第26話 名前のない役割
その日は、依頼を受けなかった。
掲示板の前に立ち、紙を一枚ずつ眺めてから、そっと視線を外す。
行ける。
行ってもいい。
それでも、今日はやめた。
理由は、特別なものじゃない。
ただ、少し考えたかった。
ギルドの外に出て、街の外れまで歩く。
川沿いの道。
静かで、人も少ない。
石に腰を下ろし、水の流れを眺めた。
ミレルの顔が、浮かぶ。
真面目で、正しくて、普通だった青年。
彼は、何も間違えていない。
それなのに、怪我をした。
――普通の範囲だったからだ。
「……普通、か」
口に出してみると、妙に曖昧な言葉だった。
俺がやってきたことは、何だったんだろう。
前に出ない。
指示しない。
戦わない。
ただ、見ていた。
危ない位置。
無理な動線。
人が集まりすぎている場所。
気づいたことを、口にするか、しないか。
それだけだ。
「……役割、なのか?」
自分に問いかける。
英雄じゃない。
指揮官でもない。
安全装置でもない。
エルディアの言葉を、思い出す。
――安全装置の誤作動。
違う。
少し、違う気がした。
俺は、誤作動しているわけじゃない。
ただ、基準を変えてしまっている。
“仕方ない”を、許さない。
“この程度なら”を、見過ごさない。
それは、強さじゃない。
才能とも、少し違う。
「……観測者、か」
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
関与しない。
介入しない。
だが、存在することで、判断が変わる。
現場に立つだけで、
誰かが無意識に一歩引く。
無理をしなくなる。
雑な判断を、しなくなる。
俺がやっていたのは、
危険を消すことじゃない。
危険を“見えるままにする”ことだ。
「……嫌な役だな」
苦笑が漏れる。
誰にも感謝されない。
成果として残らない。
いなくなれば、普通に戻る。
それでも、
誰かが怪我をする“前”に、
止まってしまう。
それが、俺の立ち位置。
名前のない役割。
夕方、ギルドに戻ると、ノクスさんがいた。
「今日は、休みか」
「はい」
彼は、俺の顔を見て、少しだけ目を細めた。
「……考え事か」
「少し」
しばらく沈黙してから、俺は言った。
「俺、多分……」
「おう」
「現場を安全にしてるわけじゃないんです」
ノクスさんは、急かさず、待ってくれる。
「ただ……」
言葉を選びながら続ける。
「危ないまま進むことを、許せなくしてるだけで」
ノクスさんは、ゆっくり頷いた。
「それで、十分だろ」
「でも、それって」
胸の奥が、少し痛む。
「普通の人にとっては、邪魔じゃないですか」
「邪魔だな」
即答だった。
俺は、思わず笑ってしまった。
「だが」
彼は続ける。
「必要な邪魔だ」
その言葉が、胸に残る。
「名前は、ないんでしょうか」
「役割にか?」
「はい」
ノクスさんは、少し考えてから言った。
「……“ブレーキ”だな」
ブレーキ。
前に進む世界を、
止めすぎず、
でも、止まれなくもしない。
「嫌な役です」
「だろうな」
「でも……」
言葉が、続いた。
「誰かが、やらないといけない」
ノクスさんは、何も言わなかった。
ただ、肯定するように、立ち上がる。
帰り道、空は少し赤くなっていた。
俺は、完全に理解したわけじゃない。
納得したわけでもない。
それでも――
自分が何をしているのか、
どこに立っているのか。
初めて、言葉にできた。
それは、誇れる役割じゃない。
だが、逃げ続ける理由にも、ならなくなった。
名前のない役割。
それが、
今の俺の居場所だった。
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