第7話 失敗したつもり
翌日も、俺はギルドに顔を出した。
正直に言えば、少しだけ迷った。
「観察対象」という扱いが、思った以上に落ち着かない。何かするたびに意味を探され、何もしなくても理由を付けられる。村では考えたこともなかった感覚だ。
それでも来たのは、普通に働きたかったからだ。
条件を守り、軽い仕事をこなして、日銭を稼ぐ。それ以上でも以下でもない。
「おはようございます、アルトさん」
リーナが、昨日よりも少しだけ慎重な笑顔で迎えてくれた。
「今日は……これを」
差し出された依頼書には、こう書かれていた。
――街外れの水路点検。
――魔物の痕跡確認。
――危険度:低。
「点検、ですか」
「はい。最近、水の流れが悪いって報告があって」
「戦闘は?」
「想定してません。でも……念のため」
視線が横に流れる。
そこには、昨日とは別の冒険者が立っていた。
「俺が同行する」
短く名乗る。
「カインだ。Cランク」
がっしりした体格。装備も整っている。俺より、ずっと冒険者らしい。
「よろしくお願いします」
「……よろしく」
少し警戒した目だった。
まあ、無理もない。噂が立っているらしいことは、俺にも伝わっている。
水路は、街の外壁に沿って伸びていた。石造りで、所々に苔が生えている。流れは確かに鈍く、澱んだ水が溜まっている場所もあった。
「俺が前に出る。お前は後ろでいい」
カインが言う。
「はい。そうしてください」
即答すると、彼が一瞬だけ戸惑った顔をした。
「……怖くないのか」
「怖いです」
「じゃあ、なぜそんなに素直なんだ」
「邪魔になりたくないので」
本心だった。
俺は、できるだけ距離を保ち、足場のいいところだけを選んで歩いた。水路に近づきすぎない。影になる場所には立たない。何かが動いたら、すぐ下がれる位置を取る。
結果として――
俺は、ほとんど何もしなかった。
「……問題なし、か」
点検を終えたカインが、首を傾げる。
「詰まりもない。魔物の痕跡も、今は見当たらない」
拍子抜けするほど、何も起こらなかった。
「……すみません」
思わず、そう言ってしまった。
「は?」
「俺、何も役に立ってなくて」
「いや……」
カインは言葉に詰まり、顎に手をやった。
「……むしろ、楽だった」
それは、慰めだろう。
俺はそう受け取ることにした。
帰り道、事件は起きた。
街道の脇で、突然、地面が崩れたのだ。
水路脇の土が、長年の浸食で脆くなっていたらしい。
「っ――!」
カインが踏み込んだ瞬間、足元が沈んだ。
俺は反射的に、一歩引いた。
前に出るな。
抑えろ。
邪魔になるな。
頭の中で、それだけが回る。
「カインさん! 下がって!」
声をかけるのが精一杯だった。
だが、彼はすでに体勢を崩している。
このままでは、水路に落ちる。
俺は、近くにあった杭に手を伸ばした。
引き抜く。
重い。
だが、間に合う。
杭を地面に突き刺し、支点にする。
自分では力を入れたつもりはなかった。ただ、倒れない位置を選んだだけだ。
カインの体が、ぎりぎりで止まった。
「……助かった」
「い、いえ……」
俺の手は震えていた。
心臓が、うるさい。
「すみません」
思わず、そう言った。
「俺、もっと早く気づくべきでした」
本気で、そう思っていた。
地面の違和感には、少し前から気づいていたのに。
「何も起こさない」ことを優先して、判断が遅れた。
――失敗した。
ギルドへ戻ると、報告が上がった。
水路崩落未遂。
被害なし。
負傷者なし。
リーナが、報告書を見て顔を上げる。
「……失敗、ですか?」
「はい。俺の判断が遅れました」
カインが口を挟む。
「違う。あれがなければ、俺は落ちてた」
ギルド内が、少しざわつく。
「でも……」
俺は言葉を探す。
「もっと早く動いていれば……」
リーナは、何も言わなかった。
ただ、少し困ったような顔で俺を見ていた。
ギルド長の部屋の扉が、わずかに開く。
中から、低い声が聞こえた。
「――記録に残せ」
誰に向けた言葉かは、わからない。
その日、俺は「失敗した」と思いながら村へ戻った。
だが街では、別の評価が静かに広がっていた。
――事故を未然に止めた。
――被害ゼロ。
――判断が一瞬遅れただけで、最適な結果。
俺は知らない。
自分が“失敗したつもり”でいるその一件が、
観察対象から一段、上の場所へ引き上げる材料になったことを。




