VS Shamelot
頬を撫でる柔らかな風。温かな陽射しを瞼の裏に感じエルツはその身を起こした。
周囲を見渡すと、そこは素朴な板目に囲まれた一室だった。麻着をまとった自分の姿にエルツは安堵し、そして大きく伸びをする。
三日目にして彼は依然仮想の世界で生活している。そこに現実の影は見当たらない。
「起きたら自室じゃなくって良かった。これが仕事日だったら最悪だもんな」
洗面所へ向い、冷たい水で顔を洗う。
「折角だからシャワーも浴びるか」
全身の衣服を外す方法は初心者講習の際に既にクリケットから習っている。ただアイテムリストから装備を外すだけでは下着を装着した状態になる。下着まで外す方法はただ一つ。本人がVoice Commandと総称されるあるキーワードを言うしかない。
「Naked On」
エルツの体が即座に光に包まれる。しかし、コマンドの発言だけですぐに装備が変更されるわけでは無い。もし、誤って発言してしまった時の為にこの解除は二段階の構造になっている。光輝く時間は十秒間、その時間内にパーソナルブックにポップアップした『Naked On(装備解除)』のアイコンをクリックする事で初めて解除が成立する。光のエフェクトが消えるまでにアイコンを押下しなかった場合は自動でキャンセルされる。
一連の作業を済ませ服を脱ぎ捨てたエルツはシャワールームへと消えて行った。
朝の身支度を終えた仲間達は宿屋のロビーに集まっていた。
その日の予定は既に昨夜のうちに決められていた。
「それじゃ行きますか。ヘルプは読んできた?」
スウィフトの問いかけに無言でOKサインを返したのはエルツだ。
傍らのリンスの当惑の色に気づいたスウィフトはすかさず彼女のフォローに回る。
「たぶん今はわからないこと多いと思うけど。実戦やっていけばすぐに理解できるようになるよ。百聞は一見に如かずってね。文字の知識じゃなくて実際に体験した方が入り込み易いから」
「実際僕らも初めての概念多いんだ。保護率なんて概念が実戦でどう働くか予想もつかないしさ」
同調したエルツにスウィフトがアイサインを送ると、立ち話を終えた三名は宿をチェックアウトした。
宿屋を出た一同はこの村を訪れた時に通過したあの絶壁のトンネルを潜り抜け外界へ。
薄暗闇を抜けるとそこには澄み渡った青空と鮮やかなな蒼海が変わりなく広がっていた。
「なんか一昨日来たって感じがしないな。ずっと昔に来たみたいだ」
「それだけ、この二日間が濃密だったって事だよ」
三人は海岸へと向かって歩いていく。ジグザグに伸びた海岸線を引き返せば旅立ちの浜辺に着く事になる。
「今更、旅立ちの浜辺に行ったってやることないし。当面の目的を果たす為にも、一つ一つ段階踏んでこう。まずはこの島の海岸線に沿って外周一回りしてみようか」
スウィフトの提案に異論を唱える者は居ない。
まずは切り立った崖を横目に海岸の砂岩を踏みしめて迂回する。
エルムの村の入り口からほんの数十メートル。僅かな距離の変化でイルカ島はまた別の顔を覗かせる。
鋭い岩が点々と突起した浅瀬。岩場には体長五十センチメートル程の大きなヤシガニのような生物が無数に這い回っていた。
即座にPBを開きモンスター情報の確認を始めるエルツ。
「モンスターだ。凄いリアルじゃん!」
「待ったスウィフト。アクティブかもしれない。安易に近づかない方がいい」
エルツの制止は既に遅かった。浅瀬を駆けたスウィフトがぴたりと足を止めた時、彼はモンスターの目の前に居た。
バーチャル・リアリティの現実的な質感が、RPGのごく一般的な注意事項を薄れさせたのだ。
「やばっ……」
岩場で鋏を振り上げたヤシガニを前に身構えるスウィフト。
一瞬の戦慄に静寂が訪れる。
「あれ……?」
だがモンスターは鋏を振り上げたまま襲ってくる様子を見せない。
「あ……大丈夫かも。こんな近づいちゃったけど襲ってこないよ、こいつ」
スウィフトがその甲殻をツンツンとつつきながら呟いた。
「いわゆる、ノンアクティブ(非自発的行動型)のモンスターなんだきっと」とエルツ。
「まさかこんな形でノンアクを体感できると思わなかったな」とスウィフトが安堵する。
笑顔を浮かべていたスウィフトは何を思ったのか、口元を噛み締めて背負っていた青銅の槍に手を掛ける。
「さて、じゃ今日の本題だ。こいつ狩るか」
スウィフトの呼びかけにリンスは緊張した面持ちで弓を構える。
エルツは依然PBを開いたまま動かなかった。
「エルツ、何してる。早く構えてよ。一匹狩ってみようよ」
マップビューワーを眺めていたエルツは気掛かりな事でもあったのか、腕組みをしたまま完全に動きを止めていた。
モンスター名はシャメロット。詳細情報からは現時点ではステータスを確認する事は出来ない。
「シャメロットって、なんか戦闘のヘルプにこいつ出てなかったっけ? 計算式立てて要注意だった気がするんだけど」
胸騒ぎが収まらないエルツにスウィフトは痺れを切らそうとしていた。
「そんな、序盤から高難易度なモンスター配置しないでしょ。余裕だって。大体死んでもロストの経験値だってないだろうし。それじゃ、は~じめ~るよ~!」
槍を腰元に思いっ切り引き、完全に攻撃態勢に移るスウィフト。
「待てって。仕掛けるなら遠距離からリンスに釣って貰った方が……!」
「もう遅いよ~ん!」
「リンクしても知らないからな」
エルツが語調を強める最中、手馴れない軌道で振れた槍先がシャメロットの甲殻に直撃する。
視界に浮かび上がるまるで漫画の手書き文字のようなダメージ数値。同時にポップアップした緑色のライフゲージが僅かに減少する。
•Swiftの攻撃:Shamelotに3のダメージ
バーチャル・リアリティの世界で再現された3Dエフェクトに歓喜の声を上げるスウィフト。
「おお! 何か出た。凄いよ、これダメージ数値じゃん!」
「コーザと戦った時は出なかったのに。対NPCだと出ないのか」
湧き出た疑問を抱えるエルツの視界内では鋏を振り上げたシャメロットがスウィフトを襲う。
•Shamelotの攻撃:Swiftに3のダメージ
「痛って! 重いよ。一撃が重い!!」
「後悔は全部自分で消化しろよ。こっちは結構止めたからな」
突き放す言葉を吐きながらエルツはまず第一に周囲のシャメロットの様子に目を凝らしていた。
だが岩場を徘徊する他のシャメロット達に仲間を気遣う様子は見られない。
「リンクは無しと。とりあえず……一安心か」
ようやくPBを閉じたエルツが青銅の斧を片手に構える。
後方に視線を送るとシャメロットに狙いを定めたリンスが丁度矢を放つところだった。
「いや、それは危ないだろ。近接戦闘者が居る時に矢を放ったら同士討ちになり兼ねない。やっぱりちゃんと戦略とかポジションとか打ち合わせしないと駄目だって」
放たれた矢は一直線にシャメロットに向い、そして!
間に颯爽と飛び出したスウィフトの後頭部に直撃する。
•Linsの攻撃:Swiftに4のダメージ
「ごめんなさい!」
「アウチ! 大丈夫だ、リンス。間違いは誰にでもある。僕はまだ生きてる」
果敢に立ち向かうスウィフトの姿は不覚にもエルツには美しく思えた。
•Swiftの攻撃:Shamelotに2のダメージ
•Shamelotの攻撃:Swiftに3のダメージ
•Linsの攻撃:Swiftに3のダメージ
「ごめんなさい!!」
「はっはっは! 大丈夫、僕は不死身だ!」
後頭部に矢を突き立てて、岩場に張り付くシャメロットの後ろを取ろうと周りをくるくると回るスウィフト。
「落ち武者みたいだな。後頭部から流出するライフエナジーがとても綺麗だ」
エルツは両手を叩きながらスウィフトの迷走ぶりを称える。
「エルツ、お前いい加減に戦いに参加しろよ」
•Swiftの攻撃:Shamelotに3のダメージ
•Shamelotの攻撃:Swiftに3のダメージ
•Linsの攻撃:Swiftに4のダメージ
「ごめんなさい!!!」
「敵は身内の中にもいたか、不覚!」
冷静に与ダメージと被ダメージを計算していたエルツがここで動いた。
「そろそろまずいな。スウィフト下がれ。身体が赤点滅を始めた」
エルツの指摘に赤く点滅する自らの身体を呆然と見つめるスウィフト。
「なんだ……これ?」
「説明書読んで来なかったのか。HPが25%を切るとプレーヤーの身体が赤く輝いて点滅するんだ」
慌てて槍ごと身体を引いたスウィフトが浅瀬に水飛沫を上げて転がり崩れる。
「瀕死ってことじゃん。危な……」
入れ替わったエルツが今度は岩場を挟んでリンスと対面に位置付く。
まずはご挨拶と言わんばかりの強打撃を叩き込むエルツ。
振り下ろされた片手斧の刃がシャメロットの硬い甲殻を真芯に捉える。
•Elzの攻撃:Shamelotに4のダメージ
衝撃に気を取られたシャメロットがエルツの方へと振り向く。
だが、背後からはリンスが狙い済ませた一閃を放っていた。
•Linsの攻撃:Shamelotに2のダメージ
前後にターゲットの存在を感じたシャメロットが今度はくるくると回りながら必死に鋏を振り回す。
•Shamelotの攻撃:Elzに3のダメージ
「結構、鋭角的に攻撃が来るね。避け難いな」
ダメージに一瞬手を止めたエルツの背後から鋭く伸びる突閃。
•Swiftの攻撃:Shamelotに3のダメージ
「エルツだけにはいい恰好させんよ。距離を取ればこっちのもんだ」
槍の間合いを上手く利用したスウィフトがシャメロットの攻撃範囲外からの攻撃を加える。
本来の立ち回りを考えるならば、斧の高い攻撃力によって近距離でエルツが注意を引き、敵の間合いの外である中距離からスウィフトが攻撃の手を加え、アウトレンジからリンスが弓で援護射撃をする。
これがセオリーのようにエルツには感じられた。
「確かにスウィフトの言うとおりかもしれない。実戦から学ぶのが最短かもね」
•Shamelotの攻撃:Elzに3のダメージ
•Elzの攻撃:Shamelotに4のダメージ
•Shamelotの討伐に成功した!
•経験値:3EXP お金:1ELK
•ドロップ:Shamelotの甲羅
戦いを終えたスウィフトは水に濡れるのも構わずに浅瀬に座り込んでいた。
「……助かった」
かつてない戦慄と臨場感に茫然自失としていた彼にエルツは手を差し延べる。
だが二人の視線は通ってはいない。瞳は別の興味へと魅きつけられている。
岩場にふわふわと漂う一枚のカード。
「なんかドロップしたね。何だろう」
〆カード名
•Shamelotの甲羅
〆分類
•アイテム-骨材
〆説明
•美しい青の光沢が特徴的なティムネイル諸島全域に分布し生息する陸蟹の甲羅。
戦利品だと理解してからのスウィフトの心情の動きは速かった。
「エルツ、受け取ってくれ」
「いや、気持ちは有り難いけど。その必要は無いよ。ドロップアイテムは全員に入る」
スウィフトの手元から空気中に拡散して消えたカードのアイテムが、所持品に加わるのを確かめたエルツは二人にも確認を促す。
カードを確かめたスウィフトが安堵を表情に浮かべて微笑を零す。
「リンクしたら死んでたな」
「笑い事じゃないけどな」
エルツの返しに悪びれた様子も無くスウィフトは微笑みをリンスに向けた。
「RPG用語なんだ。ノンアクティブってのは自分からは攻撃して来ないおとなしいモンスターの事。逆にアクティブって言うのは自分から攻撃してくる獰猛なモンスターなんだ。リンクっていうのはモンスター達の習性を表す言葉で、モンスターによっては仲間が攻撃されるとそれを感知して加勢してくる事があるんだ。これを一般的にリンクするって僕らは呼んでる」
スウィフトの説明にリンスは感心したように頷いた。
「私達が近寄ってもあのモンスターは攻撃してこなかったからノンアクティブなのね」
「そういう事」
飲み込みの良いリンスに、エルツとスウィフトは再び視線を合わせる。
「どうする、二戦目行く?」
「回復が先だ、馬鹿野郎。さっさとヒールしな。いつまで赤点滅続けてるつもりだ」
説教じみたエルツの態度にスウィフトはさも可笑しそうに微笑みを絶やさない。
「はは、まじ受ける。エルツって意外と真面目なのな」
「お前が無謀過ぎるだけだよ。でもさっきの一戦で学べたことがでかいよ。後半の戦い振りはまさに正攻法だった」
実戦で学んだスタイルをこれからの成長と共にどう変化させて行くのか。
それを想像しただけでもエルツはこの世界に来たことが正解だったと確信することが出来た。
<コメント:本日はここで区切らせて頂きます。なお、明日は会社から自宅待機の指示が出ておりますので、場合によっては午前中からアップできるかもしれません>