第二十二片 真新しい羊皮紙と、淀んだ好奇心
冒険者ギルドの、いつもすっぱい果実酒と汗の匂いが立ち込めている薄暗い壁際。
わたしはいつものように、なるべく気配を殺して掲示板の前に立ち、古びた羊皮紙が幾重にも重なり合う端っこに視線を落としていた。
いつもなら、迷うことなく「シムラの葉の採取」や「銀糸草の納品」といった、森の奥で泥にまみれながら刃のこぼれた真鍮の鋏を振るう、あのひどく退屈で安全な依頼書だけを無意識のうちに剥がし取っている。
けれど今日に限って、わたしの目はそのすぐ隣に貼られた、数枚の真新しい紙片にひっそりと引き寄せられてしまっていた。
『街の東区画、はぐれた飼い猫の捜索』
『図書館の古い蔵書の埃払いと整理』
『教会の裏庭、落ち葉の清掃』
ふと、そんな文字の羅列が目に入ったのだ。
森に出るよりもずっと安全で、魔物の赤い眼球に怯えることもなく、誰の血も流れない、ひどく低難易度の依頼たち。
奥底の力など一ミリも使う必要のない、この街の住人たちのささやかな生活の隙間を埋めるような仕事。
たまには、違うことをしてみてもいいのではないか。
ぽつりと、心の中にそんな言葉が浮かんだ。毎日毎日、同じ森の同じ斜面で、同じ緑色の血を流す草を刈り続けることに、ほんのわずかな飽きがきていたのかもしれない。
図書館の冷たい石の床を歩き、古い紙の匂いに包まれながら本の背表紙を拭う。あるいは、陽の当たる路地裏で、迷子の猫をしゃがみ込んで待つ。それはきっと、今の泥臭いルーティンとは違う、別の穏やかな疲労と、真新しい赤銅貨をわたしの掌にもたらしてくれるはずだ。
わたしはゆっくりと、その真新しい依頼書へ向けて、ローブの下から右手の指先をわずかに伸ばしかけていた。
けれど、指が羊皮紙のざらついた端に触れる直前で、わたしの内側にある冷たくて重い警戒の回路が、びりびりとけたたましく鳴り響いた。
待て。それは本当に「安全」なのか。
「いつもと違う何かをしよう」と思うこと。そのささやかな前進の意志そのものが、この完璧に調整された透明な生活を壊してしまう、ひどく恐ろしい亀裂の始まりではないのか。
もし図書館に行けば、そこで物言わぬ本たちだけでなく、気難しそうな司書や、毎日本を借りに来る常連の客と不意に言葉を交わすことになるかもしれない。「よく働くね」と温かい声をかけられ、名前を聞かれるかもしれない。
もし猫を探せば、飼い主である街の誰かから、涙ながらに感謝の手を握りしめられるかもしれない。
それはつまり、わたしがこの街の「風景の一部」から、明確な名前と役割を持った「登場人物」へと、無理やり引きずり上げられてしまうということだ。
ひかりの素足で新しい場所へ踏み出すことは、新しい因果の糸を紡ぐことと同義なのだ。
一度でも、他者とのあいだに新しい結び目を作ってしまえば、もう二度と、誰の記憶にも残らない路傍の石ころには戻れなくなる。
ほんのわずかな好奇心や、退屈を紛らわせたいという安易な欲求。
それが、どれほど致命的な「物語の始まり」という引力を持っているか。わたしはこの都合よく歪んだ箱庭の世界が、そういった些細な変化をきっかけにして、たちまち主人公を極彩色のドラマの中心へ引きずり込もうとする悪癖を知っている。
わたしは、自分の伸ばしかけた右手が、まるで恐ろしい毒虫か何かのように思えて、ぞっとして素早くローブの深いポケットに突っ込んだ。
危なかった。
わたしは、すんでのところで自分の身勝手な気まぐれに足元をすくわれるところだった。
小さく、誰にも聞こえないようなため息を吐き出し、見知らぬ羊皮紙からきっぱりと目を逸らす。
そして、いつものように、掲示板の一番端っこで丸まりかけている、誰にも見向きもされない泥臭い薬草採取の依頼書だけを一枚、無造作に剥がし取った。
これでいい。
毎日同じように森へ行き、同じように疲れ、同じように冷たい銅貨を受け取る。その徹底した反復と淀みこそが、わたしを透明に保つための唯一の魔法なのだ。変化を望むことは、わたしのこのひもじくて静かな水底の楽園では、絶対の禁忌なのだ。
ギルドの重い木の扉を押し開けて外へ出ると、どこまでも高く澄み切った、青い幻燈のような空が広がっていた。
わたしは手の中の丸まった羊皮紙を強く握りしめ、いつもの森へと続くいつもの道を、ただ黙々と歩き始めた。変わらないということがどれほど恐ろしく、そしてどれほど安心するものか。その矛盾した重みを両足の靴底に感じながら、わたしは今日も、昨日とまったく同じ足跡を地面に刻んでいく。




