り広げられるRPGとは訳が違うのだ。
現実では命を落とせば救われようのない苛酷な死が待っている。
では仮想現実で死んだら? 死ぬ感覚を味わったことのないエルツにとって、いやおそらくこの世界にアクセスした全ての人間がこの世界で命を落とすという仮想体験を味わうことになる。
死んでも生き返れるという前提に基づき、仮にも死を実体験できるのだ。
心が躍るという表現では実に不謹慎だ。だが、実際エルツにはそれに似た高揚感を隠すことが出来なかった。
「なに、難しい顔してるでしか?」
「いや、ごめん。何でもないよ」
クリケットに顔を覗きこまれたエルツは微笑みで平生を取り繕った。
ホームポイントの設定が終われば、いよいよ一同が向かう先は狩場へ。
それじゃ行くでし、とのクリケットの掛け声に一向は再びギルドへ向かって踵を返す。ギルド前を通り抜け、そのまま裏手にある小道を上っていく。枝垂れた低木の鮮やかな緑の葉々が道を覆い、さながらそこは緑のトンネルのようであった。
「自然が創ったトンネルなのね。綺麗」
思わず感情を零したリンスに、クリケットは鼻高々に一同を導いてゆく。
「どうでもいいですけど、何で僕までつれてこられてるんですか。またこれじゃギルド誰もいないでしょうが」
不安気なコーザにクリケットは平然と答えた。
「ギルドはルーベンスの阿呆に任せるでし」
「出掛けてる奴当てにしてどうすんですか。全くいい加減なんだから」
「つべこべ言うと今度はその玉袋ぶち破るでし」
「可愛い顔してどんだけ下品で過激なんだあんたは」
そんな二人の掛け合いに一同は浸りながら、目的の場所へと向かった。
緑の坂道を抜けた先はそこには美しい光景が広がっていた。背高の広葉樹から漏れる木漏れ日が、まるで光のカーテンのように揺らめき、微風にそよぐ草地を照らし上げていた。
「綺麗でしょう。何気に人気の高いスポットなんですよここ」
コーザがいう事には一同納得だった。それは一度見たら忘れられない神秘的な光景であった。
その草地でぴょこぴょこと跳ねる見慣れない生物。丸いモコモコとしたその桃色の生物は、一同の存在に気づくと、クルっと身体を丸め、今度はコロコロとその場で転がり始めた。
「なんですあれ」
「ラヴィでし。こいつが練習相手でし」
その言葉にエルツは腰元の銅のナイフに手を掛けた。だがナイフを引き抜こうとした手が止まる。
エルツだけではない。それは三人に共通した動作だった。
「どうしたでしか? 何してるでし。早く武器を構えるでし」
クリケットの促しに三人は必死に心の迷いと戦っていた。
だが、このモンスターと戦うにあたって致命的とも言えるある問題点が立ちはだかる。
武器を抜くことを諦めたのか、エルツは構えを解きただ立ち尽くす。
「……クリケット」
「何でしか?」
エルツの呼びかけにクリケットはただその先の言葉を待っていた。
三人の気持ちは一緒だった。そして、ある一つの結論に到達した。
「無理だ……このモンスターは倒せない」
エルツの言葉にスウィフトとリンスが無言で頷く。クリケットが首を傾げて前のめりになったその時、三人は口を揃えて言った。
「可愛い過ぎる」
その言葉にクリケットが一人大きくずっこける。
様子を静観していたコーザは予想していたかのように眼鏡を中指で押し上げる。
「言わんこっちゃない。まともな神経でラヴィ狩れませんて。こんな可愛い生物平然と狩れるのは極悪非道なあんたくらいのもんですよ」
コーザの言葉を地面にうつ伏せながら聴いていたクリケットがムクッと起き上がる。
「確かに、そうでしね。ラヴィが可哀想でし。分かったでし。代わりを用意するでし」
「代わり?」
エルツ一同は手にしていた銅のナイフを下げて聞き返した。
「代わりって、ここに代わりになるようなモンスターは居やしませんよ」
疑問符を頭に浮かべたコーザ。そんな彼にクリケットは一言こう突きつけた。
「コーザお前が戦うでし」
一瞬の沈黙。
「は?」
満面に混乱を浮かべたコーザは精一杯の抗議へと移る。
「馬鹿も休み休み言って下さい。何で僕が戦わなくちゃならないんですか。大体僕らNPCは戦闘用に作られてないんですから、って何であんたら構えてるの!?」
「いや、つい……」とスウィフト。
その様子にコーザの表情が変わる。
「なるほど、あんたら可愛いラヴィは狩れなくとも僕は狩れるってわけですか」
「いや、本当にそういうつもりじゃ」
スウィフトの弁解も聞かずに燃え上がるコーザ。
「いいでしょう。受けましょうこの勝負」
もはや、成り行きに身を任せるしかない。そう悟った一同。
それに実際問題、ラヴィよりはコーザの方が狩りやすいのは確かな事実だった。
「CHANGE WEAPON 銅の槍」
コーザの掛け声と共に空中から現れる銅の槍。
「手加減はできませんよ。何分久しぶりに武器持つもんで」
「それじゃ、ジャッジは我輩が務めるでし」
クリケットが両者の間に割って入る。
「両者構えるでし」
クリケットの言葉に槍を腰元に水平に構えるコーザ。突然やってきた実戦のチャンスに教習者三人も銅の短剣を構える。
そして、クリケットの振り上げられた小さな腕がゆっくりと振り下ろされる。
「始めでし!」
クリケットの言葉に互いにすぐには動かなかった。お互いの出方を窺がってか暫くの均衡状態が続く。その様子をクリケットはあくび交じりに眺めていた。
「どうしたんですか。来ないならこっちから行きますよ」
コーザはそう言うと、ゆっくりと三人との間合いを詰め始めた。エルツ達にとってコーザの戦闘力は未知数。逆にコーザにとっては三人が揃ってLv1なのは知れている。
ゆっくりと間合いを詰めていたコーザの目が光る。
水平に構えられていた槍がコーザを中心に鋭い弧を描く。その軌跡を目で追い終わった時には、三人は同時に草地に倒れていた。
「……何が起きたんだ」
あっという間の一閃に為す術も無く倒れた三人。エルツは咄嗟に攻撃された患部を確認するが、傷らしいものは見えなかった。代わりに三人は倒れている自らの身体から溢れる光が漏れている事に気づいた。
「……なんだこの光」
「それが君達の命の光ですよ。生命エネルギー、LEなんてこの世界では呼ばれてますけどね。この世界では受けた攻撃によって怪我をする事は基本的に無いんですよ。代わりにそのLEが光の粒子となって漏れ減って行く。ステータス画面で確認すれば今君達のHPが減っている事が分かるはずですけど」
そう語りながらにじり寄るコーザ。
「尤もPB開く余裕なんて今は与えませんがね」
コーザの目は本気だった。彼は本気で教習者一同を殺る気で戦闘に臨んでいる。
生半可な気持ちで臨んではこの勝負、勝てない。エルツは覚悟を決めつつあった。
「スウィフト、リンス。コーザを囲むように散開しよう。固まってるのはさっきの二の舞になる」
「ああ、分かった!」
エルツの言葉に、素早く二人が駆け始めコーザを囲むように三角形を結ぶ。これでコーザは一人ずつしか相手にする事しか出来ない。加えて必ず一人は相手の死角を突く事になる。
「驚いた。それ三角陣っていうこの世界ではれっきとした陣形なんですよ」
コーザは三人を交互に見渡すように視線を投げていた。
「皆、一斉に攻撃を仕掛けよう」
「了解!」
エルツの言葉に三人が同時に中心のコーザ目掛けて刺しに掛かる。
「ですが、甘かったですね。こんな技もあるんですよ」
「え?」
コーザの動きに咄嗟に三人の身体が固まった直後、同時に三人は大きく後方に向かって弾き飛ばされていた。
「ぐぁ!」
エルツは後方の樹木に身体ごと叩きつけられ、スウィフトは草地の上を数メートル空中遊泳し、リンスもまた別方向の草地で崩れ落ちていた。
この一瞬で一体何が起きたのか。
そう、コーザはコンタクトの瞬間、槍を頭上で大きく回転させた。飛び掛った三人はその槍の遠心力で弾き飛ばされたのだ。だが、ただ回転させるだけの動きにこれ程の威力が込められるとは到底思えない。完全に物理的法則の域を超えている。これは一体どういう事なのか。
「風車って技なんですよコレ。結構効いたでしょ?」
コーザの言葉によろよろと身体を起こすエルツ。この世界では怪我はしないというが、痛覚に勝るとも劣らない強烈な衝撃が全身に走った。
「今のあなた達にとっては今のは致命的ってとこですかね」
迫る対戦者はその本領を見せていた。紛れもなく――強い。
エルツの脳裏を敗北の二文字が掠める。
状況的には、圧倒的な力の差を感じずには居られなかった。加えて。何より戦闘経験に差が有り過ぎる。まだナイフを握りたての赤ん坊にとって明らかにこの戦いは無謀だった。
「なんか弱い者イジメみたいで気が引けますわ」
スウィフトとリンスはエルツから離れた茂みで二人ともゆっくりと身体を起こしていた。だが、圧倒的な力の差を前に二人ともどうする事も出来ず立ち尽くす。
「見たとこ、皆さん瀕死ってとこですかね。クリケット止めないんですか? 止めないなら遠慮なく止め刺しますけど」
クリケットはただ黙ってその光景を見つめていた。
暫し沈黙していたコーザはクリケットの視線の先を追って微笑する。
そこには立ち上がる一人の冒険者の姿があった。
「この実力差を前に、立ち向ってくる勇気は賞賛しますよ。ですが時にその勇気はこの世界では無謀という言葉にすり変わる。勝てない敵に向うのは愚かと言わざるを得ませんね」
コーザの言葉にエルツはゆっくりとその間合いを詰めていく。
「聞く耳持ちませんか。それじゃ遠慮無く……」
再び槍を構えるコーザ。彼の言葉に偽りはない。既に弱者を狩る覚悟は整っている。
それでも大胆に間合いを詰めていくのは挑戦者だ。
そして、エルツは一気に駆け出した。
飛び込んでくる動きを予測して、槍を一閃するコーザ。槍は確実にエルツの姿を捉えるはずだった。
しかし、実際は風切り音だけが響く。
振りきって無防備なコーザに対して、エルツは正面から真っ直ぐに斬りかかった。肩元を抉られたコーザの身体から真白な光が零れ舞い上がる。
「なるほど、緩急をつけたタイムラグとは考えましたね。でも所詮は奇策だ。ネタが分かれば二度は通用しませんよ」
再び一度距離を取ったエルツが、コーザ目掛けて大胆に走り込む。
コーザは今度は冷静にエルツの動きを追っていた。身体が間合いに入った事を確認し、槍を横薙ぎに振る。
しかし、槍はまたしても空を切った。
再び、エルツのナイフがコーザの今度は胸元近くに突き刺さる。すると先程より多くの光の粒子が空中に舞い上がった。
「……エルツさんあんた」
コーザの表情に動揺が浮ぶ。何故槍が当たらないのか。普通ならばそれは考えられない事だった。
一度目は緩急でコーザの攻撃タイミングをずらし、二度目は一度間合いに入ってからバックステップで攻撃を流した。
単純に読みが強い。もしくは対人戦で有効な攻撃パターンを知っていたのかもしれない。
だが問題は二度目のフェイントだ。槍の間合いに入ってから攻撃をかわすなどという芸当は一朝一夕で出来る芸当ではない。
何故ならば、この作戦は槍の間合いを完全に把握していなければ成立しないからだ。
つまりエルツはこの短い攻防の中で、槍の間合いを完全に見切ったのだ。
またしても走りこんできたエルツに対して槍を構えるコーザ。タイムラグかフェイントか。
ただの二択にコーザが頭を悩ませている間に一直線に突っ込んできたエルツの短剣が左胸を抉る。
三度目はノーフェイントだ。
「そんな馬鹿な……しかも」
コーザの左胸に突き刺さる銅のナイフ。患部からは大量のライフエナジーが溢れ、空気中に拡散し消えてゆく。
「あり得ない……クリティカルヒットだって!?」
「胸元に近づくにつれて溢れ出るライフエナジーの量が多くなったからね。攻撃部位によってダメージが変わるんじゃないかと思って試しにやってみたんだ」
「試しにって、そんな……この実戦であんた一体!?」
膝をつきその場に崩れるコーザ。
「そこまででし!」
クリケットの声が鳴り響く。
それが勝負の終わりを告げる合図となった。
■語彙説明
●NPC----- Non-Player-Character[ノンプレイヤーキャラクター]の略。アルカディアの世界の住人は主にこのNPCとPC(Player-Character[プレイヤーキャラクター])の二種類に分かれる。PCとはつまり冒険者の事を示す。それに対しNPCとは非冒険者。つまりこのゲームのために存在する専用キャラクターの事を示す。その良い例がクリケットとコーザである。彼等はこの世界では自由な冒険を認められておらず、ギルド要員として存在する。他には商人などもこのNPCに属する。彼等は皆サーバー側で用意された雇われの人員なのである。