001)【窓口業務】
新月の日。
旅立つ者を今日も見送る。
山下成行は紅梅色の発光が収まった後で、モニターに誰の姿も映し出されていないことを確認した。
無事に旅立って行かれたようだと、満足気に微笑みながら、細い顎へ薄く生やした髭に触れる。
今回は父、母、息子の三人家族と、添乗員兼アテンダント一人の計四人が、古代メソポタミア文明の都市ウルへ向かった。
中、高校生時代、不登校を繰り返し、高校を卒業してからは、完全に引きこもり生活になっていた息子が望んだ行き先だった。
これまで、弊社のシステムを利用して旅を終えられた方々は、それぞれに何か気付きを得たご様子で、ここに帰って来られている。
次の新月までに、あの親子が、何に気付きを得て戻っていらっしゃるか楽しみだ。
四十歳を越えた今でも結婚に縁の無い山下には、家族の単位と言うものに、憧れのような思い入れがあった。
山下はタブレット型PCを手に取り、自社『T・T・T』のロゴマークをクリックして、過去の旅行客ファイルを開けた。
顧客の基本情報が客との思い出と共に、山下の切れ長の瞳に映し出される。
芦川様、浦谷ご家族。
茅場様は、もう何度もウチをご利用なさっている。
犀川様、あのご家族は明るくて仲が良かった。
長女の璃子様も、今は大学生か。
すっかり大人になっているのだろうな。
冴木様、それから、竿垣ご夫婦はどうしていらっしゃるだろうか。
顧客が手にする気付きは、良い気付きばかりとは限らない。
新婚旅行で出かけて行った場合は、高い確率で帰国後に別れていらっしゃるようだし、仲の良い友人同士で旅行されるのもリスクは高めだ。
現代文明内では上手く築けていた関係も、時空を超えた先の文明では、関係を一から構築し直さなければならない状況に陥ると考えられる。
現代で培われた立場や物の捉え方が、根底から試されるのではないだろうか。
想定外の局面に遭遇すると、その方の人間性で勝負するしかなくなる。
見たくなかった同行者の本性が見えてしまうのだろう。
ご自身についても、自分が自分にも見せていなかった本当の姿に気付いてしまい、元の関係に戻れなくなることもあるようだ。
現代でしがらみの無い、お一人様同士の寄せ集めツアーに参加した方々のほうが、帰国後の交流が盛んになっていらっしゃると聞く。
山下が思いを馳せているところへ、駐車場に車が停まったことを知らせるメッセージが、タブレットへ届いた。
山下は我に返ったように、急いでタブレットの画面を閉じた。
防犯カメラ映像から得た車のナンバーから、出資者の一人である柳原所有の車だということも、情報として同時に受け取っている。
山下はカウンターの内側から出て、店の入口へと向かった。
入口の扉を開くと、重い音がして外の陽気と共に光が差し込んできた。
「ようこそお越しくださいました。どうぞ、お入りください」
山下は自然な笑顔を訪問者達に見せ、三人の男達を店内へ案内した。
「境田様、お久し振りです。お変わりありませんか」
「君は全く変わらない、若いままだな。俺なんて、遂に五十代だよ」
山下が境田と呼んだ男は、以前『T・T・T』の旅行に参加した経験のある医師だ。
大きな目で真っ直ぐに、人へ視線を投げる癖があるが悪気は無い。
人なつっこい性格をしている。
「三谷さんもお疲れ様です。柳原氏のお加減はいかがですか?」
山下は三人をソファ席へ案内すると、柳原の秘書である三谷へ声をかけた。
「お陰様で、変わりありません」
優雅に会釈した後で、三谷はグレーのスーツ姿の背筋を伸ばしてソファに腰掛けた。
この三十代後半の男に、山下は自分と近いものを感じている。
そしてと、山下はもう一人へ目をやった。
生野篤司。
今日の山下のミッションは、彼が柳原の代理で旅行へ行くことを、承諾するように働きかけることだ。
資料によると、二十四歳。
小学生の時に自動車事故に遭う。
両親をその事故で無くし、祖父母に育てられる。
事故の後遺症治療で、担当医の境田と出会う。
深層記憶によって、場面を描写できる特殊な能力を持つ。
高等専門学校電気工学課を卒業後、都内の電気設備保安業務の会社に勤務。
二ヶ月前に退職。
身長一七五センチ。
視力は両目共に、裸眼で1.2。
マイクロチップ、ペースメーカーなどの体内への埋蔵物無し。
二年前から独り暮らしを始めている。
祖父母宅へは半年に一度顔を見せる程度。
彼女無し。
SNS上でもリアルでも、親密と言える友人はいない。
SNSでの偏った思想的発言→見当たらない。
旅行代行人の話は、境田が柳原へ生野を推薦したと言う。
境田と柳原は大学の頃からの友人だと、山下は聞いている。
落ち着き無く首を動かして、店内を見回している生野を、山下は盗み見た。
身体付きは細く、色白で、意思の希薄さが柔らかい表情に滲み出ている。
正直、頼り無い印象だった。
「生野様ですね。『T・T・T』窓口担当の山下です。どうぞ、よろしくお願いします」
山下が声をかけると、生野の表情が少しだけ引き締まった。
「ここは、本当に旅行会社なんですか?」
確かに、ここには旅行会社に有りがちな旅行先のパンフレットは一切置いていないし、旅に出たくなるようなポスターの類いも貼っていない。
木の無垢材の床、白い壁と天井。
壁と天井との境目に間接照明を設け、電球色のLEDランプで優しい明るさを演出している。
窓は無い。
細長い店内の奥まで続いているカウンターには、四つの椅子。
ソファ席は三人を案内した一席のみ。
静かな雰囲気の喫茶店か、バーのような空間に感じるはずだ。
補足が必要だと感じたのだろう、三谷がやんわりと山下へ告げた。
「先ほど、私のほうから、柳原の意向は生野様へお伝えしてあります。ただ、行き先については、ご説明出来ておりません。ですので、まだご旅行の承諾もいただいておりません」
旅行先が現代ではない場所だと、安易に話しては拒絶される可能性もある。
三谷はその危険を『T・T・T』へ担わせることにしたのだ。
想定通りだと、山下は思った。
「承知いたしました。では、境田様と三谷さんには、こちらで少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか。生野様はこちらへどうぞ」
山下はそう言って、カウンター席の後ろを通り、店の奥へと歩いて行った。
自分の後ろを素直についてくる生野の気配を感じて、レスポンスは悪く無いと思った。
客に対しては、窓口担当と言う肩書きで接している山下だが『T・T・T』組織内では、統括マネージャーという重責を担っている。
日本支部のトップと言っていい。
『T・T・T』の内部組織は、技術開発部、現地調査部、建築技術部、顧客調査部、アテンダント部、管理部に分かれている。
その全ての部門を統括しているのが山下なのだ。
忙しい山下にとっては、窓口業務が一番楽な仕事になる。
『T・T・T』を訪れる客のほとんどが誰かの紹介だ。
窓口に現れた時点で、その客の調査は終わっている。
その客がタイムトラベルに相応しいかを、最終的に判断するのが窓口業務に課せられた仕事だった。
「こちらです」
突き当たり右手の両開き扉の前に立ち、生野へ声をかける。
ドアノブの金具が外れる音が響くのを聞きながら、山下はゆっくりと扉を開いていった。