3
飛ばされた先は、洞窟を思わせた。岩壁の大きく抉れたようなところの陰で、伸びた蔦や蔓によって垂幕が掛かり、日差しが絞られている。周りには机だの倒立型の天幕だのが置かれ、学校行事の跡があった。
「ここで待機していても、私は別に構いませんが」
ミフミ・トライフルは眼鏡を押し上げ、眩しい光を背中に受けていた。彼は制服の胸ポケットに収まったペンダントの鎖を整えていた。清浄石である。各生徒に合わせて削られ磨かれた魔為の供給源である。
「わたしも行きます」
サワは待たずに先に進んでしまう生徒の後ろを駆けていった。
天然の庇を抜ける。眩しさに目を眇めた。整地はされていないがある程度の道ができている。そして飛ばされた場所は高所であるらしかった。視界に広がるのは草原である。まるで未開拓地であった。錦玉館のあるカ=ステイラ地方よりも田舎である。
「物見遊山なら私一人で行きますが?」
わずかな停留も赦さないらしい。
「ごめんなさい」
教員に対して臆さない態度は一瞬、サワに己の立場を忘れさせた。
ミフミ・トライフルは伸びた道草を駆除していた。緑は皆無ではなかったが、低木や雑草ばかりで森などは見当たらない。見通しはよかったが、勾配は急で、地面は硬く平坦でよく乾いているが滑りやすい。
道を下っていくと岩場に着いた。ミフミ・トライフルは器用に飛び降りていく。サワは追いつかなかった。彼女が降りている最中に、ミフミは岩場を上り引き返す。彼は岩を削った。力加減、照射範囲、姿勢。無駄がない。優秀と評されていることに彼女は納得せざるを得ない。
「手伝いましょうか」
「結構です」
鰾膠もなかった。岩を削る作業が終わるのを待つ。
「先生」
反応を示すとミフミ・トライフルは岩を指す。
「その岩、先生の背丈で届きますか」
サワは岩場へと手を伸ばす。届かない。
「ありがとうございます。下がってください。破片が飛びます」
ペンダントを握り、ミフミ・トライフルは指鎧を構えた。魔為が一点集中する。指先に光が集まり、岩へと狙いを定める。
岩場の探索は済んだらしい。気難しい生徒の後を追う。岩場を抜け、見通しのよい道へ出る。帯同した教師のことなど忘れているらしきミフミ・トライフルが突然振り返った。眼鏡の奥の鋭い目がサワを捉えた。背後は崖である。彼は腕を組み、威圧的な態度はまるで立場が入れ替わったかのようである。
「錦玉館のある土地のことは分かりませんが、この山は非常に危うい地区にあります」
「は、はあ……」
サワはミフミ・トライフルが忽如としてその話をした意図が分からなかった。彼は鼻を鳴らして歩きはじめる。崖の下に何か手掛かりがあるようだ。見下ろした。霧のかかった下方に、長い行列が見える。手枷を嵌め、鎖で繋がれ、麻袋よような衣を身に纏っているのはヒトと見紛うがヒトではない。カ=ステイラ地方ではまず見ない光景に狼狽える。
「ご存知ですか。サヴァラン族です」
あまりにも小さく見える。蟻の行列だった。サヴァラン族については話には聞いたことはあるが、実際に会ったことはない。
「助けたいなどとは思わないでください。異人種には異人種のルールがあります」
「……あれは、何をしているんですか」
「奴隷市でしょうね。珍しいことではありません」
「その近くで校外実践学習だなんて、1期生たちは危なくないんですか」
「サヴァランにはサヴァランの、私たちには私たちのルールがありますから」
ミフミ・トライフルはもうサワのほうを見ることはなかった。
サワにとっては大きな衝撃であった。錦玉館では想像つかない、殺伐とした現実が真横にある。ジェノワーズ本校に入学した1期生はまず異族の厳しい光景を目の当りにするというのか。
彼女の頭は奴隷行列のことでいっぱいになった。本校と分校であまりにも環境が違う。錦玉館だけなのであろうか。遭遇するものの厳しさに大きな差がありはしまいか。
「危ないです、先生」
物思いに耽っていた。身の回りの変化に気付かなかった。サワは腕を引っ張られ、前から転ぶ。ミフミ・トライフルは彼女の前に立つと、魔為を放った。大型犬ほどもある巨大な翅蟲が撃ち落とされる。気味の悪い音と体液を垂れ流し、怪物の死骸が転がる。
「ご……ごめんなさい。ありがとう……」
彼は聞えよがしに溜息を吐く。
「一体何をしに来たんですか」
「引率を……」
「分かっているのならいいです」
清浄石のペンダントを胸ポケットにしまい、ミフミ・トライフルは先に進んでいく。サワは後を追う。その間も、生徒から注意を受けたことも忘れ、奴隷行列のことばかり考えていた。
そのうち隧道へと入っていく。ミフミ・トライフルは通り抜けながら篝火を焚いていく。慣れた足取りであった。真っ暗な道をを臆しもしない。
冷風が吹き抜けていく。燈火がかぎろう。サワはそれを眺めた。生徒との距離が開いていく。
胸騒ぎ。
目に留まっていた炎が消える。彼女は生徒の行ったほうを見遣った。篝火が焚かれ、明るくなっていくはずの隧道の先はまだ暗い。点火に飽いたのであろうか。しかしそのようには思われない。
「トライフルくん?」
サワの声が反響するのみ。
「トライフルくん」
サワは走った。ミフミ・トライフルに代わり篝火を焚いて走る。暗い地点に入った途端、足の裏が沈んだ。地面がない。
進行方向に向かって重心が傾いていく。咄嗟に次の足が出た。だが身体を支えられない。出した足が踏み締めるはずの地面がない。身体が下降していく。妙な抵抗があった。陥穽ではない。泥沼に嵌まったのかと思ったが、汚泥や水の感覚はない。
この山に来たときも使った。空間転移板だ。
暗い空間を浮動している。これも1期生の校外実践学習なのだろうか。
視界が拓けていく。身体が一気に降下した。
受身をとったが、落下地点は柔らかかった。苔と植物が繁茂している。
「トライフルくん……?」
身体を起こすと、潰した草の青い匂いがほのかに薫る。
サワは生徒の姿を探した。落ちた場所は人為的に作られたようだ。岩を切り崩し、等間隔に篝火を焼べている。広さは分からなかった。巨大な植物が埋まっているからだ。蕾の状態で直立している。天井がどれほど高いのかは暗いために定かでなかった。
「トライフルくん!」
谺する。
「誰だァ?」
わずかに濁りの混じった声質は、ミフミ・トライフルのものではなかった。
「トライフルくん……?」
サワは気付いていながら、ミフミ・トライフルの他に人がいるとも思っていなかった。聞き間違いか、喉に変調を来したのであろう。
今はそれよりも、彼の安否を確認できたことに安堵した。
「トライフルくん、どこ?」
「女かァ?」
巨大な植物が動き出した。蔓が狭い空間を這う。真正面からサワに迫った。打ち落とす。
「おっと……環境破壊は良くないなァ……」
サワは壁沿いに歩いた。巨大な植物の葉を避け、或いは跨ぎ、生徒を探す。
「トライフルくん……?」
喋り方も変わってしまったミフミ・トライフルの後姿を見つけた。薄い髪色を燈火が緋色に染めている。
「どうやって、帰ろう?」
問いかけると、ミフミ・トライフルと思しき人物が振り返る。背丈も、髪色も似ていた。だが眼鏡はなかった。顔立ちも違う。三白眼に、緩んだ口元から乱杭歯が見えた。探していた生徒ではない。
「どうやって、帰る?」
見知らぬ生徒が嫌味たらしく口角を吊り上げた。
「あなたは……? うちの生徒みたいだけれど……」
着ているものは、確かにフリアンフィナンシェ・ジェノワーズ校の制服なのだ。
「見て分かんねェ? トライフルクンだろ、どう見ても」
ふざけているのであろうか。サワは薄ら笑いを浮かべている生徒の顔を凝らしてしまった。
「あなたも、校外実践学習の下見に来たの?」
「そうです、先生。ボクと一緒にトライフルクンを探しましょう」
見知らぬ生徒の態度が急に変わった。しかつめらしい面持ちで姿勢を正す。
「ありがとう……」
この生徒に、壁を感じた。挑戦的なソウマ・シュトーレンにも、冷淡なミフミ・トライフルにもない、厚い壁を張られている気がする。サワのほうでも、触れてはならない壁を避けようとしてしまう。
「先生はあまり見ない顔ですね。新しい先生ですか」
サワは経緯を話す。
「トライフルクンの相手は大変でしょう。冷徹眼鏡と渾名されているくらいですから……」
「少しぶっきらぼうなところはあるけれど、なんでも器用にこなせちゃうからね……」
引率など要らないほどだ。サワは暗さに乗じて自嘲する。
「トライフルクンは童貞ですから、先生みたいな綺麗な人が一緒で緊張してるんですよ、きっと。ひゃ、ひゃ、ひゃ」
「そ、そんな……まだ、子供なのだし……」
まるでこの生徒はそうではないというようである。
「あ、そういえば、まだ自己紹介してなかったね。サワ・崇司アマツカサです。重なる授業、あるかな。でも、よろしくね」
「ノゾミ・キャンディケインです」
「キャンディケインくんね」
ノゾミ・キャンディケインは物怖じもせず、大きな植物の周りを歩く。この場所を知っているようだった。
「キャンディケインくんも、洞窟にあった空間転移板を踏んだの?」
「そうです、そうです。サワ先生も?」
名前で呼ばれ、サワはたじろいだ。距離を詰めるくせ、やはり壁を感じる。
「うん。トライフルくんもだから、そんな遠くへは行ってないと思うのだけれど……一体誰があんな悪戯をしたんだろう。でも、キャンディケインくんがいてくれてよかった」
不気味な場所である。1人ではとても歩き回りたくない。
随分と前からノゾミ・キャンディケインは飛ばされていたらしい。道に詳しかった。巨大な植物の葉が壁の穴を隠していることも知っていた。穴の奥には道ができている。明かりも点いている。
「災難でしたね。こちらに来て早々」
「こんなところに落ちちゃってお互い様」
ノゾミ・キャンディケインは口角を上げる。
「でも、先生がどうにかするから……」
ミフミ・トライフルには初対面から不甲斐ない姿を見せた。しかしノゾミ・キャンディケインの前では好い教師でありたい。
「向こうにも道があります。一度覗いてみたのですが安全そうなので一緒に行きましょう。案内します」
サワは従った。生徒の前を歩くべきところを、生徒の言葉を信じ、後ろをついていく。
ある地点から、魔力による燈火が消えてしまった。点火を試みるが、サワもノゾミ・キャンディケインも失敗した。ここは山で、さらに内部だ。鉱石や、場所の関係で魔為のない場所なのかもしれない。
暗く湿った空間を暫く歩いていくと、青白い明かりが見えた。けれども外に出られるわけではないようだった。頭上はまだ暗い。天光ではなかった。光は下から煌々と発していた。そこは岩室で、サワたちは室内の崖の上に出ていたのだった。宛ら、夜の海を前にした岬のようでもある。光っているのは岩に埋まる夥しい数の石のようだ。照らし出された周辺に道はない。行き止まりだ。
キャンディ・ケインは尚も歩を進めた。崖端に近付くにつれ、足場は狭まっていくというのに、彼は止まらない。
「危ないわ、キャンディケインくん」
ノゾミ・キャンディケインが振り返る。背中に鉱石の光を受け、彼の姿は影絵と化した。
「おめでたい人だなァ、サワ先生?」
かろうじて、ノゾミ・キャンディケインが万年筆を取り出したのが見えた。
「キャンディケインくん……?」
「エサの時間だ」
ノゾミ・キャンディケインは両手を打ち鳴らすと、足で傍に転がるものを退けようとしていた。崖から落とそうとしている。彼はこの場に於いても魔力を使えたのだ。使えなかったのは、鉱石や土地の所為ではない。それが彼の灯した明かりによって、ミフミ・トライフルだと判明したとき、サワは目を剥いた。声も出ない。
横たわるミフミ・トライフルには意識がないようだった。投げ出された四肢は微動だにせず、ノゾミ・キャンディケインの足を受け入れ、崖の外へと押されていく。
「な、何をしているの……やめなさい」
ノゾミ・キャンディケインは口角を吊り上げる。
崖の下から影が伸びた。太さはないが、長さのあるヘビかと思われた。けれども生き物のようでいて生き物ではなかった。蔓だ。生き物ではない。しかし生き物同然に蠢き、ミフミ・トライフルの身体に巻き付いた。ノゾミ・キャンディケインは笑って見ている。
「トライフルくん! 起きて!」
岩室にサワの声が谺する。
「サワ先生、これで馘首だなァ?」
胴体と腕を巻かれたミフミ・トライフルは、横たわった体勢のまま持ち上げられた。目を覚まさない。生きているのかどうかすらも分からなかった。
サワも杖を抜いた。学園の支給品で、事故に備え、魔力制御装置がついている。
構えた杖は震えていた。生意気で反抗的どころか、暴力的な生徒は幾度か目にしたことがある。けれども一人で対峙するのは初めてだ。
「トライフルくんを放しなさい」
「今ここで放したら、下に落ちちまうぜ」
「トライフルくんをどうする気なの」
「どうしもしねぇよォ。まぁ、挨拶くらいにはなるか」
ノゾミ・キャンディケインは蔓を操っているようだ。持ち上げたミフミ・トライフルをしげしげと眺めている。
「放しなさい!」
サワは杖を振った。先端に蓄えた魔為がノゾミ・キャンディケインの奥の蔓へ飛ぶ。だが彼は弾き返した。
反撃を予期していなかったサワは自身の放った火花に身を縮めた。
「オレかコイツかちゃんと選んで、選ばなかったほうは切り捨てる。そうじゃなきゃァ、無事に帰れねーぜッ!」
「切り捨てる? あなたも生徒なのに? わたしは教師。そんなことできるわけないでしょう」
このまま己の無事だけを考えて逃げられるのならば逃げたかったのも、彼女の本音だった。だがそのとき、ミフミ・トライフルはどうなる。教師としての責任はどう問われる。生徒というものは気楽だ。
「オレのコトは生徒なんて思ってくれなくていいゼ、アホらし。先生ごっこに巻き込むな」
ノゾミ・キャンディケインの万年筆が光る。
教師としてすべきは生徒の保護だ。攻撃ではない。けれども防衛は必要だ。
サワも杖に魔為を集める。
「もう1回だけ言います。トライフルくんをこちらに渡して」
「嫌だね。コイツは土産にする。心配すんなよ。ちゃんと学園に帰してやる」
「そんなことさせられるわけないでしょう」
彼女はもう一度、生徒の四肢と胴体に巻き付く緑色の触手に魔為を放った。
「ムダだって」
ノゾミ・キャンディケインが万年筆を振る。火花に変わるはずの光がサワの足元へ返ってきた。
「トライフルくん、起きて!」
「起きるワケない」
「どうしてこんなことをするの? トライフルくんに恨みがあるの?」
溜息が岩室に沁み入っていく。
「教師ってそればっか。恨みなんかねーよ。ただココに来たのがソイツってだけさ。ま、生徒会なら誰でもよかった。わざわざ副会長がお目見えとはね!」
サワはノゾミ・キャンディケインとミフミ・トライフルを交互に見た。
反抗的な生徒はいるものだ。善良な態度でいた生徒が突然、荒れてしまうこともある。支給品の杖では歯が立たないこともある。生徒の安全を確保し、自己防衛しながら、事を収束させる。教員は不利だった。
魔力制御装置は破戒石でできている。聖騎士育成のためのフリアンフィナンシェ学園の校訓に反する。外した教員にも罰が降る。査問委員会にかけられ、最も軽ければ始末書だが、場合によっては懲戒免職で済まず懲役刑だ。
しかし彼女は自身の技術がノゾミ・キャンディケインと同等、或いは劣っていることを理解していた。ミフミ・トライフルを救出するには他に手がない。
杖尻に揺れる房飾りの先に螺旋状の装飾品がぶら下がっている。これが破戒石を刳り貫く箆だった。
ノゾミ・キャンディケインは両手を広げた。
破戒石が外れる。杖に眩耀が集まり、剣のような形を作った。
サワの手は震えていた。支給品として侮っていたことを知る。学園で学び、鍛え、教えを血肉にした反逆者を屠る作りになっている。申請すれば翌日に届く事務用品とはまったく違う。
果たして使いこなせるのか。
果たして生徒を守れるのか。
果たして生徒を討てるのか。
果たしてこの選択は正しかったのか。
ノゾミ・キャンディケインに焦りはなかった。局所的に照度の上がった岩室で、彼の表情がよく見えた。
「トライフルくんを返してくれる?」
「サワ先生、ココでオレがコイツ返したら、ヤバいのは先生でしょ」
ノゾミ・キャンディケインは鼻を鳴らす。
「トライフルくんを返して。返してくれるのなら、わたしはいいわ、"ヤバ"くても」
すでに査問委員会は免れられない。あとは生徒を奪還できるかどうかだ。
手の震えを抑える。抜いてしまった以上、やらねばならない。
杖を振る。目を焼くほどの光が杖の先をついて回る。
ミフミ・トライフルへ気付の術を放つ。肉体の回復、補助を目的とした鳩術は破戒石の抜去により、サワの意図した力を倍増させていた。白銀に煌めき、弧を描いて生徒と杖を結ぶ――はずだった。
ノゾミ・キャンディケインが万年筆を振った。白銀の光はミフミ・トライフルに届かなかった。万年筆から放たれる光と衝突し、押し合いになる。
「何が目的なの? 学校、辞めたいの? どうしてこんなこと……」
「力。力欲しいだろ。先生がその石取ったみたいに」
ノゾミ・キャンディケインは首を捻る。挑発するかのような所作だった。
「力?」
「スルフィムの力じゃねぇよ」
スルフィム。フリアンフィナンシェ学園が育成するべき聖騎士の始祖だ。魔為が使えるのは、この聖騎士の始祖が巨大な清浄石となったからだ。
「まさか……」
もうひとつ、魔術を使う方法がある。
「退廃魔術」
ノゾミ・キャンディケインは嗤った。
「だめよ。絶対、だめ」
一度でも使えばフリアンフィナンシェ学園を除籍になるだろう。聖騎士スルフィムに仇なす技だ。
学園だけではない。世間からも、反社会的勢力と見做されるものだ。若気の至りが、この生徒を危ない道に突き動かしている。
「学園の狗ころは、そう言うしかないよねぇ~」
サワは押されていた。踵が地面を擦りながら、後ろへ進んでいる。
「教師がそんな程度で、生徒に何を教えられるん?」
ノゾミ・キャンディケインは杖を振り被った。
「オレより副会長を選んだ。その時点で先生に、オレの進路をどうこう言う資格ねンだわ」
サワは尻餅をついた。押し負けた。鳩術は鷹術へと変わり、彼女の周りに火花が散る。
「じゃあね、サワ先生」
ミフミ・トライフルが連れ去られると思った。サワは杖を向けた。ノゾミ・キャンディケインへ鷹術を放つ。加減はしたつもりだ。けれども破戒石を外した杖では威力は倍増する。
教師生命は絶たれた。
爆発音を聞く。
構えた手は震えていた。けれども狼狽している暇はなかった。何のためにひとりの生徒を切り捨てたのか。
サワは覚束ない足取りで細まる崖端へ走った。切り捨てたほうの生徒がどうなったのか、彼女は見ることができなかった。
術者には、やはり相応の被害があったのだろう。緑色のヘビのような蔓はミフミ・トライフルを放した。しかし、サワに差し出したのではなかった。受け取る体勢はとれず、またその暇もなかった。制服を掴んだ途端、水が溢れるように崖下に落ちていく。サワの身体も生徒の重みにつられ、足の裏は地面を離れた。
ミフミ・トライフルを庇う間はなかった。抱き竦めた途端に身体を強く打つ。目の前が白く爆ぜた。陶器の砕けるような音を聞いた。大した高さはないようだった。けれども頭と胸の左肩が猛烈に熱くなった。後頭部は埋まっているようで、頭の中は熱かったが、外側は冷たく感じられた。胸と左肩は熱さの次に痛みが現れはじめる。
「トライフルくん………」
呼吸が上手くできなかった。鼻を半分、塞ぐものがある。人中が擽ったかった。鼻血だ。
「トライフルくん………」
耳鳴りが言葉の感覚を惑わす。
潰れたらしき胸の上に、生徒の銀髪が見えた。左肩は持ち上がらない。強い痺れを訴える右腕を持ち上げ、ミフミ・トライフルの肩を揺する。反応はない。自身の右肘と右肩が痛むばかりだった。
杖は杖尻の根付から房飾りとともに伸びた紐で手首に掛かっていた。ぶら下がって揺れ、邪魔なこの装飾が今は味方だった。しかし学園としても、この凶器を紛失されては困るのだろう。
鳩術をミフミ・トライフルにかける。魔為の使用は体力を削る。
この岩室から抜け出し、ジェノワーズ校まで帰らなくてはならないというのにサワは動けなかった。胸の上の生徒も目覚めないようだった。
青白い光に包まれながら、多くなった天井を見上げる。暗黒に覆われていた。
そのうち、身体の後面を着けた地面が揺れているように感じられた。実際に揺れているようで、彼女の頬には小石くずが落ちてきていた。砂臭い煙が降りかかる。
崩落するのだ。
足音があった。耳ではなく、身体の後面が埋まったような地面の振動でそう感じた。
「先生、マジ?」
青白く光る鉱石に照らし出されたのはジェノワーズ校の制服だった。その生徒は見たところ無事だった。多少の傷は負ったのかもしれないが、真っ直ぐ立っている。
サワは痺れる右肘を地面につき、杖を向けた。視界が霞む。狙いは定まらない。
「オレを、殺すん?」
魔為を集めた。放つ。増強されたとして、大した力にはならないのだろう。鳩術は制服を煌めかせた。生徒の顔が見えた。
「はやく………逃げなさい………」
岩室が崩れていく。




