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012)【躊躇い】

小野木抹殺部隊が本部へ帰って行くのを見届けた後で、山下はプレゼンルームへ戻った。

そこには、覚悟を決めた様子の璃子が待っていた。


「明日、私を、遥花さんと一緒にティカルへ行かせてください」

「何を言い出すかと思えば」

相手にはせず、山下はPCへ向かおうと椅子に腰掛けた。


「本気です」

椅子に座っている山下に対して、立ちはだかるような姿勢で璃子は断言した。

「本部の部隊が、小野木さんを見付けられなかった時のプランBです」


「プランAは?」

「この間、山下さんに見付かってしまいました」

システム起動のオペレーションの話をしているのだ。

大真面目な顔で言っているところを見ると、冗談では無いらしい。


「犀川さんがティカルへ行って、どうなるんだ」

「少なくとも、遥花さんを未来へ帰します」

「話が見えないんだが」


「小野木さんを見付けたら、遥花さんは自分を犠牲にして、小野木さんをここへ戻すつもりです。山下さんも、そう思ってますよね」

「彼女なら、そうするだろう」


「だったら、私が、その遥花さんの代わりになります」

「どういう意味だ?」

山下は眉を寄せた。


「私が過去に残ります」

「馬鹿なことを。自分の人生を大切にするって、言ったばかりじゃないか」

立ち上がり掛けた山下の肩を、璃子はやんわりと押さえた。


璃子の表情には、まるで、女神か何かが慈悲を与えようとしているかのような雰囲気があった。


山下は璃子を仰ぎ見たままの格好で、固まってしまっていた。


「山下さんから、友人を失わせない。山下さんを、一人にさせない。そのためだったら、私はどうなってもいいんです。この気持ちを大切にすることが、自分を大切にすることなんです」


悟りを開いた人間とはこんな感じなのだろうかと想像してしまうほど、璃子の口調はどこまでも穏やかだった。


「遥花さんは、山下さんの大切な友人。山下さんから、遥花さんを奪う運命があるとしたら、それは私が阻止します」


ジャンヌ・ダルクも自己の危険を顧みず、人のために闘った人ではなかったか。

今、山下は璃子の中にはっきりと彼女の姿を見た気がした。


璃子の温かくて強い眼差しが、山下の中で頑なに閉ざしていたものを溶かしていった。


「犀川さんのことも、大切な人だと、思ってはダメなのか」

その言葉を聞いた璃子の瞳が激しく動き出した。

「俺は犀川さんのことも、失いたくないんだ」


璃子は急に足の力が抜けたように後退り、床に座り込んでしまった。

「大丈夫か」

山下が差し出した手と顔を交互に見比べてから、璃子は突然、山下の首に抱き付いてきた。


「天と地がひっくり返っても、山下さんから、そんなこと言われるとは、思って無かったから。びっくりして」

璃子の声が耳元で響いた。

監視カメラが気になったが、無理に引き離すのも躊躇われた。


「好きです。私、山下さんが好き」

こんなストレートに告白してきた女性は初めてだった。

だから、ちゃんと向き合うべきだと思った。


ゆっくりと璃子の腕を外して、山下は璃子と顔を見合せた。

璃子は潤んだ瞳で山下の瞳を覗き込んできた。


「その気持ちには、答えられない」

山下が静かに告げると、璃子の顔色が変わった。


「俺は人を愛せない」

「どういうことですか」


「人に対して、恋愛感情が持てないんだ。いろんな人と付き合って、恋愛の真似事も努力もしてみたけど、結局、違うって分かった。人を愛するって、努力して得るものじゃない。気が付いたら、好きになってる。それぐらいは、人を好きになったことが無くても分かる」


「山下さんにとって、私のことを、失いたくないって言ってくれた気持ちは、何だったんですか」

璃子は不思議なほどに落ち着いていた。

山下を少しでも理解出来ないか、冷静に模索しているようだった。


「大切な人だから」

山下は璃子を真っ直ぐに見返した。


「犀川さんの身に何かあったら、正気でいられるか自信が無いくらいに」

「それは、私を好きってことにはならないんですか」


山下は少し間を置いた。

「ならないと思う」


「どうしてですか。大切に思うってことと、愛おしいって気持ちは同じだと思います」

「大切には思っても、その人とのプライベートや、考え方を共有したいとは思えないんだ」

璃子は、ぐったりと肩を落とした。


こんな風に誰かを傷付けるぐらいなら、誰にも愛されず、誰も愛せないままのほうがいいと、山下は改めて思っていた。


「だったら、友人で構いません」

「それは」

「愛されたいと望まない。山下さんと私は、お互いが相手を大切に思うだけの関係。それって、親友ですよね?」

懇願の色を滲ませた璃子の視線から、山下は目をそらした。


「犀川さんは、素敵な人だ」

だから尚更、自分の問題に巻き込むことは出来ないと思った。


「犀川さんの気持ちを聞いた後では、そんな都合のいい関係は築けない」

「勝手に決め付けないでください」

璃子は山下の顔を両手で挟んで、自分のほうへ向けさせた。


「この間、公園で話をした時みたいに、山下さんのことを聞かせてくれるだけでいいんです」

もう一度、璃子から視線をそらそうとした山下だったが、璃子はそれを許さなかった。


「これでも、私、モテるんですよ。いつまでも、山下さんのことを好きでいるなんて、自惚れないでください」

二人はしばらく見詰め合った。


「ありがとう」

山下の声が掠れていた。

そこまでして自分と関わろうとしてくれる璃子に、感謝の気持ちが溢れてきた。


「いつか、彼氏との恋愛相談に乗って貰いますからね。約束ですよ」

「ああ、約束する」


「定時過ぎてるので、帰ります」

璃子は突然すくっと立ち上がって部屋を出て行った。


監視カメラのモニターで璃子の姿を追っていると、俯いた顔に何度も手をやっているのが見えた。




「ここから先へは、生野様一人でお進み下さい。添乗員が中で待っております。その者の案内に従ってください」

『時の扉』への入口前で、山下は頭を下げて生野を見送った。


粗末な腰布だけを身に着けた生野を見ると、どうしても、先日の小野木の姿が思い出されて心が騒ぐ。


「お待ちしておりました」

モニタールームへ入った山下の耳に、遥花が発した言葉がスピーカー越しに届いた。


遥花は生野と同じように粗末な布を身にまとっていた。

女性なので、長方形の布を肩で半分に折り返したワンピース姿だ。

左右の脇から下は縫い合わされており、紐のベルトでゆったりとウエストを押さえてある。


生野は分かりやすく動揺していた。

自分でも貧弱だという自覚があるのだろう。

さらけ出した上半身と手足を少しでも隠そうと、何度も手で触っている。


添乗員は女性だと、事前に知らせておくべきだったなと、山下は生野を少し気の毒に思った。


「久谷遥花と申します。添乗員を務めさせていただきます」

ニコリともしない、事務的な挨拶だった。


遥花の心境を知っている山下だから、その態度も仕方ないと思えるが、生野はがっかりしているだろう。


何かしらの期待に膨らんでいた生野の気持ちは、すぐさま萎んだようだった。

「どうぞよろしく」

生野が形式的に頭を下げたのが見えた。


「すぐに旅立ちますが、何か質問はございますか」

「特に無いです」

生野が答えると、遥花は山下へ合図を送った。


山下はもう何も考えまいと、無心でシステムを起動させた。

出発のスイッチを押す瞬間は、それでも躊躇いが残った。


璃子がそっと、山下に寄り添った。

「遥花さんを信じましょう。山下さん」

山下は璃子に向かって小さく頷き、スイッチを押した。


二人の身体が消えた後の空間を、ずっと、山下はただ眺めていた。




遥花が旅立った数日後に璃子のインターンシップが終了した。


大学を卒業したら『T・T・T』に就職したいと語り、それまでは学業と現代世界への旅行に時間を使うと言って、山下の元を去って行った。


「山下さんの部下では無くなるけど。親友ですから、これからも月に一度くらいは会いに来ますね」

去り際の言葉に憂いは無かった。


璃子がこれから体験するであろう輝く未来に、自分は脇役でしか無いことを思い知らされていた。


璃子の居なくなったプレゼンルームは、急に色褪せたつまらない空間に思えた。

失ってから存在の大きさに気付くなんて、自分には起こらないことだと思っていた。


客用の椅子に深く腰掛けると、山下は天井を仰いで何も無い白いドームを眺めた。

去って行こうとする璃子の腕を取って、抱き締めたいと思ってしまった自分を振り返る。


まさか、俺にも人を愛せるのか。

諦めてしまう必要は無いのだろうか。


しかし、すぐに打ち消す自分がいた。

今更気が付いたところで、もう遅い。

勝手過ぎる。


例え、自分の気持ちを許せたとしても、歳の差は埋められない。

いずれ、後悔するし、後悔させてしまう。


璃子との関係は、このままでいいんだ。

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