第3話 街の普通
受付の女性――リーナと名乗った――に案内され、俺はギルドの端にある簡素な机に座った。紙と羽ペンを渡され、依頼内容を確認する。
「荷運び。倉庫から市場まで。報酬は銅貨三枚。危険度なし……」
「はい。今日中に終わる簡単なお仕事です」
銅貨三枚。村で一日働くより少し多い。悪くない。俺は頷いた。
「これなら、俺でも大丈夫そうです」
「“でも”って言う人、久しぶりに見たわ」
リーナはくすっと笑った。柔らかい雰囲気で、話しやすい。外の人間はもっと冷たいと思っていたから、少し拍子抜けする。
「大抵の人は、“俺なら余裕だ”って言うの」
「そうなんですか?」
「ええ。で、余裕じゃなかった場合は、だいたい揉める」
なるほど。俺は揉めたくない。だから、できることだけやる。それでいい。
倉庫で荷を受け取る。木箱が三つ。中身は乾燥食料らしい。重さは……まあまあだが、持てないほどじゃない。肩に担ぐと、自然と体勢が決まった。
「一人で持つの?」
倉庫番の男が眉を上げる。
「はい。台車、使った方がいいですか?」
「……いや、そのままでいい。落とすなよ」
市場までの道は、人が多い。露店が並び、声が飛び交う。俺は人の流れを見ながら、無意識に進路を選んだ。混雑しているところは避け、荷車の動線と重ならないように歩く。結果、立ち止まることもなく、ぶつかることもなかった。
市場の端に着くと、依頼主が待っていた。
「もう来たのか?」
「はい」
「早いな……」
木箱を下ろす。汗はかいたが、息は乱れていない。
「傷もない。……一人で運んだのか?」
「はい。軽かったので」
「軽い、ねえ……」
依頼主は首を傾げながらも、報酬を渡してきた。銅貨三枚。確かに受け取る。
仕事はそれで終わりだ。拍子抜けするほど簡単だった。
ギルドへ戻る途中、背後から声がかかる。
「おい、さっきの」
振り返ると、例の冒険者――森の話をしていた男だ――が立っていた。近くには、もう二人。
「荷運び、早かったらしいな」
「え?」
「市場で聞いた。普通、二人がかりだぞ、あの距離」
「そうなんですか」
本当に知らなかった。村なら、あの程度は子どもの手伝いみたいなものだ。
「……お前、名前は?」
「アルトです」
「俺はブラム。こっちはケインとロウ」
名乗られると、無視もできない。俺は軽く頭を下げた。
「アルト。森狼の件、本当に事故だと思ってるのか」
「はい」
「ふうん」
ブラムは俺をじっと見た。値踏みするような視線。居心地が悪い。
「なあ、模擬戦、やらないか」
「模擬戦?」
「軽くだ。武器も木剣でいい」
俺は反射的に首を振る。
「無理です。俺、弱いので」
「そうは見えねえが」
「見た目で判断されても……」
困っていると、リーナが割って入った。
「はいはい、勧誘は禁止ですよ。新人いじめも」
「いじめじゃねえよ」
「本人が嫌がってるなら同じです」
リーナは俺を庇うように前に立つ。その背中が、なぜか頼もしい。
「アルトさん、今日はここまでにしたら? 初日ですし」
「はい……」
俺は内心でほっとした。争いごとは苦手だ。
ギルドを出ると、空はまだ明るい。村へ戻るには、ちょうどいい時間だ。門へ向かって歩き出す。
「ねえ、アルトさん」
背後から、リーナの声。
「はい?」
「外、どうです?」
「……思ったより、普通でした」
さっきも言った言葉だ。でも、それが一番近い。
リーナは少し考えてから、微笑んだ。
「それ、たぶん逆ですよ」
「逆?」
「アルトさんが、“普通じゃない”」
心臓が、また跳ねた。
「いえ、俺は……」
「大丈夫。悪い意味じゃないです」
そう言われても、納得できない。俺は村で一番出来が悪かった。外で通用するはずがない。
「また来てください」
リーナは言った。
「ここ、アルトさんみたいな人、嫌いじゃないと思います」
その言葉が、なぜか胸に残る。
門を出て、街道を戻る。森が近づくにつれ、人の気配が減り、音が静かになる。いつもの境界。
村に戻ると、ハロルド爺さんが焚き火のそばにいた。
「戻ったか」
「はい。仕事、終わりました」
「そうか」
それだけ。でも、爺さんの目は俺をよく見ていた。
「外はどうだった」
「……普通でした」
「ほう」
爺さんは、小さく笑った。
「それは良かった」
俺は焚き火の向こうで、村の人たちがそれぞれの作業をしているのを見る。いつもの光景。落ち着く。
でも、どこか違う。
街の音、人の視線、リーナの言葉。
――アルトさんが、“普通じゃない”。
そんなはずはない。俺はただ、基準が低いだけだ。出来が悪いだけだ。
そう思いながらも、胸の奥に小さな違和感が残る。
それはまだ、名前のない感情だった。
ただ、確実に、外の世界が近づいている予感だけがあった。
その夜、俺は夢を見た。
広い街で、知らない人たちが俺を見上げている夢を。
目が覚めたとき、胸が少しだけ、重かった。
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