第18話 戻れない基準
翌朝、街はいつも通りだった。
露店は並び、人は行き交い、昨日の事故の話も、すでに噂話の一つに埋もれている。致命的な被害が出なかった以上、世界は前に進む。
――進んでしまう。
俺だけが、足を止めていた。
ギルドへ向かう途中、何度も考えた。
今日、俺は呼ばれるのか。
それとも、また“いなくてもいい”のか。
答えは、扉を開けた瞬間に出た。
リーナが、こちらを見るなり立ち上がった。
「アルトさん……」
「はい」
その声色だけで、察してしまう。
「今日は……」
「呼ばれています」
胸が、きゅっと縮んだ。
安心と、嫌悪が同時に湧く。
奥の部屋には、ギルド長、文官、ノクスさんがいた。
全員、昨日より少しだけ疲れた顔をしている。
「座ってくれ」
ギルド長が言う。
机の上には、二つの報告書が並んでいた。
一つは、昨日の事故。
もう一つは、それ以前の“問題なし”の積み重ね。
「君がいなかった現場では、被害が出た」
ギルド長は、淡々と事実を述べる。
「君がいた現場では、出ていない」
反論は、できない。
だが、納得もできない。
「これは因果ではない」
文官が補足する。
「少なくとも、我々はそう結論づけている」
だが、次の言葉が続いた。
「……ただし、“基準”は変わった」
基準。
また、その言葉だ。
「以前は、“何も起きない”が普通だった」
「今は、“アルトがいれば何も起きない”になっている」
それは、俺にとって最悪の定義だった。
「戻せないんですか」
思わず、聞いてしまう。
「元の普通に」
部屋が、静まり返る。
ノクスさんが、低く言った。
「戻れるなら、もう戻っている」
ギルド長が、続ける。
「人は一度、より安全な基準を知ると、以前の基準を危険と感じる」
理解はできる。
だが、受け入れたくはない。
「つまり……」
喉が、ひどく乾いていた。
「俺がいる限り、世界は戻れない?」
「少なくとも」
文官は慎重に言葉を選ぶ。
「“あなたを考慮しない運用”は、もう許されない」
許されない。
それは、俺が望んだ立場じゃない。
「……俺は」
言葉を探す。
「特別になりたいわけじゃありません」
ギルド長は、ゆっくり頷いた。
「知っている」
「だからこそ、問題だ」
善意で、能力を振るっているわけじゃない。
野心も、欲もない。
ただ、普通でいようとしているだけ。
それが、世界を歪めている。
「当面の方針を決める」
ギルド長が言った。
「君は、これまで以上に“呼ばれる”」
胸が、冷たくなる。
「だが、条件は変えない」
「前に出ない」
「指示しない」
「戦わない」
それは、俺にとって唯一の救いだった。
「代わりに」
文官が続ける。
「あなたが“いない場合”の想定を、別途用意する」
「……二重基準、ですか」
「そうだ」
二重基準。
俺がいる世界と、いない世界。
その言葉が、ひどく不自然に思えた。
会議は、それで終わった。
部屋を出ると、リーナが待っていた。
「……大丈夫ですか」
「……わかりません」
正直な答えだった。
「アルトさん」
彼女は、小さく言う。
「もし……もし、ですけど」
「はい」
「無理だと思ったら、言ってください」
その言葉に、少しだけ救われた。
ギルドを出ると、街はやはり平穏だった。
人々は、何も知らない。
俺の存在が、基準を変えてしまったことを。
歩きながら、思う。
普通に戻りたい。
でも――
一度変わった基準は、もう戻らない。
それを知ってしまった時点で、
俺はすでに、“普通の外”に立っている。
戻れない基準。
それが、今の俺の居場所だった。
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