【8】
茶館にたどり着くと、もう火の粉は消えていた。
「…よかった」
馬車から降り、麗がほうと息を吐き出す。啓太もそれを真似して、息を吐いた。
「誰がこんなことを…」
客や従業員が外に出、消えた火の粉を追う。もう煙しかないのだが、香りが充満して臭かった。
「どうなんだ…」
馬から降り、雅巳が聞く。凛は邪魔しないように、雅巳の前に座らされていたのだ。
ーもう緊張だらけだよ。
少し顔を赤らめ、凛が馬から降りる。煙に反応した馬がいなないた。
「よし、よし、大丈夫、大丈夫」
雅巳がなだめてくれ、馬が大人しくなった。その間、麗が従業員に問う。
「何があったの?」
「それが…」
従業員が口を開いた後、目の前に1人の男が突き出された。
「ーお前は…」
最初茶館にいた時に、見かけた男だった。
「この人…」
凛も思わず呟く。人が良さそうな顔をしていたのだが、縄で縛られているということは、ボヤの犯人はー。
「おい、お前が火をつけたのか」
啓太が男に問う。口調は下の者に命令しなれているものだった。
「…」
男はふいっと顔を背ける。しかし、麗が許さない。
「言いなさいよ。あなたがやったの?」
「…ああ、そうだよ」
ぼそっと認めたことに、凛は驚く。あんなにも親しそうに話していたのに、人間分からないものである。善人の顔をかぶった悪魔としか言いようがない。
ー人間の本心って何? 怖い。
身震いし、雅巳の後ろに隠れる。本当は逃げるようなことはしたくなかったのだが、仕方がなかった。全員が怖い顔をしている。
「役所へ届けなさい」
「ねえさん、その前に理由を聞かないと」
啓太が慌てて喋り、舌を噛む。こんな事件なんか、関わったことがないのだろう。
「で、理由は?」
「…。婚約って言うから」
「…は?」
麗だけでなく、雅巳も目をしばたたかせる。どうやら、2人に嫉妬したのではないかと思われる。
「このやろう…」
「止めなさい、啓太」
「でも…!!」
「私がやる」
凛が身を乗り出して、男を叩く。脂ぎっていて気持ち悪かったが、今はどうでもいい。
「店はね、命の次に大事なものなの。麗さんに見て欲しいなら、麗さんに告白しなさい」
「…ちっ」
男は舌打ちすると、連れて行かれた。麗は煙の上がる茶館を見、ため息をつく。
「どこまで無事なのか…。それより」
パンと手を叩くと気持ちを切り替える。
「皆様、大変申し訳ありません。今日のお代は無しとさせていただきます。よろしくお願いいたします」
深く礼をすると、啓太も深く頭をさげた。
ーこれが周家の礼儀か。
凛は感心しながら見ていた。自分の邸も焼かれたら、どう出るだろうと考えさせられた。
「ー大丈夫そうだな」
雅巳が目を細めて、茶館を見る。営業できない状態には至らなかったようだ。
「後、始末があるだろう? ーおい、行くぞ」
「え!? 良いの? 手伝わなくて」
「プライドの問題だ。黙っておけ」
「そういうもの?」
首を傾げる凛に、雅巳はしっかりと頷く。
「婚約は解消。しばらく来ないし、じゃあな」
少し冷たく感じたが、後は確かに周家の問題だった。麗と啓太が深く頭をさげてくる。
「じゃあ」
凛を前にのせ、雅巳が馬を走らせた。