農園と船着場
緩やかに上った木道の向こう側には美しい木漏れ日の丘がある。
クリケットとコーザに連れて来てもらったのはつい昨日の事であるにも関わらず、何故だかエルツにはとても思い出深く感じられた。
「やっぱりここは別世界だ」
これまでに体験してきた仮想世界の中でも異色を放っていると、スウィフトの感嘆の混じった溜息に他の二人も静かに頷く。
腕を広げ背筋を伸ばして深呼吸してみれば、若草と土の匂いが織り交ざった森の香りが入り込んでくる。
視界には木漏れ日のカーテンが揺らめき、その元では小さな影達がぴょんぴょんと来訪者を歓迎していた。
足元に擦り寄る小さな影に三人は優しく微笑みかける。
「ごめんよ、ちょっと通るよ」
愛らしいラヴィを優しく離したエルツは木漏れ日の草地を静かに歩き始めた。柔らかい幻想的な世界に包まれながら、その先に広がるさらなる世界の存在をエルツは求めていた。この先に何があるのか、未だ踏み込んだ事はない。もしかしたら何も無いのかもしれない。断崖絶壁の崖が待ち受けているだろうか。
それでも、冒険者ならばその先に存在する何かを求めてしまうのが性だ。
幻想的な木々に囲まれた空間は僅か十数メートルでその景色をがらりと変える。
低木を潜り抜けた先で、三人はまたも感嘆の溜息を漏らすことになる。
草地の先に広がるは雄大な海原だった。島の全長を考えれば海が遠くない事は予想は出来た筈だった。
だが危惧していた断崖絶壁は見当たらない。足元には緩やかな下りの傾斜が続いていた。
視界を埋め尽くすのは農園風景。一面を飾った小麦色の稲穂は目にも優しい色彩を放っていた。
農園の中央では案山子が風に揺れ、畑荒らしから大切な聖域を守っている。
「こんなところもあったのか。なんかここへきてから驚かされるばかりだな」
「汽笛が聞こえない? 見て、ほら」
リンスの指先に続く砂道。
農園を分断するように伸びた細い砂道の先は海へと続いている。
そこには材木で組まれた小さな船着場があった。まさに今蒸気を巻き上げて入港してくる一隻の小型の汽船の姿が見える。
「船着場だ、蒸気船だよ。リンスの言った通りだ」
スウィフトの歩みは自然と小走りになる。
蒸気船が珍しいわけではない。現実に戻っても存在するものだ。だが、この世界で見る蒸気船は格別だった。
現実で見る蒸気船にも風情はある。だが残念ながら心を躍らせるような冒険要素は感じさせない。まるで大航海時代の海賊にでもなったかのような、これから展開する壮大な物語を想起させられることは無い。
想像と期待に胸を膨らませ、船着場へ駆け込む三人。
僅かにすれ違った道行く冒険者達の視線はもはや気にならない。
もっと近くで船を眺めたい、ただそう願って三人が虹色の鉱石で象られたアーチをくぐろうとしたその時。
視界内で突然光が乱反射し、侵入者達は後方へと弾き返された。
「痛って……何だ!?」
侵入者達は浮かび上がった虹色の波紋を前に当惑を隠さない。
目には見ることが出来ない。だが確かに壁がある。視覚的な効果として映る虹色の波紋がその壁の正体なのか。
屈折した先の景色を三名は睨みつけるように眺めていた。
すると、アーチの向こう側からやってきた冒険者が何事も無いかのように倒れている三名に一瞥をくれて通り抜けて行った。
身体を起こし、再びアーチに手を掛けると、指先から波紋のような光が空気中に波立ち広がる。手のひらを強く押し当ててみると、さらに強い波紋が浮き上がる。そこには確かに彼らを阻む壁が存在した。
「何だよこれ……あったまきたな」
悔し紛れに飛び蹴りを咬まそうとスウィフトが助走距離をとる。
「いやいや、そんな事しても無駄だから」
背後から笑みを零して、飛び蹴りを制止してきた凹レンズの眼鏡を掛けた青年。先ほど通り過ぎた冒険者だ。
「君達、洗礼受けてないだろ?」
「洗礼?」
聞きなれない言葉にそのまま尋ね返すエルツ。
「このアーチはオラクルゲートって言ってね、冒険者を選別する篩みたいなものなんだ。このゲートは世界各地に存在して、そのゲートに設定してある条件を満たした者だけが通れるんだよ」
「そうなんですか、ちなみにここのゲートの通過条件って何ですか?」
エルツの質問に眼鏡の青年は入港してきた船を見つめながら少し間を置いた。
「通過条件はそのまま教えてもいいんだけど。これからの事を考えると、少し手間を掛けて貰った方がいいかもしれないな」
眼鏡の青年はここで三人に向き直り、人差し指を立てて見せた。
「まぁ、手間と言ってもそんなに手間じゃないから。ゲートの前でPBを開くんだ。そこでマップからオブジェクトを選択すると内容が確認できるよ」
「マップですか」
エルツの真っ直ぐな視線に眼鏡の青年は少し困ったように顔を背けた。
「名前だけどオブジェクトに限らず基本的な情報はPBで確認する事ができるんだ。インデックスでMapViewerていうのがあるでしょ。そこからサブメニューでMapScanっていう項目を選ぶんだ」
眼鏡の青年の言う通りに画面を操作していくと、そこには確かに周辺地図がそれぞれのパーソナルブックに表示された。地図には無数の青点が散らばっており、それぞれに文字が振られている。
「青い点が見えるでしょ? それがプレーヤーを指してるの。真ん中の薄い灰色の点はプレーヤー自身を。モンスターは赤く、他にNPCは緑で表示される。名前をクリックすれば詳細情報が表示されるよ」
説明責任を果たした青年は急いでいたのか、そわそわとした様子で三人のリアクションを待っていた。
「お急ぎのところすみません。後は自分達で調べます。ありがとうございました」
エルツの礼に青年は「それじゃ」と笑顔を残し足早に立ち去って行った。
「なんか急いでるのに悪いことしちゃったね」とリンスが視線で後ろ姿を追う。
「いや、でも話しかけてきたのはあの人の方からだし。親切な人だったね」
リンスとスウィフトが語らう中、エルツは早速マップ上のオラクルゲートにカーソルを押し当ててクリックを始めていた。
▼オラクルゲート通過条件
•ギルドクエスト:聖獣様の様子を見てきて欲しいでし! の達成
「クエスト……聖獣の洗礼」
エルツの呟きにスウィフトとリンスが肩越しに表示画面を覗き込む。
「それがここの通過条件?」
「そうみたいだね。具体的にどんなクエストかは記されてないけど。ただギルドっていうキーワードも出てるし、クエストに辿り着くまではそんなに難しくはなさそうだ」
頼もしいエルツの発言にリンスが微笑む。
「とりあえず、たぶんそれがこの島でのメインクエストなんだろうね。サブクエストとかもあるのかな。とりあえずはまず目標が決まって良かったね」
スウィフトの言う通り、活動目的が明確になった方が冒険はより順調に進むだろう。
目標があれば、達成に必要な条件も見えてくる。
エルツは服に付着した小さな木屑を払いながら停泊している船をじっと眺めていた。
「暫くお預けか……また出直して来るよ」
再び汽笛を上げて出航し行く船に一同は背を向ける。
その胸には確かな決意と希望を秘めていた。