星間の輝き
国内初のVRMMORPGであるARCADIAの情報が解禁されたのは、僅か数日前の事だった。今までゲーム内のその全ての情報を伏せてきたD.C社が突如公開したその内容は驚くべきものだった。インターネットやTVなど各メディアを通じて放映されたその鮮烈な世界の姿は人々を一瞬にして魅了したのだった。
六十八万二千五百円という筐体価格にして、発売日の供給筐体数は国内で百万を突破した。小型のお手頃価格のハードソフトでも業界の伸び行きが下降線を辿る現代で、ミリオンセラーとは、異例に超が付く程の事件である。だが売れたのは事実。この事実をそのまま受け止めるならば、ARCADIAの正式サービスが稼働する年明けの一月一日、その日最大で百万のプレイヤーがアクセスしてくる事になる。
そんな稼働日当日にログインする人間は余程の酔狂に決まっている。オンラインの稼働日というのは決まって事故が付きものだ。ましてやその規模が百万とも為れば、自ずとその想像は容易い。だからこそ、稼働日にまるで餌付けを待った雛鳥のように巣から落っこちそうな勢いで食らいつくプレーヤーは愚かの一言で一蹴出来るのだ。
そして、ここにもまたそんな愚かな青年の一人が存在した。
PLAYER NAME:Elz
Login Password:********
筐体が届くと同時にクレジットカード番号や住所登録といった個人情報や認証を手早く済ませた彼は、一秒でも早くこの世界へのアクセスを望んでいた。プレイヤーネーム『Elz』。それがこの世界での彼の名前だ。
頭には大小無数のコードが絡み合った奇妙なヘッドメット。このアクセス端末を用いる事で、自らの脳を一つのサーバーとしてコントロールし、ARCADIAのメインサーバーへと繋げる事が出来る。カプセル型の透明なボックスに横たわりながら、仰向けに頭上のモニターを見つめボックスから吊り下げ固定されたキーボードを弾き認証を行う。
接続準備が済むと同時に、モニターにはログイン中という文字が浮かび上がり、ボックス内には真白な煙が充満し始める。ひんやりとした冷凍ガスの気温に当てられながらアクセス端末の脳波制御によって次第に意識が遠のき始める。その感覚は麻酔ガスによる全身麻酔に酷く似ている。
遠のく意識の中で暗闇が全てを包み込む瞬間、まるで自らの身体が重力を失い空気に溶け込むかのようなその解放感は何とも言葉にし難い快感だ。
やがて、視界の中には小さな光が浮かび上がり始める。浮遊する意識の中、漆黒の闇だと思っていたその世界に浮かび上がるは無数の星々。その星々の合間で煌く輝き。ただの闇だと思っていた世界が大宇宙へと移り変わる瞬間。その時初めてプレイヤーは自らもまた星間で輝くそんな不思議な輝きの一つである事を知る。大宇宙に煌くその無数の輝きが織り成すその幻想的な光景はそれを前にするプレーヤーから言葉を奪う。
そんな輝きの群れの前にただ一つ確かに存在する巨星。圧倒的な存在感を前にエルツの思考は完全に停止していた。宇宙から見ても分かるその蒼い輝きは生物の起源である海を示すのだろう。また美しいまでの豊かな緑は、言うまでも無く植生を示すのか。それは紛れも無くこの巨星が生きている事の証だった。
この巨星が示す名を既に彼は知っていた。何故ならば、この星を開拓し理想の世界とする事が彼らプレイヤーに課せられた使命であると、つまりプレイ目的であるとこの世界へアクセスした者の誰もがその前提に基づいているからだ。
――惑星ARCADIA――
蒼と緑に包まれたこの巨星の名にこそ、人々の理想が託されているのだ。
星間で輝いていたその一つ一つが今、この巨星の引力によって導かれ落下して行く。
エルツもまたその例外では無かった。迫り来る巨星の大気圏に向けて今ゆっくりと落下を始める。それは引力が重力へと導かれ移る瞬間。
大宇宙の中での浮遊感はいつしか緊迫した落下運動へと変わっていた。次第に加速して行く自らの身体を見つめながらエルツの心は少なからず動揺していた。
穏やかな運動は急速に変化を見せる。光に包まれていた彼の身体は巨星の大気圏に差し掛かると同時に、摩擦熱で噴煙と炎に包まれる。凄まじい熱気、これがただの生身であれば一瞬にして身体は塵と化す。だが、光によって保護された彼の身体は真白な大気圏の中を一直線に突き抜け、僅か数分後には蒼と緑に包まれた鮮烈な世界の姿が浮かび上がっていた。
「これが……ARCADIA」
惑星の重力によって自由落下する彼の身体は風を切りながら惑星の地表を目指し始める。自らの身体がどこへ向っているのか、そんな疑問はもはや意識の外の事だった。このまま自由落下を続ければ、たとえ落ちた先が海面だとしても死は免れ得ない。だが、今の彼にとってはそんな事は些細な問題だ。
――最高だ――
始めは大陸として見えていた地表はいつしか明確な海岸線を帯びていた。
不思議な陸続きとなったその海岸線の先には小さな村の姿も映った。
「始めの目的地はあそこか」
そうしてここで目的地を意識したところでようやくエルツは着地方法を考え始める。
地表はもはや目前に迫っていた。その距離、僅か数十メートル。数秒後には彼は地表に落下する。もはや衝突は避けられない。
彼が死を覚悟して落下の衝撃に身を構えたその時だった。
光が地表と衝突すると同時に、巨大な衝撃音と共に一瞬ふわりと空気圧で舞い上がる。避けられぬ地表との衝突からエルツを救ったのは目に見えぬ空気のクッションだった。
その衝撃によって一度大きく浮いた身体を彼はゆっくりと立て直しながら、辺りを見渡し始める。
そこは紛れも無く、異世界だった。