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Epiphany No.1『春の嵐』

みなさん初めまして。

この作品は以前個人的な備忘録置き場にしているnoteに投稿した非常にせせこましい覚書のようなものです。

自己評価だけでは飽き足らず他の人に価値をつけてもらいたいと思い、今回投稿するに至りました。

もうひとつ旅行記のようなものも投稿する予定ですので、ご興味ある方はぜひ。

それでは僕の世界を暫しの間をお楽しみください。

新世界より、我が脈動の歓びよ



みなさまこんにちは。


はじめましての方ははじめまして、そうじゃない人はこないだぶり、かな?


今回は、僕がこの春に体験した、双極性のある非常に力強い出来事から得た。

ある種の悟りに近い感情で文章を書きます。

試みと言えば試みだし、いつも通りといえばいつも通り。

詳細についてはグロテスクなものも多いのでおおざっぱにかいつまんで、コンテクスト(解像度)の高い言葉は思想や思考に回そうというつもりでこの部分を書いています。


内容について、簡単に伝えておくとあまりいつもと変わりません。

徒然草を追うぞ~ぐらいのつもりで書いています。

ただ、出力される僕側に変化があったことだけは伝えておきます。

タイトルのEpiphanyとは「悟り」のような意味を持つ単語です。

タイトルの作り方というか、形式は敬愛なるベートーヴェンの『Symphony No.9』からお借りしました。


とても長い手記になると思います。

それも非常にね。


だから、一気に読み切るのも、途中で切り上げるのも、もうや~めた!ってするのもなんでもいいです。

あなたに栞を渡してあげられないことだけを、僕は残念に思います。

だって、今から書く『なにか』はおそらく、絶対に近いまでの面白さを持っていると確信しているのだから。


それでは束の間の恍惚をお楽しみあれ。




俺は二度と叶わぬ恋に落ちてしまった。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

という人物をご存じでしょうか?


交響曲第九番『新世界より』をはじめとした、さまざまな歴史に残る、いや歴史を創る音楽たちを残した「楽聖」と呼ばれる人物です。

いわばクラシックのカミサマの一人ですね。


僕は彼に恋をしてしまいました。

彼の紡いだ音楽、彼の心象風景、その全てのひとつまみをほんの少しだけ理解できる感性が手に入ってしまったから。


『運命』、『田園』、『新世界より』、『エリーゼのために』。

挙げ始めたらキリがない、彼は本当のカミサマです。

とはいえ天才か、と言われたら僕は手放しでうなずけません。

彼の人生は、ベートーヴェンの父の壮大な夢のおかげで、鬱屈と狂躁を繰り返す非常に双極性のあるものだったからです。


彼の肖像画を見た人は少しは理解ができるかもしれません。

ベートーヴェンの中には「獣」と呼ばれるほどの癇癪が住んでいました。

その根源は歪んだ家庭環境にあったと考えています。

「厳しい」という言葉ですら生ぬるい教育方針の父と、音楽の道から外れることすら容認してくれる深い愛を持つ母。

その二律背反に近い家庭で育った彼の中には、だんだんと獣の素養が積もっていってしまったのです。


さらに哀れなことに、母マリアはベートーヴェンが16歳のころに亡くなってしまいます。

そんな経験を経て、彼の中に完全として生れ落ちてしまうのです。


歪んだ産道からずり落ちた、怪物のような獣が。


とはいえ、彼の作る音楽、それそのものは本当に素晴らしい。

僕が壊れるほど悩んだちっぽけな「こと」など、彼の編み上げた波たちが、僕の鼓膜を揺らすだけで、本当に気分が落ち着いてしまったのです。

そう、彼は僕を救ってくれたのです。

恋をするのも理解はできるでしょう?

納得なんて求めていません、これはあくまで独白です。

そもそも、彼ベートーヴェンはもう亡くなってしまっていますからね。



なんにもないのに涙が出るの。


僕は先々週ぐらい、ちょうど誕生日の少し前。

あと一歩足を出す角度を間違えれば、本当に壊れてしまっていたと思います。

なにがって?僕の心がです。


僕は、「テンションの浮き沈みが激しい人間」という風に自分をカテゴライズしていませんでした。

どちらかというと、気分が下がりやすい人間。ぐらいに自分を捉えていました。


実際には違ったのです、僕は足元を見て転ばないために小石を血眼になって探しながら、そろりそろりと歩みを進める自分と。

そんな自分に嫌気がさして、前向きになることを目的化してしまうあまり、天を見上げながら全速力で走り続ける自分。

その両面性を併せ持っていたのです。


僕は自分を客観視することが非常に苦手でした。

でも、「仕事を頑張る」という過程で、朝に起きられるようになり、客観性を獲得し、引きこもりがちな自分を家の外へ引きずりだすことができるようになりました。

いわゆるうつっぽいのが治ったんです。

ありがとう労働。


とはいえ、「仕事を頑張る」ことを目的に仕事をしてしまっていたせいで、一息つく、というやり方すら知らずに走り続けてしまっていました。


目的だけ提示され、意味がわからず残って仕事をし続ける。

そんな日々が1か月弱続いた頃、帰り道に涙が流れた時がありました。

今考えれば、あれはいわば危険信号であり、麻痺した心がようやく流せた涙だったのかもしれません。

でも、当時の僕はそんなことで「頑張ること」を止められませんでした。

だって、「仕事を頑張れる自分」が好きだったのだから。


でも、仕事のおかげで回り始めてしまった脳みそがささやくのです。

「おかしくないか?」と。

ここまで頑張ってるのに、なんで意味もわからないんだってね。

俺はたくさん考えた、でもそこに意味なんかないんじゃないかって彼は続けるのです。

その声を無視できなくなり始めたころに「こと」は起きてしまいました。



なんにも感じないね、楽でいいなこれも。


はなしはようやく、僕の誕生日の少し前へ。


その昔、僕は別れた女を友達がつまみ食いしてしまったことを許しました。

友達だからね。


今回、僕と付き合うことになった女と、前回「こと」を起こしたのとは別の、しかも前回のことを知っている男との間で「こと」は起きてしまいました。

今となっては、心は揺れません。


でも、「こと」が起きたことを知った時、なんの感慨も抱けなかったのです。

ただ、「許す」ということを目的に置くあまり、僕は何も感じられなくなってしまったのです。

その二人を許しました、深い愛で。

友愛なのか慈愛なのかはわかりません、自愛だったのかもしれません。

でも、それを愛としなければ僕の中で「許す」という行為すら筋の通らないものになるため、ここではこれを愛とします。


おそらく混乱しているのだ、と仮定づけた僕は別の女の子をその日の晩に呼びつけて、助けを求めます。

「今、おそらく混乱している」と。「なぜ、なにも感じないのだろう」と。

その答えはその日に明らかになるのです。


僕、「こと」を起こした2人と、呼びつけた女の子。

4人で楽しくお酒とお肉を食べました。そのままの流れで僕の家に帰り、3人が僕の誕生日を祝ってくれたのです。

ケーキを伴ってね。

最高の気分でした。

あゝ、手放しで生まれてきたことを承認される歓びとは、ここまで気持ちの良いものなのか。と。


でも、そこで気づいたのです。

気が付いてしまったのです。

その男の瞳に一切の曇りがないことに。

この男は、本心で俺を祝ってくれているのか。

「どうやって?」

その言葉だけが浮かびました。

なぜ、俺を深く傷つけるであろう「こと」を起こしておいて、手放しで祝えるのだ、と。

そこでなにかがはじけました、それを僕は心のふたが開いたと表現しています。

そこからはあまり覚えていません。

ただ、ただどなりつけ、相手を否定し、変えようとしてしまいました。

本当に愚かなことをしてしまいました。

だって、他人を変えることほど愚かしいことはないのですから。

自分のことすら変えられない人間が、どうやって他人を変えるというのでしょう。


怒鳴り疲れ、泣きつかれた僕は、ひとまず寝ました。




スッキリさっぱり超クリア!


なんて目覚めの良い朝だろう!

俺は最強だ!

だって友人たちから祝福を受けたんだから!!


そのかたちだけを見て、中身なんて見ようともせずに。


そんなちっぽけな全能感を頼りに、非常に攻撃的になってしまっていました。

なんで理解できないの?わかってくれないの?って。


でもそうじゃなかった。



自分で鍵をかけたんだった。


その後、完全に壊れかけてしまいました。

何もなくても涙が出るし、何かあったら余計に涙が出る。

扉が開いた心から漏れ出した、今までの涙、思考の削りカスとも呼ぶべき全てが、洪水がごとく流れているのです。


気付けば涙は止まらなくなった。

自分でも異常に気付いてしまうほどに。


だから、助けを求めました。

俺に生を与えてくれた両親に。

ここ数日のこと、そこから生まれた感情がおかしいものではないのか。

の答え合わせをしてもらいに。

仕事が終わった瞬間に、電車に飛び乗り、ハンカチで目を抑えながら。

もちろん耳はベートーヴェンでふさいでいました。

彼の人間性に触れているようで、その時間だけは落ち着くのです。


あゝ、これが新世界か。と。


ベートーヴェンの交響曲第九番には『新世界より』という題名がつけられています。

ただ、その音楽性を理解できるようになったことの心地よさに浸りながら、家路につきました。


そして、両親にただ肯定してもらい、僕は僕なりの「寛解」を覚えられたのです。

そこから、過去の答え合わせをしました。

小学校、中学校。今となってはどれも思い出したくない、湿った青春の走りです。

でも、答え合わせの結果、僕の記憶が間違えていたことが判明したのです。


ここからが僕らしさというか、「そうなんだ、じゃあどこが間違っていた?」と素直に聞けるというか。

正しいものを知りたい。という知的好奇心のみが僕を動かしていました。


その結果、自分でうまく辻褄を合わせるためだけに見ないようにしていたことが多かったんだなと気づけました。

ある種狂いそうにはなりました。でも気持ちよかったのです、だって、俺が間違っていたことを知れたのだから。



ギフトのリボンをようやくほどけたよ


その後の一週間は、ただただ楽しい時間でした。

いろんな人に僕の誕生を祝ってもらい続けました。


そして、気づいたのです。

なんでこんなに素晴らしい人たちが周りにいるのに、俺は俺のことを好きになれていないんだろう、って。


それ自体非常に単純なことです。

ただ、それが一番難しかったのです。

受け止め、かみ砕き、受け入れる。

その過程の中で「自分自身」を受け止めることしかできていませんでした。

それに気づいたら、あとは残りの工程にかけるだけじゃないか、とも気づいたわけなんです。


その結果、僕そのものが新しいものに生まれ変わりました。


「ギフテッド」という言葉をご存じですか、偏った才能を持って生まれたこどもをさす言葉なのですが、僕も小さいときにそう呼ばれたことがあることを覚えています。


昔は自分の部屋に閉じこもりがち、心にも内側から鍵をかけ、だれもそこに入れようとしませんでした。

僕の心に触れようとしてきた人に対しては、突き放していました。


でもようやく気付いたのです。

それじゃあ、つまらないって。



内側から錠を落とした部屋には


心とは、部屋のようだと考えています。

その中心には、「なにか」を違うかたちに処理する機械がおかれています。それを一旦脳としておきましょう。

「なにか」とは文字通り全てです、外から入ってくる情報全てです。


平均的に沈み込んで、上手く言葉が出ない時期は、その機械の処理速度というのは非常に遅いです。

だから、積もっていくのです。

外からの情報も、機械が処理した削りカスも。

削りカスは感情や、無駄な情報、取り入れるべきではないものをさします。


今回、いつにかけたかわからない錠が崩れ落ち、扉は開いてしまったのです。

風が吹き込んだのです。ありえない風量で。


外は大嵐、生まれたままの姿で世界に放り出された気分でした。

でも、生まれてしまったからには生きなくてはいけません。

僕がしたのは開いた扉を閉めることではなく、部屋のゴミを捨てることでした。


雨が入るならちょうどいい、この削りカスたちを流してくれ。

風が吹くなら万々歳、ちょうど埃が溜まってたんだ。


そうこうしているうちに部屋は綺麗になって、機械も元の何倍もの速さで動き始めました。



ギフトの中身はなんだろな


ようやく開いたプレゼントボックス。

向き合わないようにしていた、僕のすべて。

それがカギになっていることも知らずに逃げ続けていました。


どこまでいってもポケットを探れば出てくる、そんなギフトボックスをようやく紐解けたのです。


箱の中には、世界を正しい色で見る色眼鏡が入っていました。

もうこれで外に出るのが怖くない。

ありがとう、大事にするね。


箱をつぶして捨てようとしたら出てきたんだよね、メッセージカードが。


名前も書かずにただ。

「生まれてきてくれてありがとう」とだけ書いてあるやつがね。


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