第16話 前提条件
その日から、空気が変わった。
露骨ではない。
誰かが態度を変えたわけでも、言葉を選び始めたわけでもない。
ただ――
「アルトがいる前提」で、物事が組み立てられるようになった。
ギルドに入ると、掲示板の前でリーナが小さく手を振った。
「おはようございます、アルトさん」
「おはようございます」
それだけのやり取りなのに、周囲の視線が一瞬、こちらに集まってから逸れたのがわかる。
意識していないふりをしても、さすがに気づく。
「今日は……依頼、ありますか」
「はい。ただ、内容は少し……」
リーナは、依頼書を差し出す前に一呼吸置いた。
「“同行のみ”です」
「見るだけ、ですね」
「……ええ」
最近、その言葉ばかり聞いている気がする。
依頼内容は簡素だった。
王国管理の倉庫区画での棚卸し立ち会い。
魔物なし。戦闘なし。危険度なし。
――なし、なし、なし。
それを見て、正直ほっとした。
「助かります」
リーナは、少しだけ困ったように笑った。
「……そう言ってもらえると、こちらも」
現場は、地上の倉庫だった。
広く、整備され、人も多い。
これなら、本当に何も起きないだろう。
同行者は、文官一名と、倉庫管理責任者、それに警備兵が二人。
ノクスさんはいない。珍しい。
「今日は、あなたがいなくても問題ない案件です」
文官が、はっきり言った。
「ただ……前回までの流れで、“一応”」
一応。
その言葉に、少しだけ引っかかる。
俺は、倉庫の入口付近に立ち、作業を眺めていた。
棚の配置。
人の動線。
荷車の通り道。
――整っている。
危険な要素は、見当たらない。
「……平和ですね」
思わず、そう呟いた。
倉庫管理責任者が、肩の力を抜いて笑う。
「ええ。今日は“条件”が揃ってますから」
「条件、ですか?」
「人員、天候、設備。それと――」
一瞬、言葉を切る。
「あなた」
俺は、返す言葉が見つからなかった。
作業は順調に進んだ。
箱が数えられ、帳簿が埋まっていく。
誰も焦らず、誰も急がない。
何も起こらない。
……はずだった。
「――あれ?」
倉庫の奥で、若い作業員が立ち止まった。
「この棚、帳簿と数が合わない」
責任者が近づく。
「どれだ」
「この列です。ひとつ、多い」
多い。
不足ではない。
過剰。
些細な齟齬だ。
だが、管理区域では“些細”が積み重なると厄介になる。
「別の区画から紛れたか?」
「記録上は、ありえません」
文官が、眉をひそめる。
俺は、何も言わずに棚を見た。
箱の並び。
ラベル。
搬入経路。
――一箱だけ、置かれ方が違う。
ただ、それだけだ。
「……その箱、動かさない方がいいかもしれません」
口に出してから、はっとした。
前に出ない。
指示しない。
だが、もう遅い。
「理由は?」
文官が、即座に聞く。
「……床が、少し歪んでいます」
「歪み?」
「はい。箱の重みが、そこだけ逃げている感じがします」
管理責任者が、足元を確認し、顔色を変えた。
「……地下倉庫の補強、ここだけ古いままだった」
警備兵が、すぐに周囲を下がらせる。
数分後、床下の支持材に亀裂が見つかった。
放置していれば、棚ごと崩れていた可能性が高い。
被害は、なし。
怪我人も、なし。
倉庫は、一時封鎖。
原因究明へ。
撤収の途中、文官が静かに言った。
「今日の作業、あなたがいなくても成立していました」
「……はい」
「ですが、あなたがいたから、“想定外”が表に出た」
俺は、何も返せなかった。
ギルドに戻ると、ギルド長が短く言った。
「報告は上がっている」
「……すみません」
「謝る理由はない」
それから、こう続けた。
「ただ、困ったことになった」
胸が、少しだけ締め付けられる。
「君がいない場合の“普通”を、誰も想像しなくなり始めている」
前提条件。
その言葉が、頭に浮かんだ。
俺は、ただ立っていただけだ。
見ていただけだ。
言葉を一つ、零しただけだ。
それでも、
“アルトがいる前提”で、世界が組み直され始めている。
その夜、文官は報告書の末尾に、短く追記した。
――当該人物は、
――存在そのものが、作業環境に影響を与える。
遠く離れた街で、俺は布団に潜り込む。
今日も、何も起こらなかった。
……いや。
起こるはずだった“何か”が、
起こらなかった。
それがもう、
偶然では済まされなくなっていることに、
薄々、気づき始めていた。
俺が“前提条件”になっている。
それは、
普通でいたい俺にとって、
一番、まずい兆候だった。
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