第5話 確認
部屋の空気は静かだった。重い、と言った方が近い。壁際には古い地図と武具が飾られ、長年使い込まれた机の傷が、この場所の歴史を語っている。
男――ギルド長と呼ばれた人物は、椅子に深く腰掛けたまま、俺を見ていた。
「楽にしなさい。立ったままでいい」
「は、はい」
楽に、と言われても無理がある。背筋を伸ばし、視線を落とさないように気をつける。こういう場で失礼があってはいけない。外の世界では、それが致命的になる。
「名前は、もう聞いた。アルト」
「はい」
「年齢」
「十七です」
「出身」
「灰の隔離村です」
その瞬間、ギルド長の眉が、ほんのわずかに動いた。
俺はそれを見逃さなかった。
「……失礼しました」
「いや、いい。続けよう」
ペンを手に取り、紙に何かを書き込む。書く、というより記録している感じだ。
「君は昨日、森の境から街へ入り、荷運びの依頼を一人で完遂した」
「はい」
「その途中で、森狼が倒れているのを確認した」
「……はい」
嘘は言っていない。倒れていたのは事実だ。
「怖くはなかったか」
「……怖かったです」
即答だった。本当に怖かった。外の魔物は、村の訓練とは違う。
「だが、逃げなかった」
「ノクスさんがいましたし……それに、前に出るなと言われていたので」
ギルド長は、そこでペンを止めた。
「前に出るな、か」
彼は椅子の背にもたれ、指を組む。
「その状況で、多くの者は二つの選択をする。逃げるか、守ろうとして前に出るか」
「……はい」
「だが君は、どちらも選ばなかった」
「……結果的に、そうなりました」
結果的に。あくまで偶然だ。そう思っている。
「石を蹴った理由は?」
「……目に入ったので」
沈黙。
部屋の空気が、さらに張り詰める。
しまった、言い方が悪かったかもしれない。
「正直に言えば、何かできないかと思っただけです」
「それで、石を?」
「はい。武器も届きませんでしたし……」
ギルド長は、しばらく黙って俺を見ていた。その視線は、厳しいというより、慎重だ。
「アルト」
「はい」
「君は、自分が強いと思うか」
胸の奥が、ひゅっと縮む。
なぜ、そんなことを聞くのか。
「……いいえ」
迷いなく答えた。
「村では、俺が一番出来が悪かったです」
「ほう」
意外そうな声だった。
「木剣の稽古でも、いつも最後ですし」
「比較対象は?」
「……村のみんなです」
ギルド長は、ゆっくり息を吐いた。
「その“村のみんな”は、どんな連中だ」
言葉に詰まる。
どう説明すればいいのだろう。
「……元冒険者、だったり。元兵士だったり。引退した人が多いです」
「全員か」
「はい」
ギルド長は、ノクスさんの方を一瞬だけ見た。
ノクスさんは、何も言わない。
「なるほどな」
机を指で軽く叩く。
「君は、基準を間違えている可能性がある」
「基準……」
まただ。
この街に来てから、何度も聞く言葉。
「この街での“普通”は、君が思っているより低い」
「……そうなんですか?」
思わず聞き返してしまった。
外の世界は、もっと厳しいはずなのに。
「少なくとも、君の基準ではな」
ギルド長は、はっきりと言った。
「安心しなさい。君を咎めるつもりはない。むしろ逆だ」
逆。
「ギルドとしては、君を危険な仕事に回すつもりはない」
「……はい」
「だが、放っておくつもりもない」
心臓が、嫌な音を立てる。
「しばらくの間、ギルド内で君の動きを“観察”する」
「観察、ですか」
「軽い依頼のみ。単独行動は禁止。問題があれば、即座に止める」
それは、保護だ。
けれど同時に、監視でもある。
「どうして、そこまで……」
「君が自分の“普通”を、外でそのまま使うと危ないからだ」
俺は、言葉を失った。
危ないのは、俺の方だと思っていた。
外の世界が。
「……俺が、誰かを傷つけると?」
「場合によってはな」
静かな声だった。
だからこそ、重い。
「ノクス」
ギルド長が言う。
「しばらく、彼に付け」
「了解した」
ノクスさんは、いつも通り淡々としている。
「アルト」
ギルド長は、最後にこう言った。
「君は、自分が思っているほど“凡人”ではないかもしれない」
胸の奥で、何かがきしんだ。
「……俺は、普通でいたいだけです」
「なら、学ぶといい」
「何を?」
「この街の“普通”を」
面談は、それで終わった。
部屋を出ると、リーナが待っていた。心配そうな顔。
「大丈夫でした?」
「……怒られはしませんでした」
「それなら、よかった」
彼女は少し笑い、すぐに真剣な表情に戻る。
「でも、気をつけてくださいね」
「はい」
何に、と聞きたかった。
でも、聞くのが怖かった。
街を出るとき、昨日よりも多くの視線を感じた。噂は、もう止まらない。
村へ戻る道すがら、ノクスさんがぽつりと言った。
「今日の対応は、上出来だ」
「……そうですか?」
「自分を大きく見せなかった」
褒められているのか、よくわからない。
「アルト」
「はい」
「覚えておけ。お前の“普通”は、他人にとって刃になることがある」
刃。
俺の中に、そんなものがあるとは思えない。
村の灯が見えたとき、俺はほっと息を吐いた。
ここでは、まだ俺は“出来の悪い一人”だ。
それでいい。
それが、安心だった。
――だが、その安心が、いつまで続くのか。
俺には、もうわからなくなっていた。




