第二章 仕掛けられた罠
朝日が差し込む窓辺で、私は腕の包帯を取り替えていた。
一晩経って傷は少し塞がり始めていたが、動かすとまだ痛む。
それよりも気になるのは、昨夜のケアドの言葉だった。
「四大元素を植え付ける呪い……」
誰も知らないはずの秘密。
それを彼はどうして知っているのか。
軽くため息をつき、髪を整える。
姉様のように長く伸ばした髪は手入れが大変だけれど、これも私のカモフラージュの一部。
鏡に映る自分は、表面上は穏やかで上品な女性に見える。
けれど内側では、不安と疑問が渦巻いていた。
「さて、行きましょうか」
部屋を出ると、宿の食堂でケアドが待っていた。
彼は窓際の席に座り、朝食を前にしている。
私を見つけると、軽く手を上げた。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい。おかげさまで」
私は彼の向かいに座った。
テーブルには焼きたてのパンと温かいスープが並んでいる。
宿の主人の好意だろう。
「腕の具合は?」
「少し良くなりました。ご心配には及びません」
「そうか」
一瞬の沈黙。
窓の外では村人たちが朝の仕事を始めている。
鍛冶屋の金槌の音、市場の賑やかな声。
平和な日常。かつて私も、こういう光景を守りたいと思ったことがあった。
「昨夜の話の続きをしよう」
ケアドの声で我に返る。
彼は周囲を確認すると、声を落として続けた。
「俺には妹がいる。メミナという」
「妹さん……」
「ああ。彼女も君と同じ呪いを受けた」
驚きで目を見開く私。
他にも同じ呪いを受けた人間がいるなんて。
「どうして……カルホハン帝国は滅びたはずです」
「残党がいる。彼らは帝国の研究を続けている」
ケアドの表情が険しくなる。
「妹さんは……今どうしているのですか?」
ケアドは少し迷った様子で口を開いた。
「村で暮らしている。だが、彼女は普通の生活ができていない」
「どういうこと?」
「彼女の右手には水の元素が宿っている。その力を隠しながら生きることを強いられているんだ」
胸が痛む。
私は右手の力をコントロールできるようになったが、それは長い時間と苦しみを経てのことだった。
「そして、妹は自分の力を恐れている。時折制御が効かなくなることがあるんだ」
「可哀想に……」
「ああ。それで俺は村を出た。呪いを解く方法を探すために」
「それで私に接触したのですか?」
ケアドはゆっくりと頷いた。
「最初は、お前を利用するつもりだった。呪いについての情報を得るために」
素直な告白に、少し胸が傷む。
でも、彼の正直さは評価できる。
「でも、昨日の戦いを見て思った。お前は強い。そして優しい」
「そんなことは……」
「村人のために命を懸けた。報酬も受け取らなかった」
照れくさくて、ついパンをちぎる手に力が入る。
「で、私に何を望むのです?」
「協力してほしい。妹を救うために。そして、お前自身の呪いも解くために」
私は黙って考えた。
ケアドの話が真実なら、彼の妹は今も苦しんでいる。
そして、カルホハン帝国の残党がまだ活動しているということ。
それは許せない。
「わかりました。協力します」
「本当か?」
「ええ。カルホハン帝国の残党を追うのは、私の望みでもあります」
ケアドは安堵の表情を見せた。
「ありがとう。これからのことは——」
その時、宿のドアが勢いよく開き、ギルドの受付嬢が慌てた様子で入ってきた。
「アリア様! 大変です!」
私たちは立ち上がる。
「どうしました?」
「ギルドマスターからの緊急依頼です。南の峡谷で強力な魔物が出現したとの報告が——」
彼女は息を切らせながら説明した。
どうやら、近隣の街道を通る商人や旅人が次々と襲われているらしい。
「今すぐ対応しなければ、交易路が閉ざされてしまいます」
「わかりました。すぐに向かいます」
私は即座に答えた。
ケアドと視線を交わす。彼も軽く頷いた。
「一緒に行くよ」
「お願いします」
受付嬢は安心したように肩を落とした。
「詳細はこちらの依頼書に。ギルドマスターが直接依頼されたので、報酬も相当額です」
私は依頼書を受け取り、内容を確認する。
南の峡谷で、角を持つ巨大な鳥のような魔物が出現。
それだけ。情報が少ないことに少し違和感を覚えたが、緊急事態なら仕方ない。
「準備をして、すぐに出発します」
受付嬢が去った後、ケアドが眉をひそめた。
「話が出来すぎているな」
「どういうことですか?」
「情報が少なすぎる。それに、通常なら複数の冒険者を派遣するはずだ」
確かにその通り。
強力な魔物相手なら、普通は小隊を組む。
「罠かもしれない」
「でも、無視するわけにもいきません。もし本当なら、人々が危険に——」
「わかってる。だからこそ、警戒しながら行くべきだ」
私たちは急いで準備を整え、南の峡谷へと向かった。
***
南の峡谷への道は、晴れた初夏の陽気の中、意外なほど平和だった。
道中、商人の荷馬車や旅人とすれ違ったが、魔物に襲われた様子はない。
むしろ、皆穏やかに旅を続けている。
「おかしいですね」
私は疑問を口にした。
峡谷まであと少しの場所で、私たちは一旦休憩していた。
岩の上に腰掛け、水筒から水を飲む。
「ああ。魔物が出没しているなら、もっと警戒している人がいるはずだ」
ケアドは周囲を警戒しながら言った。
「依頼内容を確認してみましょう」
私は再び依頼書を広げた。
記載されている内容は本当に少ない。
魔物の姿、出現場所、それだけ。
「峡谷の入り口から3キロほど進んだところに、洞窟があるそうです。そこが魔物の巣とされています」
「洞窟か……閉鎖空間は不利だな」
ケアドは思案している様子だった。
「でも、行かなければなりません。もし魔物がいるなら」
「ああ。ただし、最大限の警戒を怠るな」
私たちは休憩を切り上げ、峡谷へと向かった。
峡谷は両側を切り立った岩壁に囲まれ、上からの陽光が限られている。
足元の小道は細く、二人が並んで歩くのがやっとだ。
「先日の魔物と同じような、人工的なものかもしれません」
私は思いついたことを言った。
「可能性はある。その場合、背後に残党の影があるかもしれない」
私たちは慎重に進み、指定された場所に近づいていった。そして——。
「あれが洞窟ですね」
岩壁に開いた暗い穴。
入り口は広く、中は見えない。
「行きましょう」
私が一歩踏み出した時、ケアドが私の肩を掴んだ。
「待て。何か変だ」
「何がですか?」
「魔物の気配がない。臭いも、足跡も、何もない」
確かに、彼の言う通りだった。
魔物が巣食うなら、周辺に痕跡があるはず。
食べ残しや、糞、足跡……何もない。
「もしかして——」
その時、突然洞窟の奥から光が走った。
地面が揺れ、岩が崩れ始める。
「罠だ! 逃げろ!」
ケアドの叫びとともに、私たちは洞窟から飛び退いた。
しかし、後ろからも声がする。
「そこまでだ、魔女!」
振り返ると、数人の男たちが弓を構えていた。
彼らは明らかにギルドの制服を着ている。
「ギルドの人間!?」
「カルホハン帝国の残党め、おとなしく捕まれ!」
何を言っているのか。
私は困惑しながらも、右手を隠すように体を動かした。
「何か勘違いをされているようです。私はただのギルド所属の冒険者で——」
「黙れ! お前の正体はわかっている。右手の呪いも!」
私は息を飲んだ。
彼らは私の秘密を知っている。けれど、どうして?
「アリア、構えろ!」
ケアドの声に反応して、私は身構えた。
男たちが一斉に矢を放つ。私たちは岩陰に飛び込み、矢を避ける。
「どうしてこんなことに……」
「話は後だ。まずはここを切り抜けよう」
ケアドは冷静に状況を判断している。
「洞窟の崩落は偽装だ。中には出口があるはずだ」
「わかりました」
私たちは矢の雨をかいくぐり、洞窟へと駆け込んだ。
中は予想通り、崩れてはいなかった。むしろ、奥へと続く道がある。
「追ってくる!」
後ろからは男たちの足音が聞こえる。
私たちは暗い洞窟を走った。
「ケアド、あなたはこの計画を知っていたのですか?」
走りながら尋ねる。
「いや、完全に不意を突かれた。だが、依頼に違和感を感じていたのは確かだ」
「どうして彼らは私の秘密を?」
「情報漏洩か、あるいは——」
その時、洞窟が急に開けた。私たちは広い空間に出た。そこには——。
「な……何これ!?」
巨大な魔物が待ち構えていた。
角を持つ鳥のような姿。
依頼書に書かれていた通りだ。
しかし、その姿は明らかに不自然だった。
複数の魔物を継ぎ合わせたような、おぞましい見た目。
「やはり人工的な魔物か」
ケアドが短剣を抜く。
私も右手の手袋を外した。
「ケアド、私を狙っているのは確かですが、あなたは関係ないはず。先に逃げてください」
「冗談言うな。一緒に戦う」
彼の決意に、少し胸が温かくなる。
「ありがとう」
その時、洞窟の入り口から男たちが現れた。
「逃げ場はないぞ! そして、あの魔物はお前の火も通じない特殊なものだ!」
リーダーらしき男が高笑いした。
「カルホハン帝国の残党である魔女を討伐する栄誉は我々のものだ!」
「勘違いしないでください! 私は残党ではなく、むしろ帝国に呪われた被害者です!」
「黙れ! 魔物、彼女を殺せ!」
男の命令で、魔物が動き出した。
驚くほどの速さで私に襲いかかる。
「くっ!」
間一髪で避けるが、魔物の爪が私の髪を掠める。
長い黒髪の一部が切り落とされた。
「アリア!」
ケアドが魔物に斬りかかるが、その皮膚は固く、剣が弾かれる。
「火が通じないって? 試してみなければわかりませんね!」
私は右手を魔物に向け、炎を放った。
しかし、炎は魔物の体を包むものの、まったく効いていない。
むしろ炎を吸収しているかのようだ。
「本当に……」
「言った通りだろう? その程度の火では無駄だ!」
男が再び笑う。
「ケアド、逃げ道はないの?」
「……ある。だが危険だ」
彼は目で洞窟の天井を示した。
見上げると、小さな隙間が見える。
外へと通じているようだ。
「登れるかな?」
「やってみましょう」
私たちは魔物を避けながら、壁を登り始めた。
しかし、魔物も飛べる。空中から私たちを狙う。
「このままでは……!」
私は一瞬、思い悩んだ。そして、決断した。
「もう、隠す必要はないかもしれない」
ケアドに言うと、私は右手の力を極限まで高める。
通常は控えている使い方だ。
「火よ、我が命の全てを懸けて!」
右手から巨大な炎が渦巻き、その熱は洞窟全体を覆った。
魔物に効かないなら、別の方法で。
炎は洞窟の壁や天井を熱し、岩が割れ始める。
「天井が崩れる! 皆逃げろ!」
男たちは慌てて後退した。魔物も混乱している。
「今だ!」
ケアドが私の手を引き、天井の隙間に向かって飛び上がった。
彼の跳躍力は尋常ではない。私も全力で壁を蹴り、彼の手を掴む。
二人で力を合わせ、隙間から這い出る。そして——。
「はぁ……はぁ……」
外の光の中、私たちは倒れ込んだ。
後ろでは洞窟が崩れ落ちる音が響いている。
「みんな……大丈夫かしら」
「心配するな。彼らも逃げ出せただろう」
ケアドは険しい表情で言った。
「問題は、なぜ彼らがお前を標的にしたかだ」
私はゆっくりと立ち上がった。
髪が乱れ、服も汚れている。
姉様のような上品さはもうない。
「……わかります。彼らはカルホハン帝国の残党の所業を私のせいにしたのです」
「そうだな。誰かが意図的に情報を操作した可能性が高い」
私たちは峡谷から離れ、安全な場所に移動した。
小さな森の中、私は木の根元に座り込んだ。
「もう、あのギルドには戻れませんね」
「ああ。別の土地を探すしかない」
疲れが一気に押し寄せてくる。
そして、怒り。
「許せません。カルホハン帝国の残党が、まだ人々を苦しめているなんて」
「アリア」
ケアドが私の前にしゃがみ込み、真剣な表情で言った。
「全てを話してくれないか? お前の過去と、その右手の呪いについて」
深く息を吸い、私は決意した。
もう隠す必要はない。信頼できる相手ができたのだから。
「わかりました。お話しします」
夕暮れの森の中、私は自分の物語を語り始めた。
カルホハン帝国の第二皇女だったこと。
姉のリルルが私を守って死んだこと。
親から実験台にされ、右手に火の元素を植え付けられたこと。
そして、帝国が崩壊し、私が逃げ延びたこと。
「帝国が滅んだ後、私はこの呪いを解く方法を探して旅をしています。同時に、残党が他の人々を実験台にしないよう、見つけ次第潰しています」
ケアドは黙って聞いていた。
そして、私の話が終わると、静かに言った。
「ありがとう、信じてくれて」
「あなたは? 妹さんのことを」
「ああ。メミナの右手には水の元素が宿っている」
「水……」
四大元素の一つ。
それなら、私の火と同じように、大きな力を持っているはずだ。
「妹も、お前の呪いも解いてみせる」
彼の決意に満ちた言葉に、私は微笑んだ。
「一緒に頑張りましょう」
「ああ」
夕日が森を赤く染める中、私たちは新たな旅の計画を立て始めた。
カルホハン帝国の残党を追い、メミナを救い、そして私自身の呪いを解く方法を見つける——その長い旅の第一歩を踏み出すために。
罠にはめられ、ギルドを失い、逃げるように旅立つことになったが、不思議と心は軽かった。
もう一人ではない。共に戦ってくれる仲間ができたのだから。
私は右手の紋様を見つめた。
この呪いは、いつか必ず解いてみせる。
そして、本当の自分を取り戻すのだ。
「さあ、行きましょうか」
立ち上がり、ケアドに手を差し出す。
彼は微笑んで、その手を取った。




