第二片 森の隙間の、冷たい銅貨
じつのところ、森の奥深く、だれも来ないような場所にちいさな小屋でも建てて、そこでひっそりと暮らせたらどんなにいいだろうと、なんども考えた。
ひかりの届かない静かな場所で、ただ季節の匂いだけを嗅いでいられたら。けれど、ステータス画面にどれほど暴力的な数字が並んでいようと、わたしの手は無から有を生み出すようにはできてはいなかった。
わたしの持っているでたらめな力は、山を吹き飛ばしたり世界をどうにかしたりするには十分すぎるのに、雨露をしのぐための木の板一枚、釘一本すら、この手で創造することはできない。破壊は一瞬のバグで済むけれど、生活というものはひどく緻密で、泥臭い物理法則の上に成り立っている。
この世界で息をして、あの埃っぽい三階の部屋の鍵を閉めて安全に眠るためには、どうしたって硬くて冷たい「現金」というものが必要だった。だからわたしは、何日かに一度、重い扉を押し開けて冒険者ギルドへと向かう。薄暗い板張りの床、すっぱいお酒と汗の匂いが混ざった空気のなかを、なるべく壁際に沿って歩く。いちばん端っこにある掲示板から、誰も見向きもしないような薬草採取の依頼書を一枚だけ剥がしとる。わたしは誰にもなりたくないし、誰とも関わりたくない。
街を抜けて森へ入ると、緑を孕んだ風が吹いている。木漏れ日が青い幻燈のように落ちる道を、わたしはひとりきりで歩く。
でたらめな力を使えば、こんな依頼はほんとうは一瞬で終わってしまう。頭のなかで念じるだけで、お目当ての薬草の位置を探索できる。魔法の刃で即座に刈り取ってそれで終わりだ。泥で手を汚すことも、虫に刺されることもない。ひどく無機質で、空っぽの作業。
けれどそうやって仕事を終わらせてしまったら、依頼完了としてギルドに戻るまでの時間が途方もなく余りすぎてしまう。不自然に早すぎる帰還は変に目立ってしまうし、説明しなければならないことも余計に増える。だからわたしは仕方なく、街外れの小さな谷川のそばに腰を下ろして、何時間もただぼんやりと水面を眺めることになる。
きれいな風が吹いてきて、水底の丸い石の上を、青い幻燈のように光の網目が滑っていく。クラムボンはかぷかぷわらったよ。水泡が弾ける音に合わせて心のなかで呟いてみるけれど、もちろんこの世界にそれを知る者はいない。
そんな退屈をしのぐための、ときどきの気まぐれとして。わたしの底に眠る力を使わず、じぶんの手と足だけで森の奥まで分け入っていくことがある。
とげのある茂みをかきわけて、湿った土の匂いを嗅ぎながら、目をこらして緑の葉っぱの裏側を探す。額には汗がにじんで、指先は泥だらけになる。息はあがって、呼吸の度に入ってくるつめたい空気のそのおもさは、からだの輪郭を教えてくれた。それはひどく疲れる作業で、どうしてこんな無駄なことをしているんだろうと自分でも思うけれど、でも、そうやって自分の足で歩き、土に触れていると、少しだけ、ほんの少しだけ、わたしがこの世界の地面を踏みしめて、生きているような気がするのだ。
なめとこ山の熊のように、だれかに命を奪われることもなく、また、だれかの命を奪うこともなく。ただ、自分の手で触れた冷たい草の感触や、爪の間に入り込んだ土のにおいだけが、いまはたしかにここにある。そうして集めた薬草を麻の袋に詰め込んで、重くなったそれを背負いながら、ふたたび街へと歩き出す。光のなかのわたしが放つ、ほんとうの疲労感。それはなんだか、やけにくっきりとした重しのように思えた。
ギルドの受付で、泥のついた薬草を差し出すと、受付の人は少しだけ面倒くさそうな、それでも仕事だからと割り切った顔をして、銅貨を数枚、カウンターの上に置いてくれる。そのチャリンという冷たい音を聞いて、わたしはまた、あの部屋へ帰る。ただ今日を生きて、明日もまた、ひとりぼっちで息をする。




