レミングスの酒場
村の所々から漏れる光を頼りに三人はクリケット達に教えられた酒場を目指していた。
ギルドを正面に、光輝く花々によってライトアップされた女神像の前を右手へ、森に向う木道の先にその酒場はあった。
木々に囲まれたオープンテラス、ちょうど地表から三メートル程の高さを太い枝を組んで作られた木柵が覆っていた。木柵からは、蔓で吊り下げられたランプが淡い光を漏らしていた。その下で酒を酌み交わす無数の冒険者達の姿。
八十八席を有する円状に広がったこの空間は冒険者達の憩いの場であった。
「ああ、お腹空いてもうダメだ。よくよく考えたら昨日から何にも食べてないもんな」とふらふらとするスウィフト。
「とりあえず、席だけ取っとこう。そしたらまとめて注文してくるよ」とエルツが辺りを見渡す。
「あ、あそこ空くんじゃないかな」と、リンスが呼び掛ける。
食事が終えられた一席が偶然に空いたその瞬間を見計らって飛びつく。
「なんで、ここは宿屋のシステムが適用されてないんだよ」とテーブルに突っ伏したスウィフトが不平を漏らす。
「多分、色々事情があるんだろ。開発者はきっと仕様って言葉で返すよ」
「仕様って便利な言葉ですよね。私も会社でよく使います」
リンスの言葉に思わず失笑するエルツとスウィフト。
「何だよそれ。ひょっとしてリンスって開発系のお仕事? ってちょっと待った。この話広がりそうだから、まず先に注文しよう。もうお腹も限界だからさ。これってどこで注文するんだろ? 店員も見えないし。ちょっと探してくるよ」
立ち上がるスウィフト。
「待った、テーブルのメニューに何か書いてある」
注文を取りに行こうとしたスウィフトを即座にエルツが制止する。
〆メニュー注文の仕方
1.パーソナルブックを開いて下さい
2.デスクトップアイコンからSHOP-MENUを選択します
3.表示された画面にてご希望のお食事に選択し購入(個数変更可:チェックボックス右)
4.各テーブルの中央に設置された台の上に、御食事が自動転送されます
5.ごゆっくりとお食事をお楽しみ下さい
※ご注意1
•食後の食器類について
食べ終えた後の食器は、中央の台の上にお戻し下さい。大変御手数ですが、何卒ご協力の程、よろしくお願い致します。
※ご注意2
•レミングスについて
当店内には清掃のため、レミングスが徘徊しております。くれぐれも彼等の仕事の邪魔をしないようよろしくお願い致します。
マニュアルに目を通し、パーソナルブックを開く三人。
「ここでもパーソナルブックか。使用頻度高いな」とエルツ。
「そのうち生活習慣にでもなったら現実でブック。オープンとか言っちゃいそうだよね」とクリックマーカーを器用にくるくると回すスウィフト。
リンスがデスクトップでショップ・メニューを探していると、さり気なくスウィフトが指先で明滅を繰り返すアイコンを示して見せた。
アイコンをクリックすれば店のメニューが展開される。
〆レミングスの酒場
▼前菜
•□×1 シザーサラダ 7 ELK
•□×1 シーフードサラダ 8 ELK
•□×1 トマトサラダ-フランの花弁添え- 10 ELK
▼スープ
•□×1 コーンポタージュ 6 ELK
•□×1 ミネストローネ 6 ELK
•□×1 南瓜の冷製スープ 6 ELK
▼メイン
•□×1 ムームーの香草焼き 12 ELK
•□×1 シャメロットのチーズ蒸し 15 ELK
•□×1 レミングスの酒場特製シチュー 30 ELK
▼デザート
•□×1 蜂蜜ゼリー 5 ELK
•□×1 アップルパイ 10 ELK
▼ドリンク
∟ノンアルコール
•□×1 おいしいお水 無料
•□×1 蜂蜜ジュース 3 ELK
•□×1 アップルジュース 3 ELK
•□×1 アップルティー 3 ELK
•□×1 アイスカフェ 3 ELK
•□×1 ホットカフェ 3 ELK
∟アルコール
•□×1 ビール 5 ELK
•□×1 蜂蜜サワー 5 ELK
•□×1 アップルトリック 5 ELK
•□×1 カルーアミルク 5 ELK
•□×1 エルム特産地酒 10 ELK
●注文する
●設定クリア
「なんかメニュー凄くない。フランス料理のコースメニューみたいじゃん」
「あんまり酒場ってイメージじゃないね。どちらかって言うとレストランのような」
スウィフトもエルツもメニューに悩んでいる様子だった。
「エルツ、きついね。だから無駄遣い止めておけば良かったんだよ。僕だってお金そんなに無いんだから気安くは貸せないよん」とスウィフト。
「18ELK残ってれば立派なメイン料理にスープも付けられるさ。南瓜の冷製スープにあとメイン料理か。この夜小羊って書いてムームーっていう奴、ラムなのかな。ちょっと興味あるな。うん、これにしよう」
「お前、全く反省してないだろ。それもしかして所持金ゼロになるんじゃないか。明日からどうするんだよ」
「稼げばいいさ」
のれんに腕押し。エルツにこれ以上の押し問答は意味が無いと諦めたのかスウィフトは自らの注文を決めるためにメニューに視線を戻す。
「ったく、廃人ってこんな奴ばっかりなのか。あ、僕はこれにしよう。シザーサラダにコーンポタージュ。それからシャメロットのチーズ蒸し。どうしようかな、デザート付けようかな。これからのことも考えてここでは一応節約しておくか。リンスは決まった?」
「うん、私は トマトサラダにミネストローネ、それから私もムームーの香草焼き」
「みんな決まったみたいだね。てゆうかなんかつくづく酒場のメニューじゃないなこれ」
注文ボタンに手を伸ばしたところで、スウィフトがストップを掛ける。
「あ、大事な事皆さん忘れてますよ~。ビール頼んでないじゃん。お酒がないと話になんないでしょ。エルツも金ないだろうけど、酒代だけは僕が持つから飲みなよ。リンスも飲むでしょ? 勿論僕が奢る」
活気を取り戻したスウィフトの提案にエルツとリンスは顔を見合わせて礼を言った。
「じゃ、ちょっとまずはビールだけ先に注文するよ」
スウィフトが迷わず購入するのボタンをクリックする。
すると、テーブルの中央にふわっとやわらかな光が漂い、そこにジョッキが三つ現れた。
「ジョッキかよ!」
思わず突っ込んだスウィフトに全員がエルツとリンスが笑いを溢す。
「まぁ、いいや。それじゃ皆ジョッキ手に取って。乾杯しよう」
三人はスウィフトの仕切りにそれぞれジョッキを手に取るとお互いの顔をまじまじと見つめる。
「こんなに素敵な世界で、こんなに素敵な二人と出会えたことを僕は幸せに思う」
突然、始まったスウィフトの乾杯の音頭に腕を震えさせたまま三人はジョッキを掲げていた。
「皆の言いたいことは分かってる。僕ももう限界だ。それじゃ三人の出会いを祝って、乾杯!」
スウィフトの仕切りの下、三人は一斉にジョッキに口をつける。
「ああ、ビール美味い。確かに生き返るな」と第一声は意外にもエルツが漏らした。
「何、今まで死んでたの?」と口周りにビールの泡をつけたスウィフトが突っ込む。
軽快な掛け合いに一同のテンションは自然と上がってゆく。
「ちょっとここらで改めて自己紹介しとこうよ」とスウィフト。
「いいね」とエルツ。
リンスの同意は問わずに半場強引な展開でスウィフトは自己紹介を始める。
「じゃあ僕から。プレイヤーネーム、Swiftです。今までオンラインゲームはいくつかやってきたけど、今までの中でもこのゲームは最高だと思う。ゲームが最高なのか、VRSが秀逸なのか、僕にはまだ判断つかない。ただ何か細かい事は全く分かってない現段階でも既にメチャクチャ面白いし、何よりこの圧倒的な臨場感。ここへ来て本当良かった。こうして二人にも出会えたし、これも何かの縁だよね。というわけで二人共、これからよろしく!」
若干、途中から自己紹介ではなく感想と化していたが、エルツは敢えて突っ込まずにその後に続けた。
「プレイヤーネーム、Elzです。自分も今まで結構なほどゲーム浸りな人生送ってきました。一番好きなジャンルはやっぱオンラインRPGだけど、別にジャンルは問わず幅広くやってます。格闘ゲームとか弾幕系シューティングとかも結構好きだし。最近、面白いゲームが無くて、正直マンネリ化してたところにこのゲームに出会いました。VRMMOっていう世界で二人と出会えたことは自分も本当に嬉しいです。一人でやるMMOにも楽しみ方はあるにはあるけど、やっぱり人と触れ合ってこそのMMOだから。二人共、これからよろしく」
「やっぱり聞けば聞くほど廃人じみてる。弾幕系シューティングとか趣向がオタクっぽいぞ」
スウィフトの茶々入れにエルツは脇腹を小突き返すと、二人はリンスの方へと視線を送る。リンスは気恥ずかしそうに二人の視線に俯きながら、頬を紅潮させて口を開いた。
「Linsです。ええと、私は普段ゲームとかはあまりやらないんですけど……でも初めてこの世界を見てゲームってこんなに素敵な世界が広がってるんだなって感動しました。まだ全然わからない事が多くてお二人の足を引っ張っちゃう事が多いかとは思うんですけど、これからよろしくお願いします。ごめんなさい、あまり喋るの得意じゃないんです」
「いいよいいよ、気にしないで。そんくらいの方が女の子は可愛いよ」
何の気無しに歯の浮くような台詞を平然と言ってのけるスウィフトにエルツは感動を覚えていた。
「そういや、さっき仕様がどうのこうのって言ってたけど。リンスって開発職? 実はさ、僕も携帯アプリの制作会社で開発じゃないけど経理やってるんだ」
「え、そうなんですか!? わたしはソフトウェア会社のただの受付嬢です。時間交代でユーザーの苦情対応係も兼ねてるので、仕様という言葉には敏感なんです。お客様には直接的になかなか伝え辛い言葉なんですけど、開発の方達ってそれ仕様って言っといてって簡単に言うじゃないですか」
リンスの苦労話にスウィフトはビールを勢い良く喉に通しながら相槌を打つ。
「分かる分かる。板挟みって辛いよね。僕も重役と製作会社の間でコスト調整でいつも苦労してるから。今モバイルのアプリってどんどん進化してるじゃん。ベンダーによってはさコストも技術もバラバラだから、安価で質の高いベンダー捕まえるのに必死だよ。そういや、エルツって今どんな仕事してるの?」
「ん、自分のはあまり面白い話はないよ。ただのデバッグだから」
エルツは少し肩身の狭い表情で二人に愛想笑いを返していた。
「デバッガーかぁ。うちにも品質管理部門はあるけど、ほとんどアルバイトだし、正直あんまり環境が良いって話は聞いたことないな」
「うん、基本的にいくらでも差し替えが利くポジションだし、労働条件は厳しいね。それでいて課せられる責任は重いし。うちは外注受けてるから結構飛び込んでくる案件は多いし幅も広いんだけど、正直デバッグは何のスキルにもならない」
「やりがい的にはどう? 失礼な事聞いてたらごめん」とスウィフト。
「厄介なことに達成感はあるんだ。周りの人達も本当にいい人達だしさ。でもこのままじゃいけないとは常々思ってる」
エルツの話を聞き終えたスウィフトは空になったジョッキをテーブルに置いた。
「今は時代が時代だし不景気だから就職の斡旋も厳しいけど、業種が違うとはいえ力には為りたいな。確かうちのモバイルの企画課が中途採用募集してたからさ。人事に話通そうか? あ、お金勿体無いけどアルコール追加しようかな」
空いたグラスを片手に、スウィフトはメニューを広げる。
「このアップルトリックって、これ何者?」
スウィフトの指摘にエルツが首を傾げる。
「え、わからないけど名前からしてカクテルか何かじゃないの?」
「なるほどねん。ちょっと頼んでみようかな。あとさっきから気になってたんだけどさ。この注意書き2のレミングスって何者?」
「さあ、でも多分あれの事だと思う」
スウィフトの素朴な疑問に対してエルツは視線で答えを返した。
隣の席のプレーヤー達が立ち去った後のテーブルを丁寧に拭き掃除している謎の生物。
クリっとした大きな丸い瞳が特徴的な体長一メートルにも満たない大きなリスとでも表現するべきか、その生物は丁寧に自分の仕事に打ち込んでいた。
「可愛い!」
リンスが思わず立ち上がる。
「なるほど、それでレミングスの酒場ってわけか」
他愛も無い世間話に加わった思わぬアクセント。
温かい食事に気づけば酔いも回り、あっという間に過ぎてゆく時間。
記念すべきこの世界の二日目の夜は心地よい仲間との乾杯によって満たされていた。