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004)【歴史を正すチャンス】

「私は二十歳だし。旅行の申し込みに、両親の承諾は入らないでしょ。パパ達には内緒で行きたいの」


璃子の主張に、山下はうっとなって言葉を飲み込んだ。

璃子が既に、旅行へ行くことを具体的に画策していると分かったからだ。

しかも、家族には秘密で。


山下はにこりとして見せた。

「そうですね。おっしゃる通り、十八歳以上の方であれば、ご両親の承諾は必要ありません」

ただと、厳しい表情を作って続けた。

「出過ぎたことをお伺いしますが、費用はどうなさるおつもりですか」


「三千万くらいなら、用意、出来ると思う」

大学生がその額を準備出来るというのも恐ろしいが、確実では無いようだ。

言葉がたどたどしい。


「残念ですが、桁が違います」

「えっ、嘘よ。何で」

璃子は喉の奥のほうで声を上げた。

「前の家族旅行の時は、四人で一億だったって、パパに聞いたわ」

実際は八千万だったがと、山下がちらっと頭の端で考える。


「璃子様の前回のご旅行先は、既に何組かが先に旅行済みの場所でした。現地の調査も終わっており、インフラが整っている旅行先でしたから、お聞きされた金額でのご提供が可能だったんです。しかし、十五世紀のフランスには、弊社はまだ拠点を置いておりません。現地への出店を一から立案するとなりますと、どうしても数億単位の金額となります」

山下が話しを終える前に、璃子はカウンターへ顔を伏せてしまった。


「そんなの、困るわ。何とかならないの」

しばらく動かなかった璃子が、少し顔を浮かして勢い良く言い放った。

顔はカウンターのほうへ向けたままだ。


「何とかと、言われましても」

山下は素直に困った声を出した。


「私の他にも、旅行へ行きたい人を募ればいいじゃない。十五世紀フランスキャンペーンみたいなの」

璃子が閃いた様子で、瞳を輝かせて山下を見た。


「そうですね。他の方々が希望しそうな旅行先なら、費用は分散出来ます。ですが、その時代のフランスは、人気が無いんです。まだ国家としてのフランスが確立しておらず、領地争いばかり。お客様が見込めない旅行先への出店は、弊社にとって、リスクしかありません」


璃子は再び俯いた。

そのままピクリともしない。


「先ほどおっしゃっていた、五月二三日は、ジャンヌに何が起こった日なんですか?」

哀れみの視線で璃子を見ながら、山下は静かに話しかけた。


手元のタブレットで調べれば済むことだが、璃子自ら語らせたほうが良いと思った。


「敵軍に捕まってしまう日」

身体を硬直させたまま、璃子はポツリと答えた。


ここへ来た時の璃子が、思い詰めた様子だった理由があらかた判明した。

璃子は捕虜になるジャンヌ・ダルクを助けるとか、それに近いことを考えていると、山下は悟った。


「璃子様」

呼びかけた山下は、璃子が顔を上げるまで辛抱強く待った。

「例えその日に行けたとしても、旅行者である璃子様が、史実を変えるのは許されませんよ」

山下は言葉と表情に威厳を込めた。


真っ直ぐ山下を見上げる璃子の瞳に、みるみる涙が溜まっていく。

「そんな、怖い顔しないで。山下さん」

璃子は言いながら、ボロボロと涙を流した。


「だって。じゃあ、私。どうすればいいの?」

言葉と言葉の間で息を呑みながら苦しそうに続ける。

「私。ジャンヌの、生まれ変わりなの。それに気付いてしまったの」

わっと泣き崩れた顔を、璃子は両手で覆った。


山下は璃子に気付かれないようにして深い息を吐いた。


自分を歴史上の人物の生まれ変わりだと主張する客は、実はそれほど珍しく無い。

これまでにも、織田信長やクレオパトラ、ナポレオンなどの生まれ変わりだと主張する者があった。

だから、璃子が思い込むのも自由だ。


しかし、璃子のタイムトラベルを許す訳にはいかないと、既に山下の心は決まっていた。

山下がそれを決定したのは、璃子が日付けを指定してきた時だった。


山下は窓口担当として、覚悟を決めた者にしか出来ない表情というのを何度も見てきた。

あの時の璃子からも揺るぎ無い覚悟を感じていた。


「ジャンヌは、フランス軍のために戦ったのよ。それなのに。フランスは、ジャンヌを見捨てたの。そんなのって、ないわ。ひどいじゃない」

璃子は涙に濡れた顔を晒した。

気持ちの高ぶった自分を隠すのは諦めたようだ。


「十三歳の時に神託を授けた者でさえ、彼女を救わなかった。だけど、私は、私の前世を救いたい。私なら救える。私にしか出来ない。奇跡を起こすの。天使の姿で忠告すれば、ジャンヌはきっと、聞き入れるわ」

山下が聞いていようがいまいが構わない様子で、璃子の主張は続いた。


「ジャンヌが火あぶりの刑にされたのも、男装したから。男装が死罪になるほどの罪だなんて、どう考えてもおかしい」


時代背景によって人々の信じる真実は違う。

当時の文化では、女性が男装するのは罪深い行いだった。

それが、その時代の真実だったのだ。


「人類は大きな間違いを犯したのよ。タイムマシンがあるのに、間違った歴史を正すチャンスは、人類に与えられないの?」


現代の価値観で歴史を正していけば、人間の尊厳が守られる世界が、過去にも訪れるかもしれない。

だが、現代の価値観は間違っていないと言い切れるだろうか。

未来永劫正しいと、いったい誰が保証出来るだろうか。


旅行者の歴史への関与を厳しく禁ずる『T・T・T』の取り決めも、その時代の価値観を尊重することを理念として定められている。


「ジャンヌがどんな最期を迎えたとしても、それが、彼女の人生です」

「そんなの、冷た過ぎる」

璃子の充血した瞳が鋭く山下へ向けられた。


「冷たいのではありません。あの時代を精一杯生きたジャンヌを、私どもの基準で哀れんだり、蔑んだり、不幸だと決め付けるのは、彼女に対して失礼だと言っているのです」

璃子が山下へ向けていた非難の視線は勢いを失っていった。


「ジャンヌの死後に、ジャンヌの有罪判決は覆えされています。璃子様がおっしゃるように、大きな間違いを犯した人々は、その時代でも出来る方法で、間違った歴史を正そうとしたと、私は思います」


長い間視線を落として黙っていた璃子は、思い出したように紅茶を飲んだ。

「でも。私なら、死んだ後に救われても、嬉しくない」

璃子は諦め切れないといった感じで呟き、流れた一筋の涙を指で拭った。


「ジャンヌは、文字が読めなかったと伝えられています。文字さえ読めていたら、不当な内容の書類にサインすることも無かったでしょう。璃子様はまだ若い。これから多くのことを学んでください。知識は、璃子様を助けてくれる知恵になります」


「この人生では、火あぶりにならないように?」

一瞬だけ山下に目を向けた璃子の表情は、いたずらっぽくも見えたが、口調は真剣だった。


「前世には囚われず、犀川璃子の未来を生きてください」

山下と璃子の間に沈黙が流れた。


璃子がどうして、自分の前世はジャンヌ・ダルクだと信じているのかを、山下は敢えて聞かなった。

理由をいくら説明されても、それは結局、本人にしか分からない感覚だと悟っていたからだ。

誰かの生まれ変わりを自称するこれまでの客から、山下が学んだことだった。


「帰ります」

璃子はふいに立ち上がり、さっさと店を出て行ってしまった。


山下は見送ることもせず、カップに半分以上残ったままの紅茶を寂しそうに見詰めていた。

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