第8話 評価の分裂
その日の夕方、ギルドの空気は少しだけ張りつめていた。
大きな事件が起きたわけじゃない。死者も怪我人もいない。報告書の内容だけ見れば、「未然に防がれた事故」の一行で済む話だ。
――それでも。
「聞いたか? 水路の件」
「ああ。崩れかけてた地面、止めたって」
「止めた、っていうか……あれ一人じゃ無理だろ」
酒場代わりの休憩スペースで、冒険者たちが声を潜めて話している。
俺はその視線を感じながら、なるべく端の席に座っていた。
「……やっぱり、運がいいだけだと思うんだよな」
若い冒険者が言う。
「だって、杭がそこにあったんだろ?」
「運がいいだけで、あんな判断できるか?」
別の声が、低く返す。
「地面が崩れる直前に、踏み込まずに引いてる。普通は逆だ」
「普通、な」
「そう。“普通”ならな」
その言葉に、何人かが黙り込んだ。
俺は、話に混ざらない。
混ざれない。
カインは、少し離れた場所で腕を組んでいた。視線が合うと、彼は一瞬だけ目を逸らし、すぐにこちらを見る。
「……お前」
「はい」
「本当に、あれは失敗だと思ってるのか」
問い詰めるような口調ではない。
ただ、確認する声だった。
「はい。判断が遅れました」
「……そうか」
それ以上、何も言わない。
だが、納得していないのは明らかだった。
ギルド長は、その様子を少し離れた場所から見ていた。
声をかけるでもなく、止めるでもなく、ただ観察している。
「評価が割れてきたな」
隣に立つノクスさんが、小さく言った。
「……評価?」
「お前に対する見方だ」
俺は、苦笑する。
「大したことはしてません」
「そう思っているのは、お前だけだ」
ノクスさんは、静かに続けた。
「一方では“運がいいだけ”。もう一方では“判断が異常に早い”」
「どっちが正しいんですか」
「どちらも、外れている」
そう言われると、余計にわからない。
ギルド長が、ようやく口を開いた。
「――結論は出すな」
その一言で、周囲が静まる。
「まだ材料が足りない」
「だが、記録は続ける」
「評価は、保留だ」
冒険者たちは、不満そうだったり、納得した顔だったり、それぞれだ。
だが一つだけ、共通していることがある。
――俺を、放っておかなくなった。
リーナが、そっと近づいてくる。
「アルトさん……」
「はい」
「今日の件、気にしすぎないでくださいね」
「……失敗したので」
彼女は、少し困ったように笑った。
「その“失敗”の定義、たぶん街と合ってないです」
また、それだ。
普通。
基準。
ズレ。
全部、俺にはよくわからない。
ギルドを出るとき、背中に向けて声が飛んだ。
「なあ、アルト」
ブラムだ。
「次に何かあったら、俺も見させてくれ」
「……はい?」
「判断をな。どうやってるのか、興味がある」
俺は、どう答えていいかわからず、ただ頭を下げた。
村へ戻る道で、ノクスさんが言った。
「今日で、はっきりした」
「何がですか」
「お前は、もう“ただの観察対象”じゃない」
胸が、きゅっと縮む。
「……困ります」
「だろうな」
ノクスさんは、珍しく苦笑した。
「だが、世界はそう簡単に見逃さない」
夜、布団に入っても、街の声が耳から離れなかった。
運がいいだけ。
判断が早い。
異常。
普通じゃない。
俺は、目を閉じる。
失敗した。
次は、もっと何もしないようにしよう。
そう思った。
だが皮肉なことに――
その「何もしない」という選択こそが、
街の中で、最も意見が割れる行動だということを。
評価は、静かに、しかし確実に分裂していった。




