第24話 普通の仕事
その依頼は、特別なものではなかった。
街道沿いの中継倉庫での点検補助。
老朽化の確認と、簡単な補修。
危険度は低。
依頼書の隅に、小さく名前が書かれている。
――技師補佐:ミレル
見覚えのない名前だった。
現場に着くと、先に来ていた青年が、工具箱を抱えて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
年は、俺より少し下だろうか。
細身で、少し緊張した表情。
服装は整っているが、どこか新品っぽい。
「ミレルです。今回、補佐として同行します」
「アルトです」
名乗り合うと、彼は少し安心したように息を吐いた。
「よかった……噂は、聞いていたので」
「噂?」
「あ……いえ、その……」
言い淀む様子に、これ以上は聞かなかった。
点検は、順調に始まった。
壁のひびを測り、床の沈みを確認し、帳簿に記す。
ミレルは、真面目だった。
確認を怠らず、教本通りに動く。
判断も、慎重だ。
「ここは、補強対象ですね」
「そうですね」
「ただ、即時対応は不要と判断します」
「同意します」
会話は、噛み合っている。
無理もない。
これは、普通の仕事だ。
――普通。
作業の途中、ミレルが額の汗を拭った。
「正直……緊張しています」
「なぜですか」
「この現場、以前に事故があったと聞きました」
「はい。軽微ですが」
ミレルは、頷いた。
「だからこそ、慎重にやらないと」
「ええ」
その姿勢は、正しい。
違和感は、ない。
嫌な予感も、ない。
それでも――
「……ミレルさん」
「はい」
「少し、こちらを見てください」
俺は、入口付近から動かずに声をかけた。
約束は守る。
前に出ない。
ミレルは、指差された床を確認する。
「……沈み、ですね」
「数値は?」
「許容範囲内です」
彼は、帳簿を見てそう言った。
正しい。
本当に、正しい判断だ。
「では、このまま進めます」
「はい」
数分後。
床板が、きしんだ。
「……!」
ミレルが、即座に後退する。
判断は早い。
だが、完全には間に合わなかった。
板が割れ、足を取られる。
転倒。
軽傷。
「大丈夫ですか!」
「はい……っ、少し擦っただけです」
血は、出ているが大したことはない。
作業は中断され、応急処置が行われた。
現場は、無事に収束した。
ギルドへ戻る途中、ミレルは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません……判断が、甘かったです」
「いえ」
俺は、首を振る。
「教本通りでした」
彼は、少し驚いた顔をした。
「……そう、ですよね」
「はい」
沈黙。
しばらく歩いてから、ミレルがぽつりと言った。
「僕、普通なんです」
「……はい」
「才能も、勘も、特別なものはありません」
「それで、いいと思います」
彼は、少し笑った。
「でも……結果が出ないと、不安になりますね」
その言葉が、胸に残った。
ミレルは、間違っていない。
判断も、行動も、正しい。
それでも、怪我は出た。
ギルドで別れる際、彼はもう一度、頭を下げた。
「今日は、勉強になりました」
「何が、ですか」
「……普通の限界、というか」
俺は、何も答えられなかった。
その夜、報告書にはこう書かれた。
――当該現場、判断・手順に問題なし。
――負傷は軽微。
――再発防止策を講じる。
“普通”の結論だ。
布団に入り、目を閉じる。
ミレルの仕事は、正しかった。
世界の基準も、正しい。
それでも――
“何も起きない”基準には、届かない。
俺は、初めてはっきり理解した。
自分が守ってきたのは、
誰かの努力ではなく、
“普通が許容する犠牲”だったのだと。
ミレルは、悪くない。
俺も、悪くない。
ただ、
世界はいつも、
少しだけ、誰かを削って回っている。
それが、普通の仕事だった。
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