第二十一片 王家の馬車と、自意識の窓掛け
数日前、一階の厨房の隅でいつもよりすこしだけ塩気の薄いシチューを啜っていたときのことだ。
静かで美しい女将さんと、金剛石みたいに目をきらきらさせた娘が、すこし上気した声で話していた。なんでも今日は、王都からやってきた王族の視察団が、この辺境の街の大通りで盛大なパレードを行うのだと。
どうやら、わたしの借りている三階の一番奥の部屋は、ちょうど大通りを見下ろせる位置にあるらしい。
けれど、その日がやってきた今。
わたしは分厚い木の雨戸を隙間なくぴたりと閉ざし、さらにその上から古い麻布のカーテンを引いて、薄暗い部屋のベッドの上に体育座りをして丸まっている。
窓の向こうからは、鼓笛隊の吹き鳴らす華やかな金管楽器の音や、きれいに手入れされた軍馬の蹄が石畳を叩く規則正しい響きが、地鳴りのように伝わってくる。街中の人々が通りに押し寄せ、熱狂的な歓声を上げているのがわかる。それはまるで、きらびやかな星祭りのような、眩しい極彩色の喧騒だ。
でも、わたしは絶対に、あの窓を開けて眼下の道を覗き込んではいけないと思った。
外の光を一切遮断した薄暗い部屋のなかで、わたしはひざを抱え、ひたすらに息を殺している。
もし、ほんの気まぐれで窓枠に手をかけ、下を見下ろしてしまったら。
その瞬間、煌びやかな馬車に乗った美しい王子や、あるいは鋭い勘を持った近衛騎士の誰かと、ふいに視線が絡み合ってしまってしまうかもしれない。
「目が合う」という現象は、この重力に縛られた世界において、ひどく暴力的で生々しい引力を持っている。
だって物語というものは、いつだってそういう些細な網膜の交差から、唐突に幕を開けてしまうものだから。
薄汚れた窓辺の少女と高貴な誰か。そこに誰かが勝手に意味を見出し、勝手に運命を感じ、軋む階段を土足で踏み鳴らして上がってくる。
そうしてわたしは、この安全でちいさな箱庭から引きずり出され、王宮の陰謀だとか、世界の危機だとかいう、泥臭くて熱を帯びた運命の濁流に巻き込まれていくことになる。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
それはいくらなんでも、自意識過剰の極みであり、途方もない被害妄想だ。下を歩く王族が、沿道の無数の群衆を差し置いて、わざわざ薄暗い三階の窓に潜む冴えない少女を見つける確率なんて、砂浜で一粒の特定の石英を探し出すよりも低い。わたしなんて、彼らからすればただの風景の染みにすぎないのだから。
沿道で手を振る群衆の圧倒的な生命力のなかで、わたしというひとつの青い幻燈の明滅など、ただのノイズとしてかき消されてしまうに決まっている。
わたしは世界の中心でもなんでもない。ただの、規格外のバグを持て余している空っぽの器にすぎないのだとわかっているけれど。
ただ、この異世界というひどく都合よく歪んだ箱庭のシステムが、そういう「偶然の目と目の交差」から始まる劇的な展開を、吐き気がするほど好んでいるということを、わたしは直感で理解している。
だから。
万が一、億が一の確率であっても、誰かと眼差しが交差してしまう危険があるのなら、わたしは最初から「見ない」という選択をする。
どんなに美しい光のパレードも、歓喜に沸く人々の営みも、わたしの網膜には一切の像を結ばない。見ないに越したことはないのだ。世界と関わりを持たないためには、徹底的に目を塞ぎ、耳を塞ぎ、自分の殻のなかに丸まり続けるしかない。
外の歓声が、ひときわ大きく弾けた。
たぶん、いちばん身分の高い誰かが乗った馬車が、ちょうどこの宿屋の真下を通り過ぎているのだろう。
わたしは両手で耳をきつく塞ぎ、硬いベッドのシーツに顔を押し付ける。
王様でも、勇者でも、なんだっていい。ここには誰のヒロインもいないし、誰の運命を狂わせる鍵もない。ただの、路傍で泥にまみれて息をする石ころがあるだけだ。
やがて、歓声が、少しずつ、街の向こう側へと遠ざかっていく。
祭りの熱狂が通り過ぎたあとの、ひどく空虚で、すこしだけ寂しい静寂が、ゆっくりと部屋のなかに戻ってくる。
わたしはゆっくりと耳から手を離し、暗い部屋のなかで、肺の底に溜まっていた空気をふうと吐き出した。
物語は始まらなかった。ひどく臆病で、滑稽で、哀れな自意識の化け物が、自分の平穏を死守しただけの話。
暗闇のなかで、誰にも見られることのない自分の白い指先をぼんやりと見つめながら、わたしはみすぼらしい安堵を胃袋の底でゆっくりと噛み締めている。
これでいい。この、ひどく退屈で安全な暗がりのなかで、わたしは永遠に、ひとりぼっちの路傍の石ころでいられれば、それでいいのだと、信じている。




