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010)【癒し】

山下と遥花は、休日の午後に社外で落ち合う約束をした。

社内ではどこにでも監視カメラがあるし、盗聴される危険もあるからだ。

二人きりでは、剣崎の調査に引っ掛かるため、やむなく璃子にも同席して貰うことになった。


会社から少し離れた街にある待ち合わせの店で、案内された個室に入ると、既に遥花と璃子がしんと静まり返った中で待っていた。

小野木の失踪以来、遥花の顔からは笑顔が消えている。


「週明けの新月に、本部から派遣されてくるって、本当なの?」

山下の顔を見るなり、遥花は食ってかかってきた。

「本当だ」


落胆する遥花の横で、璃子が遠慮がちに尋ねてきた。

「本部の人は、何をしに来られるんですか」


山下と遥花は顔を見合わせた。

互いにどちらが口火を切るか、瞳で押し付け合っているようだった。


「小野木君の抹殺命令が出ている」

自分が告げるべきだと、山下は腹をくくった。

「本部から抹殺部隊がやってくるんだ」

璃子が息を飲んで、両手を口元へやった。


「きっと、大丈夫よ。小野木はそんな柔じゃない。抹殺部隊なんかに、殺られはしないわ。私が仕込んだんだもの」

「俺もそう思いたい」


「山下さん。小野木がアテンドするはずだったティカルの仕事、私へ回して頂戴」

「小野木君を捜すのか?」

「ええ」

「捜し出して、どうする?」

「本部の決定を破ってでも、連れ戻すわ」

「どうやって?」

遥花は言葉を飲み込んだ。


小野木を連れ戻すということは、未来から来た者を小野木の代わりに、過去へ置き去りにするしか方法が無い。


「旅行者が旅行先で亡くなった場合、ネズミ程度の大きさの生物をその者の代わりにして、未来へ戻ることは出来る。帰りはそれで良くても、行きはネズミではダメだ」


「知ってるわ。行きの衝撃には耐えられないのよね。じゃあ、ネズミよりもっと大きい、例えばトラとかを連れて行ったら?」


「ゴリラで試した支部があるが、ゴリラでもダメだったらしい。行きに関しては、生命体の大きさは関係無いのかもしれない」

考えて見れば、人間なら中学生でもタイムトラベルが可能なのだ。

体格の問題では無いのだろう。


「あのぅ」

璃子がおずおずと話へ入って来た。

「小野木さんを見付けたとしても、小野木さんは戻って来たいと、思わないんじゃないでしょうか」


「どうして?」

言葉は刺々しくならないように気を使っているが、璃子を見る遥花の視線は鋭かった。


「未来へ戻ること以上に、大切な何かが、小野木さんの身に起きたのかも」

そこまで言って、璃子は口をつぐんだ。

山下と遥花の顔が険しくなったからだった。


「私達アテンダントにとって、未来へ戻ること以上に大切なことなんて、無いのよ」

遥花が諌めるように璃子を見詰めた。


山下は遥花とは違う視点で璃子の意見を捉えていた。

大切な何かが過去にあると思っているのは璃子自身なのだ。

つまり、璃子は自分の前世を救うことを、まだ諦めていないと思っておいたほうがいい。


「久谷さん」

山下は改まって遥花へ向き直った。

「俺もいろんな可能性を考えた。だけど結局、小野木君にとって、余程のことが起きたのだという結論は変わらない。久谷さんが連れ戻そうとしたところで、彼は応じないかもしれない。それでも、行きたいと思うか?」


躊躇いを全く見せずに遥花は頷いた。

「私にだって、分かってるわ。だから、行くの。きっと私にしか、小野木を連れ戻せない」

「アテンドする時代は、小野木君が訪れた頃から五年も経っている。久谷さんが説得しても、戻らないと言ったら、どうする?」

「『T・T・T』の決定に従うわ」

山下と遥花の瞳が暗く沈んだ。


「『T・T・T』の決定って。小野木さんを抹殺するってことですか?」

璃子が怯えた顔で遥花に取りすがった。

「遥花さん!」

「大丈夫よ。帰らないなんて、言わせないから」

璃子は泣きそうな顔で俯いた。


「小野木に帰る意思があるなら、私が代わりになる」

「それはダメだ。君は戻って来るんだ。方法はそれから考える」

山下は厳しい顔で遥花を睨んだ。


「必ず、戻って来るんだ」

頷こうとしない遥花へ念を押したが、遥花は目を閉じて考えていた。


「アテンダントにとって、未来へ戻ること以上に大切なことなんて、無いんだろう?」

山下は先ほどの遥花の言葉を引用した。


「分かった」

やっと口に出された言葉が遥花の本心では無いと、山下は気付いていた。

だけれど、どうすることも出来ないとも分かっていた。

「俺はもう、友人を失いたくない」

それだけ言うのがやっとだった。


遂に泣き出した璃子を宥めようとする者はいなかった。




店を出た後、一人帰って行った遥花を見送った山下は、璃子を近くの公園に誘った。

璃子を一人にするのが気掛かりだったのだ。


夕方近いと言うのに、7月末の容赦ない日差しが照りつけてはいたが、川沿いのせいか、時折涼しい風が吹いていた。


山下と璃子はあずま屋のベンチに並んで座った。

二人の間には人二人分の空間がある。


しばらく二人は黙って、ボール遊びをしている子供達を目で追っていた。

そうしていると、山下が抱えている問題を少しだけ忘れさせてくれた。


子供達が駆けている芝生広場の向こうに網沢川が見える。

璃子と小野木が、いつかの夜に叫んだ川の下流だ。


あれからまだ三ヶ月も経っていないのに、こんなにも状況は変わるものなんだなと、山下はしみじみ思った。


「ここへ戻る以上に、大切なことって何だろうな」

「山下さんだったら、どうですか」

璃子に問われて、小野木の視点でしか考えてこなかったことに初めて気が付いた。


「遥花さんのためだったら、残れますか?」

璃子の顔は怖いくらいに真剣だった。


「どうして、久谷さんが出てくるんだ?」

「山下さんは遥花さんのことが、その。好きなんじゃないんですか」

言ってしまったという感じで、璃子は顔を伏せた。

山下は苦笑した。


「久谷さんは大切な友人だ」

「そんなの、大人の綺麗ごとに聞こえます」


「向こうにも俺にも、恋愛感情は無い。久谷さんは、俺の唯一の親友の彼女なんだ」

璃子は驚いて顔を上げた。


「親友は何年も前に、事故で亡くなってしまったけど」

「えっ」

「だけど、俺の中にも久谷さんの中にも、彼はまだ生きてる」

璃子は殴られた後のような辛い表情をした。


「山下さんから時々感じる孤独は、その親友のことが原因だったんですね」


璃子の発言はしばしば、山下の心を射抜くほどの威力がある。

触れて欲しく無い部分だか、いざ触れられてしまうと、隠しておくことでも無いと気付かされるのだ。


「そう、かもな」

「どんな方だったんですか?」

「年下のくせに、失礼な奴だった」


山下は璃子に促されるまま、時間を忘れて親友の話を語った。

いつの間にか、山下の顔に笑みがこぼれていた。


璃子の気持ちを落ち着かせるために来た公園だったが、山下のほうが癒されていたと、後になって何度もこの日を振り返るのだった。


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